福田内閣が崩壊した。当然おおくのブロガーの話題の中心はこれだと思うのだが、まあ、そう急いで語ることでもないし、次のボナパルティスト、「あっそう・だろう」政権が成立するまではちょっと一息ということで、今日はたわいもない話をいきます。m(_ _)m
今年のお盆休みは14・15日の二日だけだった。バブルの全盛期は15日の一日だけとか、全くなしというとしもめずらしくはなかった。小資本家はとてもつらい。同業者がたーくさんいるので、発注者は「別に君でなくてはいけないということはないんだがぁあ」というオーラを放つ。ワタシが「新自由主義」の生け贄にされていると実感する一時である。
そんな二日ほどの連休にローザの兄さん夫婦と姪っ子が墓参りをかねてやってきた。これも例年のイベントのひとつなのだ。昼頃到着で、それから早々に買い出しに出かけ夕刻6時から酒盛りとなった。ワタシ的にはここらの時間帯はバラの水遣りなんぞもあって忙しく、こんな早い時間から酒盛りなんてできっかよぉ〜!と言う気持ちでいっぱいだったのだが、まあそこは大人のお付き合いと言うことで「笑顔」で参加ということにあいなった。
実はこの義兄とは数年前に暴言を吐かれて大喧嘩した経緯があり、腹に一物あって表向き良好な関係とは裏腹に一定の距離を保った関係を維持している。義姉はバリバリのアメリカ系英語のシュペツァリステンでほとんど日本人の皮をかぶったアメリカ人である。姪っ子は当地方では一流の進学校とよばれる高校で3年生をやっている。来年はお受験なのだ。
この姪っ子、盆といい正月といい、かならずやってきたときは教科書、参考書、練習ドリル、単語カードのいずれかとにらめっこで、もう何年も言葉を発したのを聞いたことがない。まあ、素直なよい子だとは思うのだけれど、根っからのお気楽者で勉強嫌いのワタシとしてはこのての「ガリ勉さん」は苦手なのだ。本人のモチベーションの根源がどこにあるのかは今日の教育問題とも絡んで興味深いところではあるが。
そんな姪っ子が大概、手にしているのは英語系のものなのだが、今年はな〜んと山川製の世界史教科書とにらめっこをしていたのだ。まあ、「あっしには関わりの無いことでござんす」で、まさに文字通り盆と正月でしか登場することのないご馳走をあたふたとせわしく胃袋へと収納したのち、「いっやぁ、満腹満腹! デザートでたらよんでちょうだいね〜♪」と遺言を残して、そそくさと寝室に逃亡した。
2時間ほどしてデザートコールにいそいそとやってくると、な〜んと歴史問題クイズ大会となっていた。「日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した司令官はだれでしょう〜?」いきなりの問いに、「大塩へいはちろ〜ぉ♪」「えぇえ、チョット違うんでないかぇ」「だれだったけぇ」と言う具合で、到底名の通ったダイガクにいっていた者が集っての対話とはおもえないような珍問、奇答が連発する。義兄&義姉、ワタシとローザとそれぞれテリトリーが全く違うので、共有する認識はとてもタイトだ。
驚いたというか、あ!やっぱりと思ったのは、義姉がアメリカの独立戦争の問いに絡んでアメリカの独立宣言を流暢な英語で語り出したこと。この人は日本史よりもどこの国の歴史よりもはるかにアメリカの歴史には詳しい。アメリカの歴史に関してはかたっぱしからビンゴだった。それ以外はメタメタだったが。
わりと醒めた気持ちで話しに加わっていたワタシだったのだが、産業革命前後しての話題に移り、「宗教改革はなぜはじまったでしょう?」「免罪符に見られるような世俗的な腐敗がふかまったから〜」と言う答えに、「いや!強大な土地所有者としての教会権力から土地を強奪するためだ」という一言から少々御神酒がはいりすぎていたことも手伝って、資本の蓄積論を全面展開してしまった。完全に空気は凍り付いた。
ので、チョット反省し、うつむいて黙々とアイスクリームをたべはじめた。のだが、「ロシア革命をなした人はだれでしょう?」に、アメリカ姉さんは「スターリン」。これをきっかけにローザともども「壮大なロシア革命史」の全面展開とあいなったわけなのであった。これには義兄夫婦の目はテンとなり、終わりに義姉は一言、「なんなの?この夫婦、凄い!」と。うわぁあ、やっちゃった!と反省モードに移行するも、義姉曰く「○○ちゃんの歴史の勉強をみてやってもらえない?」
私ら夫婦は17世紀以降のコアにしてマニアックな、そして、なにより試験に出ない歴史しか知らないのでと言って丁重にお断りしたのでありました。ひどく気落ちした表情をみせる義姉にローザが「私は受験の時、シグマベストを参考書にしていたけど、とてもよかったよ〜♪」と言うと、握り拳もので「そう! じゃあさっそく明日帰りに本屋さんによって買ってかえりましょうね。○○ちゃん」というなかなかお受験に熱のこもったお返事であった。
お受験はたいへんだな〜と思った。義兄はそうでもないのだが、義姉はかなりヒートアップしているように感じた。いままで「ガリ勉さん」で好感がもてなかった姪っ子が、一生懸命に親の期待に応えるべく頑張っているのかなとおもえて、ちょっといじましい気がした。それにしても、その夜に義兄はバラさなかっただろうか、ワタシもローザも「危ない系サヨク」だったことを。彼は知っているのだ。10.20でパクられたことも。御神酒がはいりすぎておもわず口がすべりまくったという、たわいもないお話し、お粗末でした。口は災いのもと、ご注意あれ、諸兄&諸姉! 麻生君はとくにね!!
がんばれ!姪っ子 志望校のハードルはかなり高いと思うがマイペースでゆけ! 親が受験するんじゃないんだから。姪っ子に捧げるER セントセシリア

