すっかり夏本番で、からっとした空気に照りつける太陽。強い日差しに汗だくだくで園芸に励んでいた日曜日。毎年この暑い時期はバラの開花はおもわしくないのだけれど、な〜ぜか今年はなかなかに良い蕾がたくさん上がってきている。
虫さんも前回の消毒&予防から日がたったこともあって、マメコガネの発生密度が濃くなっているように思われる。黒点病も相変わらずちらほらと出続けてはいるが、まあこんなもんかと。ミニバラやその他幾つかの品種は完全に黒点病で葉を落としながらも、新芽が成長しピンシャンの本葉を展開しはじめている。こう暑くなってくると湿度が下がるので病気は治まってゆくと気楽に構えてはいたのだが、いい花が咲きそうな予感に夕方消毒&予防闘争に決起する。
これがウワサのマメコガネ

私は消毒&予防は、多くの場合夕方に決めている。それは、朝方だと近隣で洗濯物を干していたりするし、日中の高温時の散布は薬害を引き起こしやすい、殺虫に使う化学農薬の有機リン系の殺虫剤スミチオンは太陽光に反応して、有毒物質のオクソン体を生成するそうなので(どっかのサイトで知った受け売り)、風が無いか微風を確認し、日が陰ってからすることにしている。
夕方四時から準備を始めて、50L、スミチオン、マンネブダイセン、トリフミンを散布する。90分ほどの作業をおえて、噴霧器を洗浄しホースを巻いていると、急に気分が悪くなる。胃がむかむかしてきて吐きそう、心なしかお腹が痛いような感じ。もう我慢できなくなり、ホースを巻くのを止めてトイレに駆け込むと同時に激しく嘔吐。
おかしい、いままでこんなことはなかったのに、体調が悪いときは農薬を扱うことはいつも避けているのだが、今日は体調は悪いわけではなかった。なぜ?なぜ?なぜ????
とにもかくにも、汗だくの衣類を着替えて、多少なりとも浴びた農薬を洗い落とすべくお風呂に直行、でお風呂でも嘔吐。
着替えてから、冷静に直前の数時間の出来事を精査して思い当たったのは、遅く2時にとった昼食の松茸の炊き込みご飯と生協の冷凍シューマイ。どうも冷凍シューマイが怪しげな気がするのだが、季節外れの松茸もかなり怪しい。速攻、冷凍シューマイと毒キノコでググってみたのだが有力な情報は得られなかった。
てなことをしているうちに、また、激しく嘔吐。
そこへローザが帰ってきて、「どーしたの?」。
「消毒&予防をしてたら気分が悪くなったんだ」と私。
「マスクしてしないからよ」とローザ。
「いやあ、こんなのはじめてだよ。昼に食べた松茸ごはんが当たったんじゃないかと思うのだが」と私。
「あの松茸ごはんはさぁ、腐っているから捨てようとおもって冷蔵庫に入れておいたのだけど〜」とローザ。
「おおぉまい・ごぉおおお」(>_<)
「なんで、捨てるようなものを、ごていねいにタッパーウエアにいれて冷蔵庫にいれとくんだよぉ!」と私。
「食べる前にわからなかったの、臭いが完璧に変ジャン」とローザ。
「いちいち臭いを嗅いでから食うわけないジャン。松茸の臭いでわからなかったって」と私。
「革命的警戒心が欠如してるんじゃないの」とローザ。
「なんで、自分の家の冷蔵庫の中身に革命的警戒心が必要なのよぉ。トロツキーじゃあるまいし」と私。
と延々と内ゲバ&口ゲバは続いたのだが、途中でまた嘔吐で戦線離脱・・・
そのまま、一晩中はき続け、若干の吐血もあって月曜日速攻で病院へ。幸い入院には至らず、もし、下血あるいは、はげしく吐血するようなら速攻で来て下さいと言われ、点滴と胃腸薬に抗生物質をいただいて帰ってきて、3日ほど床にふせっておりました。
その間のバラのお世話はローザがしたことは言うまでもないのだが、それにしても酷い目にあったのだった。直撃の食あたりがこんなに酷いとは初めての経験だった。ホントに死ぬかと思った。
通称「バラ畑」 東庭の様子

ヘルモサとルイ君の開花の様子 ともにチャイナローズ 花付き抜群の強健種

イングリッシュローズのモリニュー この時期としてはまずまずのさきっぷり(^o^)

虫さんも前回の消毒&予防から日がたったこともあって、マメコガネの発生密度が濃くなっているように思われる。黒点病も相変わらずちらほらと出続けてはいるが、まあこんなもんかと。ミニバラやその他幾つかの品種は完全に黒点病で葉を落としながらも、新芽が成長しピンシャンの本葉を展開しはじめている。こう暑くなってくると湿度が下がるので病気は治まってゆくと気楽に構えてはいたのだが、いい花が咲きそうな予感に夕方消毒&予防闘争に決起する。
これがウワサのマメコガネ

私は消毒&予防は、多くの場合夕方に決めている。それは、朝方だと近隣で洗濯物を干していたりするし、日中の高温時の散布は薬害を引き起こしやすい、殺虫に使う化学農薬の有機リン系の殺虫剤スミチオンは太陽光に反応して、有毒物質のオクソン体を生成するそうなので(どっかのサイトで知った受け売り)、風が無いか微風を確認し、日が陰ってからすることにしている。
夕方四時から準備を始めて、50L、スミチオン、マンネブダイセン、トリフミンを散布する。90分ほどの作業をおえて、噴霧器を洗浄しホースを巻いていると、急に気分が悪くなる。胃がむかむかしてきて吐きそう、心なしかお腹が痛いような感じ。もう我慢できなくなり、ホースを巻くのを止めてトイレに駆け込むと同時に激しく嘔吐。
おかしい、いままでこんなことはなかったのに、体調が悪いときは農薬を扱うことはいつも避けているのだが、今日は体調は悪いわけではなかった。なぜ?なぜ?なぜ????
とにもかくにも、汗だくの衣類を着替えて、多少なりとも浴びた農薬を洗い落とすべくお風呂に直行、でお風呂でも嘔吐。
着替えてから、冷静に直前の数時間の出来事を精査して思い当たったのは、遅く2時にとった昼食の松茸の炊き込みご飯と生協の冷凍シューマイ。どうも冷凍シューマイが怪しげな気がするのだが、季節外れの松茸もかなり怪しい。速攻、冷凍シューマイと毒キノコでググってみたのだが有力な情報は得られなかった。
てなことをしているうちに、また、激しく嘔吐。
そこへローザが帰ってきて、「どーしたの?」。
「消毒&予防をしてたら気分が悪くなったんだ」と私。
「マスクしてしないからよ」とローザ。
「いやあ、こんなのはじめてだよ。昼に食べた松茸ごはんが当たったんじゃないかと思うのだが」と私。
「あの松茸ごはんはさぁ、腐っているから捨てようとおもって冷蔵庫に入れておいたのだけど〜」とローザ。
「おおぉまい・ごぉおおお」(>_<)
「なんで、捨てるようなものを、ごていねいにタッパーウエアにいれて冷蔵庫にいれとくんだよぉ!」と私。
「食べる前にわからなかったの、臭いが完璧に変ジャン」とローザ。
「いちいち臭いを嗅いでから食うわけないジャン。松茸の臭いでわからなかったって」と私。
「革命的警戒心が欠如してるんじゃないの」とローザ。
「なんで、自分の家の冷蔵庫の中身に革命的警戒心が必要なのよぉ。トロツキーじゃあるまいし」と私。
と延々と内ゲバ&口ゲバは続いたのだが、途中でまた嘔吐で戦線離脱・・・
そのまま、一晩中はき続け、若干の吐血もあって月曜日速攻で病院へ。幸い入院には至らず、もし、下血あるいは、はげしく吐血するようなら速攻で来て下さいと言われ、点滴と胃腸薬に抗生物質をいただいて帰ってきて、3日ほど床にふせっておりました。
その間のバラのお世話はローザがしたことは言うまでもないのだが、それにしても酷い目にあったのだった。直撃の食あたりがこんなに酷いとは初めての経験だった。ホントに死ぬかと思った。
通称「バラ畑」 東庭の様子

ヘルモサとルイ君の開花の様子 ともにチャイナローズ 花付き抜群の強健種

イングリッシュローズのモリニュー この時期としてはまずまずのさきっぷり(^o^)

肩こり指数 ★☆☆
つい先だって漁師さんの全国一斉休漁が闘われた。まあ、あっちこっちのブログで取り上げているのを斜め読みで失礼ながらいろいろと読ませていただいた。
社会機能がストップするようなゼネストであれば客観的な革命情勢は一気に引き寄せられるということになろうが、はたしてこの漁師さんの「ゼネスト」の評価やいかに、というと即答できないというのが正直なところだ。目にした多くの意見もまた、さしたる影響はないと思ってかそう重大なうけとめをしていないように思えるものだった。
てなわけでつらつらと考えてみる。
マルクスっぽい視点からみるならば、そもそも漁師さんという仕事はいかなるものであるかというと、政治学的には小資本家=プチブルジョア=小ブルジョアと、経済学的には小商品生産者と呼んでいるものなのである。
この小資本家は漁師さん、お百姓さん、手工業、商業、サービス業などにおいて、土地、船、店舗、道具などの生産手段をわずかながらも所有し、自分と、その家族でもって労働することを基本としているもので、工業の発展形態としては、前資本主義的なありかたとしての家内制手工業のようなものであるといっていいだろう。
これら、小資本家さんの出自は封建社会にあって、そのまま引き継がれてきたものといえる。原論レベルでは。資本の原畜過程において、とりわけ農業にあっては封建的土地所有を解体し無産の労働者を創出する過程として現れるわけなのであるが、我が国ニッポーンやドイッチュランドのように、遅れて資本主義への歩みをはじめた国家は、資本の原畜過程を経ずに金融資本の導入によって急速な工業化をなしたところでは、これらは、その形態をおおきく変化させることなく、資本主義的経済制度の支配のもと、それに従属しつつ小ブルジョア経済制度として独自の領域を維持してきたのである。
とはいえ、先進資本主義国おフランスのように、フランス革命がブルジョア革命と農民革命とのアマルガムであったという歴史性に規定され、その結果として、膨大な分割地農民を生みだしたことから、資本の原畜過程がすすまず、くわえて、資本は国内よりも後進資本主義国への投資へとむかったため、フランス銀行のような巨大金融資本と国家財政の後押しをもって産業資本をたちあげざるおえなかった。てなこともあったりして、それぞれお国事情が違えばそのありかたも微妙に多様であったりするわけなのであるが。
まあ、なにはともあれ、この小資本家さんは各国いたるところでた〜くさんみることができるわけで、そのボリュームの大きさから、裕福なものから極貧にいたるまでの幅広い階層を形成するのであるが、そのボリュームの大きさ故、市場を通じて相互に激しい競争を強いられることによる、生産や生活に必要な工業製品との鋏状価格の形成とそれによる大資本からの収奪、低価格の農水産物と手工業製品の輸入、大規模商業施設の出店によるシャッター通りなどなど資本の外圧につねにさらされるのである。
そうした競争を勝ち抜きより大きな資本へと発展をなすか、あるいは淘汰され、賃金労働者となるか、そんな際どい不安定な基盤のうえにたつものたちなのである。
それ故に、小資本家さんは二つの顔をもつものである。ひとつの顔は、資本主義的生産の進展により、その多くが没落してゆく定めにあるがゆえに資本主義的生産にたいしては批判的な立場をとりつつも、もう一つの顔として、小規模とはいえども、私的に生産手段を所有し「自由」な意志にもとづいての労働が永遠なることを求めるがゆえの保守的な立場をとるものでもある。
そんな二つの顔をもつ小資本家さんは、その立っている場所の不安定さゆえに、この度の原油の高騰のような事態は、存立の危機として直撃する。その激しい危機感と社会への憤りからブチ切れて小ブルジョア急進主義と呼ばれる、過激な行動へとつきすすむこともあるのである。
以上のことが、おおむね教科書に書かれてあるような資本主義的経済制度の支配における小資本家さんのあり方と、その属性なのであるが、このたびの漁師さんたちの「ゼネスト」が全国的なネットワークとして漁業協同組合が組織した闘争であるということは、政権与党の集票団体であるということからたいへん興味深いものではあるが、その獲得目標が「補助金請願」にとどまっているところから、残念ながら「ゼネスト」の効果はあまり期待できないと思っている。
運動の前面に出てくるものが「補助金請願」”だけ”ではもはや願いは通じないだろ。
ブルジョア新聞(通称ブル新)各紙が翌日そろって伝えたように、原油高騰で苦境にあるのは漁業だけではない、という論調に対抗し国民世論をがっしりと掴み取り政権与党を震え上がらせるものがなくては、そんなささやかなる願いですら届くことはないだろう。
かの、コイズミ&ヘイゾーがなした怪しげなる「構造改革」なるものの核心のひとつは、農業も漁業も商業も建築も医療も教育も、み〜んな頑張ってよ! お国はもう面倒はみないからね。お国は借金だらけでお金がないんだから。というものだったと思う。
そのようなありかたは、さきの参院選の歴史的敗北をとおして福田内閣のもと多少トーンを下げざるおえなくなってはいるが、この築かれたる反動の橋頭堡は断固として死守の構えにかわりがないことは間違いないようだ。なにより、漁師さんたちにしぶしぶであれ、手をさしのべるなら、それに学んで産業別「ゼネスト」が大爆発する可能性すら否定し得ないものがある。それほどサミットでもなんら有効な対策を提示しえなかった原油高騰は危機を深いものにしている。
とはいえ、このような社会の屋台骨が大きく揺さぶられるような危機に真っ先に生け贄となるのは、未組織労働者であり、小資本家のなかの多くの零細な部分なのだ。私もそうした者のひとりとして、心より連帯の意をこめて”厳しいけど、がんばろう!””ゼネスト天晴れ”と言いたい。
いま求められているのは、個別利害を代表する「漁協」の指導をはじき飛ばして、広範な苦悩せる人民と漁師さんたちの「ゼネスト」を結合し、巨大な民衆の怒りとして政権与党を恐怖のどん底に叩き込むようなゼネストを組織しうる部分の登場なのだと思う。
大きな社会変革への道のりにおいて、小資本家さんはとても重要なポジションをしめている。政権与党は戦後一貫して、それらを取り込み票田としてきた。そうしたあり方から大きく方針を転換し、かれらを突き放した。かれらの数は膨大だ、そして、「自由」なるがゆえの強さも、弱さもある。ともに闘いの隊列に加わることができる道筋を大急ぎで模索せねばならないだろう。
「ファシズムは、プロレタリアートよりほんの一枚だけ上にあって、プロレタリアの列中に落とされることをたえず恐れている階級を立ちあがらせる。公式の国家に庇護されながら、金融資本の資金を用いて彼らを組織し、戦闘部隊に仕立て上げる。そして、これらの階層を、最も革命的なものから最も穏健なものまでを含むプロレタリア組織の全体を破壊することへと駆り立てるのである。」(トロツキー「次は何か」)
ファシズムの原動力をなしたものが小資本家さんたちだったことをことを忘れてはならない。彼らのその爆発的な力を誤った方向に向けてはならないのだ。彼らを闘う人民の友としなければならない!
つい先だって漁師さんの全国一斉休漁が闘われた。まあ、あっちこっちのブログで取り上げているのを斜め読みで失礼ながらいろいろと読ませていただいた。
社会機能がストップするようなゼネストであれば客観的な革命情勢は一気に引き寄せられるということになろうが、はたしてこの漁師さんの「ゼネスト」の評価やいかに、というと即答できないというのが正直なところだ。目にした多くの意見もまた、さしたる影響はないと思ってかそう重大なうけとめをしていないように思えるものだった。
てなわけでつらつらと考えてみる。
マルクスっぽい視点からみるならば、そもそも漁師さんという仕事はいかなるものであるかというと、政治学的には小資本家=プチブルジョア=小ブルジョアと、経済学的には小商品生産者と呼んでいるものなのである。
この小資本家は漁師さん、お百姓さん、手工業、商業、サービス業などにおいて、土地、船、店舗、道具などの生産手段をわずかながらも所有し、自分と、その家族でもって労働することを基本としているもので、工業の発展形態としては、前資本主義的なありかたとしての家内制手工業のようなものであるといっていいだろう。
これら、小資本家さんの出自は封建社会にあって、そのまま引き継がれてきたものといえる。原論レベルでは。資本の原畜過程において、とりわけ農業にあっては封建的土地所有を解体し無産の労働者を創出する過程として現れるわけなのであるが、我が国ニッポーンやドイッチュランドのように、遅れて資本主義への歩みをはじめた国家は、資本の原畜過程を経ずに金融資本の導入によって急速な工業化をなしたところでは、これらは、その形態をおおきく変化させることなく、資本主義的経済制度の支配のもと、それに従属しつつ小ブルジョア経済制度として独自の領域を維持してきたのである。
とはいえ、先進資本主義国おフランスのように、フランス革命がブルジョア革命と農民革命とのアマルガムであったという歴史性に規定され、その結果として、膨大な分割地農民を生みだしたことから、資本の原畜過程がすすまず、くわえて、資本は国内よりも後進資本主義国への投資へとむかったため、フランス銀行のような巨大金融資本と国家財政の後押しをもって産業資本をたちあげざるおえなかった。てなこともあったりして、それぞれお国事情が違えばそのありかたも微妙に多様であったりするわけなのであるが。
まあ、なにはともあれ、この小資本家さんは各国いたるところでた〜くさんみることができるわけで、そのボリュームの大きさから、裕福なものから極貧にいたるまでの幅広い階層を形成するのであるが、そのボリュームの大きさ故、市場を通じて相互に激しい競争を強いられることによる、生産や生活に必要な工業製品との鋏状価格の形成とそれによる大資本からの収奪、低価格の農水産物と手工業製品の輸入、大規模商業施設の出店によるシャッター通りなどなど資本の外圧につねにさらされるのである。
そうした競争を勝ち抜きより大きな資本へと発展をなすか、あるいは淘汰され、賃金労働者となるか、そんな際どい不安定な基盤のうえにたつものたちなのである。
それ故に、小資本家さんは二つの顔をもつものである。ひとつの顔は、資本主義的生産の進展により、その多くが没落してゆく定めにあるがゆえに資本主義的生産にたいしては批判的な立場をとりつつも、もう一つの顔として、小規模とはいえども、私的に生産手段を所有し「自由」な意志にもとづいての労働が永遠なることを求めるがゆえの保守的な立場をとるものでもある。
そんな二つの顔をもつ小資本家さんは、その立っている場所の不安定さゆえに、この度の原油の高騰のような事態は、存立の危機として直撃する。その激しい危機感と社会への憤りからブチ切れて小ブルジョア急進主義と呼ばれる、過激な行動へとつきすすむこともあるのである。
以上のことが、おおむね教科書に書かれてあるような資本主義的経済制度の支配における小資本家さんのあり方と、その属性なのであるが、このたびの漁師さんたちの「ゼネスト」が全国的なネットワークとして漁業協同組合が組織した闘争であるということは、政権与党の集票団体であるということからたいへん興味深いものではあるが、その獲得目標が「補助金請願」にとどまっているところから、残念ながら「ゼネスト」の効果はあまり期待できないと思っている。
運動の前面に出てくるものが「補助金請願」”だけ”ではもはや願いは通じないだろ。
ブルジョア新聞(通称ブル新)各紙が翌日そろって伝えたように、原油高騰で苦境にあるのは漁業だけではない、という論調に対抗し国民世論をがっしりと掴み取り政権与党を震え上がらせるものがなくては、そんなささやかなる願いですら届くことはないだろう。
かの、コイズミ&ヘイゾーがなした怪しげなる「構造改革」なるものの核心のひとつは、農業も漁業も商業も建築も医療も教育も、み〜んな頑張ってよ! お国はもう面倒はみないからね。お国は借金だらけでお金がないんだから。というものだったと思う。
そのようなありかたは、さきの参院選の歴史的敗北をとおして福田内閣のもと多少トーンを下げざるおえなくなってはいるが、この築かれたる反動の橋頭堡は断固として死守の構えにかわりがないことは間違いないようだ。なにより、漁師さんたちにしぶしぶであれ、手をさしのべるなら、それに学んで産業別「ゼネスト」が大爆発する可能性すら否定し得ないものがある。それほどサミットでもなんら有効な対策を提示しえなかった原油高騰は危機を深いものにしている。
とはいえ、このような社会の屋台骨が大きく揺さぶられるような危機に真っ先に生け贄となるのは、未組織労働者であり、小資本家のなかの多くの零細な部分なのだ。私もそうした者のひとりとして、心より連帯の意をこめて”厳しいけど、がんばろう!””ゼネスト天晴れ”と言いたい。
いま求められているのは、個別利害を代表する「漁協」の指導をはじき飛ばして、広範な苦悩せる人民と漁師さんたちの「ゼネスト」を結合し、巨大な民衆の怒りとして政権与党を恐怖のどん底に叩き込むようなゼネストを組織しうる部分の登場なのだと思う。
大きな社会変革への道のりにおいて、小資本家さんはとても重要なポジションをしめている。政権与党は戦後一貫して、それらを取り込み票田としてきた。そうしたあり方から大きく方針を転換し、かれらを突き放した。かれらの数は膨大だ、そして、「自由」なるがゆえの強さも、弱さもある。ともに闘いの隊列に加わることができる道筋を大急ぎで模索せねばならないだろう。
「ファシズムは、プロレタリアートよりほんの一枚だけ上にあって、プロレタリアの列中に落とされることをたえず恐れている階級を立ちあがらせる。公式の国家に庇護されながら、金融資本の資金を用いて彼らを組織し、戦闘部隊に仕立て上げる。そして、これらの階層を、最も革命的なものから最も穏健なものまでを含むプロレタリア組織の全体を破壊することへと駆り立てるのである。」(トロツキー「次は何か」)
ファシズムの原動力をなしたものが小資本家さんたちだったことをことを忘れてはならない。彼らのその爆発的な力を誤った方向に向けてはならないのだ。彼らを闘う人民の友としなければならない!
今日は、思いっきり能書き抜きでいきます。テーマはお題通りの”おーまい・ごー”です。
まず一発目、つい先だっての連休中の出来事。レンジフードを掃除するためにバラしたところ。

