たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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はじまり はじまり
光陰矢のごとし。最後の記事を書いてから、一年半の月日が経過しようとは、率直いっておもいもしなかったのだが・・・

チリの記事が最後だったので、でっち上げでパクになって獄中とか、あるいは不況で倒産・夜逃げ、「星守る犬」問題で離婚・一家離散、病気・事故・怪我、はては罵倒地蔵β卿の恫喝に屈したのか、などなどさまざまな憶測があったかもしれない(過疎ブログ故そんなことはないか)。

では、実際のところはというと、おかげさまで無病息災・家内安全・商売繁盛というわけでは全然ないが、黙々と日々を暮らしていた。

チリには諸般の事情から最後の記事以降いけていない。この春はと準備していたのだが2月の中頃、玄関の土間に降りるとき左足首をおもいっきり捻って靱帯損傷、”おまいGOD”な事態に断念。最近ようやく歩行に不自由ない状態まで回復した。

この一年半、釣魚台問題以降、3.11大震災と原発事故へとつらなる情勢の激変に、しばしのあいだ落ち着いて学習をする時間の必要を痛切に感じていた。とはいえ、生まれながらにして才も努力も乏しい自分が賢くなりようはないのだが、すくなくとも”たわいもない話”を書く気にはなれなかった。

あるいは、ブログ「狂おしく悩ましく『前進』編集局員の事件録 」を穴が開くほどよんで、革命家の半生にふれたとき、決して種明かしに失望したのではなく、恐れ多くて書けなくなったというのが本当のところかもしれない。

くわえて、これまた諸般の事情から、一時的とはいえ、ネット環境を喪失したこともあって、他人様のブログへのコメントなどもやめ、ネットから遠ざかっていた。そうこうしてるあいだに管理者ログインのパスワードも忘れてしまった・・・

最近になって、以前おつきあいいただいていた愚樵さまが、”書きたいときに書けるのがブログ”と書いておられたことをふと思い出す。なるほどそれはアリだと納得する。

ここは、自己表現だとか情報発信だとか肩肘張らずに、”武装せる園芸家のお気楽ブログ”をつづけることで多くの教えをいただければ幸いということで、ぼちぼちと再開します。


よりによって戦犯天皇の誕生日 4月29日 発進

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10・10
またまたながいこと書かなかったもので・・・

結局、ずっと忙しいままで、まいにち午前様でした。もちろんナンセンスなのですが、昨今それくらい仕事をしている人はめずらしくないのかもしれません。そして、そんな環境にもめげず、ブログの更新をしている人もいるだろうとはおもうのですが。

まあ、それはさておき、10.10三里塚全国集会にいってきました。あまり体調がよくなかったのですが、これには行こうときめて、ブログの更新を放棄してでもと、それなりに執念をもってゼニをかせいできたからには、行かなければ本末転倒です。

当日は、あいにくの雨天でしたが、そこでくじけたら、ホンマモンの”日和見主義”ということで、事前の準備も怠りなく、集会参加に、デモ貫徹してきました。

所用があって、今回も、すっ飛んでいって、すっ飛んでかえるありさまに、草加さまからは”総括懇親会”のお誘いをいただいたのですが、のれませんでした。た~く、中核は、やめてもつきあいがわるいんだからぁ、と思われるかもとおもいつつも、やってくるのが精一杯ということで、ごめんなさい。

いちどくらいはディズニーランドにでもよって遊んでかえりたいなんて思ったりもしますが、銭があれば暇がない、暇があれば銭が無いということで、実現は不可能なもよう。

今日は、しこたま疲れてますんで、くわしくは明日にでもということで、みなさん現地ではいろいろお世話になりました。無事かえりましたということをお伝えして、寝まっす。あしたから、これが最後だからお願い、と押しつけられた、とんでもなく納期の早い仕事が始まります。さてはてどうしたものかと途方にくれる・・・

今日はこれで おはり 





コメントくださった方々ごめんなさい
この記事はしばらく一番上に置きます

さまざま事情があったとはいえ、3月からいただいたコメントにお返しをすることもできずごめんなさい。
まずはここからはじめないと。なにか借金をおったままのような気がして何もかけません。盆明けから忙しくて時間も無いんですけど。

これはそれなりの思いがあるのですが、ときに時間がかかることはあってもいただいたコメントはちゃんとお返しをするということは、私なりのこだわりにしています。

いま、私同様においそがしいのか、当ブログ開設当初からおつきあいいただいておりました、「わんばらんす」のココロさまは、しばらくブログの更新を止めておられます。

「わんばらんす」では、ずいぶんとコメントをさせていただきました。毎日毎日、一生懸命更新をしておられるあいだにも、私の拙いコメントに丁寧なお返事をくださったことがとても嬉しくて、私もブログを開いたらそうありたいとおもっていました。