今年のお盆休みは14・15日の二日だけだった。バブルの全盛期は15日の一日だけとか、全くなしというとしもめずらしくはなかった。小資本家はとてもつらい。同業者がたーくさんいるので、発注者は「別に君でなくてはいけないということはないんだがぁあ」というオーラを放つ。ワタシが「新自由主義」の生け贄にされていると実感する一時である。
そんな二日ほどの連休にローザの兄さん夫婦と姪っ子が墓参りをかねてやってきた。これも例年のイベントのひとつなのだ。昼頃到着で、それから早々に買い出しに出かけ夕刻6時から酒盛りとなった。ワタシ的にはここらの時間帯はバラの水遣りなんぞもあって忙しく、こんな早い時間から酒盛りなんてできっかよぉ〜!と言う気持ちでいっぱいだったのだが、まあそこは大人のお付き合いと言うことで「笑顔」で参加ということにあいなった。
実はこの義兄とは数年前に暴言を吐かれて大喧嘩した経緯があり、腹に一物あって表向き良好な関係とは裏腹に一定の距離を保った関係を維持している。義姉はバリバリのアメリカ系英語のシュペツァリステンでほとんど日本人の皮をかぶったアメリカ人である。姪っ子は当地方では一流の進学校とよばれる高校で3年生をやっている。来年はお受験なのだ。
この姪っ子、盆といい正月といい、かならずやってきたときは教科書、参考書、練習ドリル、単語カードのいずれかとにらめっこで、もう何年も言葉を発したのを聞いたことがない。まあ、素直なよい子だとは思うのだけれど、根っからのお気楽者で勉強嫌いのワタシとしてはこのての「ガリ勉さん」は苦手なのだ。本人のモチベーションの根源がどこにあるのかは今日の教育問題とも絡んで興味深いところではあるが。
そんな姪っ子が大概、手にしているのは英語系のものなのだが、今年はな〜んと山川製の世界史教科書とにらめっこをしていたのだ。まあ、「あっしには関わりの無いことでござんす」で、まさに文字通り盆と正月でしか登場することのないご馳走をあたふたとせわしく胃袋へと収納したのち、「いっやぁ、満腹満腹! デザートでたらよんでちょうだいね〜♪」と遺言を残して、そそくさと寝室に逃亡した。
2時間ほどしてデザートコールにいそいそとやってくると、な〜んと歴史問題クイズ大会となっていた。「日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した司令官はだれでしょう〜?」いきなりの問いに、「大塩へいはちろ〜ぉ♪」「えぇえ、チョット違うんでないかぇ」「だれだったけぇ」と言う具合で、到底名の通ったダイガクにいっていた者が集っての対話とはおもえないような珍問、奇答が連発する。義兄&義姉、ワタシとローザとそれぞれテリトリーが全く違うので、共有する認識はとてもタイトだ。
驚いたというか、あ!やっぱりと思ったのは、義姉がアメリカの独立戦争の問いに絡んでアメリカの独立宣言を流暢な英語で語り出したこと。この人は日本史よりもどこの国の歴史よりもはるかにアメリカの歴史には詳しい。アメリカの歴史に関してはかたっぱしからビンゴだった。それ以外はメタメタだったが。
わりと醒めた気持ちで話しに加わっていたワタシだったのだが、産業革命前後しての話題に移り、「宗教改革はなぜはじまったでしょう?」「免罪符に見られるような世俗的な腐敗がふかまったから〜」と言う答えに、「いや!強大な土地所有者としての教会権力から土地を強奪するためだ」という一言から少々御神酒がはいりすぎていたことも手伝って、資本の蓄積論を全面展開してしまった。完全に空気は凍り付いた。
ので、チョット反省し、うつむいて黙々とアイスクリームをたべはじめた。のだが、「ロシア革命をなした人はだれでしょう?」に、アメリカ姉さんは「スターリン」。これをきっかけにローザともども「壮大なロシア革命史」の全面展開とあいなったわけなのであった。これには義兄夫婦の目はテンとなり、終わりに義姉は一言、「なんなの?この夫婦、凄い!」と。うわぁあ、やっちゃった!と反省モードに移行するも、義姉曰く「○○ちゃんの歴史の勉強をみてやってもらえない?」
私ら夫婦は17世紀以降のコアにしてマニアックな、そして、なにより試験に出ない歴史しか知らないのでと言って丁重にお断りしたのでありました。ひどく気落ちした表情をみせる義姉にローザが「私は受験の時、シグマベストを参考書にしていたけど、とてもよかったよ〜♪」と言うと、握り拳もので「そう! じゃあさっそく明日帰りに本屋さんによって買ってかえりましょうね。○○ちゃん」というなかなかお受験に熱のこもったお返事であった。
お受験はたいへんだな〜と思った。義兄はそうでもないのだが、義姉はかなりヒートアップしているように感じた。いままで「ガリ勉さん」で好感がもてなかった姪っ子が、一生懸命に親の期待に応えるべく頑張っているのかなとおもえて、ちょっといじましい気がした。それにしても、その夜に義兄はバラさなかっただろうか、ワタシもローザも「危ない系サヨク」だったことを。彼は知っているのだ。10.20でパクられたことも。御神酒がはいりすぎておもわず口がすべりまくったという、たわいもないお話し、お粗末でした。口は災いのもと、ご注意あれ、諸兄&諸姉! 麻生君はとくにね!!
がんばれ!姪っ子 志望校のハードルはかなり高いと思うがマイペースでゆけ! 親が受験するんじゃないんだから。姪っ子に捧げるER セントセシリア