いきなり”おーまい・ごー”そとの花壇に植えてあるイングリッシュローズのシャルロット君がフードの中に不法侵入(?)。


ちょっと動揺は隠せなかったのですが、おちついて切りました。それがお互いの幸せと信じて。合掌!
つづいて二発目、ほったらかしの放置プレイで、強いものだけがどんどん成長するハーブガーデンに秩序をあたえるべく”神の手”をいれようとしたとき、すぐ隣に植えてあるロウバイを見て”おーまい・ごー”

イラガが大発生中。去年をはるかに上回る規模!

イラガというのは毒虫でこんなヤシであります。

全身トゲトゲの毒針で武装した危ない毛虫。刺されたら電撃的な痛みを申し分ないほど堪能すること可。

なれど、ノーサンキューなので速攻でスミチオン2Lを散布し完全殲滅。合掌!
つづいて三発目、これまたほったらかしにしていて、株元が雑草で見えなくなっていたコーネリアの雑草をとりのぞいて”おーまい・ごー” ものすごい量のおがくずがでている。そう、ゴマダラカミキリの幼虫テッポウムシの仕業。どこをどう探しても進入路が見つからないのであります。
そんな場合うちでは、最後の手段として、彫刻刀で怪しげなところを削ってゆきます。
そして進入路ハケーン、なれど上から下に掘り進んだのではなく、下から上に進んでいるもよう。それではスポイトでスミチオン投入はできないので、ひきつづき彫刻刀で掘削をしてゆくと、こういうことになりますた。

写真の株元まうらから進入し、上に向かって進み、ピークをこえて今度は写真正面でみるとおり下に向かって彫っていったもよう。ここでスミチオン原液をスポイトで注入。
2〜3日様子を見るにおがくずはでていないのでたぶんお亡くなりになったと・・・
と・こ・ろ・が、ふたたび”おーまい・ごー”

おもいっきり薬害でちまいました。どうも暑い時期だったのでまずかったようです。枯れずになんとか立ち直るかちょっと微妙なところであります。とほほ・・・
おわりに軽いのをもう一発。
自慢の芝生は、数本の雑草カタバミを見逃したがために、気づいたときにはカタバミに覆われておりました。大根のような太くてそして深い根は強力で、芝をはるかに凌ぐ匍匐径でどんどん広がるカタバミはこんなヤシ。

チョット見、クローバーみたいで可愛くもあるところが見逃した最大の理由。
このまま放置を続ければ、のこった芝に一切日光がそそぐことはなく、死滅するのは必定。さりとて除草ホークでちまちまとれるような規模ではもはやなく、広葉雑草のみを枯らす選択性の除草剤も地植えのバラの影響を考えると使えないのでありました。

てなわけで、コイツ久々登場、”武装せる園芸家の武器”芝刈り用バリカンで刈り取ることにしたのであります。

いぜんはこのバリカン、ワンシーズンは頻繁に芝刈りをしてもブレードの切れ味が落ちることはなかったのですが、どうも最近はすぐに切れ味が悪くなる。そのたび替え刃をかっていたのでは、うちは破産してしまうので(オイオイ)、ちかごろは、ホームセンターでたまたまハケーンしたインパクトドライバーに装着するダイヤモンドビットの砥石で研ぎながら使っているのであります。

さっそく切れ味が悪くなったのでこれでささっと研いでバリバリバリと気分良く爽快に雑草を刈り取っていると、”おーまい・ごー”
芝桜のボーダーに乗せてかわしていた水遣り用の耐圧ホースにほんのすこしブレードが接触、穴をあけてしまいますた。

仕方がないので、穴のあいたところから切断して、ノズルをつけ直したのでありますが、
短くなった分だけ水遣りのとき届かないところができてしまいあ〜ぁ、なのでありました。

どうも、私の”沈着”の度合いを試すような出来事ばかりでした。やれやれ・・・
指をバリカンで落とす前にやめて、カキ氷を食べることにしました。

お粗末さまでしたm(_ _)m
まず一発目、つい先だっての連休中の出来事。レンジフードを掃除するためにバラしたところ。

いきなり”おーまい・ごー”そとの花壇に植えてあるイングリッシュローズのシャルロット君がフードの中に不法侵入(?)。


ちょっと動揺は隠せなかったのですが、おちついて切りました。それがお互いの幸せと信じて。合掌!
つづいて二発目、ほったらかしの放置プレイで、強いものだけがどんどん成長するハーブガーデンに秩序をあたえるべく”神の手”をいれようとしたとき、すぐ隣に植えてあるロウバイを見て”おーまい・ごー”

イラガが大発生中。去年をはるかに上回る規模!

イラガというのは毒虫でこんなヤシであります。

全身トゲトゲの毒針で武装した危ない毛虫。刺されたら電撃的な痛みを申し分ないほど堪能すること可。

なれど、ノーサンキューなので速攻でスミチオン2Lを散布し完全殲滅。合掌!
つづいて三発目、これまたほったらかしにしていて、株元が雑草で見えなくなっていたコーネリアの雑草をとりのぞいて”おーまい・ごー” ものすごい量のおがくずがでている。そう、ゴマダラカミキリの幼虫テッポウムシの仕業。どこをどう探しても進入路が見つからないのであります。
そんな場合うちでは、最後の手段として、彫刻刀で怪しげなところを削ってゆきます。
そして進入路ハケーン、なれど上から下に掘り進んだのではなく、下から上に進んでいるもよう。それではスポイトでスミチオン投入はできないので、ひきつづき彫刻刀で掘削をしてゆくと、こういうことになりますた。

写真の株元まうらから進入し、上に向かって進み、ピークをこえて今度は写真正面でみるとおり下に向かって彫っていったもよう。ここでスミチオン原液をスポイトで注入。
2〜3日様子を見るにおがくずはでていないのでたぶんお亡くなりになったと・・・
と・こ・ろ・が、ふたたび”おーまい・ごー”

おもいっきり薬害でちまいました。どうも暑い時期だったのでまずかったようです。枯れずになんとか立ち直るかちょっと微妙なところであります。とほほ・・・
おわりに軽いのをもう一発。
自慢の芝生は、数本の雑草カタバミを見逃したがために、気づいたときにはカタバミに覆われておりました。大根のような太くてそして深い根は強力で、芝をはるかに凌ぐ匍匐径でどんどん広がるカタバミはこんなヤシ。

チョット見、クローバーみたいで可愛くもあるところが見逃した最大の理由。
このまま放置を続ければ、のこった芝に一切日光がそそぐことはなく、死滅するのは必定。さりとて除草ホークでちまちまとれるような規模ではもはやなく、広葉雑草のみを枯らす選択性の除草剤も地植えのバラの影響を考えると使えないのでありました。

てなわけで、コイツ久々登場、”武装せる園芸家の武器”芝刈り用バリカンで刈り取ることにしたのであります。

いぜんはこのバリカン、ワンシーズンは頻繁に芝刈りをしてもブレードの切れ味が落ちることはなかったのですが、どうも最近はすぐに切れ味が悪くなる。そのたび替え刃をかっていたのでは、うちは破産してしまうので(オイオイ)、ちかごろは、ホームセンターでたまたまハケーンしたインパクトドライバーに装着するダイヤモンドビットの砥石で研ぎながら使っているのであります。

さっそく切れ味が悪くなったのでこれでささっと研いでバリバリバリと気分良く爽快に雑草を刈り取っていると、”おーまい・ごー”
芝桜のボーダーに乗せてかわしていた水遣り用の耐圧ホースにほんのすこしブレードが接触、穴をあけてしまいますた。

仕方がないので、穴のあいたところから切断して、ノズルをつけ直したのでありますが、
短くなった分だけ水遣りのとき届かないところができてしまいあ〜ぁ、なのでありました。

どうも、私の”沈着”の度合いを試すような出来事ばかりでした。やれやれ・・・
指をバリカンで落とす前にやめて、カキ氷を食べることにしました。

お粗末さまでしたm(_ _)m
まいどの昔話で恐縮なのですが、二十歳過ぎまで私は厚揚げを食べたことがなかったのであります。もちろん、その時点ですでに二十年以上の歳月が過ぎているわけで、当然その中では厚揚げを好むと好まざるとにかかわらず食膳にそれが登場することはもちろん幾度となくあったわけなのですが、なぜかそれに箸をつけることはなかったのであります。
べつに明確に嫌いな理由があったわけではないのですが、あえていえばあの表面のごつごつとした感じと、色合いがちょっと”キモ”だったのだとおもっているのです。
そうです、私は食わず嫌いの権化なのであります。
いまだにその基本属性は変化することが無く、ごくごく最近でしたらゴーヤがあきまへん。理由はやはり、あの表面のごつごつとしたあの感じが堪らなくいやいやなのであります。
さて、そんな私が厚揚げを食すに至ったのは、しばしば「社」に居候させていただいていたのですが、ここでの食事には頻繁にこの厚揚げが登場したのであります。なぜかといえば、この「社」のすぐ近くにお豆腐屋さんがありまして、いかなる縁か、いつからのお付き合いかは知らないのですが、世間で白い目で見られることがとかく多かった私たちに、とても好意的なお豆腐屋さんだったので、こちらとしても大変贔屓にしていたわけなのであります。
私はこの目で見たことはないのですが、聞いた話によると店の中にマルクスの肖像画がかかげてあるとかないとか、「社」内的な公称は「マルクス豆腐店」、ちょっとレアなお豆腐屋さんなのでした。
てなわけで、実に頻繁に厚揚げがお膳に上がったのであります。当時極貧だった私が、好き嫌いいえるような立場ではなかったので、かなりの抵抗をこえて、きざみネギと鰹節ののった厚揚げを箸でつまんでくちにいれて思ったこと、「うっうまぁあい!」。
と同時に、長年にわたってコイツをスルーしてきたことをあらためておもうと、とっても損をしたようなネガな気分になったものでした。
それからは、強火でチョット焦げ目をつけ、きざみネギをのせた厚揚げはすっかり好物にランクアップし、炉端焼き屋や、飲み屋の定番メニューとなったのであります。
今日はお仕事のお付き合いで小一時間ほど、一杯飲み屋で生ビールをいただきながら、厚揚げ君を箸でつまんでいてふとそんなことを思い出したという、たわいもないお話でありました。お粗末!
すっかり夏バテの三毛猫みこ 夏本番はこれからだぞ!
一丁焼き鰹でもふるまって精をつけてもらうか。

べつに明確に嫌いな理由があったわけではないのですが、あえていえばあの表面のごつごつとした感じと、色合いがちょっと”キモ”だったのだとおもっているのです。
そうです、私は食わず嫌いの権化なのであります。
いまだにその基本属性は変化することが無く、ごくごく最近でしたらゴーヤがあきまへん。理由はやはり、あの表面のごつごつとしたあの感じが堪らなくいやいやなのであります。
さて、そんな私が厚揚げを食すに至ったのは、しばしば「社」に居候させていただいていたのですが、ここでの食事には頻繁にこの厚揚げが登場したのであります。なぜかといえば、この「社」のすぐ近くにお豆腐屋さんがありまして、いかなる縁か、いつからのお付き合いかは知らないのですが、世間で白い目で見られることがとかく多かった私たちに、とても好意的なお豆腐屋さんだったので、こちらとしても大変贔屓にしていたわけなのであります。
私はこの目で見たことはないのですが、聞いた話によると店の中にマルクスの肖像画がかかげてあるとかないとか、「社」内的な公称は「マルクス豆腐店」、ちょっとレアなお豆腐屋さんなのでした。
てなわけで、実に頻繁に厚揚げがお膳に上がったのであります。当時極貧だった私が、好き嫌いいえるような立場ではなかったので、かなりの抵抗をこえて、きざみネギと鰹節ののった厚揚げを箸でつまんでくちにいれて思ったこと、「うっうまぁあい!」。
と同時に、長年にわたってコイツをスルーしてきたことをあらためておもうと、とっても損をしたようなネガな気分になったものでした。
それからは、強火でチョット焦げ目をつけ、きざみネギをのせた厚揚げはすっかり好物にランクアップし、炉端焼き屋や、飲み屋の定番メニューとなったのであります。
今日はお仕事のお付き合いで小一時間ほど、一杯飲み屋で生ビールをいただきながら、厚揚げ君を箸でつまんでいてふとそんなことを思い出したという、たわいもないお話でありました。お粗末!
すっかり夏バテの三毛猫みこ 夏本番はこれからだぞ!
一丁焼き鰹でもふるまって精をつけてもらうか。

