たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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2009・8・6 思い その一
「Deau、Wakaru、Tukuru8・6Hiroshima」 いい集会だった。

とっても大衆運動路線で肩肘はってないところがよかった。会場受付では涼しげな浴衣すがたの娘さんが出迎えてくれた。正直ちょっと引いた。(笑)

しばしば会場が爆笑につつまれるようなユーモアもあり、たいへんなごやかな雰囲気のなかで、まず第一に語られたことは「過去の過ちと向かい合おう」ということだった。
原爆は人類史を画するような悲惨な被害をもたらした。しかし、それはいわれなき被害者として語れるものなのだろうか。侵略戦争に加担し他民族に耐え難い困苦をあたえつづけた加害者としての事実を忘れてはならない。

第二に語られたことは、そうした過去の事実に向かい合い、当時の軍国主義のなかにあって、「侵略戦争を阻止しえなかったことの反省を今に生かそう」ということだった。戦争を過去のものとして切断してはならない。戦後に生まれた世代は、あの侵略戦争とは無縁であると思うかもしれない。しかし、体験者の血を吐くような苦闘をこえて語られた過去の過ちと反省の思いを引き継ぎ、二度とふたたび戦争をおこさないようにすることは次の世代の私たちが、私たちと他民族の未来にたいして負うべき責務であると。

第三に語られたことは、戦後世代である私たちが責務をまっとうするということは、「過去の過ちと反省をないがしろにしようとする行為を断じて許さず、それをなさんとする者たちと闘うことだ」ということだった。
パネラーのひとり知花昌一さんの「歴史修正主義者をゆるしてはならない」の発言ののち、アピールの一番手、東京都学校ユニオン委員長増田都子さんの力強い現場の闘いの報告と、「歴史修正主義者ではなく歴史ねつ造主義者とよばねばなりません」の発言に、会場は「異議無し!」の声でわきたった。


三歩歩くと記憶がクリアーされる私というフィルターを通して、頭の中にのこったものをごくごく簡略ですが書かせていただきました。そうしたうえで、はたしてこの集会がいかなる方向をめざして準備されたかを客観的に伝える意味で、集会を準備された主要メンバーにして、シンポで進行をつとめられた森島吉美さん(広島修道大学教授)が集会パンフの冒頭によせて書かれた文章を掲載させていただこうとおもいます。

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8・6ヒロシマの集いに向けて  森島吉美(広島修道大学教授)

平和公園を訪れる。木々の緑と青い空。原爆資料館を訪れる。コンクリートの建物が平和公園をのぞんで建っている。そこを訪れる人々はその場で何をみるのだろう。目の前にある「公園そのもの」、「資料館としての建物そのもの」など見るわけはない。目の前にある「今、ここ」をみない。あっても見ない。

ランズマンの映画『ショアー(ユダヤ人絶滅収容所)』の中に印象的シーンがある。かつて40万人のユダヤ人が収容されていた殺戮現場(ヘウムノ収容所)。当時ナチがその殺戮現場を跡形もなく消し去ったため、今や、その後の年を重ねて大きくなった樅の若木が静かに繁茂している。ランズマンはその樅の木を長いカットで見せてくれる。目のまえにはかつての殺戮の後は何もない。樅の木と草と石ころだけである。ランズマンは我々に何をみせているのだろう。

先の大戦が起こったとき、「その時、その場」で起こっていることを見なかったのは、しかし、若者であり、一般市民であった。

ランズマンの映画で、当時、収容所近くで生活していたポーランド人農民へのインタビューのシーン。彼らは、当時目の前で起こっていた事柄(ユダヤ人殺戮)を見ていた。ランズマンの前で、当時のことを、自慢げに、時に笑みを浮かべて、群れをなして我先にと語り合う。きっと当時も同じように、「その時、その場」で殺されていくユダヤ人のことをうわさしあっていたのだろう。彼らは、要するに何も見なかったし、今も何も見ていないのである。当時と今、何も変わっていないということである。

