たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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新苗キター!!
ちょっとお仕事が忙しい状態が続いている。とはいえ、昔ほどのことはないのだけれど、それなりのものを書くには十分な時間ではない。な~んてそんな大層な記事を書いているわけではなく、多くの場合PCで映画でも見ながら脳半分で書いていることがほとんどなのだけれど。

オリンピックの聖火リレーですったもんだしていることもあって、スターリニズムについて書いておくことはそれなりに意味はあろうかと思うのだが、いかんせん手元に資料が全然残ってないことを知った。文献も、ノートもレジュメも一切ないのである。たぶん捨てちゃったのだ。仕事の合間の休憩に、記憶をたよりにちょっと枕を書き始めたら玄関の向こうから、「薩長さ~ん宅急便ですぅ~」の声。

えぇ!なんか買ったけぇ~?と思いつつ、玄関をあけると・・・

きたぁあ! 相原産バラの新苗さま御一行。たしか、注文したのが去年の10月のはじめ頃だったからそりゃ忘れるよな。あっさりとスターリンを投げ捨て、武装せる園芸家に移行。
新苗植え付け闘争に決起したのでありました。


で、こちらが新苗さま御一行の図
御一行


今回オーダーしたのは、アチュール・ド・サンサール(ポートランド系)、ローズ・ド・ロイ(ポートランド系)、ホワイト・デュシス・ドゥ・ブラバン(ティー系)のオールドローズ3本。どれもコンパクトにまとまり、四季咲き性抜群の品種にして、わりとレアなもの。ポートランド系はうちではジャックカルティエとコンテ・ド・シャンポールがあるのだが、それ以外のものが登場してくることは希なのである。ホワイト・デュシス・ドゥ・ブラバンはデュシス・ドゥ・ブラバンの枝変わりで、ここ2から3年はとても入手が難しいといわれるほど品薄だったのである。毎度ショップの開店と同時にバーゲンの争奪戦がくり広げられる相原苗にあって、遅れてオーダーしたにもかかわらず今回これらが入手できたのはとてもラッキーであったといえる。

箱の中身はこんな風 毎度丁寧な梱包に頭が下がります
中身

ほいでもってこれが今年の3本
苗のお姿


まずは土作りから、左からバーク堆肥、牛ふん、パーライト、ピートモス、赤玉土小粒
土づくり1


これら園芸資材をこの1Lのカップで、バーク堆肥2杯、牛ふん2杯、パーライト2杯、ピートモス1杯、赤玉土小粒3杯計ってバケツにいれてよく混ぜ和せる
計量カップ


培養土のできあがり これでちょうど10号鉢一杯分
土づくり2


鉢はバラ専用のロゼアポット プラ鉢で安価にして、通気性はないがテラッコッタより水はけよく、バラにぴったりの深鉢 毎度いきなり10号鉢を使っている
ロゼアポット


鉢底石や防虫ネットは不要 いきなり土で底上げして苗を置き土をたしてゆく その際に水をくわえながらしないと乾いた土が根の水分を奪い根を傷めてしまう
植え付け


植え付け完了の図
植え付け完了2


相原苗は芽継ぎの新苗なので根がついた状態で送られてくるから活着不良はまずない ので 先ずは根がすわるまで規定量の半分くらいの施肥をすることにしている 日当たりのよいところに置いて水やりと施肥を怠らなければがんがん生育する 仕上げについていた蕾を切る このように今年一年は蕾を米粒くらいの状態でとりつづけ株を育てる
摘蕾


さ~て さて この3鉢をどこに置こうか・・・ それが問題だぁ!(爆)


おまけ 日陰にならいシェイド花壇?に植えたコデマリの開花 
コデマリ


コデマリ2


結構きつく剪定をしたルイ君も元気いっぱい、蕾は50くらい
ルイ君


ルイ君の蕾
ルイ君の蕾





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冬毛
ハナミズキも満開、バラの蕾もどんどんと大きく育ちはじめるこのころは、毎年そうじがた~いへん。

そう、猫が冬毛を落として衣替えをするからなのでありました。かなり頻繁に掃除機をかけねばならないのであります。100%純猫毛の綿が部屋の隅々に・・・
貧しきことは幸いなりで、狭小住宅なので掃除機をかけるのに大した手間はいらないのだが。

うちの猫たちは皆、短毛なのだけれど冬の間びっしりと密集していた毛が落ちるので6匹という飼育頭数ともあいまって結構な量となる。てなわけで、ブラッシングをするのであるが、さしたる抵抗もなく甘んじてブラッシングに協力するのは、うりとみこだけ。
こうは最近膝の上にあがれるようになったので協力的とは言い難いが我慢している。
ななとのんのはビビリンなのでマタタビやら餌で騙して、そ~っとかけるのだがすぐにすっ飛んで逃げてしまう。ぴよに至っては、一貫して断固拒否の態度を崩してはいない。

春になって猫たちもやたらとアクティブになっていて、狭小住宅の中を隅々上下左右に追いかけっこなどして騒々しい。そのたびに毛が舞い上がるようである。
掃除機をかけ始めると一斉に猫たちは思い思いの場所へと避難する。猫は掃除機が嫌いなのは一般的傾向らしい。うりだけが例外でで~んと構えて少々のことでは動じない。猫パンチで応戦するくらいの根性の持ち主である。

バラの一番花が咲き終えるころまで、当家ではひたすら床の掃除機がけが欠かせない日々がつづく。



アメショMIXのうりは短毛なのだがびっしりと密集した毛は実によく抜ける 「綿埃製造器」
うり


みこは短毛だがうちでは一番毛が長い いいきになってブラッシングしていると突然猫パンチが出る
みこ


ななは温厚なれどブラッシングは我慢できないようだ 毛並みはとても短毛でアザラシのよう
なな


のんのは落ち着きがなくてエサでごまかさないとだめ これまた超短毛 とても元気になった
のんの


こうはななのんのと血筋が同じなのにちょっと毛が長い でかねこ!
こう


ぴよは完全家庭内野良 ノンセクト 黒ヘル アナーキスト 無法者 とても可愛いのだけど
ぴよ


上記6匹がまき散らす冬毛をせっせと集めるのがこれ 通称「R2D2」 家庭用掃除機では能力不足で壊れますた てなわけで業務用 カールコードで延長してほぼ全てのフロアーの清掃可能 中はセーターができるくらいの猫毛で満たされる
R2D2.jpg



春2
桜はもうほとんど終わりとなり、遠く山には山桜が咲くばかりとなった。少々春の嵐に翻弄されながらも、晴れたら実に暖かくてすごしやすい春本番。

わずかな時間をみつけては、こつこつと雑草の草取りにはげむばかりである。
どうも昨年の管理がよろしくなかったからか、バラの蕾が小さいような、少ないようなそんなきがする。
まあ、そんな程度ならいたしかたないか、とも思いつつ施肥の遅れがまずかったかなと、風呂桶の残り湯のさめた水に液肥を入れ100L大量生産し、水中ポンプでくみ上げ施肥を定期的におこなってフォローしている。

のだが・・・・何株かは非情に調子がよくない!