ちょっと難解なお話が続きましたので、園芸ネタいきます。というか、どうしても花はいちどに開かないし、開いてしまったらそれでネタは尽きてしまいます。
そんなわけで、つまらないお話にお付き合いいただいている間に、またまた花は開いておりました。
さて、話はかわり日々の雑感ですが、すっかり季節はかわり暑い日々が続いております。そうなるっていうと暑中見舞いの一枚でも書かねばなりません。昔の友(とも)、盟友(とも)、強敵(とも)との交通はいまはすっかりかりに切断されおりますが、ほんのわずかながらもつながりがのこっている友もございます。
そんな友たちへここ数年の園芸趣味を葉書にのせておくると、かならず返ってくる返事には、「おまえが園芸なんて・・・絶対に信じられない!ウソだろぉお」と書かれてくるのであります。なかには、「おまえがそんなことをするから北極の氷がとけてシロクマさんが絶滅の危機にひんするのだ!」と訳のわからない”声援”をおくってくれる友もおります。
まあ、人も年をかさねると趣味もかわるものであります。そやつはいまだにメカニカルなもの系趣味の王道全力疾走しているようであります。私もかつてはその路線だったのですが、つぎつぎと貨幣を投じなければならないバリバリの工業製品系にはすっかりつかれてしまいますた。
それにしても花を咲かすこと、咲いた花を愛でることがかくも楽しいことであるとは思いませんでした。今日はなきに等しき知性の働きがさらに著しく低下しているもようなので、めんどくさい能書きの類はあっさりパスして、すでに梅雨があけ、毎日、灼熱の太陽にこんがりと焼かれている方々へ、暑中見舞いにかえてバラを貼らせていただきます。
まだ、暑さに体が慣れておりません。熱中症になどならぬようご注意くださいませませ。
モダンローズのアイスバーグ 結構いい感じ。

京成アンティックローズのアンドレルノート

イングリッシュローズのウイリアムモリス

イングリッシュローズのエブリン 今年はシュート君三本登場。

イングリッシュローズのガートルード・ジェキル

イングリッシュローズのグレース

イングリッシュローズのヘリテージ ちょっとジェフ・ハミルトンぽい、けど地植えのヘリテージ

イングリッシュローズのモーティマー・サックラー


イングリッシュローズのモリニュー

ハイブリッドティーのラジアンス

ティーローズのソンブロイユ まだまだしょぼくならず咲きまくり

ポートランド系のアンチ・チュールド・サンサール 摘蕾忘れて咲かせちまった相原産新苗。すごくいいので、掟破りのそのまんま開花。

チャイナローズのルイ14世 黒点病で葉が落ちるよりさきに成長するサイボーグ!

おまけのグラジオラス

そんなわけで、つまらないお話にお付き合いいただいている間に、またまた花は開いておりました。
さて、話はかわり日々の雑感ですが、すっかり季節はかわり暑い日々が続いております。そうなるっていうと暑中見舞いの一枚でも書かねばなりません。昔の友(とも)、盟友(とも)、強敵(とも)との交通はいまはすっかりかりに切断されおりますが、ほんのわずかながらもつながりがのこっている友もございます。
そんな友たちへここ数年の園芸趣味を葉書にのせておくると、かならず返ってくる返事には、「おまえが園芸なんて・・・絶対に信じられない!ウソだろぉお」と書かれてくるのであります。なかには、「おまえがそんなことをするから北極の氷がとけてシロクマさんが絶滅の危機にひんするのだ!」と訳のわからない”声援”をおくってくれる友もおります。
まあ、人も年をかさねると趣味もかわるものであります。そやつはいまだにメカニカルなもの系趣味の王道全力疾走しているようであります。私もかつてはその路線だったのですが、つぎつぎと貨幣を投じなければならないバリバリの工業製品系にはすっかりつかれてしまいますた。
それにしても花を咲かすこと、咲いた花を愛でることがかくも楽しいことであるとは思いませんでした。今日はなきに等しき知性の働きがさらに著しく低下しているもようなので、めんどくさい能書きの類はあっさりパスして、すでに梅雨があけ、毎日、灼熱の太陽にこんがりと焼かれている方々へ、暑中見舞いにかえてバラを貼らせていただきます。
まだ、暑さに体が慣れておりません。熱中症になどならぬようご注意くださいませませ。
モダンローズのアイスバーグ 結構いい感じ。

京成アンティックローズのアンドレルノート

イングリッシュローズのウイリアムモリス

イングリッシュローズのエブリン 今年はシュート君三本登場。

イングリッシュローズのガートルード・ジェキル

イングリッシュローズのグレース

イングリッシュローズのヘリテージ ちょっとジェフ・ハミルトンぽい、けど地植えのヘリテージ

イングリッシュローズのモーティマー・サックラー


イングリッシュローズのモリニュー

ハイブリッドティーのラジアンス

ティーローズのソンブロイユ まだまだしょぼくならず咲きまくり

ポートランド系のアンチ・チュールド・サンサール 摘蕾忘れて咲かせちまった相原産新苗。すごくいいので、掟破りのそのまんま開花。

チャイナローズのルイ14世 黒点病で葉が落ちるよりさきに成長するサイボーグ!

おまけのグラジオラス

ところで精神が、未だ曽て良きしたことのないようなものとの不断の闘争によく堪えねばならないとすれば、何よりもまず二個の特性を欠くことができない。その第一は、このような甚だしく不分明な事態のなかにあっても、真実を照破するだけの光をはなつがながらも保有しているような知性である、また第二は、このともしい光に頼って行動するところの勇気である。前者は譬喩的に、フランス語の(couq d' oeil)クワ・ドウィユ(精神的瞥見)という語で表現されている、また後者は果断である。
(中略)
上述した「クワ・ドウィユ」および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである、予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力がすなわち沈着にほかならないからである。
不意に話しかけられた場合に、これに対して当為即妙な答えをするのも沈着だし、また突発した危険を即座の機転によって切り抜ける手段を講じるのも沈着であり、いずれも感嘆に値する心のはたらきである。しかしかかる手段と言い、それが適切でありさえすれば必ずしも非凡であることを要しないのである。平静な熟慮を経た上でならかくべつ非凡というほどの行為でなくても、従ってまた我々の受ける印象としてはかくべつ取り立てていうほどのことでなくても、それが知性の咄嗟のはたらきであれば、やはり我々を悦ばすのである。沈着、即ち精神が常に目醒めているという表現は、知性によってとられた処置が、響の声に応ずるごとく迅速であることを言い現して極めて適切である。
人間精神のかかるすばらしい特性が、知性の特質に基づくのか、それとも情意の均衡から生じるのかということは、その都度の場合がどのような性質のものであるかによってそれぞれ異なるであろう。しかしいずれにせよ沈着には、この両者の一を全く欠くわけにはいかないのである。それだから当意即妙の応答は、どちらかと言えば機転のきく頭脳のなすところであり、また突然の危険に処して咄嗟に適切な手段を講じるためには、何よりもまず情意の均衡がなければならないのである。
(クラウゼヴィッツ「戦争論」一編第三章 軍事的天才より)
という下りを読んでいた。とある春先の昼下がり。誰が読んでいたかというと、私では勿論無い、読んでいたのは社防隊長。
ルンペンスチューデントだった私は、待機時間中にて無償配給の昼食をいただきお昼寝中だった。
ひとしきり寝た後、ボケ〜としていると、学生同志!の声につづいて、いきなりこの下りを音読する隊長。えぇえぇと動揺しつつ聞く私。
音読をおえて、まるで御仏が手をさしのべるように「同志!沈着ということが如何なることであるか理解できたかな?」と。「は!隊長、さっぱりであります。」と私。
にこっと笑って隊長曰く「沈着というのは、予期せぬ事態が発生したとき、それを処理する能力である。その際の知性の咄嗟の働きは普通でよい。その能力は乱れた心が平常心へと戻るにかかる時間をもってしるべし。どうだ、精神は目醒めたか」と。続けて、「学生は勉強せねばいかんぞ。」 「ハイ!わっかりました」と私。
遠い昔のこと、第二ビルの社防室でのやり取りだった。
それが、「戦争論」とのはじめての出会いだった。その後、勉強嫌いだが「素直なよい子」(括弧付き)だった私は隊長の仰せの通り、「戦争と革命の基本問題」と平行して「戦争論」を日々の任務のあいまをみてせっせせっせと読んだものだ。なれど、どちらもいまだ一知半解にして、本能のごとく自由自在にそれを操れるようになることは現世ではかなわないと半ば諦めている。
とはいえ、そんな一知半解なるシロモノでも、戦争のなんたるかくらいのことは多少はわかるのだが。
憲法9条をよりどころとして、反戦・平和 を訴えることは、最高規範を担保としたわかりやすい論理としては有効であるかも知れないが、現実の国際社会が「安定」(括弧付き)していた時ははるか遠くへと過ぎ去り、流動を通り越し、激動するいまにあっては、世界各地とりわけ発展途上国で生起する民族解放の闘いや、世界中をかけずりまわる投機マネーが引き起こす摩擦の激しさは、社会の枠組みを右から大きく揺さぶり、そんなストレートな論がはいってゆけないほどジグザグした多様な「現実論」を準備する。
そんな「現実論」のリアリティーの前に屈し9条を投げ捨てる、あるいは観念論と誹られ一笑にふされることを断固として拒むのであるならば、もっともっと戦争について学ばねばならない。政治と軍事の関係を深く理解せねばならないと思うものである。戦争という二文字を忌み嫌い避けるのではなく、真っ正面からそれが何であるのかを見据え、考え抜くことをとおしてのみ、紙に書かれた文字に過ぎない、9条が物質的な力へと転化しうる可能性を見いだすことができるような論理を用意できるように思うのである。
てなわけで、嵐勘三郎まがいのヤクザなコメンターはほどほどにして、すこしは暇を見つけて勉強しようかなと。おそらく隊長なら、いまでも私にこう言うだろう「おっさんは勉強せねばいかんぞ。革命は近いが人生は残り少ないぞ」と。 たわいもないお話でした。
当地は暑い日が続いております。今日は何の脈絡もなく猫さんを貼りまする。
玄関の土間でとける猫

へろへろのなな

へんな格好のみこ

(中略)
上述した「クワ・ドウィユ」および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである、予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力がすなわち沈着にほかならないからである。
不意に話しかけられた場合に、これに対して当為即妙な答えをするのも沈着だし、また突発した危険を即座の機転によって切り抜ける手段を講じるのも沈着であり、いずれも感嘆に値する心のはたらきである。しかしかかる手段と言い、それが適切でありさえすれば必ずしも非凡であることを要しないのである。平静な熟慮を経た上でならかくべつ非凡というほどの行為でなくても、従ってまた我々の受ける印象としてはかくべつ取り立てていうほどのことでなくても、それが知性の咄嗟のはたらきであれば、やはり我々を悦ばすのである。沈着、即ち精神が常に目醒めているという表現は、知性によってとられた処置が、響の声に応ずるごとく迅速であることを言い現して極めて適切である。
人間精神のかかるすばらしい特性が、知性の特質に基づくのか、それとも情意の均衡から生じるのかということは、その都度の場合がどのような性質のものであるかによってそれぞれ異なるであろう。しかしいずれにせよ沈着には、この両者の一を全く欠くわけにはいかないのである。それだから当意即妙の応答は、どちらかと言えば機転のきく頭脳のなすところであり、また突然の危険に処して咄嗟に適切な手段を講じるためには、何よりもまず情意の均衡がなければならないのである。
(クラウゼヴィッツ「戦争論」一編第三章 軍事的天才より)
という下りを読んでいた。とある春先の昼下がり。誰が読んでいたかというと、私では勿論無い、読んでいたのは社防隊長。
ルンペンスチューデントだった私は、待機時間中にて無償配給の昼食をいただきお昼寝中だった。
ひとしきり寝た後、ボケ〜としていると、学生同志!の声につづいて、いきなりこの下りを音読する隊長。えぇえぇと動揺しつつ聞く私。
音読をおえて、まるで御仏が手をさしのべるように「同志!沈着ということが如何なることであるか理解できたかな?」と。「は!隊長、さっぱりであります。」と私。
にこっと笑って隊長曰く「沈着というのは、予期せぬ事態が発生したとき、それを処理する能力である。その際の知性の咄嗟の働きは普通でよい。その能力は乱れた心が平常心へと戻るにかかる時間をもってしるべし。どうだ、精神は目醒めたか」と。続けて、「学生は勉強せねばいかんぞ。」 「ハイ!わっかりました」と私。
遠い昔のこと、第二ビルの社防室でのやり取りだった。
それが、「戦争論」とのはじめての出会いだった。その後、勉強嫌いだが「素直なよい子」(括弧付き)だった私は隊長の仰せの通り、「戦争と革命の基本問題」と平行して「戦争論」を日々の任務のあいまをみてせっせせっせと読んだものだ。なれど、どちらもいまだ一知半解にして、本能のごとく自由自在にそれを操れるようになることは現世ではかなわないと半ば諦めている。
とはいえ、そんな一知半解なるシロモノでも、戦争のなんたるかくらいのことは多少はわかるのだが。
憲法9条をよりどころとして、反戦・平和 を訴えることは、最高規範を担保としたわかりやすい論理としては有効であるかも知れないが、現実の国際社会が「安定」(括弧付き)していた時ははるか遠くへと過ぎ去り、流動を通り越し、激動するいまにあっては、世界各地とりわけ発展途上国で生起する民族解放の闘いや、世界中をかけずりまわる投機マネーが引き起こす摩擦の激しさは、社会の枠組みを右から大きく揺さぶり、そんなストレートな論がはいってゆけないほどジグザグした多様な「現実論」を準備する。
そんな「現実論」のリアリティーの前に屈し9条を投げ捨てる、あるいは観念論と誹られ一笑にふされることを断固として拒むのであるならば、もっともっと戦争について学ばねばならない。政治と軍事の関係を深く理解せねばならないと思うものである。戦争という二文字を忌み嫌い避けるのではなく、真っ正面からそれが何であるのかを見据え、考え抜くことをとおしてのみ、紙に書かれた文字に過ぎない、9条が物質的な力へと転化しうる可能性を見いだすことができるような論理を用意できるように思うのである。
てなわけで、嵐勘三郎まがいのヤクザなコメンターはほどほどにして、すこしは暇を見つけて勉強しようかなと。おそらく隊長なら、いまでも私にこう言うだろう「おっさんは勉強せねばいかんぞ。革命は近いが人生は残り少ないぞ」と。 たわいもないお話でした。
当地は暑い日が続いております。今日は何の脈絡もなく猫さんを貼りまする。
玄関の土間でとける猫

