たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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「涙の谷」
先日、ヘーゲル法哲学批判序説を引用したのだが、そのなかで「宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷(現世)への批判の萌しをはらんでいる。」という下りがあるわけなのだが、このなかの「涙の谷」という表現がちょっと関心をひいた。

読んでいるときは(現世)と注釈があったので素直にそのまま読んだわけなのだが、以前とりあげた「ここがロドスだ」につづいてなんともこの意味深な「涙の谷」が気になって気になって仕方なかった一日なのであった。

てなわけで、帰宅してからググってみたところ、聖書からの引用であることがわかった。いっやあ、便利な時代になった。広辞苑は完全に乗り越えられた。現代用語の基礎知識も歴史的使命をおえた。ただ、利用するには多少リテラシーがないとまずいかもしれないが、便利便利でお手軽簡単。

「涙の谷」というのは「嘆きの谷」ともいって、特定の地名ではなく荒廃と嘆きのある場所 という意味の言葉らしい。ほとほと宗教とは縁もゆかりもないない私には初耳であった。もっとも私の知らぬところで世間の常識とは言わぬまでも、インテリゲンチャのあいだでは広く知られていることなのかもしれないが。あいにく私はその類ではない。

極楽浄土の楽ちん世界であるあの世に対比し、いっやーなこと、辛いこと、苦しいことなどなどろくでもない事で満ち満ちている現世を「嘆きの谷」「涙の谷」と聖書が表現して以来、こんにちまで基本的にその意味するところに異議をとなえる必要がないくらいはまり言葉ではあると思うのだが、はたして「涙の谷」という言葉の意味がどれほど妥当であるかを考えてみる。

グローバリゼーションの進展を逆手にとった国際競争力という恫喝と、生の資本主義のルールである市場原理主義への回帰がまたたくまに「涙の谷」をいたるところでもたらしただろう。仕事がない、失業中だ、食っていけないほど賃金が安いなどなど。嘆きと涙はとても増大したにちがいない。世に満ち満ちた嘆きと涙がやがて引火点をむかえ、導きの使徒によって怒りとして燃え上がるのか、あるいは発火点をむかえ自然と大爆発をおこし「涙の谷」を木っ端微塵に粉砕するのか、あるいは聖書を枕に粛々と嘆きと涙に暮れるのか、今の情勢下では見通すことはかなわないけれど・・・

聖書は世界にあまねくいきわたり、各国語に翻訳されている書籍ナンバー1であることは有名だが、ナンバー2は資本論である。このランキングが逆転したとき、人の死が涙をもってうけいれられることをもって、あの世を「涙の谷」とよぶ日がくるかもしれない。きて欲しいな、とたわいもない願望なのであった。


ちょっと不思議な魅力を感じてしまうこの一冊 もちろんもってはいない 
マル・エン&レーニン全集すらもってないのだから

聖書

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 秘密にする

れ:聖書
聖書は神話として読むと楽しい。
昔は持っていましたが、今はどこに行ったのやら。

「マルエン全集」は、図書館の書庫の片隅に仕舞っています。(笑)
で、最近は借りる人もいないよう。
土岐幸一 | URL | 2008/03/27/Thu 17:25[EDIT]
いらっしゃいませ土岐さま
私も拾い読み程度ですけど、聖書は読んだことがございます。主に出張さきのビジホテですけど。たしかによくできた大河物語かと。

別荘に長期滞在するとき、欧米人は聖書をもってゆくと聞いたことがございます。それになぞるように皆、救対にマルエンの差し入れをしてもらってましたですよね。

こんどは何をもって社会の変革へのチャレンジをするか、「どこからどこへ」いくのか、せめて一目見てから「涙の谷」より旅立ちたい。そんな気持ちになるのは「神の国」が近いからかも。
薩摩長州 | URL | 2008/03/27/Thu 22:38[EDIT]
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