いちばん具合が悪そうなのがイングリッシュローズのシャリファアスマ。アテネオリンピックの年に植えたのだからことしで4年目の株。

こがねむし1


すでに本葉が展開していて蕾もあがっているのだが、活力が感じられない。決め手は鉢土がずっと湿ったままの状態がつづいていること。こういった場合まず一、考えられるのは「こ・が・ね・む・し」の食害。

対コガネムシ用農薬ダイアジノンを撒いて鹹水し、コガネムシをあぶり出すという手が一般的でこの時期に鉢土をいじるのはかなりハイリスクなのだが、「嫌な予感」に背中を押されつつ鉢土を落としてみると、ビンゴ! これがカブトムシの幼虫だったら、喜んでホームセンターに売り飛ばすのだが・・・

こがねむし2


でもって、コイツに食害にあったシャリファアスマの根はというと。
見るも無惨に白根が全然ない!白くて細い根が水と肥料成分を吸収するので、それがないと非情にまずいのである。

こがねむし3


こうした場合、鉢のサイズをおもいっきり小さくして、赤玉土の中粒単体か若干のバーク堆肥を混ぜた極めて水はけのよい土をつかって植え替える。通常の保水性をもった土では水を吸収する白根がない状態では、水分が過剰になり根腐れを引き起こす。
でもって、植え替えたところ。白く見えるのは用土に混ぜたパーライト。水はけをよくするためにもちいる、おまけにコガネムシ除けの効果があるそうな。

こがねむし4


あとは、根から水分をあげる根がないので、葉からの水分の蒸散を最小限にすべく、あまり風のあたらない日陰においておく。葉を切り詰めると言う選択肢もあるのだが、完全にとってしまうと水をあげる能力そのものが失われ、枝が枯れ込む。とても綱渡りのようなバランスをとることが必要。あとは祈るのみ。何とか復活するか否かは被害がかなり酷いものだったので微妙なところ。今年は枯れを回避できても、蕾は落として再び根鉢をつくることに専念した方がよさそうである。
樹勢の失われた状態から脱する一番の手だては花を咲かさないように注意を払うことである。

さて、いきなり暗い話題からまたはじまってしまったのであるが、ついにうちの数少ない広葉樹であるハナミズキ君ついに満開、ことしで5年目。ハナミズキは植えて7年間はありとあらゆる病気に苦しめられると聞いたのだが、最近は樹勢がついてきたのか手間いらずある。今年は寒肥すらしなかったがまずまずの花付き。

はなみずき


前回紹介したカロライナジャスミンもただいま満開。コイツなかなか良い香りもあって、いかにも金運を呼び込みそうな「西の黄色」。おかげさまでちょっとお仕事忙しモード。

カロライナジャスミン


これは、こぼれ種の法則にのっとって全く期待していない場所に咲いたストック。それにしてもバラの株もとはまずい。

すとっく


可憐な黄色い一重の花ににあわず株が巨大に成長するユリオプスデージー、とても巨大化する。
聞くところによると1.5Mくらいになることもあるらしい。

ゆりおぷすでーじー




贈与経済?
肩こり指数 ★☆☆

「『労働に対する対価・報酬』という関係を、『人格同士の接触による贈与・謝礼』という関係に再構築する。」その原動力は「教育」が担うというのは、ちょっと違うかも、と私は思います。そうしたありかたは、かつてイギリスの労働者のために私財をなげうってそのような理念を貫こうとしたロバート・オーエンの試みに共通するものを見ることができます。彼のそうした考えは、多くの資本家から危険な試みとして社会的に排除され、成功をみることはありませんでした。マルクスはそんな彼らの行動を一定評価し引き継いだうえで、「空想社会主義者」と呼びました。

労働の成果を等しい社会的価値として等価交換をするというありかたは、機械性大工業による生産力の増大に互いに前提としあう生産関係(生産と流通のありかた)として必然的なものであると考えます。
問題は、生産のありかたにあるのではないでしょうか。共同体を解体し生産手段と労働力を暴力的に分離したことがまず一点。もう一点は、その結果として共同体でおこなわれていた協働という労働の形態を破壊しそれを分業にとってかえたことであります。

農業を基礎とした労働は、かつての日本の農村にみるように、農耕機械がなかった時代、同じ仕事をみんなで協力して為す、協働であったわけであります。皆が助け合いながら同じ労働に汗を流す、この人格的関係性が共同体を維持してゆく必須の生産過程であり、それが共同意識の源でございます。みな、互いを名字ではなく名前で親しげに呼びあったりするわけであります。

しかし、生産手段である土地から引きはがされ、生産手段からも自由(土地に縛られることがない)、どの資本家に労働力を売ることも自由という「二重の自由」を獲得した人は「栄えある」個人となるのですが、それをより決定的にするものは分業という労働のありかたなのであります。これが、実に仕事をつまらないものにする。生産設備である機械の付属物のような扱いをうけ、人と人の労働をつうじての関係性は切断され、いったい何の為に何を作っているのかもわからず、部品を組み付ける人は組み付けるだけ、ねじを締める人はねじを締めるだけという具合となるわけです。

労働の過程でバラバラに分断された人の意識は「個」となり、さらに競争を強いられるに至り、確固たる個人の意識は形成されるのでありました。そうしたあり方はすべて資本が自己増殖するための価値を生みだすためのものであり、社会で必要とされる物資資材の生産を企業が私的に工場や生産設備などなどを私的に所有していることを根拠に、私的に利潤を追い求める動機によるものであります。

マルクスはそういう分業をやめようと言うのであります。手先が器用な者、不器用なもの、利発な者、鈍くさい者、短気な者、のんきな者、人はそれぞれでございます。そんなさまざまな人が互いに結びあい助け合って同じように働き、個々人が才能や素質を開花させる事ができるような協働をしよう、そんな協働を営む共同社会を作ろうというのであります。

そのためには、資本家のもとに奪われ独占されている生産手段を、諸個人が団結することをもって奪い返し共同社会をうちたて、欲に駆られた無秩序な生産に秩序を与え、基本的に労働にみあった等価の価値をうけとる。それをもって、資本家の搾取を廃絶しようということであります。当然そのことは、こんにちの私有財産を防衛することを基軸に体系化された法体系においては、資本家の工場、生産設備などは私有財産への積極的侵攻となるわけで、国家権力との対決が不可避なものとなるのでございます。

さて、そうした共同社会をうち立てる物質的基礎をなすものが、欲に動機づけられてなされた分業による搾取と、それを資本へ転化する拡大再生産によって瞬く間に大発展を遂げた機械性大工業なのであります。機械による生産力の増大こそが、封建社会の牧歌的な共同体に、幾度となく押し寄せた自然の驚異をはね返す力であり、貧困の共有から脱却し物質的な豊かさを実現した原動力であります。生産力の発展と物質的豊かさは賞賛されるべきものであります。