へろへろのなな

へんな格好のみこ

肩こり指数★★☆
ナポレオンというお題でとりあげた近代戦の特質が国民をその気にさせて戦争に突っ込むということにあると書いたのだが、そのなかで、そんなやり方をナポレオンがハケーンしたと書いたのだが、正確には、大先生はそう書いてはいない。ので、ワタシの捏造か!!
いやいや、悪意はありもはん。ちょっとお茶目気分で筆がすべりますた。
書いてから二日ほど経過して、お昼ご飯を食べていてふと思い出したのだ。
そう、ナポレオンはパクったのだ。というと人聞きがわるいが、もちろんパクリのゲイツとは違う。
英雄ナポレオンにさきだつこと280年以上前に、庶民をその気にさせて戦争に突っ込むことを思い立った御仁がいたのだ。君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリがそのひとである。
勉強嫌いでお気楽者の私は、君主論をいまだ読破するに至っていない。お昼ご飯を食べていて思い出したのは、ちょくちょく小出しでコソーリあげさせていただいている本ダちょ著作選第2巻に収録された歴史的名著「戦争と革命の基本問題」のなかの一節「戦争と民衆」のなかにその記述があったことを思い出したのだ。
前回の記事の訂正と、もうちょっとだけつっこんだ理解にむけて書いてみようかとおもったのだが、「日本語の読解力のない」私が書くよりも、平易な内容なのでそのままあげさせていただくことにした。関心のおありの方はどうぞ。
(三)戦争と民衆
戦争の本質は、国家間の重大な利害の衝突なのであるが、こうした事情は、近代以前においては、戦争が支配階級の事業、つまり、帝国や王朝の独自の仕事であり、騎士や傭兵隊や常備軍の任務であったのであって、多くの住民は、地形や地勢と同様に客体的条件にすぎなかったのである。いいかえるならば,戦争にとって住民は、帝国や王朝、それゆえ、騎士や傭兵隊や常備軍を経済的に支える消極的要素であった。
(中略)
ところが、このような従来の戦争と住民の関係にかんして根底的な批判をしたのがニッコロ・マキアヴェリであった。すなわち、前節でみたように、イタリア・ルネッサンスの渦中にあったマキアヴェリは、内政と外交、政治と軍事、支配権と戦争、覇権と勢力均衡の内的構造を冷徹に分析し、国家権力の枢要が住民にたいする関係にあることを鋭くあばきだしたのである。覇権は支配権として定着したはじめて安定するのであり、支配者にとってもっとも恐るべきは、住民の反乱であると、マキアヴェリは洞察することによって、政治と軍事の矛盾を「支配の論理」のもとに解決してみせたわけである。
かくして、マキアヴェリは、君主、すなわち国家支配者の原則として、まず第一に実力(ヴィルトウ)をあげ、幸運よりは悪逆を、悪逆よりは実力を称揚するとともに、他国の援助や幸運で支配権をえても実力にそれが転化しないかぎり、脆弱なものであることを警告するのである。第二には、住民の支持をあげ、これが支配権の枢要であることを力説するのである。この点にかんして、マキアヴェリは、新しく併合した地域の住民にたいして守備隊派遣のやり方がいかに無力であるかをしてきするとともに、自治の経験をもった住民が支配者にとっていかに恐るべき存在であるか注意を喚起するのである。
もっとも、それは、一方では、支配者にとって自分の支配地域の民衆の共和主義的蜂起の恐るべきを注意し、他方では、外敵の侵略者にたいしては民衆の共和主義的蜂起をもって対抗するならば不敗であることを主張するという矛盾した構造をとっており、このような提起の仕方がマキアヴェリがカメレオン的と評されるゆえんであるが、しかし、このような逆転可能な論理こそ、暴力の社会的分裂の生みだした矛盾であり、マキアヴェリの名誉であっても、その不明のゆえとはいえないのである。
第三には、イタリアを外敵から守るためには、従来のように、外国の同盟軍に依存したり、傭兵や常備軍に期待したりすることはできず、なによりもまず、イタリアの強力な統一を実現し、その軍事的基礎として住民の共和主義的蜂起と、それにもとづく民兵制度を採用すべきことを強く訴えるのである。
(中略)
戦争の構造を支配権と覇権、政治と軍事の統一として解明するとともに、戦争における決定的要因として住民の態度に着目し、共和主義的蜂起と、それにもとづく民兵制度の意義を照らしだしたマキアヴェリの功績は、ボルテール、モンテスキュー、ルソーらの考察を媒介として、フランス革命戦争におけるジャコバンの急進的民主主義に継承され、クラウゼヴィッツのいわゆる攻撃と防御の不均衡の理論、ならびにマルクス・レーニンの全民衆の武装化の理論をとおして、プロレタリア革命の軍事思想として発展してきたのである。
(以下略)
(本ダ延ヨシ著作セン第2巻 「戦争と革命の基本問題」より)
世界にさきがけたイタリアの交通形態の発展は社会の大きな変革をもたらした。
そうした、カオスのなかに早すぎた天才はロドスを見たに違いない。
ちょっとお猿っぽい?なんて言ったら怒られるかも無礼者って!!

ナポレオンというお題でとりあげた近代戦の特質が国民をその気にさせて戦争に突っ込むということにあると書いたのだが、そのなかで、そんなやり方をナポレオンがハケーンしたと書いたのだが、正確には、大先生はそう書いてはいない。ので、ワタシの捏造か!!
いやいや、悪意はありもはん。ちょっとお茶目気分で筆がすべりますた。
書いてから二日ほど経過して、お昼ご飯を食べていてふと思い出したのだ。
そう、ナポレオンはパクったのだ。というと人聞きがわるいが、もちろんパクリのゲイツとは違う。
英雄ナポレオンにさきだつこと280年以上前に、庶民をその気にさせて戦争に突っ込むことを思い立った御仁がいたのだ。君主論で知られるニッコロ・マキャヴェッリがそのひとである。
勉強嫌いでお気楽者の私は、君主論をいまだ読破するに至っていない。お昼ご飯を食べていて思い出したのは、ちょくちょく小出しでコソーリあげさせていただいている本ダちょ著作選第2巻に収録された歴史的名著「戦争と革命の基本問題」のなかの一節「戦争と民衆」のなかにその記述があったことを思い出したのだ。
前回の記事の訂正と、もうちょっとだけつっこんだ理解にむけて書いてみようかとおもったのだが、「日本語の読解力のない」私が書くよりも、平易な内容なのでそのままあげさせていただくことにした。関心のおありの方はどうぞ。
(三)戦争と民衆
戦争の本質は、国家間の重大な利害の衝突なのであるが、こうした事情は、近代以前においては、戦争が支配階級の事業、つまり、帝国や王朝の独自の仕事であり、騎士や傭兵隊や常備軍の任務であったのであって、多くの住民は、地形や地勢と同様に客体的条件にすぎなかったのである。いいかえるならば,戦争にとって住民は、帝国や王朝、それゆえ、騎士や傭兵隊や常備軍を経済的に支える消極的要素であった。
(中略)
ところが、このような従来の戦争と住民の関係にかんして根底的な批判をしたのがニッコロ・マキアヴェリであった。すなわち、前節でみたように、イタリア・ルネッサンスの渦中にあったマキアヴェリは、内政と外交、政治と軍事、支配権と戦争、覇権と勢力均衡の内的構造を冷徹に分析し、国家権力の枢要が住民にたいする関係にあることを鋭くあばきだしたのである。覇権は支配権として定着したはじめて安定するのであり、支配者にとってもっとも恐るべきは、住民の反乱であると、マキアヴェリは洞察することによって、政治と軍事の矛盾を「支配の論理」のもとに解決してみせたわけである。
かくして、マキアヴェリは、君主、すなわち国家支配者の原則として、まず第一に実力(ヴィルトウ)をあげ、幸運よりは悪逆を、悪逆よりは実力を称揚するとともに、他国の援助や幸運で支配権をえても実力にそれが転化しないかぎり、脆弱なものであることを警告するのである。第二には、住民の支持をあげ、これが支配権の枢要であることを力説するのである。この点にかんして、マキアヴェリは、新しく併合した地域の住民にたいして守備隊派遣のやり方がいかに無力であるかをしてきするとともに、自治の経験をもった住民が支配者にとっていかに恐るべき存在であるか注意を喚起するのである。
もっとも、それは、一方では、支配者にとって自分の支配地域の民衆の共和主義的蜂起の恐るべきを注意し、他方では、外敵の侵略者にたいしては民衆の共和主義的蜂起をもって対抗するならば不敗であることを主張するという矛盾した構造をとっており、このような提起の仕方がマキアヴェリがカメレオン的と評されるゆえんであるが、しかし、このような逆転可能な論理こそ、暴力の社会的分裂の生みだした矛盾であり、マキアヴェリの名誉であっても、その不明のゆえとはいえないのである。
第三には、イタリアを外敵から守るためには、従来のように、外国の同盟軍に依存したり、傭兵や常備軍に期待したりすることはできず、なによりもまず、イタリアの強力な統一を実現し、その軍事的基礎として住民の共和主義的蜂起と、それにもとづく民兵制度を採用すべきことを強く訴えるのである。
(中略)
戦争の構造を支配権と覇権、政治と軍事の統一として解明するとともに、戦争における決定的要因として住民の態度に着目し、共和主義的蜂起と、それにもとづく民兵制度の意義を照らしだしたマキアヴェリの功績は、ボルテール、モンテスキュー、ルソーらの考察を媒介として、フランス革命戦争におけるジャコバンの急進的民主主義に継承され、クラウゼヴィッツのいわゆる攻撃と防御の不均衡の理論、ならびにマルクス・レーニンの全民衆の武装化の理論をとおして、プロレタリア革命の軍事思想として発展してきたのである。
(以下略)
(本ダ延ヨシ著作セン第2巻 「戦争と革命の基本問題」より)
世界にさきがけたイタリアの交通形態の発展は社会の大きな変革をもたらした。
そうした、カオスのなかに早すぎた天才はロドスを見たに違いない。
ちょっとお猿っぽい?なんて言ったら怒られるかも無礼者って!!

昨日は曇りがちな天気で、夕方には雨が落ちてきたりして、不安定な天気だったのですが、本日は朝からピーカンのお天気。夕方からせっせせっせと雑草取りに励んだのでありました。
梅雨時の降雨は緑をとても鮮やかなものにして、木々がとても艶やかにして、生き生きと美しく見えたりするのですが、雑草も生き生きと大成長をとげるのでありました。
バラは、ぽちぽちと2番花があっちやこっちで咲き続けていますが、これが実にしょぼい、ミニバラみたいなのであります。どうも肥料が切れているのではないかなと思ったりしているのですが、施肥をするにも地植えの株は、完全に雑草に覆い尽くされ株元が見えなくなってしまっている状態で、これを取り除かないとまさに敵に塩をおくることとなるわけで、雑草を取り除くことが急務なのでありました。
かえりしなに、骨粉いりの油かす肥料と草木灰を買ってきました。例年通りなら自家調合でおもいっきり大量生産してストックしておくのですが、今年は忙しくもありいまだ作っていないのでとりあえずの間に合わせということで。
骨粉いりの油かす肥料はNPKが4・6・1なので、Kを強化するためにいつもつかっている草木灰を混ぜることにしました。化学肥料系でいくなら苦土石灰と言う選択肢もあるのですが、酸性土壌を好むバラとしてはちょっとどうかなとおもうところであります。
それと、もう一押しリン酸比率をたかめるために、毎度のお約束の溶性燐肥を混ぜ込んで使おうと思っています。
ここ2〜3日忙しかったのと、不安定な天候から毎日セイレーンの歌声のような雨が降り、ついついそれにあまえて水遣りを怠ってしまい、またやっちまいました水切れ!!!
天晴れな蕾をつけていたセントセシリアは呆れたように頭を下に垂れておりました。
幸い速攻で水につけセーフだったようではありますが、これから夏を越えるまでは水切れご用心なのであります。
ついこのあいだバーク堆肥でマルチングをしたのは水切れ対策だったのですが、どうもコイツが鉢の上を覆っていると乾いているのか、濡れているのかちょっと判別が微妙なのであります。とりあえずはこれで様子をみようと思っているのですが、去年より成長した株ではバーク堆肥のマルチでは役不足のようであれば、必殺水苔マルチいこうとおもってます。
ところで、おかげさまをもちまして、稚拙な当ブログのカウンターも8000を越えることができました。もっと豊かな知性と才能、経験があれば、いや、そのどれか一つでもあれば訪れてくださる方々にもっと豊かなものをお出しできるのですが、根っからの勉強嫌いのお気楽者でありますので、身の丈にみあったものしかお出しできません。
なれど、記事をあげる日も、サボって無しの礫の日も毎日毎日、当ブログへ訪れてくださる方々がおられることを何よりの喜びと、励みに思っております。心よりありがとうございますという気持ちでいっぱいでございます。なにぶん気分屋さんの小ブル自由主義者でございますので、すでに連続物を次々と頓挫させておりますが、それなりに気分がノリましたら書けますので、呆れず懲りず怒らずでぼちぼちお付き合い願えましたらと思っております。これからもよろしくお願いします。m(_ _)m
という感謝の気持ちを込めまして今日はバラを貼らしていただきます。ちょっとしょぼいけど。
ノアゼット系 ブラッシュノアゼット 相原産 これでもかぁっていうほど蕾が上がる。ほんとは摘蕾して株を育てたいのだけれどメンドクサイことこのうえなし、2年目の株。

名花オフェリア オフェリア香といって香りがとてもよいそうだ。「そうだ」というのはその香りゆえ開花まえにコガネムシの餌食となり咲くことはごくまれなのでした。(怒)

イングリッシュローズ アブラハムダービー こちらは地植え、フェンスにつる誘引したもの。ちょっと今年は花つきが悪い。たぶん肥料が不足と思う。

ハイブリッドティーのピース なかなかの大輪に咲いていて調子がいいようにみえるが、実は黒点病で葉が落ち、写真に写った本葉3枚しか残っていない。枯れないでねお願い!!

ハイブリッドティーのパスカリ ハイブリッドティーは開き始めのこれくらいが以外に心地よかったりするのだが、そう思う人はどれくらいいるだろうか??

イングリッシュローズ ウインチェスターキャセドラル うちでは数少ない白バラ。もうすこし白バラを増やしたい願望あり。ただいまあちこちブログを徘徊して物色中。

イングリッシュローズ メアリーローズ ERを世にしらしめた実力はトーマス君とならび本物。ほかの枝代わりともどもとても好き。ちょっと花もちが悪いのがなんではあるんだが四季咲き性抜群だし許してあげよう。とタカビーな物言い。ゴメンネ!

梅雨時の降雨は緑をとても鮮やかなものにして、木々がとても艶やかにして、生き生きと美しく見えたりするのですが、雑草も生き生きと大成長をとげるのでありました。
バラは、ぽちぽちと2番花があっちやこっちで咲き続けていますが、これが実にしょぼい、ミニバラみたいなのであります。どうも肥料が切れているのではないかなと思ったりしているのですが、施肥をするにも地植えの株は、完全に雑草に覆い尽くされ株元が見えなくなってしまっている状態で、これを取り除かないとまさに敵に塩をおくることとなるわけで、雑草を取り除くことが急務なのでありました。
かえりしなに、骨粉いりの油かす肥料と草木灰を買ってきました。例年通りなら自家調合でおもいっきり大量生産してストックしておくのですが、今年は忙しくもありいまだ作っていないのでとりあえずの間に合わせということで。
骨粉いりの油かす肥料はNPKが4・6・1なので、Kを強化するためにいつもつかっている草木灰を混ぜることにしました。化学肥料系でいくなら苦土石灰と言う選択肢もあるのですが、酸性土壌を好むバラとしてはちょっとどうかなとおもうところであります。
それと、もう一押しリン酸比率をたかめるために、毎度のお約束の溶性燐肥を混ぜ込んで使おうと思っています。
ここ2〜3日忙しかったのと、不安定な天候から毎日セイレーンの歌声のような雨が降り、ついついそれにあまえて水遣りを怠ってしまい、またやっちまいました水切れ!!!
天晴れな蕾をつけていたセントセシリアは呆れたように頭を下に垂れておりました。
幸い速攻で水につけセーフだったようではありますが、これから夏を越えるまでは水切れご用心なのであります。
ついこのあいだバーク堆肥でマルチングをしたのは水切れ対策だったのですが、どうもコイツが鉢の上を覆っていると乾いているのか、濡れているのかちょっと判別が微妙なのであります。とりあえずはこれで様子をみようと思っているのですが、去年より成長した株ではバーク堆肥のマルチでは役不足のようであれば、必殺水苔マルチいこうとおもってます。
ところで、おかげさまをもちまして、稚拙な当ブログのカウンターも8000を越えることができました。もっと豊かな知性と才能、経験があれば、いや、そのどれか一つでもあれば訪れてくださる方々にもっと豊かなものをお出しできるのですが、根っからの勉強嫌いのお気楽者でありますので、身の丈にみあったものしかお出しできません。
なれど、記事をあげる日も、サボって無しの礫の日も毎日毎日、当ブログへ訪れてくださる方々がおられることを何よりの喜びと、励みに思っております。心よりありがとうございますという気持ちでいっぱいでございます。なにぶん気分屋さんの小ブル自由主義者でございますので、すでに連続物を次々と頓挫させておりますが、それなりに気分がノリましたら書けますので、呆れず懲りず怒らずでぼちぼちお付き合い願えましたらと思っております。これからもよろしくお願いします。m(_ _)m
という感謝の気持ちを込めまして今日はバラを貼らしていただきます。ちょっとしょぼいけど。
ノアゼット系 ブラッシュノアゼット 相原産 これでもかぁっていうほど蕾が上がる。ほんとは摘蕾して株を育てたいのだけれどメンドクサイことこのうえなし、2年目の株。

名花オフェリア オフェリア香といって香りがとてもよいそうだ。「そうだ」というのはその香りゆえ開花まえにコガネムシの餌食となり咲くことはごくまれなのでした。(怒)

イングリッシュローズ アブラハムダービー こちらは地植え、フェンスにつる誘引したもの。ちょっと今年は花つきが悪い。たぶん肥料が不足と思う。

ハイブリッドティーのピース なかなかの大輪に咲いていて調子がいいようにみえるが、実は黒点病で葉が落ち、写真に写った本葉3枚しか残っていない。枯れないでねお願い!!

