たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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自由の女神
肩こり指数 ★★☆

いわゆるレジスタンスは、四〇年六月のナチス・ドイツのフランス占領とともに始まるとされているが、レジスタンスの本当の開始は四一年八月二十一日の共産党員フェビアンがパリの地下鉄で一ナチス将校を射殺したことをもってであるということを銘記しなければならない。彼の目的は「みずから模範を示すことによって尻ごみしている同志達をはげますこと」にあった。

ナチス・ドイツはこれにたいし、百名を人質にし、そのうち五十名を銃殺すると通告し、六名の党員に死刑を要求した。その後、テロリズムのたびに、その報復として多数の人質が虐殺された。 にもかかわらず、こうした襲撃は続発し、とくに十月の三都市で同時に遂行されたナチスにたいする襲撃は、情勢を決定的に促進した。こうしてレジスタンスは「敵をして領土のいたる所に散開させることを余儀なくさせ、同時にすべての地方に武装闘争を燃え上がらせる」という目的を達成した。報復として銃殺された人質は、四一年九月からフランス「解放」までに二万九千六百六十人に達したとされている。
(「内戦論」フランス人民戦線の敗北とレジスタンスの血の教訓 より引用)

集合ポストへ議会報告を投函した共産市議が住居侵入容疑で逮捕、書類送検されたことに関する記事を書いておられるブログがたくさんあって、左右はもとより様々な意見を拝見させていただいた。いわゆる「世間の常識」であるとか、言論の自由、知る権利などなどの法的解釈をめぐっての意見とか、終わりなき議論がたたかわされていた。

現実的な問題として、ビラ配りも、ポスティングも、いままで逮捕されることなくやってこれたのは、それを容認する「世の常識」があったということだ。逆にいえば、ビラ配りもポスティングも戦前の治安維持法のもと厳しい弾圧を受ける困難な時代をへて、敗戦後、民衆の意志を表現する数少ない有効な手段の一つとして大切にそして、粘り強く連綿となされてきたからこそ「世の常識」となりえていたのだと思う。

革命的左翼勢力の衰退とシンクロするように訪れた「不均等発展の法則」のあだ花にして、うたかたの夢にすぎないバブル好景気は民衆の政治意識を地の底まで引き下げ、一枚のビラが結ぶ、訴えかける者と、聞き耳をたてる者とを遠く隔てた。その後のバブルの崩壊という未曾有の危機になされた既成「左翼」への政権交代には、なんらその危機に対応することができぬまま崩壊した。

民衆のやり場のない怒りと閉塞感にマスコミの動員を梃子にすくい上げ、ボナパルト的強権政治をもって突破したコイズミとそれにつづいたアベは戦後史を画するほど大きく右へと梶をきった。「国際競争力」であるとか、「国益」であるとか、「自由な労働形態」などの大儀名文のもとで、庶民の多くの諸権利が奪われた。そのことは、いま非正規雇用や高齢者医療制度、年金問題などなど様々な形で矛盾が噴出している。

90年代初頭にはじまるバブルの崩壊からはやいもので18年近い歳月が流れた。この18年のあいだの変化は凄まじいものだった。私はこんな時代になると言われてはいたが本当になるとはおもわなかった。激動期への突入である。
マスメディアを持たない庶民にとってビラはいまでも人と人を結ぶ強力な武器だと私は思う。もちろん庶民の気持ちをつかめるような内容がなくてはならないことは言うまでもないが。

不要なゴミのような粗末な扱いをしているというコメントも幾つかみることができた。他にメルマガのような形態にかえたらいいんじゃないかという意見もあった。
だが、時代が大きく変化してゆくときにあって、いまそのように思える状況が永遠なる「社会の常識」たりえるだろうか。70年安保闘争の頃、庶民は我先に奪い合うようにしてビラを取っていったそうである。もうあんな時代はないとだれが言い切れよう。いま世に不平不満不安はいくらでも積もり積もっているではないか。
そこへ火を投じるものは、優れた内容をもったビラであり、読んでいただきたいという心の伝わる配り手の誠意ではなかろうか。とてつもない労力を惜しまないローテクでハイテクを凌ぐのが庶民の闘いのグローバルスタンダードだ。

ビラ配りに対する逮捕と言う事態は、それによって大きな萎縮効果を生みだすことが大きな狙いだと思っている。ビラ配りへの逮捕有罪はすでに最高裁がお墨付きをあたえたことも大きなはずみとなっているようにおもう。ポスティングなどは基本的に遵法配布でいくのは、私がビラ配りに精を出していた時代でも心がけていた。いらないという人に無理強いをすることも得策ではない。合法的な余地がいまはまだあるのだからその地平を後退させぬよう闘ってゆかねばならないだろう。とはいえ、最高裁の判断を突破口として、ビラを配る自由がどんどんと逮捕をもって奪われてゆくのであれば、それを無効ならしめる闘いは、逮捕という恫喝に屈せず、ありとあらゆる創意工夫をもってビラを配り続ける行為のみがそれをなしうるものである。ナチス一名につき五〇名の報復的処刑に屈することなく、さらなる怒りの炎を燃やし闘いにつきすすんだレジスタンスは抑圧に抗する者の普遍的あり方を今に伝えるものだと思う。

時代はそんな方向へと急速に向かいつつあると思うものである。美の女神ベヌースが極楽浄土のような天上界で産声をあげたのに比して、自由の女神は地獄絵図のような累々たる屍をふみこえて民衆を自由へと導いたことを忘れてはならない。

