たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

老いやすく学成りがたし
肩こり指数☆☆☆


群馬県藤岡のジャンクションでおきたバス事故は、JR西日本福知山線脱線事故を彷彿させる大きな衝撃だった。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。その後の報道でつぎつぎと明らかにされた驚愕の事実、悲しいかな、ハイリスク&ハイリターンは博打のような投機的証券市場だけのことではなく、いまやこの社会全体を支配しそうな勢いだ。それどころか、ハイリスク&スタンダードにすらなりつつある。

国家の経済活動への一定の介入であるさまざまな規制は、一面では今回のような惨事を教訓として積み上げられてきたものだといえる。これら規制の撤廃を声高に叫ぶ”新自由主義”の行き着く先をこの事故でまざまざと見せつけられた気がした。
とはいえ、そうした主義がそういう事態をみちびいたのではなく、資本主義の必然的帰結として登場してきたのであるが。そこここそが問題なのだ

さて、この間のお休みで、ぼちぼちだがお勉強していたものの一つが経済学だ。すっかり目と頭が悪くなってしまい遅々として進まないのがはがゆくもあるのだが、今を認識し、未来を予測するにはこれしかない。新自由主義の奥底も、デフレスパイラルの行き着く先も・・・

幸い、高価な専門書を買わなくても(どうしても買わねばならないことも多いが)、ググれば結構お宝が手に入る。金融・証券の世界の話は、素人投資家ウエルカムのご時世にあって情報にあふれている。利子生み資本の認識をふかめるにテクストは豊富だ。

ここのところずっと向かい合っているのが国債だ。やはり、これが帝国主義の危機のメルクとなるだろう。いまから30年くらい前のとおいとおいむかし、飯田橋で首都圏の○学童をあつめて島崎氏が「国債と日帝の危機」をテーマに講演をしたときにそういっていたようにおもう。

資本主義は自由主義段階では周期的な恐慌で資本主義はリフレッシュする。だが、帝国主義段階では国家が財政的な梃子入れをおこない恐慌を回避する。財政的な梃子入れの主力は国債であって、国債は積もり積もって巨大な財政赤字をもたらす。危機は財政赤字という形で蓄積される。蓄積された財政赤字がやがて国家信用を大きく揺るがしたとき、国債は大暴落し、金融資本は崩壊する。

てなことにならないように、税収をアップして、神の国ニポーンの国債は安全です、国の支払い能力はあります。ということにならないといけないので、野田はしゃにむに消費税アップにアップアップなのだろう。

と、以上のことはイデーなので、現実の経済動向から数字をおって精査してゆける力が必要だとおもうのだ。ちなみに、巨大な財政赤字は無駄をなくしての緊縮財政などで解決はない。それほどその額は膨大だ。いま、ギリシャ人民が直面している「緊縮政策」という困難は、単なる行政サービスの低下のレベルではなく、あからままな大増税=強収奪以外のなにものでもない。もし、ケルンが存在するなら、ストレートに革命に転化する情勢である。もしそうなれば、それはたちまちEU全土にとびひするだろう。

こんかいのギリシャが抱えた膨大な対外債務や、我が神の国ニポーンが抱える膨大な財政赤字を最終的に突破するものは、革命ロシアのような革命的踏み倒しか、大日本帝国のように侵略戦争にうってでて経済圏を拡大するしかない。

と、これもイデなので、経済的危機を政治的にどう突破してゆくのか、その具体的プロセスを歴史のなかから学びたいなと思っている。だれか、いい参考文献がありましたら教えてくださいませ。<(_ _)>


をはり
スポンサーサイト

SNS
ちょうどブログを始めた頃だから2007年頃だったろうか。ブログがウエッブサイトにとってかわろうとしていたころだとおもう。猫も杓子もお玉もスプーンもこぞってブログをはじめていたとき、ブログの平均寿命は3年ほどと書かれていたのをどっかでみた。

そんなことはあるめぇ! なんておもったものだが、いま我が身をふりかえると”ビンゴ”じゃんの一言。

私が書かなくなったのは、前回かいたとおりで、ネタはいくらでもあったのだけど書けなくなった。もちろん、はじめたころよりあきらかに我が身も財布のなかみもいそがしくなったこともいえるだろう。

