たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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明るい明日のための明治維新考 その2
肩こり指数 ★★★★

先日にひきつづきニッポンの夜明けとしての明治維新をめぐって交わされた某冥王星氏との真摯な討論の残りを上げさせていただく。
クオリティに関しては前回どおりコメント故、隅々まで詰めきることができないので高いものではないがそれなりに、時間軸にそって、全体のかたちと関連がみえるように書いたものである。某冥王星氏も長文、私も長文なので二つ合わせて超長文、2回に分割も考えたがどうしても切りようがないところなので致し方ない。内容よりも、単に長いだけそれもたいした内容じゃないということから読者の疲労度を考慮して、肩こり指数四つ星にしておいた。
まあ、ブログの情熱の何パーセントかは自己満足だ、今回はその比率が高いということです。


冥王星氏の発言
<小御所会議における薩長に姦計>
土佐藩の山内容堂は、この会議に慶喜公を呼んでいないこと自体おかしく、王政復古宣言は一部の者の陰謀だと主張。これに対して岩倉や大久保(薩摩)らの慶喜排斥派(武力倒幕派)は反論できなかった。
まず、将軍職という地位は、武家の棟梁であり、会議に出席しているものが武家であり、将軍職の辞意を留保した朝廷に意向を無視している部分においては、山内容堂の問題提起は非常に辛辣で薩長の弁明の余地すらない。
しかし、山内容堂の「これは幼少の天皇を担ぎ上げておこなった陰謀であり・・」との発言に対し、岩倉は「幼少の天皇とはなんたることか!」と叱咤する。幼少でも天皇は天皇である。当時15歳だった天皇に対する非礼の発言をしたことに気付いた山内容堂はこれ以降黙り込むことになる。
このくだりで問題になることは、まだ幼少である明治天皇の代わりに摂政が存在することから考えるべきであろう。公式的に朝廷内で天皇を補佐する立場である摂政二条家の移行がこの場合は、公的な朝礼であり、明治天皇にはその政治的権威性はない。つまり、幼いことが問題ではなく、政治的権威は天皇に介在するわけではなく、摂政二条家にあるはずであるから、山内容堂は非礼ではない。この部分でおいてまだ山内容堂は奮戦して幕府と公家との同盟政体を模索していたと想定できるだろう。しかし、このような状況を暴力で覆そうとしたのが、薩長である。
全体と通して、会議のはじめは山内容堂により慶喜排斥派は不利な状況となっていた。その長引いた会議の休憩時間中、御所警備にまわっていた西郷隆盛が一言「短刀一本でかたづきもす」と語ったといわれている。これが噂となって会議参加者の知るところとなった。命の危険を感じた容堂は休憩後再開された会議では沈黙した、といわれている。
この西郷発言に励まされ暗に力を得た岩倉は、自らも山内容堂を刺殺する勢いで会議に臨んだ。その気迫に危険を感じ黙ったともいわれているのだが、このような政治の場で暴力をちらつかせる薩長の手法がまともであるか?という問題では、まともとは言えないだろう。

そもそも、これまでの日本の歴史において、権力を天皇に一元化したことは、一部の期間を除けば存在していない。富国強兵を強行するために、やむを得なかった、という論が横行していますが、そういう必然性があるほど、日本が劣勢であるという根拠は何もありません。
大政を奉還して恭順を示している幕府に戦争を仕掛けることに全く大義はありません。これは理由のない暴力であり、それを正当化するに錦の御旗を事後で使うことは近代戦争でも支持が得れるものではないでしょう。
島崎藤村の「夜明け前」という作品に関して読んだ人はどれだけいるでしょうか?この作品が明治維新の地方社会を一番鮮明に述懐してるわけだが、明治政府の民衆は維新に大きな期待を寄せたことが書かれていて、それが結局裏切られる歴史を描いている。明治初期の百姓一揆の頻発などを考察するに、同時に、薩長雄藩の徴税などを見るに、いわゆる搾取状況から成立する明治富国強兵であるという認識も可能である。現実に、自作農が減り、小作農が増えていた事実関係もあるし、殖産興業政策における富国強兵政策も当初の官営主体ではなく、民間払い下げによって成功している部分などは、政府の手腕として評価するにかなり問題があるといえるでしょう。