ハイブリッドティーのパスカリ ハイブリッドティーは開き始めのこれくらいが以外に心地よかったりするのだが、そう思う人はどれくらいいるだろうか??

イングリッシュローズ ウインチェスターキャセドラル うちでは数少ない白バラ。もうすこし白バラを増やしたい願望あり。ただいまあちこちブログを徘徊して物色中。

イングリッシュローズ メアリーローズ ERを世にしらしめた実力はトーマス君とならび本物。ほかの枝代わりともどもとても好き。ちょっと花もちが悪いのがなんではあるんだが四季咲き性抜群だし許してあげよう。とタカビーな物言い。ゴメンネ!

肩こり指数★★☆
近代戦の性格について
「我々はここで近代戦の性格を考察せねばならない、この性格がいかなるものであるかを明らかにすることは、戦争における一切の企図、取りわけ戦略的企図に大きな影響をあたえるからである。
旧時の戦争における常套手段は、ナポレオンの幸運と勇敢な行動とによって葬り去られ、ヨーロッパ第一流の諸国家にしてからが、彼の一撃のもとに破壊されたのである。またスペイン国民は、なるほど個々の軍事的行動においては幾多の弱点と手ぬかりとを免れ得ないかったにせよ、しかしその執拗な闘争において国民総武装と侵略者にたいする叛乱と言う手段とを用いれば、全体として絶大な能力を発揮しうることを実証した。
―略―
また第二は、被侵略国はたとえ会戦に敗れ、主要都市や地方の州県を失ったとしても、それと共に勝算をも失うものではない、(以前は、これらの物を失えば万事休すというのが、外交官にとって否定し難い原則であった。それだからかかる場合には、差し当たって不利な講和にも直ちに応じたのである)、もし敵の攻撃力が既に用い尽くされていれば、それまでに自国内で圧迫されていた軍は俄に勢いを盛り返し、絶大な力を揮って守勢から攻勢に移転しうる、ということである。
更にまた一八一三年にプロイセンは、危急にに際して国の総力を結集すれば、民兵によって軍の常時の兵力を六倍にも増大し得るし、そのうえこれらの民兵は国内のみならず国外の戦闘においても使用され得ることを証示した。すべてこれらの事例は国家の諸力、戦争遂行に必要な諸力および戦闘力を担うものは、実に国民の勇気と志操とにほかならぬことを余蘊(不足)なく示しているのである。そして諸国の政府にして、これらの方策がいかなるものであるかをすでに心得ているとすれば、国家の安危が脅かされるにせよ、あるいは強烈な名誉心に促されるにせよ、戦争においてかかる方策を使用せずにおくはずはない。」
(クラウゼヴィッツ「戦争論」より)
私は勉強嫌いのお気楽者で、嗚呼あこがれのドイツ、BMW、ライカ、モンブラン等々のすばらしい工業製品に象徴される合理性と知性に痺れてしまうのであるが、そんなドイツの知性は?と問われたら、一にマルクスの「資本論」、二に今回長々と引用したクラウゼヴィッツの「戦争論」をあげるだろう。他にも、ヘーゲルとかアインシュタインの名をあげる人もおられるかも知れないが、それは人それぞれの好みということでお許し願いたい。お気楽者の私にはそのどちらも全く理解が及ばずはなはだ宗教のごときものなのだ。
さて、枕はこれまでにして、なんで、こんな難解な引用を引いてきたかというと。
戦争は軍だけがするものであって、庶民には直接的には戦闘には関係ないと思っておられる方がおられるのでは、と言う思いからつらつらと書き始めたものなのである。
わけても、防衛大臣イッシーバーが、「ハイテク兵器を扱う現代の戦争に、庶民は足手まとい 」なる言説を吐き、徴兵制は無いから安心よ!というようなニュアンスを漂わせていることは実に不快極まりない思いである。
まあ、もっとも、いきなり防衛大臣が「徴兵制いきまっす!」なんて発言したら、年金問題どころのインパクトではなく、内閣が吹っ飛んでもおかしくないくらいの衝撃波が国会議事堂を貫き大炎上となろうことから、最後の最後の切り札として腹の奥底にしまってあるに違いないと思うが。
この冒頭の一文を書いたクラウゼヴィッツ大先生はその昔、今のドイツ、プロイセンで軍の参謀をしていたとき、ナポレオンの率いる軍に足腰立たないくらいボロ負けを喫し、「負け〜て悔しい♪花いちもんめ〜♪」の思いと祖国プロイセンの復興の一念で、ナポレオンの切り開いた近代戦争の地平を冷徹なる眼差しと、燃えるような熱い情熱をもって徹底的に、研究し尽くした人なのである。
そもそも大先生によれば、戦争というのは、有名な言葉であるが、「戦争は他の手段をもってする政治の継続」であり、政治という話し合いで決着がつかないので拳が飛び交うようなものであるが、拳の後ろにはいつでも政治的思惑が宿っているのである。それゆえに、「政治は目的をきめ、戦争はこれを達成する」ための手段であるといえる。そんな、戦争とは「敵の意志を屈服させることを目的とする武力行使である」といえる。と同時に「流血を厭うことなく武力を行使するものは必ず勝つ」「流血を厭う者は、それを厭わぬ者によって必ず征服される」という相互作用をもった呵責無き殲滅戦であると言い切ったのである。
この言葉は、ナポレオン以前の諸国間の戦争が、中世の騎士道の呪縛から自由でなく、戦争本来の本性に掛けられた軛をナポレオンは解き放ち、戦争がもつ無制限無制約のエネルギーを発揮せしめたのである。
そして、本題であるが、大先生によれば、ナポレオンは、いままで、常備軍同士の戦闘で蚊帳のそとにあった国民を、戦争に動員することがとてつもない力となることを発見したというのである。いわゆる国民戦争とよばれるものである。そんな、ナポレオンがスペインの侵略に際しては、スペイン国民という素人による総武装闘争である、ゲリラ戦にさんざん苦しめられたあげく一斉武装蜂起によって撤退を余儀なくされたという事実は、ナポレオンがオーストリアとの戦争に忙殺され、のちのモスクワ遠征の失敗が遠因にあったにせよ、国民の武装がもつ力を知っていた彼が、その力を過小評価していたことが何とも皮肉である。
さて、クラウゼヴィッツ大先生は、国民を戦争にかりだすことの圧倒的優位性をナポレオンにみてとったわけであるが、そのためには何が必要かということを考えた。そして、
「国家の諸力、戦争遂行に必要な諸力および戦闘力を担うものは、実に国民の勇気と志操とにほかならぬ」といったのである。早い話が、国民の「やる気」が大事だと言うことである。
今日的なところへ視点をうつしてみれば、政治的目的がさほど大きくない地域紛争レベルであれば、常備軍で事足りるかも知れない。だが、国家対国家、或いは国家群対国家群のような国家の存亡をかけた国益という大きな政治目的が貫徹されるなら、いかにハイテク兵器があろうと、敵戦闘力を無力化し、抵抗の意志をなきものにするには、莫大な地上制圧部隊が必要であり、それは、戦争における彼我の相互作用にも規定され、国民皆兵で戦争に臨む国には、常備軍だけでは決して勝つことはできず、国民皆兵で戦争に臨まねばならないのである。それは、勇ましくフセイン率いるイラク軍を一蹴した「有志連合」がいまなお、民衆の武装闘争によるレジスタンスに苦しめられていることに、常勝ナポレオンのスペイン侵略を重ね合わせることができる。死をも恐れず闘うイラク人民に「市民権」をちらつかせて貧乏人を前線におくっているアメリカに勝ちはない。
ところで、我が神の国ニッポンであるが、いままで書いてきた雑文など、防衛省のお偉いさんは熟知している。当然クラウゼヴィッツなど、我々庶民にははなはだ難解で生涯通じて、読む人はごくごく少数だろう。だが、彼ら戦争のプロにとっては絵本がごときシロモノである。「9条改憲はあっても徴兵制はない」などと武装解除してはならない!
「9条改憲は徴兵制への突破口である」。大先生が言うように、国民がやる気満々にならなくては徴兵制は登場しえない。だからこその、”日の丸君が代”であり、”愛国教育”なのだ。そして、そんな国民のやる気に水をさす者を一掃するための、反戦ビラ配りの”逮捕”であり”共謀罪”なのである。
9条改憲がなれば、庶民の人権を擁護する諸規定がタイトなものになるのにそう時間はいらないだろう。「公共の福祉」にとってかわり「国のために」我慢しましょう、ということになるだろ。それでは、戦前と同じジャン。
戦争をルール無用の「仁義なき戦い」にしたのはこの人

このおっさんがクラウゼヴィッツ大先生 顔がデカイ 目が暗い でも天才!

近代戦の性格について
「我々はここで近代戦の性格を考察せねばならない、この性格がいかなるものであるかを明らかにすることは、戦争における一切の企図、取りわけ戦略的企図に大きな影響をあたえるからである。
旧時の戦争における常套手段は、ナポレオンの幸運と勇敢な行動とによって葬り去られ、ヨーロッパ第一流の諸国家にしてからが、彼の一撃のもとに破壊されたのである。またスペイン国民は、なるほど個々の軍事的行動においては幾多の弱点と手ぬかりとを免れ得ないかったにせよ、しかしその執拗な闘争において国民総武装と侵略者にたいする叛乱と言う手段とを用いれば、全体として絶大な能力を発揮しうることを実証した。
―略―
また第二は、被侵略国はたとえ会戦に敗れ、主要都市や地方の州県を失ったとしても、それと共に勝算をも失うものではない、(以前は、これらの物を失えば万事休すというのが、外交官にとって否定し難い原則であった。それだからかかる場合には、差し当たって不利な講和にも直ちに応じたのである)、もし敵の攻撃力が既に用い尽くされていれば、それまでに自国内で圧迫されていた軍は俄に勢いを盛り返し、絶大な力を揮って守勢から攻勢に移転しうる、ということである。
更にまた一八一三年にプロイセンは、危急にに際して国の総力を結集すれば、民兵によって軍の常時の兵力を六倍にも増大し得るし、そのうえこれらの民兵は国内のみならず国外の戦闘においても使用され得ることを証示した。すべてこれらの事例は国家の諸力、戦争遂行に必要な諸力および戦闘力を担うものは、実に国民の勇気と志操とにほかならぬことを余蘊(不足)なく示しているのである。そして諸国の政府にして、これらの方策がいかなるものであるかをすでに心得ているとすれば、国家の安危が脅かされるにせよ、あるいは強烈な名誉心に促されるにせよ、戦争においてかかる方策を使用せずにおくはずはない。」
(クラウゼヴィッツ「戦争論」より)
私は勉強嫌いのお気楽者で、嗚呼あこがれのドイツ、BMW、ライカ、モンブラン等々のすばらしい工業製品に象徴される合理性と知性に痺れてしまうのであるが、そんなドイツの知性は?と問われたら、一にマルクスの「資本論」、二に今回長々と引用したクラウゼヴィッツの「戦争論」をあげるだろう。他にも、ヘーゲルとかアインシュタインの名をあげる人もおられるかも知れないが、それは人それぞれの好みということでお許し願いたい。お気楽者の私にはそのどちらも全く理解が及ばずはなはだ宗教のごときものなのだ。
さて、枕はこれまでにして、なんで、こんな難解な引用を引いてきたかというと。
戦争は軍だけがするものであって、庶民には直接的には戦闘には関係ないと思っておられる方がおられるのでは、と言う思いからつらつらと書き始めたものなのである。
わけても、防衛大臣イッシーバーが、「ハイテク兵器を扱う現代の戦争に、庶民は足手まとい 」なる言説を吐き、徴兵制は無いから安心よ!というようなニュアンスを漂わせていることは実に不快極まりない思いである。
まあ、もっとも、いきなり防衛大臣が「徴兵制いきまっす!」なんて発言したら、年金問題どころのインパクトではなく、内閣が吹っ飛んでもおかしくないくらいの衝撃波が国会議事堂を貫き大炎上となろうことから、最後の最後の切り札として腹の奥底にしまってあるに違いないと思うが。
この冒頭の一文を書いたクラウゼヴィッツ大先生はその昔、今のドイツ、プロイセンで軍の参謀をしていたとき、ナポレオンの率いる軍に足腰立たないくらいボロ負けを喫し、「負け〜て悔しい♪花いちもんめ〜♪」の思いと祖国プロイセンの復興の一念で、ナポレオンの切り開いた近代戦争の地平を冷徹なる眼差しと、燃えるような熱い情熱をもって徹底的に、研究し尽くした人なのである。
そもそも大先生によれば、戦争というのは、有名な言葉であるが、「戦争は他の手段をもってする政治の継続」であり、政治という話し合いで決着がつかないので拳が飛び交うようなものであるが、拳の後ろにはいつでも政治的思惑が宿っているのである。それゆえに、「政治は目的をきめ、戦争はこれを達成する」ための手段であるといえる。そんな、戦争とは「敵の意志を屈服させることを目的とする武力行使である」といえる。と同時に「流血を厭うことなく武力を行使するものは必ず勝つ」「流血を厭う者は、それを厭わぬ者によって必ず征服される」という相互作用をもった呵責無き殲滅戦であると言い切ったのである。
この言葉は、ナポレオン以前の諸国間の戦争が、中世の騎士道の呪縛から自由でなく、戦争本来の本性に掛けられた軛をナポレオンは解き放ち、戦争がもつ無制限無制約のエネルギーを発揮せしめたのである。
そして、本題であるが、大先生によれば、ナポレオンは、いままで、常備軍同士の戦闘で蚊帳のそとにあった国民を、戦争に動員することがとてつもない力となることを発見したというのである。いわゆる国民戦争とよばれるものである。そんな、ナポレオンがスペインの侵略に際しては、スペイン国民という素人による総武装闘争である、ゲリラ戦にさんざん苦しめられたあげく一斉武装蜂起によって撤退を余儀なくされたという事実は、ナポレオンがオーストリアとの戦争に忙殺され、のちのモスクワ遠征の失敗が遠因にあったにせよ、国民の武装がもつ力を知っていた彼が、その力を過小評価していたことが何とも皮肉である。
さて、クラウゼヴィッツ大先生は、国民を戦争にかりだすことの圧倒的優位性をナポレオンにみてとったわけであるが、そのためには何が必要かということを考えた。そして、
「国家の諸力、戦争遂行に必要な諸力および戦闘力を担うものは、実に国民の勇気と志操とにほかならぬ」といったのである。早い話が、国民の「やる気」が大事だと言うことである。
今日的なところへ視点をうつしてみれば、政治的目的がさほど大きくない地域紛争レベルであれば、常備軍で事足りるかも知れない。だが、国家対国家、或いは国家群対国家群のような国家の存亡をかけた国益という大きな政治目的が貫徹されるなら、いかにハイテク兵器があろうと、敵戦闘力を無力化し、抵抗の意志をなきものにするには、莫大な地上制圧部隊が必要であり、それは、戦争における彼我の相互作用にも規定され、国民皆兵で戦争に臨む国には、常備軍だけでは決して勝つことはできず、国民皆兵で戦争に臨まねばならないのである。それは、勇ましくフセイン率いるイラク軍を一蹴した「有志連合」がいまなお、民衆の武装闘争によるレジスタンスに苦しめられていることに、常勝ナポレオンのスペイン侵略を重ね合わせることができる。死をも恐れず闘うイラク人民に「市民権」をちらつかせて貧乏人を前線におくっているアメリカに勝ちはない。
ところで、我が神の国ニッポンであるが、いままで書いてきた雑文など、防衛省のお偉いさんは熟知している。当然クラウゼヴィッツなど、我々庶民にははなはだ難解で生涯通じて、読む人はごくごく少数だろう。だが、彼ら戦争のプロにとっては絵本がごときシロモノである。「9条改憲はあっても徴兵制はない」などと武装解除してはならない!
「9条改憲は徴兵制への突破口である」。大先生が言うように、国民がやる気満々にならなくては徴兵制は登場しえない。だからこその、”日の丸君が代”であり、”愛国教育”なのだ。そして、そんな国民のやる気に水をさす者を一掃するための、反戦ビラ配りの”逮捕”であり”共謀罪”なのである。
9条改憲がなれば、庶民の人権を擁護する諸規定がタイトなものになるのにそう時間はいらないだろう。「公共の福祉」にとってかわり「国のために」我慢しましょう、ということになるだろ。それでは、戦前と同じジャン。
戦争をルール無用の「仁義なき戦い」にしたのはこの人

このおっさんがクラウゼヴィッツ大先生 顔がデカイ 目が暗い でも天才!