まいどの昔話で恐縮なのですが、二十歳過ぎまで私は厚揚げを食べたことがなかったのであります。もちろん、その時点ですでに二十年以上の歳月が過ぎているわけで、当然その中では厚揚げを好むと好まざるとにかかわらず食膳にそれが登場することはもちろん幾度となくあったわけなのですが、なぜかそれに箸をつけることはなかったのであります。
べつに明確に嫌いな理由があったわけではないのですが、あえていえばあの表面のごつごつとした感じと、色合いがちょっと”キモ”だったのだとおもっているのです。
そうです、私は食わず嫌いの権化なのであります。
いまだにその基本属性は変化することが無く、ごくごく最近でしたらゴーヤがあきまへん。理由はやはり、あの表面のごつごつとしたあの感じが堪らなくいやいやなのであります。
さて、そんな私が厚揚げを食すに至ったのは、しばしば「社」に居候させていただいていたのですが、ここでの食事には頻繁にこの厚揚げが登場したのであります。なぜかといえば、この「社」のすぐ近くにお豆腐屋さんがありまして、いかなる縁か、いつからのお付き合いかは知らないのですが、世間で白い目で見られることがとかく多かった私たちに、とても好意的なお豆腐屋さんだったので、こちらとしても大変贔屓にしていたわけなのであります。
私はこの目で見たことはないのですが、聞いた話によると店の中にマルクスの肖像画がかかげてあるとかないとか、「社」内的な公称は「マルクス豆腐店」、ちょっとレアなお豆腐屋さんなのでした。
てなわけで、実に頻繁に厚揚げがお膳に上がったのであります。当時極貧だった私が、好き嫌いいえるような立場ではなかったので、かなりの抵抗をこえて、きざみネギと鰹節ののった厚揚げを箸でつまんでくちにいれて思ったこと、「うっうまぁあい!」。
と同時に、長年にわたってコイツをスルーしてきたことをあらためておもうと、とっても損をしたようなネガな気分になったものでした。
それからは、強火でチョット焦げ目をつけ、きざみネギをのせた厚揚げはすっかり好物にランクアップし、炉端焼き屋や、飲み屋の定番メニューとなったのであります。
今日はお仕事のお付き合いで小一時間ほど、一杯飲み屋で生ビールをいただきながら、厚揚げ君を箸でつまんでいてふとそんなことを思い出したという、たわいもないお話でありました。お粗末!
すっかり夏バテの三毛猫みこ 夏本番はこれからだぞ!
一丁焼き鰹でもふるまって精をつけてもらうか。