元毒ガス工員であった藤本安馬さんは、末期がんで胃を全部摘出した後も、「命をかけて謝罪したい」とその毒ガスで家族を亡くした中国の村を訪問する。県被爆者協議会の畠山祐子さんは、「わたしらは間違いなく加害者ですよ。・・・でも、謝ったら次たてないのよ。体中癌だらけで、『原爆をなくせ』と叫んできた老人に、まず謝れ、といったら、わたしたちの運動はなりたちません」と叫ぶ。

8月6日のもつ意味はどこにあるのだろう。「平和公園」に、かつての街並みを思い浮かべることなのか。原爆資料館の建物の中に閉じこめられた過去の出来事に思いをはせることなのか。レンズマンの『ショアー』の、かつてのユダヤ人殺戮現場、今やきれいに並んだ樅の木を見て過去を思いうかべることなのか。過去はますます遠くなる。被爆当事者、収容所生き残りのユダヤ人は年をとる。後に何が残るのだろう。「当時」と変わらぬ「今」の我々だ。

「今」に生きる我々の目の前には、大量破壊兵器が使われる戦争があり、核を持つ国が増えてきている。市民をターゲットにした空爆が続いている。

8月6日は現在進行形だ。我々に託された課題は山積みである。8月6日を、「問題」発見の場にしたい。「問題」を具体的に解く道を捜し求める場にしたい。そして、その「答え」を求めて具体的に動くスタートラインにしたい。8月6日は広島のものではない。日本のものではない。「問題」を発見した全ての人のものである。

2009年8月6日を新しい8月6日のスタートにしたい。


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また来年もお金をためて、お仕事断ってでも参加しようと思った。


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さらばレーニン
またまたひさびさの記事となりました。コメントをよせてくださた皆々さま、放置してしまい申し訳ございませんでした。

いきなりのお題が”さらばレーニン”って、べつにレーニン主義との決別をきめたわけではありません。反戦反核の闘いは、国家権力、秘密政治警察との内乱的死闘ぬきに貫徹できるものではありません。これほど教育が広く普及し、「言論の自由」のもとにさまざまな意見、情報が交差する現代社会に”外部注入論”なんて、というご意見もありましょうが・・・。私はいまでもレーニンの残した多くの実践的教訓は、人の”業”に根ざしたものであり、普遍的な意味をもつものであると信じています。信じているというからには、「宗教」といわれても結構です。

まあ、そこらの話はいずれまたということで、今日の話は、”さらばレーニン号”という話です。ちょっと釣りっぽいお題をつけてしまいましたね。ゴメンなさい。

レーニン号というのは、すでに当ブログを開設したころからお読みいただいている方々はご存じのこととおもいますが、当家のメインPCでワークステーションにつけられた愛称で、自作のフルタワーマシンであります。


11年使用したフルタワー筐体のレーニン号
わたしのぴいしい


だいたい夏がきますとトラブルが発生する当家のPC群なのですが、このレーニン号はIntelのi7プロセッサーを実装していて、これがとてつもない発熱をするのであります。組み立てた当初から問題にしていたことではあるのですが、やはりここにきて一日一回ブルーバックということになりました。


i7プロセッサーはクワッドコアでハイパースレディングなので、仮想8コアのCPU
無題


CPUの温度はリアルタイムに監視しているのですが、アイドリング時で60度に迫る勢い。お仕事で負荷をかけると70度速攻でこえます。まあ、クーラーのない仕事部屋の室温が35度らくらく越えているのだから仕方ないのですが、同業者にそんな愚痴をいったところ、水冷に移行したので不要になったCPUクーラーをいただきました。それはラッキーだったのですが、いかんせんとても巨大なクーラーでして、レーニン号におさまらないのでした。