変革せねばならないのは、生産関係という生産力に関わる人の組織的あり方なのであります。労働力が商品となり、人が分業によって個々に分断され、競争を強いられ、搾取される労働のありかた。搾取した価値を繰り入れ無限に自己増殖を目指す資本がなす無秩序な拡大再生産。資本主義的生産様式以前では単なる流通の媒介と局地的な価値尺度としての機能しかもたなかった貨幣に、労働の成果を表現し蓄積し資本に転化する機能を与えることができたのは、さかのぼれば、自然科学の発展が生みだした蒸気機関というかつてない巨大なエネルギーが、マニュファクチャーという機械と分業という生産のありかたに結合し、それとシンクロしてなされた囲い込み運動が生みだした膨大な無産者の群れを呑み込んで生まれた機械性大工業をもって資本主義社会がうちたったのは、やはり、生産手段を資本家が独占していたことによるものにほかならないのであります。しかるに、生産手段の解放こそが、貨幣の物象化という現象を打ち破り、豊かさのなかの貧困と精神の荒廃を解決する一切のスタート地点なのでございます。

「 われわれは、もちろん、わが賢明なる哲学者たちに次のことを啓蒙するだけの労をとるつもりはない。つまり、たとえ彼らが哲学、神学、実体を、そして一切の不用物を「自己意識」に解消したとしても、また、たとえ彼らが「人間」をこうした空文句の支配――そんなものに人間が隷従したためしはないが――から解放したとしても、それで「人間」の「解放」が一歩も前へ進んだわけではないということである。そしてまた、現実的な解放は現実の世界の中で、現実的な手段によって成就する以外には不可能だということ、奴隷制は蒸気機関や紡績機なしには廃止することはできず、農奴制は農業の改良なしには廃止できないということ、そもそも人間は衣食住が質量ともに完全に獲得できないうちは解放されえないということである。「解放」は歴史的事業なのであって、思想の事業ではない。それは歴史的諸関係によって、つまり工業、商業、農業、交通諸関係の状態によってもたらされる。」(ドイツ・イデオロギー 廣松版)

マルクスは資本主義社会の矛盾を最初は労働の疎外と私的所有としてとらえたのですが、貨幣の不思議を探求することを通じて資本主義社会の経済的仕組みを明らかにし、物象化=フェティシズムと生産手段の私的所有にその根源をみたのであります。
この生産手段の私的所有からの解放をいかに成し遂げるか、その方法論をめぐって様々な路線が提示されてまいりました。もっともオーソドックスな方法はレーニンのなした革命ロシアを導いた方法なのでありますが、革命ロシアが直面した歴史的困難は惜しくもスターリニズムへの変容を余儀なくされてしまったのであります。そのあたりの諸事情はまた後ほどとりあげようとはおもいますが。

革命ロシアの成就の影響は大きく、資本は労働の巨大な反乱に直面するのですが、辛くも第二次大戦へと危機を転化し乗り切るのでありました。そののちはふたたび生産力の回復成長を物質的基礎として、利潤の一部を国家政策をつうじ、労働者の反乱予防対策としての「福祉政策」を、恐慌回避政策とあわせて行うケインジアンがマルクスを歴史の舞台裏へと押しやったのでありますが、そのことがなんら資本の生みだす矛盾を解決するものではなく、巨大な財政赤字を引き起こし、そのことが再び登場したかわりばえのしない厚化粧の道化師である「新」自由主義なるブードゥー経済学はふたたびマルクスを歴史の表舞台に引き寄せるものだと私はおもっております。




日本昔話
ちょっと今週はお仕事がいそがしくもあり、へろへろなのであります。
てなわけで、今日はお気に入りブログの紹介をいたします。自ブログを開いてからというもの、そっちで手一杯というか、自己充足しているというか、ちょっとごぶさたしていたのですが、このあいだ久々にのぞかせていただいたら、すんばらしい記事があがっていたのでそれもあわせての紹介をさせていただきます。

某大学でマルクス経済学の教鞭をとっておられる神山先生のブログで「さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する、世界を呼吸する」であります。おもいっきり頭はマルクスで、現代社会の諸現象を解明しておられます。たまには、一知半解の私では理解が及ばないこともありますが、それでも基本的にはたいへんにわかりやすく書かれているとおもいます。美しい北海道の風景を切り取った写真も抜群であります。

興味がお有りの方は、ググって訪問してみてください。

今回紹介させていただくのは「理解のヒント(2) 株式会社」という記事

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理解のヒント(2) 株式会社

株式会社

むかしむかしあるところに、これはよう働き者らしいおっさんがおりました。

このおっさんはどこかで戦闘があったりしたおかげも利用したりして、とっても儲け、人を10人雇うようになったそうな。

事業は神風が吹いて拡大し、いまや1万人の従業員を雇う会社になりおおせた。

おっさんが引退すると、息子が会社の株をたくさんもって、自分を社長に選びました。

その息子が引退すると、その息子も社長になりました。

こうして代々長子相続がなされていたところが、この業界も設備が末期の恐竜みたいに巨大になっていき、最初の働き者らしいおっさんの時代はありえないむかしとなり、資金を集めるためには、株をどんどん発行していかなくてはならなくなってしまいました。

そのおかげでいまや株主総会に集まるのは、創業者一族以外の人ばかりです。アメリカの年金基金とかいう人もやってきました。

巨大な設備と原材料と10万人の人々を集めて生産するには、他方、経営や開発の大組織がないと無理になってしまいました。経営にも、開発にも、一般の業務にも、専門性がないとやっていけなくなりました。

そのおかげで、経営陣に創業者一族は誰もいなくなってしまいました。社長の息子は経営のことが全くわからなかったけど、社長の息子だからという理由で、会社をまとめる象徴になってましたけれど、こんな象徴社長制もじゃまになってしまいました。そんな古い会社とは取引しない、と言い出す人が増えたからです。

海を越えた会社に食べられてしまわないようにするためには、古い会社の衣は邪魔なだけ。

とうとう社長も取締役もみんな、中の従業員や、労働市場から来た人になってしまいました。

会社のなかは20万人の働く人たちの成果であふれ、彼等の組織がぜ~んぶの仕事をしています。でも、過労死や労災もいっぱいです。

こうして、資本蓄積は資本家さえも追い出し、労働者の組織が労働者の首を絞めるすごい時代になったとさ。

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さっすが、マルクス経済学のプロ! 私もこんな日本昔話風に語りたい(絶叫)。

実は、この間、いくつも記事の下書きをボツにしまくっていたテーマが、「資本の蓄積」という話。そこからはじめて、産業資本と銀行資本の癒着である金融資本の形成と、その過程で私的所有である資本が集積し、巨大化するとやがて私的所有を突破し、社会的存在へと転化してゆくというお話。いくら書き直しても難解長大になるばかり、この記事を拝見して、書くのをやめた。なんの変哲もないありきたりの話のように思えるこの話なのだが、最後の下り、「労働者の組織が労働者の首を絞めるすごい時代」の到来は、逆にいえば「労働者の組織が労働者の首をつなぐすばらしい時代」へ転化するための諸関係はすでに成熟しているということ。ほんのちょっとコアに粘り強く周到に準備され、多くの労働者の支持された暴力的一撃をくわえるなら、労働者の組織による労働者のための会社、ひっくりかえすと社会はうちたてられる。そう私はその可能性をこの日本昔話のなかに見た。



いっや~、今年の冬も暖冬と言われながらも寒かった。おまけに中東情勢の流動化を背景に、投機による価格高騰から原油高、灯油が気絶しそうなくらい高かった。おかげで身も心も財布も三位一体のドン冷えでございました。けど、ついに待望の春の訪れ。温度はどんどん上昇、日もすっかり延びて良い季節となりました。