べつに明確に嫌いな理由があったわけではないのですが、あえていえばあの表面のごつごつとした感じと、色合いがちょっと”キモ”だったのだとおもっているのです。
そうです、私は食わず嫌いの権化なのであります。
いまだにその基本属性は変化することが無く、ごくごく最近でしたらゴーヤがあきまへん。理由はやはり、あの表面のごつごつとしたあの感じが堪らなくいやいやなのであります。
さて、そんな私が厚揚げを食すに至ったのは、しばしば「社」に居候させていただいていたのですが、ここでの食事には頻繁にこの厚揚げが登場したのであります。なぜかといえば、この「社」のすぐ近くにお豆腐屋さんがありまして、いかなる縁か、いつからのお付き合いかは知らないのですが、世間で白い目で見られることがとかく多かった私たちに、とても好意的なお豆腐屋さんだったので、こちらとしても大変贔屓にしていたわけなのであります。
私はこの目で見たことはないのですが、聞いた話によると店の中にマルクスの肖像画がかかげてあるとかないとか、「社」内的な公称は「マルクス豆腐店」、ちょっとレアなお豆腐屋さんなのでした。
てなわけで、実に頻繁に厚揚げがお膳に上がったのであります。当時極貧だった私が、好き嫌いいえるような立場ではなかったので、かなりの抵抗をこえて、きざみネギと鰹節ののった厚揚げを箸でつまんでくちにいれて思ったこと、「うっうまぁあい!」。
と同時に、長年にわたってコイツをスルーしてきたことをあらためておもうと、とっても損をしたようなネガな気分になったものでした。
それからは、強火でチョット焦げ目をつけ、きざみネギをのせた厚揚げはすっかり好物にランクアップし、炉端焼き屋や、飲み屋の定番メニューとなったのであります。
今日はお仕事のお付き合いで小一時間ほど、一杯飲み屋で生ビールをいただきながら、厚揚げ君を箸でつまんでいてふとそんなことを思い出したという、たわいもないお話でありました。お粗末!
すっかり夏バテの三毛猫みこ 夏本番はこれからだぞ!
一丁焼き鰹でもふるまって精をつけてもらうか。