薩摩長州の発言
<小御所会議における薩長に姦計>

天皇制に関しての記述がございますので、軽くふれておきたいと思います。天皇家は10世紀頃から展開した荘園制によって公民制が崩壊すると、12世紀末には律令制の伝統にもとづく官位授与などの権威は保持しましたが、実質的な政治勢力としては、いち荘園貴族程度のものに衰退し、南北朝内乱をへて室町幕府のもとでさらに衰退を深めました。しかし織豊政権が室町将軍家に対抗するために天皇の権威を利用し、それが江戸時代にも継承されて天皇が将軍職を授与するという形式が固定化したのです。

このわずかに残った権威をめぐって、幕府に対抗する権威を得ようとする反幕府勢力と、天皇との結合によって支配体制の立て直し・強化・維持をねらった幕府との天皇家争奪戦の綱引きが双方朝廷工作の目的でした。そのことは、急速に天皇家の政治的地位を引き上げることとなりました。
さて、天皇家獲得の成功から誕生した明治新政権ですが、「大政復古」になぞって太政官制度にならった支配機構をとりましたが、実態は有司専制政治であったことは周知の事実で、天皇の政治的地位は不確定で、かならずしも最高権力ではありませんでした。

その天皇が機構として確立するのはさきにふれましたように、1890から1900年代にかけてでその契機は、欧米から流入したブルジョア民主主義思想を武器に、在野士族、豪農、中農、非特権的中小産業資本家層がたちあがった自由民権運動を有司専制政権が弾圧する代償として、国会を開設にふみきったことで、1889年の大日本帝国憲法発布により、階級的には半封建的な寄生地主と特権的ブルジョアジー(政商)とのあいだの均衡のうえに絶対主義天皇制として確立します。

時おなじくしてはじまる産業革命、それにともなうプロレタリアート階級の創生に、恐怖したブルジョア階級は寄生地主と結託することによって1890年代後半から天皇制ボナパルティズムへと変容してゆきます。このあたりは唯物史観にもとづく近代史のなかでも最重要なのですが、エントリーが明治維新ですので、論及をいたしません。



私は藤村の「夜明け前」を読んだことないんです。そういう内容だったのですか、こんど読んでみようと思います。さて、self様の感じられたことは、その通りです。地租改正を突破口にはじまった農民への収奪は、おそらく日本有史上最悪の収奪であったと思います。さきにインフラ整備でふれましたが、自作農を解体し、寄生地主を登場させ小作農を拡大し塗炭の苦しみを強いました。このプロセスこそが資本の本源的蓄積に他ならなかったのです。

そのプロセスは過酷です、最初に産業革命をおこしたイギリスでは、その先駆性ゆえに資本主義はほぼ純粋な形をもって自然発生的に発展してゆきました。しかし、この資本の本源的蓄積過程においては、囲い込み運動によって、領主たる土地所有者に突然土地を追われ農民は生きる術を失いました。農民は浮浪者となり物乞いや盗みで生計を立てるものもあらわれました。
ヘンリー8世の統治下では1531年の条令で、そんな着の身着のままの哀れな浮浪者を「労働意欲がない」ときめつけ無慈悲に逮捕し、初犯は鞭打ち、再犯は耳そぎ、3度目の逮捕は死刑をもって弾圧しました。
1601年初の救貧法を国家的なレベルまで改正し近代福祉のパイオニアと謳われるエリザベス救貧法のエリザベス女王ですらその統治下ではそれに、先だつ1547年の条令をもって14歳以上で免許をもたない乞食は鞭打ちと耳に焼き印、3度逮捕されるとやはり死刑をもって弾圧し続けてきたのです。
このようにして領主に税を納めねばならないが、自由意志にもづき労働し共同体として多くの人と結びながら綿々と生きてきた牧歌的な封建農民は「規律正しい従順」な「近代労働者」「賃金労働者」に改造されていったのです