ドン引きするほどデカイCPUクーラー
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そんなわけで、11年つかったフルタワー筐体をこのたび更新しました。オールアルミさんのミドルケースですが、3カ所12cmファン標準実装で、たいへんエアフローがよいようです。それをさらに高回転なものに換装しました。オールアルミさんで7K台のお値段は気絶ものの破格値です。
マザー板をのせかえ、デバイスを実装し、ケーブルを接続し、引っ越しはいとも簡単にすみました。


嗚呼 憧れのオールアルミさんです
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設置をしてからスイッチオン! うんともすんともいいません。真っ青です。まさかと思い、全面パネルをはずして点検すると、スイッチの結線が一本はずれていました。どうも線をひっぱりすぎたようです。マグライトを口にくわえ、いちばん強力な老眼鏡をかけ、精密部品用の半田ゴテで1㎜程度のピンにワイヤーを半田づけします、うっし!手術は成功です。

パネルをもとにもどして再度設置。スイッチオン! またうんともすんともいいません。パニックです。
スイッチを連打するとやがて通電し、Windowsが起動したのですが、6枚接続しているハードディスクの一枚が認識されていません。やれやれとOSをいったん終了し、電源プラグをはずしてからケーブル関係を目視でチェック。どれもきっちりはいっているように見えますが、いまいちどケーブルを抜いてきっちり奥までさしこみました。

スイッチオン!やっぱりだめです、ディスクが一枚どうしても見えません。なんどか再起動を繰り返していると、また通電しなくなってしまいました。こういった複数のトラブルが発生したときは、問題点を探るため構成をシンプルにして切り分けをしてゆきます。起動用のディスクだけをのこして、”ディスクがわ”でケーブルをはずし、スイッチの不具合をまず点検します。一瞬通電LEDが点灯するので半田付けには問題はないようです。
幾度か電源ユニットのもとスイッチを入り切りしながらスイッチのオンオフをくりかえしていると、通電しBIOSがあがったのですが、速攻でエラー表示。遣っちまった!! BIOSレベルでのエラーは超まずいです。いまごろはデュアルBIOSでバックアップがありますから復旧可能ですが、昔ならそれで板はおしまいです。人でいえば脳幹がダメージをうけたようなものです。

再起動、オートでBIOSを復旧し、Windowsが起動するも途中でフリーズ。その後なんど繰り返しても怒濤のブルバックにほとほとくたびれ果て放置にいたりました。こんなときはしばらく放置しておくのも方策のひとつであります。すこし頭を冷やして、冷静にならねばいけません。セキュリティーの問題もあって、自ブログへのアクセスは5台あるクライアントのうち、このレーニン号でしかできないように設定しているのですが、いたしかたありません。とりあえずお仕事もないのが逆に幸いです。

クールな頭で、ぼちぼちと点検をかさねた結果ついに原因ハケーン! エアフローの向上はケーブルの取り回しにあるのですが、たまたま筐体を買ったときに、たちよった100均ショップでかったスパイラルチューブでキッチリ束ねたケーブルが、ケースのパネルをとりつけるとき微妙に引っ張られて”マザー板がわ”のコネクターからほんのわずかですがずれてしまうことがわかりました。


裏側配線ですっきり、もっとすっきりさせようと使ったスパイラルチューブが
災いのもとになるとは・・・トホホ
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どうやらそれが原因で作動が不安定になっていたようです。ようやく昨日作動が安定しました。アイドリング時の温度は40度台、高負荷時で60度です。
世の中ほんの些細な出来事でとんでもないことになるということは多いのかもしれませんね。映画「バベル」みたいに。


やっとこさ復旧したPC はたして気になるお名前は? やっぱレーニン号でしょう
それじゃあ詐欺じゃん というつっこみはなしyo(笑)
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おはり



8・6 逝けぇ!"田母神一派”
いってきました、ひさしぶりにRosaと一緒。一緒っていってもデートじゃないのでお手々つないでではありません、全くの別行動です。行った先が同じというだけで、途中顔があっても他人のふりです。これはまあ、昔とった杵柄ということではありませんが、たたき込まれた行動様式なのでいまさらどうにもなりません。