ところで精神が、未だ曽て良きしたことのないようなものとの不断の闘争によく堪えねばならないとすれば、何よりもまず二個の特性を欠くことができない。その第一は、このような甚だしく不分明な事態のなかにあっても、真実を照破するだけの光をはなつがながらも保有しているような知性である、また第二は、このともしい光に頼って行動するところの勇気である。前者は譬喩的に、フランス語の(couq d' oeil)クワ・ドウィユ(精神的瞥見)という語で表現されている、また後者は果断である。
(中略)
上述した「クワ・ドウィユ」および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである、予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力がすなわち沈着にほかならないからである。
不意に話しかけられた場合に、これに対して当為即妙な答えをするのも沈着だし、また突発した危険を即座の機転によって切り抜ける手段を講じるのも沈着であり、いずれも感嘆に値する心のはたらきである。しかしかかる手段と言い、それが適切でありさえすれば必ずしも非凡であることを要しないのである。平静な熟慮を経た上でならかくべつ非凡というほどの行為でなくても、従ってまた我々の受ける印象としてはかくべつ取り立てていうほどのことでなくても、それが知性の咄嗟のはたらきであれば、やはり我々を悦ばすのである。沈着、即ち精神が常に目醒めているという表現は、知性によってとられた処置が、響の声に応ずるごとく迅速であることを言い現して極めて適切である。
人間精神のかかるすばらしい特性が、知性の特質に基づくのか、それとも情意の均衡から生じるのかということは、その都度の場合がどのような性質のものであるかによってそれぞれ異なるであろう。しかしいずれにせよ沈着には、この両者の一を全く欠くわけにはいかないのである。それだから当意即妙の応答は、どちらかと言えば機転のきく頭脳のなすところであり、また突然の危険に処して咄嗟に適切な手段を講じるためには、何よりもまず情意の均衡がなければならないのである。
(クラウゼヴィッツ「戦争論」一編第三章 軍事的天才より)
という下りを読んでいた。とある春先の昼下がり。誰が読んでいたかというと、私では勿論無い、読んでいたのは社防隊長。
ルンペンスチューデントだった私は、待機時間中にて無償配給の昼食をいただきお昼寝中だった。
ひとしきり寝た後、ボケ〜としていると、学生同志!の声につづいて、いきなりこの下りを音読する隊長。えぇえぇと動揺しつつ聞く私。
音読をおえて、まるで御仏が手をさしのべるように「同志!沈着ということが如何なることであるか理解できたかな?」と。「は!隊長、さっぱりであります。」と私。
にこっと笑って隊長曰く「沈着というのは、予期せぬ事態が発生したとき、それを処理する能力である。その際の知性の咄嗟の働きは普通でよい。その能力は乱れた心が平常心へと戻るにかかる時間をもってしるべし。どうだ、精神は目醒めたか」と。続けて、「学生は勉強せねばいかんぞ。」 「ハイ!わっかりました」と私。
遠い昔のこと、第二ビルの社防室でのやり取りだった。
それが、「戦争論」とのはじめての出会いだった。その後、勉強嫌いだが「素直なよい子」(括弧付き)だった私は隊長の仰せの通り、「戦争と革命の基本問題」と平行して「戦争論」を日々の任務のあいまをみてせっせせっせと読んだものだ。なれど、どちらもいまだ一知半解にして、本能のごとく自由自在にそれを操れるようになることは現世ではかなわないと半ば諦めている。
とはいえ、そんな一知半解なるシロモノでも、戦争のなんたるかくらいのことは多少はわかるのだが。
憲法9条をよりどころとして、反戦・平和 を訴えることは、最高規範を担保としたわかりやすい論理としては有効であるかも知れないが、現実の国際社会が「安定」(括弧付き)していた時ははるか遠くへと過ぎ去り、流動を通り越し、激動するいまにあっては、世界各地とりわけ発展途上国で生起する民族解放の闘いや、世界中をかけずりまわる投機マネーが引き起こす摩擦の激しさは、社会の枠組みを右から大きく揺さぶり、そんなストレートな論がはいってゆけないほどジグザグした多様な「現実論」を準備する。
そんな「現実論」のリアリティーの前に屈し9条を投げ捨てる、あるいは観念論と誹られ一笑にふされることを断固として拒むのであるならば、もっともっと戦争について学ばねばならない。政治と軍事の関係を深く理解せねばならないと思うものである。戦争という二文字を忌み嫌い避けるのではなく、真っ正面からそれが何であるのかを見据え、考え抜くことをとおしてのみ、紙に書かれた文字に過ぎない、9条が物質的な力へと転化しうる可能性を見いだすことができるような論理を用意できるように思うのである。
てなわけで、嵐勘三郎まがいのヤクザなコメンターはほどほどにして、すこしは暇を見つけて勉強しようかなと。おそらく隊長なら、いまでも私にこう言うだろう「おっさんは勉強せねばいかんぞ。革命は近いが人生は残り少ないぞ」と。 たわいもないお話でした。
当地は暑い日が続いております。今日は何の脈絡もなく猫さんを貼りまする。
玄関の土間でとける猫