昨日の夕方に天気が2〜3日安定していることを確認して、それならよぉ〜しとバラの消毒と予防をした。黒点病で完全に葉を落としてしまったものもあって、タイミングが悪かったと反省しきりなのだが、なかなかここ一番でできないものなのだ。
どうも、栽培の上手な方の意見によると、そうした管理はタイミングが大切らしい。
黒点病はいがいに厄介で、梅雨時に発生しても梅雨明けと同時に暑くても、からっとした天候が続くころになると自然と終息してきたのだが、一昨年あたりから本格的な冬の訪れまで蔓延し続けるようになった。
栽培品種が多くなりすぎた結果、密集して風通しが悪いのか、それに輪をかけて管理が行き届いていないということなのだろう。くわえて、一昨年からティー、ハイブリッドパーペチュアル、ポートランド、チャイナなどのオールドローズが増えてきたものの、いまひとつ強さも弱さもわかっていない、どうも、噂通りイングリッシュローズほど強いことはないようだ。これら日常的によく観察することが大切なのだろうが、日没してから水遣りをせねばならないことが多かったりすると、なかなかそうもいかないのが実情である。
達人栽培者はこまめに観察をし、データを蓄積してグッドタイミングで対処しているから、比較的人畜に優しい代替え農薬でも見事な花を沢山つけることができるのだろう。
いぜん書いたことだが、一昨年だったか、NHKの素敵にガーデニングライフで福岡在住の外科医の先生のバラ庭をとりあげていたが、そっりゃあすごいもんだった。毎日カルテに詳細なデータを書き込み、データベースとして我が庭固有のサイクルを完全に掌握しておられるのには驚いた。先生は虫の発生も、病気の出始めもしっかり掴んでおり、先制第一撃のカウンターフォース「戦略をもって、最小限の労力で大勝利であった。
さて、毎年ボジョレーヌーボーの解禁も我が国ニッポンでは近年さして話題にもならなくなったが、かの国おフランスではその広大なブドウ畑のボーダーにバラを植え、ブドウが病気になる危険を事前に察知するのだそうである。ブドウより弱いバラをボーダーに配置することによって、バラが病気になったら速攻で一斉武装消毒をするのだそうだ。
すんばらしい知恵に思わす土下座ものである。これもまた、たゆまぬ観察が生みだした知恵なのだろう。なにか我が庭にもジャストフィットするお手軽簡単な管理手法がきっとあるに違いない。などと思いつつ今日は草取りをはじめたのであるが、なかなか放置していたのでとんでもない状態になっていて気が遠くなりそうである。
昼から書き物と調べ物をしていて、夕刻にはまだちょっと時間がある4時頃はじめたのであるが、3時間ほど頑張ってみてもいくらもすすまない。明日はいっちょ朝から根性入れて草取りに励むことにしよう。天気が良ければの話だが。なんたって、地植えはすでに完全に雑草に覆われ、株元は全く見えない状態なのだから、グランドカバーとして見ればそれもありだが、いかんせん施肥ができないのは非常にまずい、おまけにはっきりとした理論的裏付けを聞いたことがないのだが、株元に日が当たらないとベーサルシュートがでないと言われていることもなんとも気がかりなことの一つなのだから。
ちょっと枕を書くつもりが長くなってしまいました。お約束のバラを貼っておきます。
一週間の賃労働お疲れ様でした。癒されて下さいませませ。
イングリッシュローズのクロッカスローズ 妙に白っぽい、もっと黄色いはずなのに、もしかしたら過肥かも。肥料が効きすぎると花が白くなるんだそうな。いい感じで咲いてはいるのだが。

ハークネスローズのバイアポイントメント 広島バラ園より通販で購入。うちの古株の一本。このナーサリーの「薔薇咲くところ平和あり のコピーはちょっと心地よかったりする。

イングリッシュローズのポート目リヨン 2番花にしてはけっこう大輪 よく反復開花するすぐれもの。
写真は相変わらずいまいち、実物はもっとすばらしい。

京成アンティックローズのレオナルドダビンチ 2番花、まずまずかな。花もちはたいへんによろしい。
地植えから今年鉢にあげたもの、まだ本調子じゃないようだけど。

イングリッシュローズのライラックローズ 文句なし、今日の一番。ちょっとピンクが強いようにおもう。もうちょっとライラックなのだけど、花の形、大きさ、は最高のいっぽんでありますた。

まだまだ続きまする、みなさまよい日曜日をお過ごしくださいませ。
どうも、栽培の上手な方の意見によると、そうした管理はタイミングが大切らしい。
黒点病はいがいに厄介で、梅雨時に発生しても梅雨明けと同時に暑くても、からっとした天候が続くころになると自然と終息してきたのだが、一昨年あたりから本格的な冬の訪れまで蔓延し続けるようになった。
栽培品種が多くなりすぎた結果、密集して風通しが悪いのか、それに輪をかけて管理が行き届いていないということなのだろう。くわえて、一昨年からティー、ハイブリッドパーペチュアル、ポートランド、チャイナなどのオールドローズが増えてきたものの、いまひとつ強さも弱さもわかっていない、どうも、噂通りイングリッシュローズほど強いことはないようだ。これら日常的によく観察することが大切なのだろうが、日没してから水遣りをせねばならないことが多かったりすると、なかなかそうもいかないのが実情である。
達人栽培者はこまめに観察をし、データを蓄積してグッドタイミングで対処しているから、比較的人畜に優しい代替え農薬でも見事な花を沢山つけることができるのだろう。
いぜん書いたことだが、一昨年だったか、NHKの素敵にガーデニングライフで福岡在住の外科医の先生のバラ庭をとりあげていたが、そっりゃあすごいもんだった。毎日カルテに詳細なデータを書き込み、データベースとして我が庭固有のサイクルを完全に掌握しておられるのには驚いた。先生は虫の発生も、病気の出始めもしっかり掴んでおり、先制第一撃のカウンターフォース「戦略をもって、最小限の労力で大勝利であった。
さて、毎年ボジョレーヌーボーの解禁も我が国ニッポンでは近年さして話題にもならなくなったが、かの国おフランスではその広大なブドウ畑のボーダーにバラを植え、ブドウが病気になる危険を事前に察知するのだそうである。ブドウより弱いバラをボーダーに配置することによって、バラが病気になったら速攻で一斉武装消毒をするのだそうだ。
すんばらしい知恵に思わす土下座ものである。これもまた、たゆまぬ観察が生みだした知恵なのだろう。なにか我が庭にもジャストフィットするお手軽簡単な管理手法がきっとあるに違いない。などと思いつつ今日は草取りをはじめたのであるが、なかなか放置していたのでとんでもない状態になっていて気が遠くなりそうである。
昼から書き物と調べ物をしていて、夕刻にはまだちょっと時間がある4時頃はじめたのであるが、3時間ほど頑張ってみてもいくらもすすまない。明日はいっちょ朝から根性入れて草取りに励むことにしよう。天気が良ければの話だが。なんたって、地植えはすでに完全に雑草に覆われ、株元は全く見えない状態なのだから、グランドカバーとして見ればそれもありだが、いかんせん施肥ができないのは非常にまずい、おまけにはっきりとした理論的裏付けを聞いたことがないのだが、株元に日が当たらないとベーサルシュートがでないと言われていることもなんとも気がかりなことの一つなのだから。
ちょっと枕を書くつもりが長くなってしまいました。お約束のバラを貼っておきます。
一週間の賃労働お疲れ様でした。癒されて下さいませませ。
イングリッシュローズのクロッカスローズ 妙に白っぽい、もっと黄色いはずなのに、もしかしたら過肥かも。肥料が効きすぎると花が白くなるんだそうな。いい感じで咲いてはいるのだが。

ハークネスローズのバイアポイントメント 広島バラ園より通販で購入。うちの古株の一本。このナーサリーの「薔薇咲くところ平和あり のコピーはちょっと心地よかったりする。

イングリッシュローズのポート目リヨン 2番花にしてはけっこう大輪 よく反復開花するすぐれもの。
写真は相変わらずいまいち、実物はもっとすばらしい。

京成アンティックローズのレオナルドダビンチ 2番花、まずまずかな。花もちはたいへんによろしい。
地植えから今年鉢にあげたもの、まだ本調子じゃないようだけど。

イングリッシュローズのライラックローズ 文句なし、今日の一番。ちょっとピンクが強いようにおもう。もうちょっとライラックなのだけど、花の形、大きさ、は最高のいっぽんでありますた。

まだまだ続きまする、みなさまよい日曜日をお過ごしくださいませ。
肩こり指数★★★★
ひさしぶりに、著作選より「暴力の復権のために」をまた小出しですが、あげさせていただきます。2007/12/16にあげたものの続きです。
先月の6月14日、大阪西成署による不当逮捕と暴行にたいしておこなわれた抗議闘争への断固たる支持と、法政大学当局による度重なる不当逮捕を弾劾する思いにかえて捧げます。おくればせながらですが・・・
現代社会の基底をなす、近代市民社会と、その上部構造としての政治的国家は、このような国家と法の関係を完成させたものといってよいのである。周知のように近代ブルジョア社会は、封建制社会の政治的解体、いいかえるならば、諸個人を身分的秩序から政治的に解放することをとおして実現したものであるが、それは、共同体の幻想的形態としての国家を完成した姿において形成させたのである。
すなわち、ここにあっては、諸個人は宗教、私有財産の相違にもかかわらず、法規的、身分的に隷属する従来の支配、被支配の構造にくらべ決定的な変化をしめしたのであった。だが、マルクスが「ユダヤ人問題について」のなかで皮肉まじりに批判しているように、近代革命は、精神的市民=国家公民という側面においてのみ人間を宗教、私有財産から解放したのであって、現実に生活している物質的市民という側面においてはいささかも宗教、私有財産から解放したわけではなく、それどころか、諸個人を商品=貨幣の物神的支配力のまえにわかちがたく結びつけてしまったのであった。
マルクス経済学の理解するところによれば、近代市民社会の物質的基礎過程をなす資本家的商品経済は、直接的生産者と客体的自然条件(土地と生産手段)の分離を前提に、労働力の商品化の矛盾の展開をとおして社会的総労働の比例的分配という経済原則を実現していくところに、その特殊歴史的な性格があるのである。いいかえるならば、資本制社会における支配階級による被支配階級への支配と搾取は、奴隷制社会や封建制社会のそれのように直接的な形態をとらず、蓄積された過去の労働としての資本家的私有財産(資本)による、生きた労働(その源泉としての労働力なる商品)の支配、という商品形態をもって媒介的におこなわれるのであり、資本家と労働者の敵対的な階級関係は、資本家の貨幣と労働者のうちなる労働力商品の自由平等な等価の交換という外見をとっておこなわれるのである。
したがってまた、政治的国家は、被支配階級としての労働者階級=人民大衆にたいして直接的な支配力として現象せずに、外敵ならびに内的=法秩序破壊者による私有財産制度の侵略から国民総体を防衛するという法的仮象を媒介として、資本家と労働者の敵対的な階級関係の資本家的再生産を維持する強制力として機能するのである。まさに、法的規範のもとにあっては、労働者の所有する生活手段としてのテレビや洗濯機も、資本家の所有する価値増殖の手段(資本)としての工場や機械も、私有財産として等しき意義をもつものなのであるが、市民社会の上部構造としての政治的国家は、国民の生命財産の安全を保障するという機能を基礎として、国家という虚偽の共同性を精神的に構築することをとおして、そのもとに労働者人民の現実的利害を抽象的に統一し、また、国家という虚偽の共同性にむかって労働者人民を精神的=政治的に組織することをとおして、労働者人民の現実的利害からますますはなれ、それと非和解的に対立する暴力をつくりだし、資本制的な搾取と抑圧を維持する機構として自己を完成していくのである。
なお、近代ブルジョア社会にあっては、暴力は、政治と軍事という分離した両側面をとおして現象するのであり、前者は内冶として、後者は外敵への対抗手段として機能的に分化しているのである。しかも、このような暴力の分極化は、政治、過程的には、独裁(本質)と政府(現象)との分離、政治的党派(実体)間の政争とおしてのその担い手の確定という経過と手続をとり、官僚・警察・軍隊など国家の諸実体をなす機構は、外見的には政治的党派間の政争には関与せず、その勝利者の意向のままに機能するかのような役割をはたすものとして現象するのである。
そのため、政党は非暴力的過程を、警察・軍隊は軍事的=暴力過程を担当する仮象が生じ、政治は、政府担当者を決定するための政治的党派間政争の自由な選択のうちに実現され、軍事(その実体的諸機関としての警察・軍隊)はその政治過程の外的条件を防衛するものとして問題化するかのように錯覚するのである。もちろんブルジョア政治の内在的論理としては、このような錯覚は、現実を反映したものであり、なんの不都合もないのであるが、しかし、階級支配という視点からこれを検討するならば、警察・軍隊の汎政党的な仮象は、政党と国家との階級的一致を前提としてはじめて成立するのであり、場合によっては、こうした階級的一致のうえでも支配階級の政治意志の分裂を基礎として暴力的衝突がおこることすらあるのである。
ともあれ、暴力の政治と軍事のブルジョア的分離とそれへの改良主義的幻想は、ブルジョア支配の危機の表現としての内乱においては、崩壊せざるをえなのであるが、プロレタリア政治は、この究極的事実から現実の過程にむかうのである。
したがって、労働者階級が、賃労働者としての自己を解放し、人間の全人類的生活の回復をかちとっていくためには、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化という資本主義の基本矛盾を解決し、生産と分配にかんする目的意識的な交通形態を建設し、その基礎のうえに人間性の全面的な開花をかちとっていくことが必要なのであることはいうまでもないのであるが、そのためには、まずもってプロレタリアートが資本家との闘争をとおして自己の喪失した暴力性をとりかえし、共同体の幻想的形態としての政治的国家を粉砕し、プロレタリアートの暴力を国家として完成させねばならないのである。
考えてみると奴隷制社会や封建制社会にあっては、対立的に表現された共同性としての暴力は、奴隷や農奴にたいする支配階級の武装として直接的に実現されたのであったが、資本制社会にあっては、プロレタリアート人民の国家=法規範を媒介とした精神的疎外を基礎として国家の武装は保障されているのであり、まさにこの点にブルジョア国家の強みも弱みも秘められているのである。それゆえ、プロレタリアートは資本家と労働者の敵対的な階級関係を転覆し、その矛盾を解決していくためには、ただたんにストライキ・工場占拠として自己の暴力性を部分的に示すだけでゃなく、それをもふくめて暴力性の全面的な発展をかちとっていくために、自己の疎外された労働の産物であり、また、自己に敵対する外的運命力として現象する現代文明とその法秩序にたいする物神崇拝を根底的にぶちこわしてしまう必要があるのである。それは、現代世界とその社会構造のもとにあっては修正されるどころかいっそう真理となるのである。
(本多延嘉著作選第二巻「暴力の復権のために」より引用)
ひさしぶりに、著作選より「暴力の復権のために」をまた小出しですが、あげさせていただきます。2007/12/16にあげたものの続きです。
先月の6月14日、大阪西成署による不当逮捕と暴行にたいしておこなわれた抗議闘争への断固たる支持と、法政大学当局による度重なる不当逮捕を弾劾する思いにかえて捧げます。おくればせながらですが・・・
現代社会の基底をなす、近代市民社会と、その上部構造としての政治的国家は、このような国家と法の関係を完成させたものといってよいのである。周知のように近代ブルジョア社会は、封建制社会の政治的解体、いいかえるならば、諸個人を身分的秩序から政治的に解放することをとおして実現したものであるが、それは、共同体の幻想的形態としての国家を完成した姿において形成させたのである。
すなわち、ここにあっては、諸個人は宗教、私有財産の相違にもかかわらず、法規的、身分的に隷属する従来の支配、被支配の構造にくらべ決定的な変化をしめしたのであった。だが、マルクスが「ユダヤ人問題について」のなかで皮肉まじりに批判しているように、近代革命は、精神的市民=国家公民という側面においてのみ人間を宗教、私有財産から解放したのであって、現実に生活している物質的市民という側面においてはいささかも宗教、私有財産から解放したわけではなく、それどころか、諸個人を商品=貨幣の物神的支配力のまえにわかちがたく結びつけてしまったのであった。
マルクス経済学の理解するところによれば、近代市民社会の物質的基礎過程をなす資本家的商品経済は、直接的生産者と客体的自然条件(土地と生産手段)の分離を前提に、労働力の商品化の矛盾の展開をとおして社会的総労働の比例的分配という経済原則を実現していくところに、その特殊歴史的な性格があるのである。いいかえるならば、資本制社会における支配階級による被支配階級への支配と搾取は、奴隷制社会や封建制社会のそれのように直接的な形態をとらず、蓄積された過去の労働としての資本家的私有財産(資本)による、生きた労働(その源泉としての労働力なる商品)の支配、という商品形態をもって媒介的におこなわれるのであり、資本家と労働者の敵対的な階級関係は、資本家の貨幣と労働者のうちなる労働力商品の自由平等な等価の交換という外見をとっておこなわれるのである。
したがってまた、政治的国家は、被支配階級としての労働者階級=人民大衆にたいして直接的な支配力として現象せずに、外敵ならびに内的=法秩序破壊者による私有財産制度の侵略から国民総体を防衛するという法的仮象を媒介として、資本家と労働者の敵対的な階級関係の資本家的再生産を維持する強制力として機能するのである。まさに、法的規範のもとにあっては、労働者の所有する生活手段としてのテレビや洗濯機も、資本家の所有する価値増殖の手段(資本)としての工場や機械も、私有財産として等しき意義をもつものなのであるが、市民社会の上部構造としての政治的国家は、国民の生命財産の安全を保障するという機能を基礎として、国家という虚偽の共同性を精神的に構築することをとおして、そのもとに労働者人民の現実的利害を抽象的に統一し、また、国家という虚偽の共同性にむかって労働者人民を精神的=政治的に組織することをとおして、労働者人民の現実的利害からますますはなれ、それと非和解的に対立する暴力をつくりだし、資本制的な搾取と抑圧を維持する機構として自己を完成していくのである。
なお、近代ブルジョア社会にあっては、暴力は、政治と軍事という分離した両側面をとおして現象するのであり、前者は内冶として、後者は外敵への対抗手段として機能的に分化しているのである。しかも、このような暴力の分極化は、政治、過程的には、独裁(本質)と政府(現象)との分離、政治的党派(実体)間の政争とおしてのその担い手の確定という経過と手続をとり、官僚・警察・軍隊など国家の諸実体をなす機構は、外見的には政治的党派間の政争には関与せず、その勝利者の意向のままに機能するかのような役割をはたすものとして現象するのである。
そのため、政党は非暴力的過程を、警察・軍隊は軍事的=暴力過程を担当する仮象が生じ、政治は、政府担当者を決定するための政治的党派間政争の自由な選択のうちに実現され、軍事(その実体的諸機関としての警察・軍隊)はその政治過程の外的条件を防衛するものとして問題化するかのように錯覚するのである。もちろんブルジョア政治の内在的論理としては、このような錯覚は、現実を反映したものであり、なんの不都合もないのであるが、しかし、階級支配という視点からこれを検討するならば、警察・軍隊の汎政党的な仮象は、政党と国家との階級的一致を前提としてはじめて成立するのであり、場合によっては、こうした階級的一致のうえでも支配階級の政治意志の分裂を基礎として暴力的衝突がおこることすらあるのである。
ともあれ、暴力の政治と軍事のブルジョア的分離とそれへの改良主義的幻想は、ブルジョア支配の危機の表現としての内乱においては、崩壊せざるをえなのであるが、プロレタリア政治は、この究極的事実から現実の過程にむかうのである。
したがって、労働者階級が、賃労働者としての自己を解放し、人間の全人類的生活の回復をかちとっていくためには、生産手段の資本家的所有=労働力の商品化という資本主義の基本矛盾を解決し、生産と分配にかんする目的意識的な交通形態を建設し、その基礎のうえに人間性の全面的な開花をかちとっていくことが必要なのであることはいうまでもないのであるが、そのためには、まずもってプロレタリアートが資本家との闘争をとおして自己の喪失した暴力性をとりかえし、共同体の幻想的形態としての政治的国家を粉砕し、プロレタリアートの暴力を国家として完成させねばならないのである。
考えてみると奴隷制社会や封建制社会にあっては、対立的に表現された共同性としての暴力は、奴隷や農奴にたいする支配階級の武装として直接的に実現されたのであったが、資本制社会にあっては、プロレタリアート人民の国家=法規範を媒介とした精神的疎外を基礎として国家の武装は保障されているのであり、まさにこの点にブルジョア国家の強みも弱みも秘められているのである。それゆえ、プロレタリアートは資本家と労働者の敵対的な階級関係を転覆し、その矛盾を解決していくためには、ただたんにストライキ・工場占拠として自己の暴力性を部分的に示すだけでゃなく、それをもふくめて暴力性の全面的な発展をかちとっていくために、自己の疎外された労働の産物であり、また、自己に敵対する外的運命力として現象する現代文明とその法秩序にたいする物神崇拝を根底的にぶちこわしてしまう必要があるのである。それは、現代世界とその社会構造のもとにあっては修正されるどころかいっそう真理となるのである。
(本多延嘉著作選第二巻「暴力の復権のために」より引用)
うわぁあ! あっちっちぃ、という火が、じゃなくて日が続いている。梅雨明け宣言がでたわけではないので、夏だぁ!というのは勇み足かもかもしれないけれど。もしも、これで梅雨明けとあいなるのであれば、私の記憶にあるかぎり最速の梅雨明けかも知れない。
まあ、お天気のことは専門ではないので、当然、調べればもっと早い年もあるのかもしれないけれど、20年くらいさかのぼって記憶をたどっても7月上旬で梅雨明けというのは記憶にない。
昨日、一昨日とアウトドアでのお仕事だったのだ。しかも、日陰など一切ない炎天下で。ここのところディスクワークがつづいていて、なおかつ急に暑くなったのに体が慣れていないから、思いっきり体にこたえますた。
本当は、世間一般では七夕とよばれる7月7日は私たちにとって特別な意味合いをもった日なので、そのことで記事を上げたいと思いながら、あれやこれやらと頭の中で原稿の下書きなぞ思いをめぐらせていたのも午前中までのこと、午後から照りつける太陽の強烈な日差しに頭は焼き尽くされ、思いは灰となってしまいました。なんてことはありまへん。
とはいえ、ラブリーな猫6匹が待つ家に無事辿り着いたら、さすがにお約束の水遣りをして、PCの起動をするのがやっとこさ、気力をふりしぼってコメント返しをしたら、意識が遠のきはじめたのでそのままPC起動しっぱなし、夕食もノーサンキューで夢のなかへと突入したのでありました。
いよいよ、夏らしくなってきたところで、今日は園芸いきます。夕方みたら、例のワイルドカードな一鉢とちがうもう一鉢の挿し木が水切れをおこしていて、シオシオになっておりました。速攻で水につけたのですが、ようやく出てきた新芽はダメっぽい。たぶん昨日疲れていたので、コイツに水遣りするのを忘れたようであります。がっかりであります。
イングリッシュローズのL.D.ブレスウェイト なぜか春先不調で一輪しか咲かなかった。ようやく調子が出てきた模様。それにしても下手な写真。実物はもっと鮮やかな赤。