と、浮かれ気分の枕を書いたところでいきなりキモなふぉと。
これ、コガネムシ、バラゾウムシに続く最強の敵。テッポウムシ(ゴマダラカミキリの幼虫)

テッポウムシ


これは、体長約2cmちょっとのサイズ。こいつは超危険。バラの株もとに産卵しふ化した幼虫は、株もとを食害しながらトンネルを掘るように潜行。株もとからおがくずのようなものが出ていたら、ほぼコイツの悪行の証。放置したら確実に枯死に至る、絶対に許せない虫。

株もとからおがくずのようなものを発見したら、それがどこから出ているかを徹底調査。みごと進入路の穴をみつけることができたら、速攻でスポイトにとった殺虫剤のスミチオン原液を穴の中に注入、それもたっぷり。スミチオンは揮発するので、粘土や切り口の殺菌融合剤のトップジンMペーストかカルスメイトをたっぷり塗って穴を封印。これで間違いなく退治できる。コイツは苦しまぎれに封印したカルスメイトを突き破って逃走を企てるが、途中で息絶えた模様。あたまが半分出たままの状態で死亡。

殺虫剤


武装せる園芸家はスミチオンをスポイトで5から8mlくらい、かなりの量を原液で投入するが木に薬害などのダメージがでたことはない。ただ運がいいだけなのかもしれないが。
いちばんたいへんなのはコイツの進入路を探し当てること。これがなかなか見つからない。発見に2週間かかったこともある。もちろん毎日さがしてである。針金で探すのだが、死角だったりとすると発見にたいへん手間取る。教科書では、針金を進入路にカテーテルのように挿入して刺し殺すようにと書いてあるのだが、内部のトンネルは直線的ではないので効果はあまり期待できない。というより成功はほとんどない。

これが、被害にあったイングリッシュローズのパットオースチンの株もと。テッポウムシ殲滅のあとふたたびカルスメイトで穴を塞いだところ。

株もと


いきなり冒頭からキモいものをみせてしまったので、気分転換に芝桜の開花の図

芝桜


ちょっと地味なグランドカバーのアジュガ強健な多年草。さわやかブルーが素敵!どんどん増殖

アジュガ


ハーブコーナーのラベンダー、ツクシではありません。 これはデンタータという種類。四季咲き性がある。高温多湿にも強い
うちでただ一種生き残ったラベンダー。ローズマリーとセージ三つどもえの覇権争い継続中。去年はたしかここにカモミールが群生していたのだが、ラベンダーに敗北した模様。

ラベンダー


カロライナジャスミンの蕾もすっかり色づき開花まじか。良い香りと凄まじいばかりの勢いで満開となる。金運を呼び込む西の黄色の中核(風水=擬似科学)。ただし、神経性の障害を引き起こす猛毒の持ち主、お風呂に浮かべたり、まちがってもハーブティーなどにしてはなりません。死にます!

カロライナジャスミン


今年で3年目の株のクレマチス、もうちょっとで開花。クレマチスもバラにまけないくらい根強いファン層をもっている。私の私見であるが、確実にバラより栽培は難しいように思う。株が育つのにも時間が要るようだ。

くれまちす


最後はとっても大切にしているコニファーのコニカ。短い松葉のような針葉でびっしりおおわれている。
年間10cm以下の超低成長。成木となると樹高は4mをこえる。そのころには私はこの世にいないのが誠に残念無念。春の訪れとともに新葉が芽吹きだした。鮮やか緑に移行中。
手前右手に赤くちらほら見えるのは、うちで数少ない広葉樹のハナミズキ、もうじき満開の予定。

コニカ


入学式
千葉県立八千代西高校(八千代市、大迫太校長)が、入学金の未納を理由に新入生2人を入学式に出席させなかったそうだ。昨日出先から帰る途中、車のラジオで聞いた。
すっげ~ことをしたもんだ。これが、まず一頭に浮かんだ言葉。衝撃の出来事だった。

学校側は事前の説明で、入学式当日に入学金を持参することも、分納も可であることを伝えていたそうであるが。
まあ、給食費の未払いとか、支払い能力があると思われるにもかかわらず授業料を支払わないことがあるとは聞いているが、それにしても高校生活の門出でいきなりゼニカネで門前払いとは・・・

すばらしい高校である。開いた口の顎が地の底までおちる。さぞかし素晴らしい授業をするのだろう。成績アップの結果が出せないような授業なら授業料を返してもらうと事前に説明して、授業料の返納を求めることを是認するものであろう。

この2人の家庭のもつ個別具体的な事情は知る術もないが、それを知っても知らなくても人道的な立場から入学式から排除したという事実を非難するものである。
あとでじっくり話し合えばいいことではないか。さまざまな問題をはらんだ「新」教育基本法でも
1.すべて国民は、等しく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されないこと。
3.国および地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならないこと。

としているではないか。入試を通過したのだから、能力はあるのだろう、ならば入学式のあと 国および地方公共団体を交えて話し合えばいいのではなかったか。コイズミ&タケナカの怪しげな「改革」で、儲かって儲かって仕方がない独占資本ほんの一握りの労働貴族たちのはるか地の底で庶民は死ぬほどの労働を強いられる者、派遣の不定期雇用と低賃金に苦しむ者で社会は満ち満ちているのだ。そんな世知辛い世の中の矛盾を15歳の子供に生に味わわせるようなまねを良識ある大人がしなくてもよかろ。

なんにしてもこの入学式から排除された2人の生徒が気の毒でならない。「極左」の私なら間違いなく机の一つも蹴り倒してこっちから願い下げだぁ!といって帰るだろう。
こうした、資本が生みだす矛盾が資本をやがて打ち倒す変革の種となるのである。
どうか、この2人の生徒が入学後も周囲から不当な差別やイジメに遭わないことと、この屈辱を金色夜叉の間貫一となってはね返すようなことがないことを願いたい。がんばれぇ!



寛一お宮


非常識
朝からせっせと草取りに励み、昼からずっと新古典派経済学の話で調べものをしていた。その関連で「限界効用」とかが登場する。専門外なのでやたら頭がコル。ちょっと珈琲など、一息いれようとそそくさとキッチンに立ってメーカーを準備する。

近くで、ローザがソファーで長くなりながらテレビを見ている。

そこで私、「お~い♪ 限界革命ってしってるか~?」
ローザ、「なにそれ!」

私、「限界効用理論のことだよ~」
ローザ、「ふ~~ん、なにそれ!!」

ゴッセンの法則なんぞもちだして適当に説明する私。

するとローザ「あ!高校で聞いたことがる」
私、「おいおい大学で学ばなかったの~? 社会の常識じゃん!」

吐き捨てるようにローザ、「大学が教えるのはコアでマニアックでヲタな非常識よ!!」
私、「そっりゃあ、その通りだけど~、親はどうおもってるだろ~?」

ローザ、「親はそんなことおもってるわけないじゃん。」

ちょうど5人前の珈琲がはいったところで、マグカップに2人前注いで、そそくさと仕事部屋に退散。ここでつっこみをいれると、話は哲学の泥沼に引きずり込まれバトルは必定。年をとるともめ事を回避する知恵が宿る。