へろへろのなな

へんな格好のみこ

(中略)
上述した「クワ・ドウィユ」および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである、予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力がすなわち沈着にほかならないからである。
不意に話しかけられた場合に、これに対して当為即妙な答えをするのも沈着だし、また突発した危険を即座の機転によって切り抜ける手段を講じるのも沈着であり、いずれも感嘆に値する心のはたらきである。しかしかかる手段と言い、それが適切でありさえすれば必ずしも非凡であることを要しないのである。平静な熟慮を経た上でならかくべつ非凡というほどの行為でなくても、従ってまた我々の受ける印象としてはかくべつ取り立てていうほどのことでなくても、それが知性の咄嗟のはたらきであれば、やはり我々を悦ばすのである。沈着、即ち精神が常に目醒めているという表現は、知性によってとられた処置が、響の声に応ずるごとく迅速であることを言い現して極めて適切である。
人間精神のかかるすばらしい特性が、知性の特質に基づくのか、それとも情意の均衡から生じるのかということは、その都度の場合がどのような性質のものであるかによってそれぞれ異なるであろう。しかしいずれにせよ沈着には、この両者の一を全く欠くわけにはいかないのである。それだから当意即妙の応答は、どちらかと言えば機転のきく頭脳のなすところであり、また突然の危険に処して咄嗟に適切な手段を講じるためには、何よりもまず情意の均衡がなければならないのである。
(クラウゼヴィッツ「戦争論」一編第三章 軍事的天才より)
という下りを読んでいた。とある春先の昼下がり。誰が読んでいたかというと、私では勿論無い、読んでいたのは社防隊長。
ルンペンスチューデントだった私は、待機時間中にて無償配給の昼食をいただきお昼寝中だった。
ひとしきり寝た後、ボケ〜としていると、学生同志!の声につづいて、いきなりこの下りを音読する隊長。えぇえぇと動揺しつつ聞く私。
音読をおえて、まるで御仏が手をさしのべるように「同志!沈着ということが如何なることであるか理解できたかな?」と。「は!隊長、さっぱりであります。」と私。
にこっと笑って隊長曰く「沈着というのは、予期せぬ事態が発生したとき、それを処理する能力である。その際の知性の咄嗟の働きは普通でよい。その能力は乱れた心が平常心へと戻るにかかる時間をもってしるべし。どうだ、精神は目醒めたか」と。続けて、「学生は勉強せねばいかんぞ。」 「ハイ!わっかりました」と私。
遠い昔のこと、第二ビルの社防室でのやり取りだった。
それが、「戦争論」とのはじめての出会いだった。その後、勉強嫌いだが「素直なよい子」(括弧付き)だった私は隊長の仰せの通り、「戦争と革命の基本問題」と平行して「戦争論」を日々の任務のあいまをみてせっせせっせと読んだものだ。なれど、どちらもいまだ一知半解にして、本能のごとく自由自在にそれを操れるようになることは現世ではかなわないと半ば諦めている。
とはいえ、そんな一知半解なるシロモノでも、戦争のなんたるかくらいのことは多少はわかるのだが。
憲法9条をよりどころとして、反戦・平和 を訴えることは、最高規範を担保としたわかりやすい論理としては有効であるかも知れないが、現実の国際社会が「安定」(括弧付き)していた時ははるか遠くへと過ぎ去り、流動を通り越し、激動するいまにあっては、世界各地とりわけ発展途上国で生起する民族解放の闘いや、世界中をかけずりまわる投機マネーが引き起こす摩擦の激しさは、社会の枠組みを右から大きく揺さぶり、そんなストレートな論がはいってゆけないほどジグザグした多様な「現実論」を準備する。
そんな「現実論」のリアリティーの前に屈し9条を投げ捨てる、あるいは観念論と誹られ一笑にふされることを断固として拒むのであるならば、もっともっと戦争について学ばねばならない。政治と軍事の関係を深く理解せねばならないと思うものである。戦争という二文字を忌み嫌い避けるのではなく、真っ正面からそれが何であるのかを見据え、考え抜くことをとおしてのみ、紙に書かれた文字に過ぎない、9条が物質的な力へと転化しうる可能性を見いだすことができるような論理を用意できるように思うのである。
てなわけで、嵐勘三郎まがいのヤクザなコメンターはほどほどにして、すこしは暇を見つけて勉強しようかなと。おそらく隊長なら、いまでも私にこう言うだろう「おっさんは勉強せねばいかんぞ。革命は近いが人生は残り少ないぞ」と。 たわいもないお話でした。
当地は暑い日が続いております。今日は何の脈絡もなく猫さんを貼りまする。
玄関の土間でとける猫