すでに早くから中央集権国家と常備軍をもち、基本的なインフラが整備されていた、イギリスですらこのありさまです。インフラをほとんどもたず、主要産業が農業しかない時点での日本は、農民への収奪によってしかインフラと近代工業を同時に整備する殖産興業政策の財源を得ることができず。農民の苦しみはイギリスの労働者の比ではなかったと思います。

では地租改正がもたらした農業の破壊を精査してゆきます。地租改正(1873年)によって封建領主の土地所有が否定され土地が私有地として認めらたとはいえ、封建領主の元で耕作していた土地に私有権を追認しただけでなので、非常に狭小な耕作地をもつ零細小規模農家が大量に生まれました。
また政府の「旧来ノ歳入ヲ減セサルヲ目的」との方針に、幕末時に封建領主が課していた高額の税率を追認し貨幣での納税を強制したものなので、農民にとっては、幕府の末期の重税と貧困からのスタートでした。
さらに村請け制度は廃止され個々人が納税の責務を負うことになったのはすべてのリスクを押しつける結果となりました。
さらにさらに入会地などの共有地は所有者未確定ということで没収してしまいました。高額な貨幣での納税は小規模自作農家を衰退させ、租税改正にさきだつ田畑永代売買禁止令を解除(1872年)によって土地を手放し小作になる農民が大量に生まれ、土地の集積が寄生地主を登場させました。

この流れに拍車をかけたのが明治十四年の政変(1881年)で松方正義が参議兼大蔵卿となり日本銀行の設立を経て、政府発行紙幣の全廃と兌換紙幣である日本銀行券の発行おこなったことによってひきおこされた。深刻なデフレは、自作農業経営に壊滅的な打撃をあたえ土地の集積をさらに促進し膨大な小作農を生みだししました。どんどん強大になってゆく寄生地主にたいし貧困の度合いをふかめる小作農。

いっぽうで殖産興業ですが、旧幕藩営の諸施設の接収をかわきりに、1870年に第一段階として工部省を新設、鉄道の敷設と管理、官営鉱山炭坑の経営、セメント・ガラス・機械製作などを外国人技師の指導に無批判に模倣的な欧米の技術の導入をおこないました。
1874年に第二段階として設立された内務省は、日本型農業(零細小規模農家)の特色に配慮しつつ、欧米型農業を導入、稲作農業からの脱却をめざすとともに、製糸・ラシャ生産・綿紡績などの農産加工品工場の建設と増産をおこないました。

しかしself様が指摘しておられるように、ごく一部の事業をのぞいて累積赤字を重ねていました。
1881年第三段階として農商務省が新設され、官製事業は縮小され、模範官営工場は一部の特権的ブルジョアー(政商)に格安で払い下げられました。こうして殖産興業政策は1880年代後半には破綻・後退してゆきました。
しかし、殖産興業政策がはたしたインフラの整備と高度な生産技術をそなえた拠点施設を構築できたことは、1900年代初頭から始まる日本産業革命の布石となったことに疑うべき余地はありません。ただし、おびただしい数の農民への激しい収奪とそれにともなう彼ら彼女らの貧困を忘れてはなりません。

さて、農民に話を戻します。どんどん強大になってゆく寄生地主にたいし貧困の度合いをふかめる小作農民は家人を労働者として放出することによって、兼業農家として生き残る道をさぐります。すでに各地では非特権的中小産業資本家たちがマニュファクチュアの段階を脱し成長しておりました。これを可能ならしめたのが、インフラの整備と農業の兼業化と廃業による大量の労働者の創出でした。
殖産興業と地租改正セットですが農民を解体するほどに収奪し興業に投入する、解体された農民は土地を手放す、手放した土地を買って地主ができる、地主のもとで小作農になり収奪される、地主は収奪した剰余利潤を資本家に投資する。収奪された小作農はますます深まる貧困に労働者となって資本家のもとでも搾取される。この恐ろしい社会機構を生み出すのが、近代日本における資本の本源的蓄積の過程なのです。労働者=プロレタリアートの悲劇的な惨状は女工哀史などで知ることができますが私は1979年に映画で見た「あゝ野麦峠」が忘れられません(涙)