自由の女神



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作り手の情熱
昔から、商業に携わる人の多くはチラシに情熱を傾けていました。下手なチラシを作ればチラシ代も出ない。よいチラシを作れたか否かを決めるのはお客様のレスポンス。

こんな話があります。
某店の店長から緊急電話。「Aの値付けを間違えました。25000円の商品が2500円になって刷り上がってきました。私のチェックミスです」

チラシを刷り直すとコストが上がって採算割れは自明。
「Aの在庫はいくつある?」
「10個です」
「そのまま行け。2500円で売れ。売りきれたら終了にしておけ」
「大損ですよ。いいんですか?」
「チラシ刷り直すより痛みは少ない。それで行け!」
「わかりました!」

セール終了時の店長の報告
「A、一つも売れませんでした。安すぎてパチもんか何かと思われたんでしょうか?」
「そうかも知れんな……」

チラシの質が良くなかったとは、頑張った店長を前に言えなかった……。
ぶさよでいっく | URL | 2008/07/08/Tue 17:11[EDIT]
こんばんわdicさま
いきなりお願いでございますが、こちらではdicさまと呼ばせていただきたく思います。誠に失礼極まりないことは重々承知の上、平に平に伏してお願い申し上げるものでございます。まがりなりとも、いまなお左翼の端くれとしての意識と、脱落分子としての自虐的意味合いから自ら「サヨク」などと書いてはおりますが、「ぶさよ」という言葉には少なからず抵抗を禁じ得ないものがあるのでございます。しょーもないこだわりではございますが、なにとぞご理解いただけたらとおもうものでございます。

さて、あらためて、dicさま、いらっしゃいませ。

そうでございますね。ビラもチラシも内容とその質が大切ですね。私は某yasukuniを裏手にのぞむ某所に配属されていた経験がございます。私たちの党派はとてもビラを大切にしていました。略字は以ての外、目指すは新聞の活字のような文字、綺麗な印刷と読んで下さる方を意識したビラをつくらねばならぬと言う方針で一致をしておりました。

しかしながら、過去記事の「印刷機のおもひで」に寄せていただいた、ごもっともとしか言えないコメントに、しばしの絶句を余儀なくされてしまいました。
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-115.html

質的には明確な目的意識はあれども、それが徹底的に貫徹されていたのか、また、内容的に読み手の意識をがっしりと掴むものであったか、それは、当時から問題にしていたところではあったのですが。いかんせん、革命ロシアの内戦よりも永きにわたりXXしていた我が党は、XXが戦略的総路線の基軸と位置づけられており、もっと大衆にわかりやすいビラを作ろうと言う提案には、「大衆迎合主義」とか「党は人民大衆のもとに降りてゆくのではなく、人民大衆を党のもとへと引き上げるのだ」とか「大衆蔑視」とかいわれたものであります。

てなわけで、毎日欠かさず昼に行われる情宣で配られるビラの中にはかならず、「反革命△○を殲滅せよ!」のドン引きもののフレーズがはいることがお約束であり、「日本帝国主義の天皇制ボナパルティズム攻撃を粉砕せよ!」のように、その筋のお方か、ごくごく一部、ひとつまみ程度の教授くらいにしか理解不能の文言がならんだのであります。

それでも、毎日欠かすことのなかった情宣は、一般学生の決起にはいたらずも意識のなかに「それなり」にはいっていたとは、依怙贔屓なしに言えたと思っていますが。
まあ、いずれにせよ、内容について、私的には基軸は妥当なものとしたうえで、大衆の心を掴むという点で問題はあったと思っております。最近は戦略的総路線を大きく変更し、たいへん不評を耳にすることが多いことが、なんとも陰鬱な気持ちにさせるのでありますが。

自然発生性への拝跪や待機主義はあやまりであっても、戦略的総路線にのっとり、かつ情勢に符合した宣伝扇動をしてゆかないと民衆の心はつかめない。25000円の商品が、2500円で売りにでていても手が伸びないということになる。とはいってもなかなか難儀なことなのでありますが。この点を四苦八苦しながらもクリアーしたレーニンは大したもんだと。

最後に某氏に関して、難解な理屈を振り回さなければいい人だという認識に変わりはないのですが、あれほど大暴れをすれば、そのような思いもはるか後景へと退きます。擁護的な発言をしてきた私としては、一定のけじめといたしまして、今後氏が人の意見に同意しうるか否かは別にして、理解することができるようになるまでコメント等ありましても一切スルーすること(うちは”基本的”には書き禁はしていないので)。そして、dicさまのところへのコメントもしばしの間、一切控えさせていただこうと思うものでございます。ご迷惑をおかけしました。

なお、面白くもない、たわいもない話しでございますが、関心が向くものがございましたら、心やすいコメントをしていただければ、幸いでございます。なお、園芸ブログにて、基本的にコアな党派批判は今の時点ではしないことにしておりますのでなにとぞご理解の上、ご容赦くださいませ。

コメントありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2008/07/08/Tue 23:30[EDIT]
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もしもビラ配りでお玉が捕まったら・・・
その昔、まだ村野瀬玲奈がコメンターとして大活躍していた頃・・・・玲奈のすごさを見せつけてくれたのがこのお玉記事のコメントライブドア...  [続きを読む]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 2008/07/07/Mon 07:05
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