へろへろのなな

へんな格好のみこ


いきなりおっさんの写真ではじまる今日の話題はこのおっさん。
だれあろう松尾眞氏なのである。その筋のものでたぶん知らない人はいないであろう著名人であるが、知らない人にはただのおっさんである。
趣味者の私はたま〜に某掲示板をみることがあるのだが、そこで氏の話題があがっていた。まあ大旨既知の内容だったのだが、氏の近況を知らせる投稿があり、そのリンク先にフォトがあったというわけだ。
つい先日TAMO2先生のところで衝撃的なレーニンのフォトを拝見させていただいたのだが、これもそれには遠く及ばないにせよ衝撃はあった。一言、「お年を召されましたな大先生」という感じだろうか。目がとても穏やかになられたというか、体調がよろしくないと聞いていたが、疲れておられるのか、はたまた世をお捨てになったのか、ちょっと寂しそうに感じられるのは、ウン十年前のあの鋭い眼光をいまでもしっかと覚えている私だからそう思うのか。
小柄で広い額と鋭い眼差しに黒縁メガネ、小さな巨人だった。恐ろしくもすごい人だった。
氏のご所望の書籍を入手すべく、買い物レポで神田や八重洲あたり一体をかけずり回って探したものである。とにかく本を読んで読んで読みまくっておられた。
そういえば、堺屋太一の「峠の群像」を評して、堺屋はすごい10ページも読んだら頭が痛くなりそうだ、これは経済学の本である。なんて言っていたような記憶がある。
夏の本郷界隈の集まりには夜、氏が皆をあつめて講習会をしたものだった。それはまさしく「なになす」で言うところの 「ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察権力と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ」というふうにそれは見事に描ききっていた。
さまざまな思いが去来する。沢山の人の人生をかえたこのかつての小さな巨人へ、恨み辛みを抱いている人も沢山いるに違いないだろう。なれど、いま氏のこの目をみたとき、野に下ったときの氏の思いはいかほどのものであっただろうか、と思いが巡る。
ナンセンスなのは重々承知のうえで、一言「おつかれさまでした。ご自愛なさってください。まだ57歳じゃないっすか」と言う気持ちになったのは、年をとったのは私も同じと言うことなのだろう。とてもたくさんの時が流れたのだ。
一区切りして前を向いて残りの人生を生きてゆきたいものだ。
終わったんじゃない、これからまた始まるんだと。
今日は午後から自由な時間がとれたので、咲きがらを一掃しようかと思っていたのだが、かねてより延び延びにしていた「家の修理その1」をすることにした。
メニューは去年の暮れ三毛猫のんのの大病の際に、捕獲に失敗してあけた壁の穴と、猫が建具を爪で引っかけて開けるときにできた大量の傷、そして明らかに悪意にもとづいていると思われる(?)爪でバリバリになった障子の張り替えである。
まずはホームセンターで必要なものをGETしてきて準備完了。壁の穴をふさぐ作業を始めた。武装せる園芸家は太古の昔、某党に在籍していた頃、活動資金を得るために限られた時間のなかでバイトに精を出していた。そのため多様な職業にふれてきたので、リペアー系はおてのものなのである。
ホームセンターで調達してきた壁紙下地用の粉末のパテに少々の顔料を混ぜ合わせ、プラスチックでできたヘラで壁の穴をふさぐ。か〜んたんなことである。
before

after

うちの壁は壁紙ではないので修理は比較的容易だ。西洋漆喰の類でEPOCA というイタもの系の仕上げを施してある。http://www.coating-corp.com/finishes2.html
あとは、パテが十分に乾燥するまで日をおいて、冷蔵庫に数年間保存してある修理用にもらっておいた材料を塗り付けると修理完了である。DIYで費用は1450円なり。
続いて角が無くなるほどに爪で削り込まれた建具の修理、これはちと厄介だ。建具の角なので強度のあるパテを使わないとすぐに割れてしまう。エポキシ系の硬化剤を混ぜ合わせるタイプのパテを使う。こいつは可使時間があって、20分ほどで硬化する。たいへん扱いの悪いパテだが、作業は手早くなさねばならない。いちどに多くのパテをつけることが難しいので3回くらいに分けてすこしづつ成型してゆく。成型が終了してから小一時間ほど硬化乾燥させたあとサンドペーパーで平滑に研ぎ落として下地が完成。
メンドクッサ!

あとは後日これまた修理用にもらっておいた材料で色をつければ修理完了である。費用は850円なり。
最後に障子の張り替え。これが一番難しいかも。いままで過去3回ほど張り替えてきたがいまだ満足いく水準に到達していない。でも今回の修理を思い立ったきっかけはこの障子の張り替えなのである。あるときホームセンターで「ペットがひっかいても破れない」という挑発的なコピーが書かれた障子紙をハケーンした。実はこいつ紙じゃなくて、薄いプラスチックフィルムなのである。ホントかウソか一度試してみようと私はそのとき思った。
そして晴れて本日決行となった次第なのだ。結構お値段はリッパで1840×920のサイズで1000円也。掃き出し窓用と引き違い窓用で、三本購入し3000円なり。それとこの障子紙はな〜んと両面テープで貼るのである。てなわけで専用の両面テープお徳用二本セットで850円なり。前もってビリビリに破れまくった古い障子紙をとり十分に乾燥させた障子に丹念に猫さんがつけた悲惨な爪痕をサンドペーパーで研ぎ落としよーく清掃してからしこしこと両面テープを貼りまくる。処方箋にしたがってフィルムをそーっとおいてから圧着、歯切れをカッターで取り除いて完了。
日光のてまえ イマイチ