明治維新など美化できるようしろものではない。それは想像を絶するような痛みを人民に強いるばかりの暗黒の歴史です。
欧米列強の従属国家となることをぎりぎりでかわしながらの近代国家建設をよしとするより、いっそ属国となっていまの世まで、民族解放闘争をみなが心をひとつにして戦うほうが生の充実はえられかもしれないと思ったりもする薩摩長州です。


最後までおちかれさまでした。バラ貼っておきます癒されてください。

イングリッシュローズ ゴールデンセレブレーション
ゴールデンセレブレーション


Comment

 秘密にする

ふーん(笑)
 冥王星さんのいうように、小御所会議で西郷隆盛が執った態度は暴力だというのはまさしくそのとおりですね。こんな暴力主義が後に5・15事件、2・26事件へつながっていくんじゃないでしょうか?ま、西郷隆盛は、さしずめ右翼テロですか?(笑)征韓論を唱えて反対させるやいなや西南戦争ですし。

 教訓は、体制内での暴力もいかん、それはクーデターを許す基礎になるということでしょうか?

 さて、薩長さんの明治維新論は、納得です。明治維新というものは農民に多大な犠牲を強制した支配階級と国家権力の収奪と弾圧の歴史である、と。まさしくそう思います。小泉改革と似てますね。郵便3事業を株式会社化する政策で払い下げ、貿易自由化で農業破壊、地方の失業率激増、過労死、国債発行で大型公共事業推進、憲法9条改定で海外での武力行使の準備などなど。

 明治維新以後の歴史と今現在の歴史を支配階級の方から見てみると何かおなじことの繰り返しです。しかし、被支配階級の方から歴史を見てみると随分と発展していますね。今現在ある議会制民主主義、表現の自由、労働運動などの権利、実態を明治時代に後退させられることなく、この被支配階級の方からみた抵抗運動の歴史を発展させていくことが人類の価値を実現する真のヒューマニズムであり、中立、中道だということが分かりました。

 それにしても、日本銀行券を発行したらデフレになるっていうのは何でですか?インフレになるような気がするんですが。デフレというのは物価が下がるということですよね?インフレというのは物価が上がる。普通、紙幣を発行したらインフレになりめせんか?デフレになったのは何故でしょうか?
東西南北 | URL | 2007/11/01/Thu 00:59[EDIT]
こんばんわ
ようやく、仕事のきりがついた。

松方デフレですか説明するには眠すぎるので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%96%B9%E8%B2%A1%E6%94%BF
これでも読んでみてくださいな。すんません。寝る
薩摩長州 | URL | 2007/11/01/Thu 01:46[EDIT]
おはよーございます。なるほろ。理解できました。「政府発行紙幣の全廃と兌換紙幣である日本銀行券の発行おこなった」と薩長さんが書いてますね。(笑)

 銀本位制と金本位制。兌換紙幣。労働力の価値と不換紙幣の関係が気になる。
東西南北 | URL | 2007/11/01/Thu 08:08[EDIT]
おは!
おはよう、東西氏。

wikiに書いてあるとおりだ、いままで詐欺のように発行しまくった不換紙幣(貴金属貨幣に価値が担保されていない貨幣)を あ!、そのお札今日から駄目よ的に廃止し、兌換紙幣にかえ流通量を激減させたから貨幣価値は跳ね上がり、デフレとなったわけだ。くわえて、プライマリーバランスを改善するために毎度の事ながら、銀本位制をはじめるから、そしたらいいことになるってと言って、大増税をしたということだ。
つまり、詐欺まがいが、本物の詐欺になったというお話。国民が文句を言わなければ、言わせなければ政府は何でもありだと言うことだ。