そんなわけで、5ヶ月も経過してお返事というのも、なんなんですが、はずかしながらさせていただきます。


岩下さまへ

反帝反スタのお方こと岩下さま、当過疎ブログへ初コメントありがとうございました。そちらは過去記事もぎっちり読ませていただいたうえで、ちょくちょくのぞかせていただいております。さすが文章を書いて飯を食ってきた人は違うというのが率直な感想でしょうか。

ちょっとググればあなた様が活躍されていたことはいくらでも知ることができます。生きた証として、あれほどの足跡をのこせたのなら、”我が人生悔い無し”というのもアリかともおもうのですが、あいにく反帝反スタ脱落逃亡後、ひっそりと、ごく平凡で、ありきたりの人生しか歩んでこなかった私は俗物、煩悩の塊であります。

そんなわけで、私は人生いきてナンボだし、連れあいがいたほうが多少なりともエキサイティングだとも思うのでここでなんとか踏みとどまって、ガンバってみようと思いました。確かにネットカフェ暮らしはコストも軽く、はまったら抜けられないかもしれないほど快適ではありましたが。

あなた様自身が「そう簡単に人は死ねない」と思っておられるのではないかと、お書きになっているブログ記事を読ませていただいて、私は推測しています。もし、そうであるなら、のたれ死にの直前まで、路頭に迷う無知無能なサヨク破綻者がどっちへいったらよいものか、書き続けていただけたら幸いとおもっています。

猛暑がつづいています、ご自愛なさってくださいませ。


NKさまへ

ご無沙汰の累乗くらいご無沙汰してしまいすみませんでした。このような過疎ブログを見ていてくださったことにまず感謝&感激です。さて、率直言って、私はあなた様からいただきましたコメントにたくさんの力をいただきました。あなた様ほどの方が、自身のプライバシーを明らかにして、「なんとしても離婚は避けましょう。がんばってください。」と言ってくださったことで、心をきめました。

三里塚へいって帰った日、かつて◯学童だったことのように、互いに、深いところまで切開し、ぎっちりと闘論しました。いままで互いに避けてきた問題点も、あらいざらいぶつけ合いました。多少の器物の破損も伴いながら。

自営業の不安定さはご指摘の通りであります。いうまでもなくリーマンショック以降の環境の変化はすさまじいものです。それと、ながい年月のうちに、意識的であり、無意識のうちであれ、私自身の左翼性が溶解してしまっていたことが大きな原因の一つであったようです。そう、彼女の左翼としての原点はとても強固で確固としたものなのです。

差し出がましいなどとはとんでもございません。あらためて、いただきましたコメントに感謝するとともに、お返事が遅くなりましたことをおわびいたします。コメントいただきありがとうございました。


元々中核派さまへ

ごめんなさい、5.16へはいけませんでした。5月は14、15、16日の3日しかお仕事の予定がなくて、どうしても外すことができませんでした。闘争会館は私もさまざまな思いがございます。食当で米が足らなくなりこっぴどく怒られたこと。防衛隊で監視任務中に居眠りしていて、これまたこっぴどく怒られたこと。前夜結集で一人一畳もないスペースで寝たこと。ほかにもたくさん。

なかなかおもうようにならない自分が情けないのですが、あの地で、同じ思いをいだいて闘った人たちが、すこしづつでも戻ってくることはとてもすばらしいことです。そうしたものとして、私もできるだけがんばります。そうすればいつかきっと会える、そうおもっています。コメントいただきありがとうございました。


土岐さま

いやいや災難つづきで、なかなか思うようになりません。まあ、本来そんなのがあたりまえなのでしょうが。
忙しくても書けない、暇でも書けないっていったら、書くときがないんですけど。

それはさておき、ご家族の緊急入院とは、たいへんでしたね。コメントをいただきましてからアッというまに8月も終わり近く、記録的な猛暑のつづく毎日。無事回復しておられればよいのですが。