どーもいままでで最悪のできばえ。紙のように霧を吹いてたわみをとることができないので、フィルムをおいたあと圧着するのに障子貼り用の平たい刷毛で押さえたのが失敗の原因(左側)。フィルムを巻いてあった筒を使って中央から端部へと押さえるのが正解のようだった(右側)。まあ、素人仕事だからこんなもんでしょう。果たしてこの障子いつまで持ちこたえるか興味は尽きないところであるが、ここ数日肩がこりこり、頭爆発のような仕事が続いていたので気分転換的DIYにちょっと満足なのでありました。
うちの暴れん坊将軍

テロリスト

アナキスト

君たちがそこでくつろぐのは自由だが、トーサンはお仕事ができないのだが

メニューは去年の暮れ三毛猫のんのの大病の際に、捕獲に失敗してあけた壁の穴と、猫が建具を爪で引っかけて開けるときにできた大量の傷、そして明らかに悪意にもとづいていると思われる(?)爪でバリバリになった障子の張り替えである。
まずはホームセンターで必要なものをGETしてきて準備完了。壁の穴をふさぐ作業を始めた。武装せる園芸家は太古の昔、某党に在籍していた頃、活動資金を得るために限られた時間のなかでバイトに精を出していた。そのため多様な職業にふれてきたので、リペアー系はおてのものなのである。
ホームセンターで調達してきた壁紙下地用の粉末のパテに少々の顔料を混ぜ合わせ、プラスチックでできたヘラで壁の穴をふさぐ。か〜んたんなことである。
before

after

うちの壁は壁紙ではないので修理は比較的容易だ。西洋漆喰の類でEPOCA というイタもの系の仕上げを施してある。http://www.coating-corp.com/finishes2.html
あとは、パテが十分に乾燥するまで日をおいて、冷蔵庫に数年間保存してある修理用にもらっておいた材料を塗り付けると修理完了である。DIYで費用は1450円なり。
続いて角が無くなるほどに爪で削り込まれた建具の修理、これはちと厄介だ。建具の角なので強度のあるパテを使わないとすぐに割れてしまう。エポキシ系の硬化剤を混ぜ合わせるタイプのパテを使う。こいつは可使時間があって、20分ほどで硬化する。たいへん扱いの悪いパテだが、作業は手早くなさねばならない。いちどに多くのパテをつけることが難しいので3回くらいに分けてすこしづつ成型してゆく。成型が終了してから小一時間ほど硬化乾燥させたあとサンドペーパーで平滑に研ぎ落として下地が完成。
メンドクッサ!

あとは後日これまた修理用にもらっておいた材料で色をつければ修理完了である。費用は850円なり。
最後に障子の張り替え。これが一番難しいかも。いままで過去3回ほど張り替えてきたがいまだ満足いく水準に到達していない。でも今回の修理を思い立ったきっかけはこの障子の張り替えなのである。あるときホームセンターで「ペットがひっかいても破れない」という挑発的なコピーが書かれた障子紙をハケーンした。実はこいつ紙じゃなくて、薄いプラスチックフィルムなのである。ホントかウソか一度試してみようと私はそのとき思った。
そして晴れて本日決行となった次第なのだ。結構お値段はリッパで1840×920のサイズで1000円也。掃き出し窓用と引き違い窓用で、三本購入し3000円なり。それとこの障子紙はな〜んと両面テープで貼るのである。てなわけで専用の両面テープお徳用二本セットで850円なり。前もってビリビリに破れまくった古い障子紙をとり十分に乾燥させた障子に丹念に猫さんがつけた悲惨な爪痕をサンドペーパーで研ぎ落としよーく清掃してからしこしこと両面テープを貼りまくる。処方箋にしたがってフィルムをそーっとおいてから圧着、歯切れをカッターで取り除いて完了。
日光のてまえ イマイチ

どーもいままでで最悪のできばえ。紙のように霧を吹いてたわみをとることができないので、フィルムをおいたあと圧着するのに障子貼り用の平たい刷毛で押さえたのが失敗の原因(左側)。フィルムを巻いてあった筒を使って中央から端部へと押さえるのが正解のようだった(右側)。まあ、素人仕事だからこんなもんでしょう。果たしてこの障子いつまで持ちこたえるか興味は尽きないところであるが、ここ数日肩がこりこり、頭爆発のような仕事が続いていたので気分転換的DIYにちょっと満足なのでありました。
うちの暴れん坊将軍

テロリスト

アナキスト

君たちがそこでくつろぐのは自由だが、トーサンはお仕事ができないのだが