そこで教訓だが、軍事大国にはなりません、お金がないです。という馬鹿げた論は、お金は時の政府の思うがままなのだという過去の歴史的事実のもとにもろくも崩れ去り、それを言った者の恥のみが残る。
薩摩長州 | URL | 2007/11/01/Thu 08:29[EDIT]
TBありがとうございました.
ちょうど拙ブログの方でも明治維新の話が出てきましたので,とても参考になりました.結局,時の権力が国をある方向に引っ張ろうとする時は,とんでもない犠牲をまったく厭わない,ということですね.
昨今の小泉・竹中路線もとんでもない犠牲を知らん顔して平気で強いています.これも非道な政事として歴史に残るのかもしれません.
アルバイシンの丘 | URL | 2008/01/28/Mon 19:40[EDIT]
ようこそ、パピヨンさま
いやいや、稚拙な私の明治維新考をお読みいただきまして有り難うございました。
大雑把にして、いろいろ間違いも多々あるのですが、広い心でお許しくださいませ。

ちょうどそちらへお邪魔いたしましたら。布引さまと愚樵さまが明治維新で対話されているのを拝読させていただき、話に乗ろうか乗るまいかと思案のすえ、恥ずかしいので、ひっそりと、こっそりとトラックバックさせていいただいたものであります。

>昨今の小泉・竹中路線もとんでもない犠牲を知らん顔して平気で強いています.これも非道な政事として歴史に残るのかもしれません

そうです残ります。いや残さねばなりません。忘れてはなりません。ロシアのケレンスキー、ドイツのグスタフ・ノスケのように人民の敵として永遠に歴史に刻まなければなりません。きたるべきときには小学校の社会科の教科書に歴史的罪人として写真入りでのせなくてはなりません。
またのおこしをおまちしております。
薩摩長州 | URL | 2008/01/28/Mon 22:54[EDIT]
こんにちは
papillonさんのところから辿ってきて、興味深く拝見しました。

拝見しながら昔のことを思い返していたのですが、こうした歴史的事実を学習した頃は、昔は悪い時代だけど現在になるに従ってだんだん良くなっていった、という「神話」を何の根拠もなく素朴に信じていました。当然、明治以前の時代はもっと悪かったと思っていましたから、維新以降の収奪を非道なものだとは捉えていなかった。むしろ良くなっていく過程での出来事だと思っていたんですね。

さて、竹中・小泉の酷さには全く同感なのですが、それにしても思うのは、日本国民の「余裕」です。これはたぶん、東南アジア諸国あたりから収奪して蓄積した「余裕」なんでしょうが。もっとも最近は急速に失われつつありますけども。
いつの世も、「余裕」のない者から順々に苦しむようになっていきます。カイカクは「余裕」のある者にはよく映り、ない者には悪く映る。いまだ小泉が支持されるのは「余裕」のある者が多いということなんでしょう。庶民のささやかな「余裕」を奪うのがカイカクなのに。

翻って、時代は良くなっていくという「神話」への信仰も、「余裕」のなせる業だったのではなかったのかと考える昨今です。
愚樵 | URL | 2008/01/29/Tue 06:14[EDIT]
いらっしゃいませ愚樵さま
>明治以前の時代はもっと悪かったと思っていました
同感です。

>これはたぶん、東南アジア諸国あたりから収奪して蓄積した「余裕」なんでしょうが。
そうです、その通りであるとレーニンは「帝国主義論」書いてますし、私もそう思っております。

>時代は良くなっていくという「神話」への信仰も、「余裕」のなせる業だったのではなかったのかと
そうですね。ロシア革命いこう搾る側としても、あまりむちゃくちゃして革命おこされたら元も子もないので、国家予算を投じてでも「余裕」をあたえてきたのだけれど、「財政難」と「国際競争力」とやらでそれを止めようというのがコイズミ&タケナカの敷いたレールであります。

封建社会の考察もございますのでこれまた稚拙な雑文ではございますがトラックバックさせていただきました。お目汚しとは思いますがお読みいただけましたらとてもありがたいです。 また、さまざまにご意見をいただけましたら嬉しく思います。危ない系サヨクの私ではございますが、よろしければどうぞこれからもよろしくお願いします。
薩摩長州 | URL | 2008/01/29/Tue 20:48[EDIT]
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