ひさかたぶりにネットワールドにもどってきてみると、たくさんのブロガーが更新をやめていることに驚いた。とくに政治系ブロガーにおいて顕著なようだ。
よく出入りさせていただいていた、「わんばらんす」、「お玉おばさんの政治のはなし」とか「遠方からの手紙」、かの”反帝反スタ”のお方も近々閉鎖されるそうな。

背景として一般的に語れるものではないとはおもうのだが更新お休み中に政治への”閉塞感”は大きく増大した。あの政権交代のときの高揚感は完膚無きまでにふきとんだ。
2大政党を必然とするような選挙制度改悪の結果は、民主か自民か、まるで、打ち首か銃殺かを選択するような感覚しかおぼえない。

ブルジョア~な政治を論じてみても”鬱”になるのが関の山なのは革命的左翼なら周知のことであるし、既成の政治システムがにっちもさっちもいかなくなったときこそが、それをうちやぶるチャンスだということ心得ている。ただし、チャンスはしっかりとしかるべき準備がなければつかめないし、それがいつ訪れるかはがっつり学習し研鑽を積まねば知ることはできないこともまた心得ている、なによりその作業がいまだ途にさえついていない現状もまた・・・

さて、政治話はまた、おいおいということにして、巷はツイッターやフェイスブックなどのSNSが大流行だそうな。一年半も深山にこもって滝に打たれて修行してきた”武装せる園芸家”はまるで浦島太郎的感覚にとらわれる。

最近、ちょっとグラッときてケータイをスマホにしようかと思ったこともあったのだが、基本料金のお値段を聞いて、あっさりあきらめた。いまはまだ貧乏人が手にするようなものではない。

私はツイッターもフェイスブックもどちらも関心が薄く、やってみようとは全く思っていない。今回の未曾有の大災害のときにツイッターがおおいに役だったともきくし、中東の「春」でもロシアの「冬」のさなかでも、フェイスブックのようなSNSがメディアとして大変重要な役割を演じたと聞いてはいるのだが。

ツイッターはつぶやきといわれるとおり、一言でやりとりするのがなんともむずかしい気がしてだめだ。それに、あの展開の早さについていけるきがしない。
たいしたことは考えていないし、難しいことはいえないけれど、それなりに筋道たてて思いを語るにはどうしても、これまたそれなりに文字の数が必要だと思うのだ。
ただ、ブログに投じるエナジーよりはずっとエコで運営はできそうなきはするので、仕事に忙殺されている人にはよいかもしれない。それと、チャット感覚で、ワンフレーズで”知ったか”をいれるくわくわくんには向いているだろう。

お玉おばさんは政治の話からしばし離れ、ツイッターにいってしまわれた。まあ、あれだけのメジャータイトルとなれば政治の話を運営することの苦労は過疎ブロガーの私にも想像はつく。そうしたうえで、またいつの日か、あの大喜利のような、そして多様性に富んだ大討論をまたはじめてもらいたいもんだとおもう。

フェイスブックは、仕事関係ではやっていない人をさがすのが難しいくらい、日々の糧のような状態だ。まあ、フェイスブック以外のSNSもあろうからそちらを選択することはあるかもしれないが、”実名公開原則”のフェイスブックだけはごめんだ。創始者のザッカー・バーグは社会的正義は情報の透明性のなかにあって貫徹されるという哲学をもっているらしいが、世の中お天道様のしたを大手を振って歩ける人ばかりではない。

今のご時世、なにも私のような「過激派」くずれでなくても、失業、倒産、夜逃げなど、裏街道をひっそりとあるいてゆかねばならない人々は決して少なくない。
実名をともなってこそ、発言の正当性は担保されるという考えは確かに正論であるとはおもうのだが、おおよそ政治における批判に関しては、それを体制内の枠組みの中に押しとどめようとするものにしかなりえない。

「.com」相手ならまだしも、権力にもすすんで情報を献上しまくるような行為は自殺行為にひとしい。「ヤバイ」時代を生き抜くには「ヤバイ」知性がひつようなのだ。

No need FaceBook


Copyright © たわいもない話. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。