それにしても、大学にいって「非常識」を身につけてくるとは、なんとも珈琲を苦くする発言。いまごろの「わけえモン」は常識をたくさん身につけに大学から社会へ飛び込んでゆくのだろうな。振り返って「非常識」に満ち満ちていた我々の学生時代であった。

というたわいもないお話でした。


ドイデ 意識の生産
肩こり指数 ★★★

今日こそは、ひさびさにつまらない能書きでも書こうかと思い、この世の中はだれもがもれなく日々の糧を得るために、労働することをのぞんでもかなわないようにできている。という小話をしようかとおもっていたのだが、徘徊先の「村野瀬玲奈の秘書課広報室」で
「『ルール』が破られるときに社会の発展がある。」というおもわず微笑んでしまうような記事があがっていたので、逆に言えば、「この社会の発展を阻んでいる『ルール』」とやらを考えてみようと思った次第なのである。

導きの糸は、ついこのあいだ発作的に手に入れた「ドイツ・イデオロギー」(廣松版)その筋で言う通称「ドイデ」。このなかで、マルクスは社会における意識の生産という問題をとりあげている。そして、かの知る人ぞ知る、知らない人は知らない有名な「社会の支配的な思想は支配階級の思想である」ということを言っている。以下その部分をうんざりするような内容だが引用することとしよう。

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「支配階級の思想が、どの時代においても、支配的な思想である。すなわち社会の支配的な物質的威力である階級が、同時に、その社会の支配的な精神的威力である。

物質的な生産のための手段を手中に収める階級は、そのことによって、同時に、精神的な生産のための手段をも意のままにする。それゆえ、そのことによって同時にまた、精神的な生産のための手段を持たない人々の思想は、概して、この階級に従属させられている。支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的表現、支配的な物質的諸関係が思想として捉えられたものに他ならない。つまり、ある階級を支配階級たらしめるまさにこの諸関係が思想として捉えられたものであるから、その階級の支配の思想なのである。

支配階級を構成する諸個人は、さまざまなモノをもっているだけでなく意識をも持ち、当然ながら思考する。したがって、いやしくも階級として支配する、歴史的一時代の全範囲を規定する。ということを彼らが行うからには、自分の活動の全域にわたってそれを行うということ、つまり彼がいかなる者であれ、同時にまた思想の生産者としても支配し、その時代の思想の生産と分配を統制するということ、それゆえに彼らの思想がその時代の支配的な思想なのだということ、これはおのずとあきらかである。例えば、王権と貴族とブルジョアジーが支配権をめぐって争い、それゆえ支配権が分立している、そういう時代、そういう国に、権力分立の学説が支配的な思想として登場し、それが今では「永遠の法則」として言い表されることになる。

われわれが先に従来の歴史における主要な威力の一つとして見いだした分業は、今また、支配階級においても、精神的労働と物質的労働との分業として現われ、その結果、この階級の内部で、一部分がこの階級の思想家として登場する。一方他の部分は、この思想や幻想に、どちらかといえば受動的・受容者的に関わる。というのも、彼らは実際の場面でこの階級の能動的な成員であり、自分自身に関する幻想や思想を自分で作るだけの時間があまりないからである。」
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生産手段を手中におさめたものが、その社会の生産を司ることができる。資本主義社会は生産手段を資本家さんが所有する社会である。資本主義的生産は、利潤追求する飽くなき拡大再生産と資本同士の競争が支配する生産様式。

そうした、資本主義的生産様式をもって社会を維持するに必要とする物資を生産する。
資本に労働力を売ることによってしか生活の糧をえることのできない労働者は、自分と家族が暮らしてゆけるだけの賃金をうけとり、それ以上の労働を資本へ剰余価値として貢ぎ続ける。これが利潤の源泉だ。

資本家さんは、そんな生産における搾取の実体を隠蔽すべく、自らの正当性を主張する思想を社会のすみずみまで浸透させる。資本主義社会の豊かさを賛美する思想。搾取する資本家さんもされる労働者も自由で平等な人間であるという人権思想。合理的理性的な法の統治思想。社会の支配者に媚びへつらうようにさまざまな思想家が思想を生産する。

資本家さんに楯をついては生きてはゆけない。人はこの社会ではどの資本家さんに労働力を売ろうと自由だが、必ず売らねばならない。そうした物質的威力が支配思想を精神的威力にかえる。資本主義社会を賛美することも、屈服することも、ともにその支配者である資本家さんを賛美する、あるいは屈服することに他ならない。

庶民は幻想のなかで、資本家さんにあこがれ、それを目指し近づこうとする。資本家さんは自らの価値観を、ありとあらゆる手段、法規範、道徳律、学校教育、マスコミ、メディアなどなどを通じてすみずみまで徹底して浸透させる。だれもが、ベンツやレクサスに憧れ、強き支配者を求め、国家の一員であることに誇りを持つようになる。

そうした幻想を吹き飛ばすような思想を生みだすには確かに、日々競争で労働することを強いられている人は忙しすぎて無理なのかもしれない。

次回不定期につづく かも


廣松版のドイデ 昔の大月のより読みやすい、字も大きいし
と思ったら老眼鏡かけていたから(苦笑)
ドイデ



印刷機のおもひで
今日は久々に能書きをたれてみようかな~♪ とおもったのだが、としがいもなくゲームにはまったりして、ちょっとご無沙汰をしていたお気に入りブログを徘徊していたら、学校で使われている印刷機の話をしておられるのを発見し、興味深く拝読させていただいた。

そっか~、学校ではたしかに大量の印刷物がひつようだよな。テストとか、オイラのころはガリ版だったよな~。なんて、いっきに回顧趣味の泥沼に足が沈んでゆく・・・

以前、某国営放送のプロジェクトペケで理想科学のリソグラフの話があった・・・よね。いわゆる謄写印刷機なのであるが、製版機がなかなか画期的なのであった。最初の頃はドラム型のスキャナーで謄写原紙を作っていたが、やがてフラットヘッドスキャナーで高精度、高速で謄写原紙を作ることができるようになった。鉄筆でカリカリの時代は終わったのである。印刷に投じられる労力は飛躍的にセーブすることができるようになった。

とはいえ学校の先生方も自力でテストをプリントせねばならないことの苦労がしみじみと語られていて思わずじ~んとくるものがあった。

というのは、私こと危ない系「サヨク」経験者にとって、あの無事予定の印刷部数がヤレなしに刷りきれるか。はらはらどきどきの緊張とインクの臭いはなんとも懐かしい青春の追憶なのである。

私らの危ない系「サヨク」が原典としているのは今日、レーニン的オーソドキシーと呼ばれるもので、その重要な柱をなすもののひとつは、以前「めざすは四コマ漫画」で書いたことなのだが、「ありとあらゆる専横と圧制の現れに反応することができ、これらすべての現れを、警察権力と資本主義的搾取とについての一つの絵図にまとめあげることができ、一つ一つの些事を利用して、自分の社会主義的信念と自分の民主主義的要求を万人のまえで叙述し、プロレタリアートの解放闘争の世界史的意義を万人に説明することのできる護民官でなければならない」(「なにをなすべきか」)、の教えに従い専横と圧制を暴露し人民大衆にそれを訴えるべく宣伝を行うわけであるが、そのための武器が他でもないビラなのである。辻説法ではない大量宣伝は手ぶらではできはしない。

