たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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ニッポンの夜明け 予告 猫の写真付
肩こり指数 ★☆☆

さぁって、今日はなにを書こうか。筆がすすまないんだなこれが、ぼちぼちスランプ。

去年の9月ころだったろうか「土佐高知の雑記帳」におじゃまして、 「チリ人民連合の9月」というエントリーのなかで某冥王星氏と激しい論争をしたことがある。いきなり「暴言だ」と言われたが、続きの話は理性的にすすんだ。けっして、猛省しろとか、感性・理性・思想が不当だ、言論の自由の冒涜だ、なんてことは一切無しだ、互いの人格を尊重する者同士であればあったりまえのことだ。どちらも長文だったのはブロガーにとって迷惑だったかも知れないが、互いに違うところは違うとしたうえで、理解し合えたと思っている。じつに良い討論であった。

そのときに、はじめて使ったHNが薩摩長州なのだ。単に「土佐の高知」に「薩摩長州」って語呂がよかっただけのことなのだが。

そのあとたまたま某冥王星ブログを覗いてみると、氏が明治維新を佐幕派の立場から誹謗中傷をおりまぜつつ歴史考証を大展開していた。のちに知ったことなのだが氏は倒幕派がダイッキライらしい、とりわけ、薩摩と長州が(大爆笑)。
挑発目的で私が薩摩長州のHNを名乗ったわけでわないのは上記の通りなので、一切、氏の感情は気にせず唯物史観にもとずいた明治維新を対置させていただいたものである。

まあ、私的には明治維新歴史考は、徳川幕府政府軍が勝利しようが薩長反幕府軍事同盟が勝利しようがどちらでもよいわけで、大切なことはそんな表っ面のごたごたにあるのではなくそのはるか頭上に輝く「理性の狡知」であり、その足下のはるかしたでひっそりとよこたわる「生産力」なのである。どちらにしても本質の問題であり、泣きを見た民衆の歴史が大切なのだ。

日本の近代国家としての成立を論ずることは、明治維新にもなぞられながら、怪しげな「構造改革」が進行する今、まるでペリーの来航をも彷彿させる日米年次規制改革要望書なる無理難題が美国からまたもやってくる今、そう無駄なことでもないと思うものである。活き詰まったら振り返ってみることはとても大事だ。

決して賢明な読者は過去のコメントの再掲載でブロガーが手を抜いているなどと本質を見抜かないようによろしくおつきあい願いたい次第である。明日、少々手直しをして掲載します。

今日の内容不足の埋め合わせに猫さんの写真貼っておきます。
癒されてくださいませませ。(^_-)

三毛猫なな おいおい急にそんなところから顔出すなよ(^^)
三毛猫なな


三毛猫のんの 未来をつかもうってか??
三毛猫のんの


二毛猫ぴよ 22世紀が見える!
サビ猫ぴよ


Comment

 秘密にする

意見が対立する相手ときちんとした議論が成立したときって、結論なんかでなくても、実にいい後味が残りますよね。あの後味は、意見の近い人とのやりとりでは得られませんわ。
 
shira | URL | 2007/10/29/Mon 20:14[EDIT]
shiraさま いらっしゃいませ
そうですね。対立意見というのはとても大切です。以前、そちらで弁証法と幾度か表現させていただきましたが、対立意見との対話を通じて、その対立構造を互いが認識しその構造をのりこえてゆこうと試みることが、弁証法的思考あるいは論理なのであると私は理解しております。

妥協の産物、折衷主義と異なるのは、対立の内的関係性をまずは掴むか否かにあります。

似たようなものにディベートというのがあります。
古代ギリシャの誰だったかおもいだせませんがソフィストに源を発し、アメリカで発達したディベートは、「闘論」であってはならず、相手を「論破」することを目的としてはならない。あくまでも独善を廃し、多角的にして、より客観性の高い論拠とそれにもとずくより緻密な論理の展開をめざすものでなけならない。と思うのですが。ネットの世界には勘違いしている人にときたま出会います。

学校教育にディベートが導入されている例があると聞きます。それに対し私は反対です。
ディベートは副作用の大きい劇薬のようなものだと思っています。せめて高校生くらいからで、小中学生には、もっと漢方薬のような学級会議くらいで良いのだと思います。みんなの意見を集約してゆく話し合いのほうが実り多い時期があるとおもいます。
薩摩長州 | URL | 2007/10/29/Mon 23:18[EDIT]
こんばんにゃ~(^^
>活き詰まったら振り返ってみること‥
これが今の日本にとって一番大切なことかもしれません。
 
ねこにゃんが好きだったんですね。
ねこ好きもいれば、犬好きもいる‥。
あの時代、薩長も新撰組も竜馬も‥
正義はそれぞれにあったに違いありません。
ココロ | URL | 2007/10/30/Tue 01:45[EDIT]
あ、さっそくにコメントありがとうございます
そうです、未来は熱い心で進むもの、過去は振り返ってクールな頭で学ぶものと考えております。人は過去からしか学べません。

それと、猫の不幸をなくしたいという思いも私のポリシーの一つであります。
猫の子一匹幸せになれない社会に幸福という言葉はない!!
薩摩長州 | URL | 2007/10/30/Tue 01:57[EDIT]
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