まあ、そこで思ったことは後日ということで、とりあえずはどこへいったかということだけ。
昼からの解放同盟全国連が賛同しているということで 「であう、わかる、つくる 8・6ヒロシマ」へ参加、
5時に終了。中央派が5時から”田母神一派”への抗議デモをするとのことなので、大急ぎで”田母神一派”が結集しているメルパルクへむかう。ちょうど平和公園のおしまいのところ、原爆ドームのすぐ近く、大通りをへだてて一派のすぐ斜めまえで、抗議のシュプレヒコールやっとりました。末席のほうで4~5発シュプレヒコールの仲間に入れてもらい、ビラをもらってから、通常は御法度の記念撮影。

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それにしても、ずら~とビックルものの数でコーアン・デカが粘着してバシバシに写真撮りまくってました。ゆるせん!
正面にまわって、もう一枚御法度の記念撮影をしたら、昔たいへんかわいがってくださった○○さんに「おまえはコーアンかぁ」みたいに、睨まれてしまったので、速攻その場をあとにしました。

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キリながら、YMCAへむかい 被爆64周年「8・6 ヒロシマ 平和の夕べ」に参加、懇親会はスルーしてキッてキッてキリまくって無事帰還しました。

64年まえのあの日とおなじ暑い一日でした。でも、それ以上に、”田母神一派許せん!” ”反戦反核の決意”におもいを同じくする人々の、熱い集いにたくさんの希望と元気をいただいた一日でした。

それにしてもたくさん歩きましたwa。




怒り
去年は広島市街にお仕事に行っていました。それが偶然にも星野さんが獄中で描いた絵画の個展をしている小学校に隣接するコミュニティセンターの真ん前。たいへん辛く悲しい思いと怒りを胸に帰ってきたことは去年書いたとおりです。

今年は久しぶりにハチロクへいこうと思っています。私が廣島の地をはじめて踏んだのは数十年前、動員で数名の同志とハチロクに参加したことでした。あの日とおなじ照りつける太陽がとても暑い日でありました。

それから幾年の時がながれました。あの日すべての展開を終え、原爆ドームわきでバスに乗ったとき、窓から見た夜の闇に光るろうそくの明かりとともに、川面に浮かんだ精霊流しはいまでもはっきりと思い出せます。

それと、資料館で「戦後の世界体制の主導権を得るためにアメリカは敗戦がすでに決定的だった日本に原爆を投下した」と書かれたパネルにむかって「嘘だ」とアメリカ人が絶叫していたことが印象にのこっています。

今年はなにやら、日本会議の招きで”田もがみ”が講演をするそうです。許し難い暴挙です。

廣島の原爆をかんがえるとき、どうしても欠くことのできない認識は、被害者であると同時に加害者であったということだと思っています。そうした国際的な連帯の思想と自らの階級性を欠落させたところでは、被爆者の苦闘苦悩は、「国際社会の変化」を盾にした「核には核でしか対抗できない」核武装推進論に踏みにじられてしまいます。

”田もがみ”の来広に心底からの怒りをこめて行ってこようとおもっています。

それと、alumiさんのところで発見したのですが、夕刻YMCAである集会では、かのAo-tyuさんが講演をする模様。これをぜひとも聞いてみたいと思っています。ちょっとなつかしいお方であります。でもちょっと怖かったりするのでお面でもかぶっていかないといけないかもしれません。

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地図とにらめっこしながら撤収計画を作らなければなりません。ひさびさに空気のはいる作業であります。

最後に、alumiさんが掲載しておられたNKさまの投稿をうちも転載させていただこうと思います。
もし、不都合等ございましたらNKさまお手数ですがご連絡くださいませ。即対応させていただきます所存です。m(_ _)m