宣伝は毎日の日課である。しかるに毎日ビラを作らねばならなかった。ブログをやっていて、政治系ブログはおおよそネタに困らないくらい毎日これでもかというくらい反動の嵐が吹きすさんでいる。あのころも同じだった。毎日毎日、原稿を書き、版下を作り、原紙を作ってひたすら刷って刷って刷りまくった。下っ端であった私は印刷作業を担当することが多かった。すでにそのころは謄写印刷からオフセット印刷に移行していた。まだ、手工業的にクラスの有志で討論用資料をガリ版で作っていた頃からすると、まさにプロの仕事、党は印刷機には惜しみなく貨幣を投じたのだ。

とはいえ、このオフセット印刷機はゲシュテットナー社製でなかなかの高性能であったがいがいと気むずかしく、一発ごてるとにっちもさっちもいかない代物であった。決め手は印刷するまえに風入れといって500枚はいった中質紙の束をよくモンで紙と紙の間に空気をいれてやることだった。これがなってないと紙が3枚くらい重なってドラムにはいると最悪の場合爆砕とあいなるのだ。私の印刷技術は高い評価をうけていた。毎日毎日数千枚のビラを印刷し続けた。私の青春の何パーセントかはゲシュテットナーとともにあった。

たわいもないおっさんの思い出話でございましたm(_ _)m



さいたぁ~♪さいたぁ~♪
怒りはとても大切である。それが深く人の心の奥底から湧き出でたものであるなら。人は良き心の持ち主であるのだから。あたまで、あれやこれやと思いめぐらせ、心の叫びを押さえ込んだり、ねじ曲げてはいけない。真っ直ぐに前をみすえ、ロードス島にむかって叫べ!「なめたらいかんぜよぉ」。

てなことばかり、考えているとくたびれてしまうヘタレなのでありました。てなわけで、「今日は園芸いきなさい」という内なる叫びにあっさり同意し、春の訪れをちょっと公開。

ちゅぅりっぷのはぁなが~♪ 春の開花一番乗りの白いチューリップ
500円50個いりオランダ生まれ白のみ コニファーの茂みに地雷のように植えてある
さいたさいた


ちょっと遅めの開花は はなかんざし ドライにするとリース素材になるそうな
今年は切って玄関の軒下でドライフラワーになっていただこう 気の毒だが
はなかんざし


ブルーデージーはまだ開きはじめ ことしで3年目の株
ぶるーでぃじー


クレマチスではありもはん 斑入りのつるニチニチソウの可憐なお花でごわっす
つるニチニチソウ


「こぼれ種の法則?」により 意図せぬところで咲きまくるノースポール
こぼれ種の法則


あらら バラの新芽がしおれてござる 体長2mmほどのバラゾウムシの仕業でござる
気がついたらいたるところで被害拡大中に 汗 汗 
なんでだろぉ


これがバラゾウムシ コガネムシと並んでの強敵 なんたって小さすぎて発見が難しい
手で取ろうとするとささっとかわして自然落下により逃走する姑息な奴
バラゾウムシ1

今年はこのバラゾウムシの発生が多いように思われる。いつもはスルーしてもいっかと思える程度なのだが、今年は軒並みやられまくっていてスルーするわけにはいかないと判断した。そこでまた例の電動噴霧器でスミチオンを30L散布。せんだっての消毒の時いっしょに撒いておけばと後悔。

なお、非化学農薬系として、ニンニク&唐辛子の焼酎漬けを散布することは有効であると考えている。ただし最低でも半年ほどは漬け込まないとエキスが抽出できないとか。今から漬けてもまにあわない。そんな場合は、インドセンダンの樹木の実を絞り抽出したニームオイルという手もある。ただし通常は希釈倍率が化学農薬に比べ低く、高価であるので貧乏人には手が出ない。効果のほどは確からしい。完全人畜無害だそうである。ちょっとエキセントリックな香りがするらしいが。

私は、虫には寛大な方だ。芋虫一匹二匹に目くじらをたてたりはしない。ただし毛虫にはドン引きしてしまうが。虫さんには虫さんの生活があるんだから、とかエコにこだわっているのではなく、たんに横着なだけなのだが。虫は制圧も制御もできない、そう考えている。せいぜい目に余る危機にスポットで対応し、発生密度を一時的に下げて回避するしかないと考えているのである。

NHKのBS番組である 素敵にガーデニングライフで福岡であったか循環器外科の先生のバラ栽培の話があった。住宅密集地でもあり、化学農薬の大量散布ができない環境において先生は詳細に我が庭を観察、記録し続け膨大なデーターベースを構築し、それをもって我が庭の生態系を掌握しイレギュラーな事象を若干非化学農薬をもちいて補正するという手法でみごとな花を咲かせていた。まあそのような例もあるのだが、客体の問題として、うちでは自然との連続性に庭があるので、それは難しいようにおもわれる。主体の問題として、昨日のこともすっきり忘れるこの頭脳ではデーターベースの構築が可能なほど詳細な記録はのこらない(苦笑)。まあ、最強の敵はコガネムシのドウガネブイブイとこのバラゾウムシにちがいあるまい。



おまけとして、武装せる園芸家の紋章を特別に公開しよう、掘り抜きの赤猫である。白御影の欠片でつくったテラゾのステップストーン 奥は武装せる園芸家の武器、レーキー。コイツで芝に蓄積された未分解の枯葉をかき集め取り除く
掘り抜きの赤猫1


こちらは、玄関先のもの。やはりテラゾのステップストーン。テラゾの製法はネットで発見した。こういうのをちまちま作るのがかなり好きであったりする。ローザはお金をつくってくれと言うがそうはいかない。よな一応。
掘り抜きの赤猫2


掘り抜きの赤猫3




怒!その2
ちょうど、20年前のこと南国土佐に旅をしていたころ、ソウルオリンピックは開催中で
鈴木大地選手がかのバサロで金メダルを獲得した。ちょうどそのころ、昭和天皇は生死の境を彷徨っていた。度重なる下血に、とれたて新鮮な人民の生き血を輸血して命をつないでいた。報道は後の高知県知事となる橋本氏が張りつき、氏の顔はひろく人民の知るところとなった。

そんなマスコミの昭和天皇の病状を伝える報道に宮内庁より圧力がかかった。確かな記憶ではないのだが「下々のものが陛下のご病状にたちいってもの申すは恐れ多いことである」といったことだったとおもう。マスコミは一気に自主規制モードに移行し、庶民のあいだにも祭りの取りやめなど自粛ムードが広がった。

日本という民主主義国家を超越してある、唯一無二の天皇という特別な存在は、国民の知る権利も、報道の自由も、いともあっさりと自らに制限を課すことを躊躇させない存在なのだとそのとき実感した。それほどに、天皇はいまなお、ふれることの許されないイデと国家暴力の手厚いガードに包まれている。