ティーローズのアンナオリビエ これも春先不調で、全て蕾を摘蕾した。枯れるのかと冷やっとした。

イングリッシュローズのウィリアムシェークスピア2000 絶好調、一番花とくらべても遜色なし。春よりいいかもしれない。病気もなし。

イングリッシュローズのアンブリッジローズ これも絶好調、一番花は写真をとる前にローザに切られてしまった。2番花も全然しょぼくない。しかもシュート君2本成長中。文句の付け所がない。

ブルボンローズのスブニール・ドラ・マルメゾン 前回のものよりよい。これぞクオーターロゼット咲き。
まさにびゅーてぃほぉ。撮影者の腕はいまいち。

ポリアンサのザ・フェアリー やったら花持ちがよいもう2週間くらいこんな感じ。おまえは造花か?
ちゃんと咲きがらがあるって。はやく切ってちょーだい。

ポートランド系のジャックカルティエ 某ホームセンターで衝動買い。4年目の株、地植え。こいつツル性のようだ。ジャックはその種の枝変わりがあるらしいが、花首がチョット長め。疑惑の一株。

ポートランド系のジャックカルティエ その2 こちらは信頼のおけるナーサリーから購入鉢植え3年目
コガネムシの食害で瀕死の重傷を負うも無事生還の経験あり。花首が短く房咲きをするので、真ん中の花はちょっと窮屈そうな感じ。

おまけ 家に帰り着くと玄関で、うりが熔けていた。

洗面所では、ななが熔けていた。

まあ、お天気のことは専門ではないので、当然、調べればもっと早い年もあるのかもしれないけれど、20年くらいさかのぼって記憶をたどっても7月上旬で梅雨明けというのは記憶にない。
昨日、一昨日とアウトドアでのお仕事だったのだ。しかも、日陰など一切ない炎天下で。ここのところディスクワークがつづいていて、なおかつ急に暑くなったのに体が慣れていないから、思いっきり体にこたえますた。
本当は、世間一般では七夕とよばれる7月7日は私たちにとって特別な意味合いをもった日なので、そのことで記事を上げたいと思いながら、あれやこれやらと頭の中で原稿の下書きなぞ思いをめぐらせていたのも午前中までのこと、午後から照りつける太陽の強烈な日差しに頭は焼き尽くされ、思いは灰となってしまいました。なんてことはありまへん。
とはいえ、ラブリーな猫6匹が待つ家に無事辿り着いたら、さすがにお約束の水遣りをして、PCの起動をするのがやっとこさ、気力をふりしぼってコメント返しをしたら、意識が遠のきはじめたのでそのままPC起動しっぱなし、夕食もノーサンキューで夢のなかへと突入したのでありました。
いよいよ、夏らしくなってきたところで、今日は園芸いきます。夕方みたら、例のワイルドカードな一鉢とちがうもう一鉢の挿し木が水切れをおこしていて、シオシオになっておりました。速攻で水につけたのですが、ようやく出てきた新芽はダメっぽい。たぶん昨日疲れていたので、コイツに水遣りするのを忘れたようであります。がっかりであります。
イングリッシュローズのL.D.ブレスウェイト なぜか春先不調で一輪しか咲かなかった。ようやく調子が出てきた模様。それにしても下手な写真。実物はもっと鮮やかな赤。

ティーローズのアンナオリビエ これも春先不調で、全て蕾を摘蕾した。枯れるのかと冷やっとした。

イングリッシュローズのウィリアムシェークスピア2000 絶好調、一番花とくらべても遜色なし。春よりいいかもしれない。病気もなし。

イングリッシュローズのアンブリッジローズ これも絶好調、一番花は写真をとる前にローザに切られてしまった。2番花も全然しょぼくない。しかもシュート君2本成長中。文句の付け所がない。

ブルボンローズのスブニール・ドラ・マルメゾン 前回のものよりよい。これぞクオーターロゼット咲き。
まさにびゅーてぃほぉ。撮影者の腕はいまいち。

ポリアンサのザ・フェアリー やったら花持ちがよいもう2週間くらいこんな感じ。おまえは造花か?
ちゃんと咲きがらがあるって。はやく切ってちょーだい。

ポートランド系のジャックカルティエ 某ホームセンターで衝動買い。4年目の株、地植え。こいつツル性のようだ。ジャックはその種の枝変わりがあるらしいが、花首がチョット長め。疑惑の一株。

ポートランド系のジャックカルティエ その2 こちらは信頼のおけるナーサリーから購入鉢植え3年目
コガネムシの食害で瀕死の重傷を負うも無事生還の経験あり。花首が短く房咲きをするので、真ん中の花はちょっと窮屈そうな感じ。

おまけ 家に帰り着くと玄関で、うりが熔けていた。

洗面所では、ななが熔けていた。

肩こり指数 ★★☆
いわゆるレジスタンスは、四〇年六月のナチス・ドイツのフランス占領とともに始まるとされているが、レジスタンスの本当の開始は四一年八月二十一日の共産党員フェビアンがパリの地下鉄で一ナチス将校を射殺したことをもってであるということを銘記しなければならない。彼の目的は「みずから模範を示すことによって尻ごみしている同志達をはげますこと」にあった。
ナチス・ドイツはこれにたいし、百名を人質にし、そのうち五十名を銃殺すると通告し、六名の党員に死刑を要求した。その後、テロリズムのたびに、その報復として多数の人質が虐殺された。 にもかかわらず、こうした襲撃は続発し、とくに十月の三都市で同時に遂行されたナチスにたいする襲撃は、情勢を決定的に促進した。こうしてレジスタンスは「敵をして領土のいたる所に散開させることを余儀なくさせ、同時にすべての地方に武装闘争を燃え上がらせる」という目的を達成した。報復として銃殺された人質は、四一年九月からフランス「解放」までに二万九千六百六十人に達したとされている。
(「内戦論」フランス人民戦線の敗北とレジスタンスの血の教訓 より引用)
集合ポストへ議会報告を投函した共産市議が住居侵入容疑で逮捕、書類送検されたことに関する記事を書いておられるブログがたくさんあって、左右はもとより様々な意見を拝見させていただいた。いわゆる「世間の常識」であるとか、言論の自由、知る権利などなどの法的解釈をめぐっての意見とか、終わりなき議論がたたかわされていた。
現実的な問題として、ビラ配りも、ポスティングも、いままで逮捕されることなくやってこれたのは、それを容認する「世の常識」があったということだ。逆にいえば、ビラ配りもポスティングも戦前の治安維持法のもと厳しい弾圧を受ける困難な時代をへて、敗戦後、民衆の意志を表現する数少ない有効な手段の一つとして大切にそして、粘り強く連綿となされてきたからこそ「世の常識」となりえていたのだと思う。
革命的左翼勢力の衰退とシンクロするように訪れた「不均等発展の法則」のあだ花にして、うたかたの夢にすぎないバブル好景気は民衆の政治意識を地の底まで引き下げ、一枚のビラが結ぶ、訴えかける者と、聞き耳をたてる者とを遠く隔てた。その後のバブルの崩壊という未曾有の危機になされた既成「左翼」への政権交代には、なんらその危機に対応することができぬまま崩壊した。
民衆のやり場のない怒りと閉塞感にマスコミの動員を梃子にすくい上げ、ボナパルト的強権政治をもって突破したコイズミとそれにつづいたアベは戦後史を画するほど大きく右へと梶をきった。「国際競争力」であるとか、「国益」であるとか、「自由な労働形態」などの大儀名文のもとで、庶民の多くの諸権利が奪われた。そのことは、いま非正規雇用や高齢者医療制度、年金問題などなど様々な形で矛盾が噴出している。
90年代初頭にはじまるバブルの崩壊からはやいもので18年近い歳月が流れた。この18年のあいだの変化は凄まじいものだった。私はこんな時代になると言われてはいたが本当になるとはおもわなかった。激動期への突入である。
マスメディアを持たない庶民にとってビラはいまでも人と人を結ぶ強力な武器だと私は思う。もちろん庶民の気持ちをつかめるような内容がなくてはならないことは言うまでもないが。
不要なゴミのような粗末な扱いをしているというコメントも幾つかみることができた。他にメルマガのような形態にかえたらいいんじゃないかという意見もあった。
だが、時代が大きく変化してゆくときにあって、いまそのように思える状況が永遠なる「社会の常識」たりえるだろうか。70年安保闘争の頃、庶民は我先に奪い合うようにしてビラを取っていったそうである。もうあんな時代はないとだれが言い切れよう。いま世に不平不満不安はいくらでも積もり積もっているではないか。
そこへ火を投じるものは、優れた内容をもったビラであり、読んでいただきたいという心の伝わる配り手の誠意ではなかろうか。とてつもない労力を惜しまないローテクでハイテクを凌ぐのが庶民の闘いのグローバルスタンダードだ。
ビラ配りに対する逮捕と言う事態は、それによって大きな萎縮効果を生みだすことが大きな狙いだと思っている。ビラ配りへの逮捕有罪はすでに最高裁がお墨付きをあたえたことも大きなはずみとなっているようにおもう。ポスティングなどは基本的に遵法配布でいくのは、私がビラ配りに精を出していた時代でも心がけていた。いらないという人に無理強いをすることも得策ではない。合法的な余地がいまはまだあるのだからその地平を後退させぬよう闘ってゆかねばならないだろう。とはいえ、最高裁の判断を突破口として、ビラを配る自由がどんどんと逮捕をもって奪われてゆくのであれば、それを無効ならしめる闘いは、逮捕という恫喝に屈せず、ありとあらゆる創意工夫をもってビラを配り続ける行為のみがそれをなしうるものである。ナチス一名につき五〇名の報復的処刑に屈することなく、さらなる怒りの炎を燃やし闘いにつきすすんだレジスタンスは抑圧に抗する者の普遍的あり方を今に伝えるものだと思う。
時代はそんな方向へと急速に向かいつつあると思うものである。美の女神ベヌースが極楽浄土のような天上界で産声をあげたのに比して、自由の女神は地獄絵図のような累々たる屍をふみこえて民衆を自由へと導いたことを忘れてはならない。