三里塚は最強の農民運動ですから、日々勝利を積み重ね、闘いはまだまだ続くでしょう。いずれお会いできることを楽しみにしております。

まだまだ逝き様に思いをはせるには早すぎますyo(笑)。とはいえ、毎日暑いですからご自愛なさってくださいませ。コメントいただきありがとうございました。


あるみさんへ

コメント&TBいただきありがとうございました。なかなか思うようにならなくて、ブログの更新をすっかり放棄してしまいました。さて、ヘタクソなんて言っておられますがぁ、私のような不器用な人間では、あのサイズに果敢にチャレンジする気概もないので、凄いの一言であります。それにあの幟旗、とても創意工夫にあふれています、天晴れです。オイラたちが現役のころは、軍事最優先で、そうした創意工夫は著しく退けられていたように、ふりかえっておもいます。

そのあたりのところは、今回8.6で全国連の中田書記長が集会のまとめで言っておられたことに思い当たるものがあったのでのちほど書いてみたいと思います。

三里塚情勢はまた一つ緊迫しているのがわかり、なんとも歯がゆい思いの自分なのですが、致し方ありません。秋にはなんとか行こうと思っています。そのときは、またよろしくお願いします。
コメントいただきありがとうございました。



65年目の8・6 その1
当日、予定外の急用があり1時間近く遅れて会場へついたときは第一部も半ばをすぎたころ、日本軍による重慶爆撃と細菌戦による被害者の方々の訴えがされているところだった。

戦争の被害者としての悲惨さを語るのみでは、なぜ戦争を阻止しえなかったのかを知るにはほど遠い。私たち日本人が同時に加害者としてあったという歴史的事実を真摯にうけとめることがどうしても必要だ。そのために、実際に被害にあわれた方々の声を聞くことはとても大切だ。そうしたスタンスがこの集会にはつらぬかれていることは去年とかわらない。

つづいて、反戦地主の知花昌一さんが沖縄の現状報告をしてくださった。正直、私は沖縄問題に関して知らぬ事が多すぎると反省することしきりだ。いまさらこの年になって他人さまのせいにするつもりもないが、在りし日の、かの党派の”路線主義”の弊害は否定できないだろうとおもう。話がずれたが、知花さんはこのたびの日米合意にもとづく普天間基地の辺野古移設を第四の琉球処分と断罪するとともに、民主党には少なからざる期待をしてきたし、このたびの国政選挙では社民党を押してきたが、いまは自らの闘いをもってしか道は開けないとだれもが思い始めている。沖縄はそうして解放をかちとってきたといっておられました。

つづく


原爆資料館です 集会の会場はこのすぐ近くにあります
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反戦地主の知花昌一さんです ”年金もらえる歳”になったらパクをおそれず
こころおきなく闘おうっていました 流石!! 
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ひさびさ
皆さんお久しぶりです。立秋ということではありますが、猛暑がつづいております。おかわりございませんか、熱中症はだいじょうぶですか。私はついこのあいだ炎天下での仕事で手が痙り、立ち眩みがして、即行医者に行ったら、あっさりと”熱中症です”と言われました。

さて、5月に記事を上げて以来、言えること、言えないことさまざまな事情がありまして、いただきましたコメントにもTBにも応えることもなく、ながく留守をしてしまいました。どうもすみませんでした。そして、その間にも当ブログに訪問くださった方々には心より感謝いたすしだいでございます。おかげさまで、冗談で設置したカウンターも30000台へと乗りました。恐らく、100000へ届く頃には戦争と革命の時代における方向性もよりはっきりとしたものとなっていることでしょう。ありがとうございました。

ちょっとした設定のトラブルから自ブログの閲覧ができない状態からはじまり、5月の連休明けからふた月以上にわたる半失業状態、愛猫の死、昼夜の仕事からの睡眠障害、おしりの手術、パートナーの鬱病などなど七転八倒の日々ではありましたが、とりあえずなんとか生きておりました。

さて、ようやく7月も半ばからまとまったお仕事も入り、生活も軌道を回復したところで、昨年につづきまして今年も8・6ヒロシマへといってきました。参加した集会は昨年と同じく「今を感じる・過去を学ぶ・未来につなげる 被爆65周年8・6ヒロシマのつどい」と「8・6ヒロシマ 平和の夕べ」をはしごしてきました。

どちらも昨年とはまたひと味ふた味ちがう内容で、時間の経つことを忘れさせるような集会でした。
で、その内容はといえば、キャパの乏しい私の頭では、すべてを語り伝えることはできませんが、強く印象に残ったところだけいくつかかかせていただこうかとおもいます。

と、したうえで今日は久々のご挨拶と生存証明とさせていただき、後日書かせていただきます。すんません、病みあがりなもんで(笑)  おやすみなさい

つづく


とても暑い日でした きっとあの日も・・・ 
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