この天皇制と日の丸・君が代そして、靖国は三位一体をなす。

いま、政治系ブログのあいだで、左右入り乱れて様々に論じられている。映画「靖国」の上映中止問題なのであるが、私は表現の自由へたいする政治の不当な介入であり、国民の権利を踏みにじる行為であると考えている。

上映を予定していた映画館の公式発表によれば、右翼の街宣車による情宣行為に危機をいだいての上映中止であるとのことである。それならプリンスホテルの日教組集会の会場ドタキャン問題と同レベルの問題であり、そうした天皇制ボナパルティストの暴力行為を断固として糾弾してゆかねばならない。

しかし今回の問題はそれとは異次元の問題である。極右発言で世間をあっといわせることで有名なる稲田朋美代議士が「靖国」製作にあたり補助金をだした文化庁に圧力をかけ、文化庁に試写会を準備させ、80人もの代議士とともに試写会に臨んだのである。
試写を終え、稲田代議士は「偏ったメッセージがある」と言いはなったそうである。

稲田代議士は、文字通り代議士であり、権力細胞の1人である。同時に氏は日本帝国主義政治委員会の表組織ともいえる、日本会議の公然メンバーである。そんな氏が80人の代議士とともに試写会に訪れ、「偏ったメッセージがある」といえば、映画館が守るべき表現の自由をすすんで放棄してしまったことは誠に情けない限り、ともいえないのではなかろうか。

上映を中止した映画館の中には、かなりきわどい問題作を臆せず上映してきた、根性のある映画館もあったと聞く(非国民研究開発さまよりの情報)。まさにその点に鑑みても、この稲田氏の組織した80名による試写会は、あからさまな表現の自由への政治介入であり、表現の自由を脅かすものとして、大きな圧力をなし、萎縮効果をもたらしたものであると思う。

そして、名古屋では「靖国」の上映を予定していた名古屋シネマテーク に日本会議愛知県本部西三河支部幹事長杉田謙一氏他が訪れ、恫喝をしたそうである(当人のブログ「草莽の記」より)。靖国におよび遊就館を訪れたことのないシネマテークの代表と支配人に杉田氏は早急に上京し、参拝および拝観を要求した。代表と支配人は速攻上京して、靖国へとむかったことから、事は軽く受け流せるようなものでなく、重大な事態であったことがうかがえる。

日本会議をつながりとした、表現の自由への政治介入と、それに呼応した天皇制ボナパルティストの跳梁跋扈を許してはならない。断固とした糾弾の声をありとあらゆる合法的手段を用いてあげてゆこう。
今回の出来事は権力内部の一部極右の跳ね返り分子と天皇制ボナパルティストの反動的策動ではあるが、折からの日の丸・君が代における踏み込んだ強制の方針に相対するものであると私は考える。あきらかにアドバルーンである。民衆の反応を注視しているものである。ここできっちりと反撃をしておかなければ、転石坂を転げるがごときこととなろう。

言論の自由、表現の自由、思想信条の自由、集会結社の自由などなど自由権を浸食、解体することを通して、国民誰もが日の丸を高く掲げ、君が代を高らかと歌うだろう。靖国は国家に命を捧げることを厭わない思想を再び担保し、天皇もまたは人から神となり国民のはるか頭上に君臨することとなろう。この邪悪な3つの封印を解かしてはならない。二度目は茶番劇なのだから。


お土産、お土産、うっれしいなぁ♪
お土産、お土産、うっれしいなぁ♪おとといローザとローザ父が所用で土佐の高知にでかけた。ビックトラベルである。ひとつ拙者もお供と願い出たのであるが、「6匹の猫はど~するのぉ?」と言われ、あっさりと引き下がった。近くに住む甥っ子がいれば猫えさとトイレ掃除くらい快く引き受けてくれる子なので、安心してまかせられるのであるが、彼もニート生活に別れつげこの春、東京の大学へと旅立っていった。

無念にも猫さんの僕としてお留守番に甘んじることとなった。せめて、武士の情けと焼き鰹と酒盗のお土産をと願い出ていたのであるが。めでたく聞き入れられ、こうして希望の品を手にすることができた次第である。と「浜口の野根まん」をつまみながら書いているのであった。

私の拙いブログにおいでくださるお客様には土佐の方が多い。てなわけで、おてんたら(東信地方の方言でお世辞のこと)いうわけではないが私は土佐という土地柄がとても好きなのである。それは、龍馬や中岡慎太郎のような活動家の魅力がそうさせているのかもしれないし、まるで江戸っ子の「てやんでぇ、べらんめぇ、」にも通じるようなあのフランクなはぎれのよい土佐弁に心惹かれるのかもしれない。

武装せる園芸家はその出自ゆえ、諸国を放浪してきた。今の土地に流れ着いて十年をこえた。外国語はからしきだめだが、方言は数カ国語に通じた立派なコスモポリタンだ。
「おてんたら」という方言をつかうところに暮らしていたころ、お仕事で開幕まもないソウルオリンピックの施設を視察に行った年に、私とローザは高知を旅したことが一度だけある。目的は、龍馬像と慎太郎象をみること、はりやま橋をみること、四万十川で釣りをすること、足摺岬にいって日の出にむかって「ニッポンのよあけだ~ぁ」と絶叫することであった。目的はすべて達せられ、豪快な皿鉢料理を味わい、あの拷問のような円錐形杯による知己の責めにもあった。良き旅であった。

あれからもう20年の歳月が過ぎた。月日の経つことの早さをしみじみと実感しつつご馳走になる鰹のたたきでありました。いつかはまたいってみたい南国土佐。

追記 なんでも先方が用意してくれた宿は「城西館」とかいう老舗だったそうな。高知城が一望できる見事な景観と、足もみマッサージサービスに痛くご満悦であったそうな。
それと、ヘイゾリッヒ・タッケン・ナッカーの「改革開放政策」の影響か市街地商店街がとても寂れていたらしい。最近は高速バスで神戸に買い物に行く人が多いらしい。

左から 酒盗 かつおのたたき ゆず羊羹 ゆず茶
お土産

怒! その1
当ブログは「お気楽系」なので、日々の雑感を綴る日記として、園芸あり猫ネタあり、一丁前に能書きを振り回すこともあるが、やはり基本は「お気楽系」路線なのである。てなわけで庭木のお話やら、猫さんの日々を紹介しながら穏やかな日々を暮らせたらとってもハッピ~♪ と思うものである。

ところが、社会というものは生産力が共労と技術革新によって増大し、剰余価値を生みだすようになって、搾取するものと搾取されるものがうまれると勢い、政治は搾取する側のものへと転化する。本来政治はまつりごとでみんなでするものなのに、搾取される側は蚊帳の外、疎外されることとあいなるわけなのである。

とはいえ、為政者がトンデモなことをしでかすなら、のんきに園芸や猫の話をしている場合じゃない!ここで黙ってたら明るいニッポンの夜明けはないと思われるときは、強力に政治にコミットしてゆかねばならないと思うのが政治との関わり合いとしては最低限のレベルであり、それが基本スタンスであるとかんがえている。

とんでもないことは、この一週間密集して発生した。新しい順に言えば、映画「靖国」の上映中止、全国の卒業式に絡んで、日の丸・君が代。根津さんの処分問題、学習指導要領で「我が国と郷土を愛し」 君が代を「歌えるよう指導する」と明確な方針をうちだした。さきだっての「道徳教育」の強化ともあいまって「新」教育基本法を楯にした本格的な教育反動が全面的に開始された。