いわゆるレジスタンスは、四〇年六月のナチス・ドイツのフランス占領とともに始まるとされているが、レジスタンスの本当の開始は四一年八月二十一日の共産党員フェビアンがパリの地下鉄で一ナチス将校を射殺したことをもってであるということを銘記しなければならない。彼の目的は「みずから模範を示すことによって尻ごみしている同志達をはげますこと」にあった。
ナチス・ドイツはこれにたいし、百名を人質にし、そのうち五十名を銃殺すると通告し、六名の党員に死刑を要求した。その後、テロリズムのたびに、その報復として多数の人質が虐殺された。 にもかかわらず、こうした襲撃は続発し、とくに十月の三都市で同時に遂行されたナチスにたいする襲撃は、情勢を決定的に促進した。こうしてレジスタンスは「敵をして領土のいたる所に散開させることを余儀なくさせ、同時にすべての地方に武装闘争を燃え上がらせる」という目的を達成した。報復として銃殺された人質は、四一年九月からフランス「解放」までに二万九千六百六十人に達したとされている。
(「内戦論」フランス人民戦線の敗北とレジスタンスの血の教訓 より引用)
集合ポストへ議会報告を投函した共産市議が住居侵入容疑で逮捕、書類送検されたことに関する記事を書いておられるブログがたくさんあって、左右はもとより様々な意見を拝見させていただいた。いわゆる「世間の常識」であるとか、言論の自由、知る権利などなどの法的解釈をめぐっての意見とか、終わりなき議論がたたかわされていた。
現実的な問題として、ビラ配りも、ポスティングも、いままで逮捕されることなくやってこれたのは、それを容認する「世の常識」があったということだ。逆にいえば、ビラ配りもポスティングも戦前の治安維持法のもと厳しい弾圧を受ける困難な時代をへて、敗戦後、民衆の意志を表現する数少ない有効な手段の一つとして大切にそして、粘り強く連綿となされてきたからこそ「世の常識」となりえていたのだと思う。
革命的左翼勢力の衰退とシンクロするように訪れた「不均等発展の法則」のあだ花にして、うたかたの夢にすぎないバブル好景気は民衆の政治意識を地の底まで引き下げ、一枚のビラが結ぶ、訴えかける者と、聞き耳をたてる者とを遠く隔てた。その後のバブルの崩壊という未曾有の危機になされた既成「左翼」への政権交代には、なんらその危機に対応することができぬまま崩壊した。
民衆のやり場のない怒りと閉塞感にマスコミの動員を梃子にすくい上げ、ボナパルト的強権政治をもって突破したコイズミとそれにつづいたアベは戦後史を画するほど大きく右へと梶をきった。「国際競争力」であるとか、「国益」であるとか、「自由な労働形態」などの大儀名文のもとで、庶民の多くの諸権利が奪われた。そのことは、いま非正規雇用や高齢者医療制度、年金問題などなど様々な形で矛盾が噴出している。
90年代初頭にはじまるバブルの崩壊からはやいもので18年近い歳月が流れた。この18年のあいだの変化は凄まじいものだった。私はこんな時代になると言われてはいたが本当になるとはおもわなかった。激動期への突入である。
マスメディアを持たない庶民にとってビラはいまでも人と人を結ぶ強力な武器だと私は思う。もちろん庶民の気持ちをつかめるような内容がなくてはならないことは言うまでもないが。
不要なゴミのような粗末な扱いをしているというコメントも幾つかみることができた。他にメルマガのような形態にかえたらいいんじゃないかという意見もあった。
だが、時代が大きく変化してゆくときにあって、いまそのように思える状況が永遠なる「社会の常識」たりえるだろうか。70年安保闘争の頃、庶民は我先に奪い合うようにしてビラを取っていったそうである。もうあんな時代はないとだれが言い切れよう。いま世に不平不満不安はいくらでも積もり積もっているではないか。
そこへ火を投じるものは、優れた内容をもったビラであり、読んでいただきたいという心の伝わる配り手の誠意ではなかろうか。とてつもない労力を惜しまないローテクでハイテクを凌ぐのが庶民の闘いのグローバルスタンダードだ。
ビラ配りに対する逮捕と言う事態は、それによって大きな萎縮効果を生みだすことが大きな狙いだと思っている。ビラ配りへの逮捕有罪はすでに最高裁がお墨付きをあたえたことも大きなはずみとなっているようにおもう。ポスティングなどは基本的に遵法配布でいくのは、私がビラ配りに精を出していた時代でも心がけていた。いらないという人に無理強いをすることも得策ではない。合法的な余地がいまはまだあるのだからその地平を後退させぬよう闘ってゆかねばならないだろう。とはいえ、最高裁の判断を突破口として、ビラを配る自由がどんどんと逮捕をもって奪われてゆくのであれば、それを無効ならしめる闘いは、逮捕という恫喝に屈せず、ありとあらゆる創意工夫をもってビラを配り続ける行為のみがそれをなしうるものである。ナチス一名につき五〇名の報復的処刑に屈することなく、さらなる怒りの炎を燃やし闘いにつきすすんだレジスタンスは抑圧に抗する者の普遍的あり方を今に伝えるものだと思う。
時代はそんな方向へと急速に向かいつつあると思うものである。美の女神ベヌースが極楽浄土のような天上界で産声をあげたのに比して、自由の女神は地獄絵図のような累々たる屍をふみこえて民衆を自由へと導いたことを忘れてはならない。

今日はひさびさの梅雨の中休みか、朝からおもいっきり快晴の青空。
それはそれでいいのだけれど、とにかく蒸し暑い。午前中は打ち合わせに出かけ、午後からひたすら書類何ぞをつくっていると突然、PCからハードディスクのアラートが点滅、
ウエスタンデジタルのハードディスク監視用フリーソフトを常駐させているのだが、筐体内蔵の3枚のハードディスクの温度が50℃をこえた。新記録である。
新記録だなんて、オリンピックじゃないのだから喜ぶようなことではない。大急ぎで外付けのハードディスクにデーターをセーブし、筐体の蓋を開ける。むわぁあとするような熱気がのぞき込んだ頬に伝わってくる。たくさんとりつけてある冷却ファンはどれも正常に回っているので、とりあえず掃除機ですみずみまで丹念にホコリを吸い取る。
どうも、筐体前面のエア・インテークのメッシュが猫毛やホコリで詰まっていたようだ。蓋を閉じて筐体をデフォのポジションに据えて起動。ハードディスクの温度は45℃で安定していた。まずは一安心、毎年夏になるとどこかしらトラブルがでるPCなのだが、やはりハードディスクの障害が一番多い気がする。私の仕事部屋にはクーラーがないのだ。毎年儲かったら買おうと思いつつ秋になってしまう。
お仕事は4時に仕上がったので、意を決してお庭の予防と消毒をすることにした。久方振りの登場である。例の強力な武装せる園芸家の武器 フランジャーポンプ式電動噴霧器
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-110.html
今回の調合は、おもいっきり蔓延した黒点病とうどん粉病、爆発的大発生のバラゾウムシそうLadybirdさまからご指摘いただいた クロケシツブチョッキリとドウガネブイブイとチュウレンバチを殲滅一掃すべく、マンゼブダイセンとトリフミン、スミチオンに展着剤アビオンEを使用することにした。噴霧器は始動すると仕事は早いのだがセッティングと片付けは少々面倒だ。今回は少々入念に散布をしたせいもあって、終わったのは6時をゆうにまわっていた。薬剤の使用量は50L。
病気が蔓延し虫の発生密度がたかくなっていると、これだけの量を撒かなければならない。ならば、もっとこまめな管理をこころがけたほうがいいのだろうが、梅雨時はなかなかそうもいかない、雨がふってはなすすべはないのだから。
てなわけで、ここしばらくの懸案事項であった予防消毒は無事終わりましたとさ。
あ〜〜ぁ、あとは気が遠くなるような雑草との激しい闘いがまっている。自慢だった芝はかつてないほどみごとに雑草に覆い尽くされ、気絶しそうであったとさぁあ。
能書きはこれまでにして、ちょっとしょぼいですが初夏の2番花を貼っておきます。癒されませう。
イングリッシュローズのトラディスカント あまり強健でないと聞き軒下で栽培もう4年

ハイブリット パーペチュアルのチャンピオン・オフ・ザワールド 凄いネーミングにびっくり、でも強健で花付き抜群、チャイナ系のように摘蕾して調整が必要なくらい

つるバラのバタースコッチ ローザが私に問う この花は石膏でできているの? うんなわけないじゃん!

ハークネスローズのピンクアバンダンス ハークネスのバラはサイボーグのように強いが、これは特別に強い。

イングリッシュローズのモリニュー 散り際でちょっと白っぽいかな。もうすこし美味しそうな黄色をしているのだが。

ブルボンローズのクロンプリンツェッシン ヴィクトリア ドラ・マルメゾンの枝変わり 一番花はポールって全滅、悔しい思いをした。これもちょっと実力でてない。

ブルボンローズのスブニール・ドラ・マルメゾン はっきり言ってこよなく愛してます。これも一番花は巨大な蕾のまま全てポール。やはり実力が十分にでていない2番花。残念

何の脈絡もなく突然友禅菊 今年で3年目(たぶん)の鉢植え

れいのワイルドカードな一鉢。シュート君どんどん成長中。葉を展開し始めている。

最後はきわめつけの一枚 コンテ・ド・シャンボールをたべまくるコガネムシのドウガネブイブイ
一組はエッチ現在進行形(怒)。 愛し合うふたりはもういない・・・合掌

不定期 夏3へ続く
それはそれでいいのだけれど、とにかく蒸し暑い。午前中は打ち合わせに出かけ、午後からひたすら書類何ぞをつくっていると突然、PCからハードディスクのアラートが点滅、
ウエスタンデジタルのハードディスク監視用フリーソフトを常駐させているのだが、筐体内蔵の3枚のハードディスクの温度が50℃をこえた。新記録である。
新記録だなんて、オリンピックじゃないのだから喜ぶようなことではない。大急ぎで外付けのハードディスクにデーターをセーブし、筐体の蓋を開ける。むわぁあとするような熱気がのぞき込んだ頬に伝わってくる。たくさんとりつけてある冷却ファンはどれも正常に回っているので、とりあえず掃除機ですみずみまで丹念にホコリを吸い取る。
どうも、筐体前面のエア・インテークのメッシュが猫毛やホコリで詰まっていたようだ。蓋を閉じて筐体をデフォのポジションに据えて起動。ハードディスクの温度は45℃で安定していた。まずは一安心、毎年夏になるとどこかしらトラブルがでるPCなのだが、やはりハードディスクの障害が一番多い気がする。私の仕事部屋にはクーラーがないのだ。毎年儲かったら買おうと思いつつ秋になってしまう。
お仕事は4時に仕上がったので、意を決してお庭の予防と消毒をすることにした。久方振りの登場である。例の強力な武装せる園芸家の武器 フランジャーポンプ式電動噴霧器
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-110.html
今回の調合は、おもいっきり蔓延した黒点病とうどん粉病、爆発的大発生のバラゾウムシそうLadybirdさまからご指摘いただいた クロケシツブチョッキリとドウガネブイブイとチュウレンバチを殲滅一掃すべく、マンゼブダイセンとトリフミン、スミチオンに展着剤アビオンEを使用することにした。噴霧器は始動すると仕事は早いのだがセッティングと片付けは少々面倒だ。今回は少々入念に散布をしたせいもあって、終わったのは6時をゆうにまわっていた。薬剤の使用量は50L。
病気が蔓延し虫の発生密度がたかくなっていると、これだけの量を撒かなければならない。ならば、もっとこまめな管理をこころがけたほうがいいのだろうが、梅雨時はなかなかそうもいかない、雨がふってはなすすべはないのだから。
てなわけで、ここしばらくの懸案事項であった予防消毒は無事終わりましたとさ。
あ〜〜ぁ、あとは気が遠くなるような雑草との激しい闘いがまっている。自慢だった芝はかつてないほどみごとに雑草に覆い尽くされ、気絶しそうであったとさぁあ。
能書きはこれまでにして、ちょっとしょぼいですが初夏の2番花を貼っておきます。癒されませう。
イングリッシュローズのトラディスカント あまり強健でないと聞き軒下で栽培もう4年

ハイブリット パーペチュアルのチャンピオン・オフ・ザワールド 凄いネーミングにびっくり、でも強健で花付き抜群、チャイナ系のように摘蕾して調整が必要なくらい

つるバラのバタースコッチ ローザが私に問う この花は石膏でできているの? うんなわけないじゃん!

ハークネスローズのピンクアバンダンス ハークネスのバラはサイボーグのように強いが、これは特別に強い。

イングリッシュローズのモリニュー 散り際でちょっと白っぽいかな。もうすこし美味しそうな黄色をしているのだが。

ブルボンローズのクロンプリンツェッシン ヴィクトリア ドラ・マルメゾンの枝変わり 一番花はポールって全滅、悔しい思いをした。これもちょっと実力でてない。

ブルボンローズのスブニール・ドラ・マルメゾン はっきり言ってこよなく愛してます。これも一番花は巨大な蕾のまま全てポール。やはり実力が十分にでていない2番花。残念

何の脈絡もなく突然友禅菊 今年で3年目(たぶん)の鉢植え

れいのワイルドカードな一鉢。シュート君どんどん成長中。葉を展開し始めている。

最後はきわめつけの一枚 コンテ・ド・シャンボールをたべまくるコガネムシのドウガネブイブイ
一組はエッチ現在進行形(怒)。 愛し合うふたりはもういない・・・合掌

不定期 夏3へ続く
占拠なんていうと、その筋の方々はちょっと熱い思いが湧いてきたりなんかして。
バリストとか、工場占拠とか・・・ でも賢明なる読者さまは直感的におわかりのこととおもいますが、全く関係ございません。ちょっと釣りっぽいタイトルをつけてしまいました。
ここのところ、ちょっと困っている。何がと言うと、たわいもないことなのだけどこれ

そう、猫さんが机の上を占拠してしまうのである。仕事がたいへんやりずらい。
クシャミをして本に鼻水を飛ばす。本や書類をカジカジ、バリバリして破く、じゃれて引っ掻くなどなど、いたずらっ子に困ってしまう。

武装せる園芸家は、コイズミ「改革」の「天晴れ」なまでの衝撃波をもろにうけ、生き残りのために全くことなったお仕事を三種類している。いわゆる、一人多角経営、兼業である。
それでもお仕事の依頼がないときは、どうあがいてもないので致し方ないのであるが、それ以上に、異業種で依頼が重なったときがたいへんにしんどい。ほぼまちがいなく無理だと思える場合は、平身低頭でお断りするのであるが、なんとかなりそうだと直感的に判断した場合は冷や汗たらたらでこなさねばならないことが多い。

幸いIT技術の進展で、資料はネットでググれるものもあり、amazonnでの一発注文も実にお手軽、少々お値段は張りまくるが、支援ソフトも活用しつつ、ぼちぼちとやっている。

のだけど、ただでさえ手狭な机の上を猫2匹、場合によっては3匹、MAXで4匹のった日はど〜にもなりまへんでぇ、なのである。
とはいえ、無下に机から引きずり下ろすのも可愛そうなので、2匹までは原則辛抱することにしてるのでありました。今日はたわいもない猫のお話、お粗末様でございました。

おいおい、みこ、おもくないのかい?

あしもとに目をやると、こう 元気そうで一安心。机にのってはなりませんよ。

のんの おまえもかぁ!いたって元気元気、片眼が涙目だけど気にしない気にしない。

バリストとか、工場占拠とか・・・ でも賢明なる読者さまは直感的におわかりのこととおもいますが、全く関係ございません。ちょっと釣りっぽいタイトルをつけてしまいました。
ここのところ、ちょっと困っている。何がと言うと、たわいもないことなのだけどこれ

そう、猫さんが机の上を占拠してしまうのである。仕事がたいへんやりずらい。
クシャミをして本に鼻水を飛ばす。本や書類をカジカジ、バリバリして破く、じゃれて引っ掻くなどなど、いたずらっ子に困ってしまう。

武装せる園芸家は、コイズミ「改革」の「天晴れ」なまでの衝撃波をもろにうけ、生き残りのために全くことなったお仕事を三種類している。いわゆる、一人多角経営、兼業である。
それでもお仕事の依頼がないときは、どうあがいてもないので致し方ないのであるが、それ以上に、異業種で依頼が重なったときがたいへんにしんどい。ほぼまちがいなく無理だと思える場合は、平身低頭でお断りするのであるが、なんとかなりそうだと直感的に判断した場合は冷や汗たらたらでこなさねばならないことが多い。

幸いIT技術の進展で、資料はネットでググれるものもあり、amazonnでの一発注文も実にお手軽、少々お値段は張りまくるが、支援ソフトも活用しつつ、ぼちぼちとやっている。

のだけど、ただでさえ手狭な机の上を猫2匹、場合によっては3匹、MAXで4匹のった日はど〜にもなりまへんでぇ、なのである。
とはいえ、無下に机から引きずり下ろすのも可愛そうなので、2匹までは原則辛抱することにしてるのでありました。今日はたわいもない猫のお話、お粗末様でございました。

おいおい、みこ、おもくないのかい?

あしもとに目をやると、こう 元気そうで一安心。机にのってはなりませんよ。

のんの おまえもかぁ!いたって元気元気、片眼が涙目だけど気にしない気にしない。

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