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盧溝橋事件72周年に
投稿者:NK 投稿日:2009年 7月 8日(水)01時52分24秒   通報 返信・引用
1937年7月7日の盧溝橋事件から始まる日本帝国主義による中国に対する全面的な侵略戦争の開始は、41年12月の太平洋戦争開戦と45年8月6日、9日の米帝による広島・長崎への原爆投下、同15日の無条件降伏とつながる不可避の過程の始まりと言う位置を持っています。
そういう意味で、7.7-8.6、8.9―8.15は切り離すことの出来ない意味を持っているのであり、従って、今日のような7.7の無い、8.6、8.9闘争というものは階級的視点を欠いたものというほか無いでしょう。また米帝の残虐な原爆投下に対する怒り、天皇を始めとした日本帝国主義支配階級が、米帝の庇護の下あるいはその後一貫して、その犯罪を擁護し被爆者を或る時はモルモットとし、抹殺しようと勤めて来た事に対する怒りが運動のうちに感じられない。こうした傾向は、敗戦時、天皇の命に唯々諾々と従って武装解除され、その結果自らの手で戦後革命を成し遂げるすべもなく、戦後民主主義に天皇制を抱き合わせに呑まされる屈辱を、屈辱とも思わないで今日まで至った戦後新旧左翼の帝国主義的腐敗の現われといえます。戦後憲法を賛美し、改憲阻止闘争を9条擁護運動に換骨堕胎しようとする臆病な知識人や中核派及び中核派系の運動が総じて今日、日本帝国主義のアジア侵略に対して帝国主義的城内平和の道に引き入れられようとしているもの当然の成り行きです。

その原因を追究してみれば、すでに1935年頃には日本の共産主義運動は転向し、7.7盧溝橋事件のころは、多くの運動が翼賛勢力となっていた事に求めなくてはならないでしょう。その後も果敢な抵抗を続けたのは、労働運動においても或いは、花岡蜂起の決死的闘いに現れたように、主に朝鮮人・中国人であったことを我々は肝に銘じておかなくてはなりません。我々は、この日本階級闘争の限界を打ち破り、帝国主義抑圧民族として歴史的に負った血の債務を返済しなければなりません。今日の日本帝国主義のアジア侵略は重大な段階、もはや軍事力行使に向かう以外の無い程、アジア諸国の経済の根幹を自己の再生産構造に組み入れつつあり、特に中国においては、固定資本・生産設備の輸出を基軸とする資本輸出が、その生命線と化している事態を重大視しなくてはなりません。農民収奪に依存する中国スターリン主義と日本帝国主義は中国労働者人民の膏血を啜り、いまや帝国主義の番頭となったスターリン主義官僚の強欲は、日本への中国労働者農民の奴隷的人身売買(結婚紹介・研修と称する強制労働)もためらわないほどです。最近、帝国主義者による中国非難がトーンダウンしたのは故無きではない。
また付け加えれば、2001年花岡和解において、弁護団・支援者の多数が鹿島の手先となり、裏切った。戦後賠償をめぐる闘いにおいても日本左翼・知識人の変質は覆うべきもありません。
早晩、中国スターリン主義支配に対する中国労働者人民・諸民族の怒りはその背後の日本帝国主義の中国侵略に対する戦いに転化するでしょう。我々は、今度こそはアジア人民と運命を共にする為、血の債務を払い、我々の名誉を勝ち取るため、彼らの側に立って闘わねばなりません。その第一歩として反帝・反スターリン主義共産主義世界革命のスローガンを全く新しい根本的なものとして、歴史の要請に答えうるものとして再構築しなくてはならないでしょう。

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一部グーグル除けにあて字をもちいていることをお許しください。


テレビ!テレビ!
以前ちょっと書きましたが、うちはテレビないんっすよねぇ、壊れちまいました。まあ、寿命だと思うのですが、寿命を縮めた要因のひとつはテレビの上での猫さんのお昼であったことには疑う余地はありません。