全国の支援の声と力を結集し、根津さんの免職解雇をはねかえした。大きな勝利であると私は思う。都教委は卑劣にもまたもや停職6ヶ月の処分を下した。引き続き微力ながら根津さん河原井さんの闘いを支持してゆきたいと思う。二人は、去年の沖縄の教科書検定をめぐる11万決起にならぶ、教育反動に抗する砦である。ここを守らずして誰が後に続こうか。

国を愛す。だれの国か? 主権在民 ならば国民の自由ではないか。何故「指導」されねばならない。絶対王政を経て市民革命によって成立した近代国家は資本家とそのパシリの政治家のものである!国は資本家の商売のための営業圏だ、シマだ、縄張りだ。ほんの歴史の一過程に過ぎないものだ。国民は資本家にとって大事な「お客様」であると同時に大事な大事な「価値」をうみだす金のタマゴだ。

資本家も政治家も人民もおなじ日本人だ。日本人として長い民族の歴史と伝統をもち、美しい緑をたたえた山々に清流、四方を幸に富んだ海に囲まれ情緒豊かな四季をもった国土。この日本人ならだれもが見てすばらしいと感じる国土。それに資本による人民にたいする抑圧・差別・搾取・収奪をなす機構をひっそりと重ね合わせて、資本家と政治家はペテンを吐く「我が国と郷土」を愛せと
日の丸・君が代はそうしたペテンを押しつける道具にすぎない。強制とそれに抗する者を弾圧するための踏み絵だ。

教育は国の礎。であればこそ、そこでの反動にはなにより敏感でなくてはならない。戦後民主主義として獲得された諸権利を楯とし、矛として粘り強く抗してゆこう。根津さん河原井さんを微力ながらも応援してゆこうと思う。やがて、ちいさな力が結集し、金のタマゴを割ったときガリアの雄鶏は雄叫びをもって時を告げるだろう。

「ヘーゲルはどこかで、すべての世界史上の大事件と大人物はいわば2度現れる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番として、とつけくわえるのを忘れた。ダントンのかわりにコシディエール、ロベスピエールのかわりにルイ・ブラン、1793-1795年の山岳党のかわりに1848-1851年の山岳党、伯父のかわりに甥。そして、ブリュメール18日の再販が演じられた事情も、これと同じ戯画である!
 
人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである。あらゆる死んだ世代の伝統が、生きている人間の頭のうえに、悪魔のようにのしかかっている。そこで、人間は、自分自身と物事とを変革する仕事、これまでになかったものをつくりだす仕事にたずさわっているように見える。

ちょうどそのときに、まさにそういう革命的危機の時期に、気づかわしげに過去の幽霊を呼びだして自分の用事をさせ、その名まえや、戦いの合言葉や、衣装を借りうけて、そういう由緒ある衣装をつけ、そういう借り物のせりふをつかって、世界史の新しい場面を演じるのである。」(ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)

またも、かわりばえのしない厚化粧のような、日の丸・君が代で「愛国心」などという茶番劇を演じさせてはならない。

次回「靖国」へつづく

特別企画 全力で園芸
ようやく引き受けていたお仕事が納期内におさまり、4月をむかえ暇になった。今度は自分でせっせせっせと営業して次のお仕事をさがさねばならない、小資本家という言葉さえもったいない弱小零細個人事業主、自由業、フリーターの辛いところである。

てなわけで、今日は春の嵐もすっかりおさまり、まさにバラの消毒をしてくださいませませといわんばかりの好天に、朝早くから強力な武器を格納庫から引っ張り出し庭内の黒点病、うどんこ病などの細菌を殲滅一掃する準備をはじめたのである。


でもってこれが武器 強力な電動噴霧器 もちろんプロ仕様 頂き物
園芸家の武器


科学兵器をみたす容器は30Lはいる ダコニールとトリフミンに展着剤アプローチを混合
調合する順番は「テニス」 展着剤 乳剤 水和剤の順番は園芸家のお約束
30Lの農薬


30Lつくるのは結構けったるい ので こいつでまぜまぜ
これでまぜまぜ


ぷふぁ~あ という感じで強力噴霧 30Lを1時間ちょっとで撒ききる高性能
強力噴霧


ふとみると ガラス越しにお昼寝をしているのは 三毛猫みこ ピンク豆がかわいい
みこのお昼寝


今年は仕事の忙しさもあって無為無策のまま放置してきたのだが意外と病気の発生はいまのところない。虫もまだ活動を本格化していないようにみえる。ので、今日は殺菌消毒だけ。40L程を休憩をしながらぼちぼちと2時間ほどかけて噴霧し、この間の懸案事項を無事解決。それにしても、バラをはじめたころは、ハンドポンピング式の蓄圧噴霧器で5Lの使用量であったことを考えると、おそるべき飛躍的増大。まるで躍進する中国経済

注意はしているし、マスクにメガネ、ヤッケで武装した姿は往年の「極左」「過激派」そのもの。だけど急な風向きの変化などでどうしても薬液を浴びることはさけられない。ので、速攻で衣類を脱ぎ捨てシャワーで洗い流す。お召し替えをすまし剪定枝の片付け。

これも武装せる園芸家の武器にして7匹目の猫 名前は「猫車」 うちの猫で一番の働き者
後ろにちらっと見えるのは失敗作のシェードガーデン花壇 何が失敗かというと 北にあるのに朝日、西日とほとんど日陰にならない あじさいが植えてある
8匹目の猫


ここで春の訪れをご紹介。

イングリッシュローズのアブラハムダービー
あぶらはむだーびー


イングリッシュローズのグラミスキャッスル
グラミス君


ハークネスローズのソーハムローズ
ソーハムローズ


ハークネスローズのバイアポイントメント
バイアポイントメント


チャイナローズのルイ14世 後ろはハーブガーデンのローズマリー
ルイ君


どの株も芽吹きまくりですでに本葉を展開している
いきなりベイサルシュートをだしているのはイングリッシュローズのシャルロット この新鞘が次の時代を担う
ベイサルシュート


このあいだ切り倒したコニファーの下に埋もれていたムスカリ君は無事生きていた
ムスカリ君


地下にもぐっていたチューリップも一斉に顔をだした
チューリップ


これはネギ? さにあらず 水仙 綺麗に咲いていたのに撮影直前にローザによって切られてしまった 無念!
ネギ?


そして最後に4年間植えっぱなしの放置でもちゃんと律儀に花をつけるヒヤシンス だいぶ花がしょぼくなっているところをみると植え替えとそれなりの肥培管理をもとめているかも
グラジオラス


去年はコガネムシに食われまくり、黒点病は猛威を振るい、まさに「敵の嵐は吹きすさぶ~♪」の感があった。ほとんど良い芽がないような状態でまともに葉がでるのか疑問ですらあったのだが、時期がくればじっと耐えて蓄えた力を解き放つかのように力強く芽吹きを一斉に始める植物に元気をもらった気分である。逆境をばねにして力強くそれをはね返す、人もそうでありたいと。最後はつまらない能書きでございました。おしまい。
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