テレビのうえでおくつろぎは、のん子 手前は猫さんに蹴り落とされぬための
自作PCファン送風システム付芳香剤ホールダーと980円投げ売り無線キーボード
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壊れたテレビに通電していてもしゃーないので、コンセントを抜こうと裏を覗いてビックル! セーターが編めるんじゃないのぉ、というくらい猫毛がイパーイでした。ヤッバ~、火事になっちまう。おそらくテレビの中は恐ろしくて開けてみる気にはなりませんが、きっと凄いことになっとるのでしょう、火事になるくらいならあっさりと壊れてくれたのはEEことなのかもしれません。とかく貧乏人は貧乏を拡大再生産してしまいがちですから。

最近は、さして執念をもって見たいドラマもなく、映画は廉価でDVDがレンタルできるので、さしてテレビにこだわりはなかったのですが、やはりNHKのスペシャルなんぞはたまにいい番組やってたりしますね。それと、朝夕のニュースくらいはチェックしたい、衆院選の結果をタイムリーに見たい、あの棒グラフと円グラフが刻々と変化してゆくのがみたいなあ、と。そんなわけで、なんとかしてテレビを買おうかとおもっておりました。

だ・け・ど だいぶ安くなったとはいえ液晶テレビってまだまだ高いっすね。なにも60インチオーバーがほしいなんてブルジョアなことはいいませんが、ワンセグじゃねぇえ。定額給付金の12Kくらいでは、屁のつっぱりにもなりません。そんなわけで、液晶テレビの路線はあっさりと放棄し、PCのモニターを買うことにしました。液晶モニターは近年たいへんにお値頃になりました。ワイド画面は当然で、反応もちょっとまえより一桁違うくらいはやくなっております。圧倒的多くは韓国資本製なのですが、PCのパーツとしては一流の折り紙付きです。インターナショナルなオイラにはなんの問題もありません。

恥ずかしながらつい最近知ったのですが、世界一のテレビメーカーってどこだとおもいますぅ?
我が「神の国」ニポーンの”ぱなそにっく”でもなく”そぉにぃ”でもありません。サムスンとかLGなんすんね。日本帝国主義がアセ・アセなのはそういうこった、と妙に納得であります。まあ、そんなわけでLG電子の21.5型ワイド液晶モニターを買いました。コイツをちょっとまえに、ローザ専用に余剰パーツと3.5Kの半値投げ売り筐体を組み合わせてつくったPC、Dual-core・Uririn266号に接続します。


3500円でつくったUririn266号 Dual-coreを実装 まずます速い
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もちろん、それだけではテレビはみれません。ので、やはり余剰パーツのカノープスMTVビデオキャプチャーカードを実装し、まるで頭の中がかゆくなるようなメンドクサーな設定をクリアーして、やっとこさモニターにテレビ番組が映りました、めでたしめでたし。ところで、この液晶モニターですが、一方向固定のスタンドなので、向きを変えることができません。昔のお勉強スタンド、Zライトみたいなアームも5Kくらいで売ってましたが予算がないのでスルー。きっとホームセンターにあるはずだと確信していたターンテーブルは予想通り450円で売っていたので、それを両面テープで貼り付けてつかってます。


録画したデーターはLANでどのPCからも視聴可能
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結構EEかんじです。キャプチャーカードのチューナーはアナログなのでチデジには及ばないものの、それなりではありますがよく映っていると思っています。録画もマウスでクリック一発でOKなので簡単、予約録画も可です。まあ、これなら当家としては、ずっとこの路線でいこうかなな~んておもっています。難点をいえばPCを起動しないとみれないので、リモコンのスイッチをポンでみることのできるテレビとはちがって少々手間と時間がかかることですかねぇ。さて、さて、きたるべきアナログ放送の死滅にどう対応するか、簡単なことでござる、アナログキャプチャーカードをデジタルキャプチャーカードに差し替えればOKでござる。10K ほどでいくらでも市場に流通しているので大丈夫であります。

これで液晶テレビ+デジタルレコーダーと同等の環境がえられるのですからいい選択だったとおもっとります。貧乏人の知恵の勝利かと。来るべき衆院選の結果をかぶりつきでみたいとおもいまする。

おはり

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