たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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沈着
ところで精神が、未だ曽て良きしたことのないようなものとの不断の闘争によく堪えねばならないとすれば、何よりもまず二個の特性を欠くことができない。その第一は、このような甚だしく不分明な事態のなかにあっても、真実を照破するだけの光をはなつがながらも保有しているような知性である、また第二は、このともしい光に頼って行動するところの勇気である。前者は譬喩的に、フランス語の(couq d' oeil)クワ・ドウィユ(精神的瞥見)という語で表現されている、また後者は果断である。
(中略)
上述した「クワ・ドウィユ」および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである、予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力がすなわち沈着にほかならないからである。

不意に話しかけられた場合に、これに対して当為即妙な答えをするのも沈着だし、また突発した危険を即座の機転によって切り抜ける手段を講じるのも沈着であり、いずれも感嘆に値する心のはたらきである。しかしかかる手段と言い、それが適切でありさえすれば必ずしも非凡であることを要しないのである。平静な熟慮を経た上でならかくべつ非凡というほどの行為でなくても、従ってまた我々の受ける印象としてはかくべつ取り立てていうほどのことでなくても、それが知性の咄嗟のはたらきであれば、やはり我々を悦ばすのである。沈着、即ち精神が常に目醒めているという表現は、知性によってとられた処置が、響の声に応ずるごとく迅速であることを言い現して極めて適切である。

人間精神のかかるすばらしい特性が、知性の特質に基づくのか、それとも情意の均衡から生じるのかということは、その都度の場合がどのような性質のものであるかによってそれぞれ異なるであろう。しかしいずれにせよ沈着には、この両者の一を全く欠くわけにはいかないのである。それだから当意即妙の応答は、どちらかと言えば機転のきく頭脳のなすところであり、また突然の危険に処して咄嗟に適切な手段を講じるためには、何よりもまず情意の均衡がなければならないのである。
(クラウゼヴィッツ「戦争論」一編第三章 軍事的天才より)

という下りを読んでいた。とある春先の昼下がり。誰が読んでいたかというと、私では勿論無い、読んでいたのは社防隊長。
ルンペンスチューデントだった私は、待機時間中にて無償配給の昼食をいただきお昼寝中だった。
ひとしきり寝た後、ボケ~としていると、学生同志!の声につづいて、いきなりこの下りを音読する隊長。えぇえぇと動揺しつつ聞く私。
音読をおえて、まるで御仏が手をさしのべるように「同志!沈着ということが如何なることであるか理解できたかな?」と。「は!隊長、さっぱりであります。」と私。

にこっと笑って隊長曰く「沈着というのは、予期せぬ事態が発生したとき、それを処理する能力である。その際の知性の咄嗟の働きは普通でよい。その能力は乱れた心が平常心へと戻るにかかる時間をもってしるべし。どうだ、精神は目醒めたか」と。続けて、「学生は勉強せねばいかんぞ。」 「ハイ!わっかりました」と私。
遠い昔のこと、第二ビルの社防室でのやり取りだった。

それが、「戦争論」とのはじめての出会いだった。その後、勉強嫌いだが「素直なよい子」(括弧付き)だった私は隊長の仰せの通り、「戦争と革命の基本問題」と平行して「戦争論」を日々の任務のあいまをみてせっせせっせと読んだものだ。なれど、どちらもいまだ一知半解にして、本能のごとく自由自在にそれを操れるようになることは現世ではかなわないと半ば諦めている。

とはいえ、そんな一知半解なるシロモノでも、戦争のなんたるかくらいのことは多少はわかるのだが。

憲法9条をよりどころとして、反戦・平和 を訴えることは、最高規範を担保としたわかりやすい論理としては有効であるかも知れないが、現実の国際社会が「安定」(括弧付き)していた時ははるか遠くへと過ぎ去り、流動を通り越し、激動するいまにあっては、世界各地とりわけ発展途上国で生起する民族解放の闘いや、世界中をかけずりまわる投機マネーが引き起こす摩擦の激しさは、社会の枠組みを右から大きく揺さぶり、そんなストレートな論がはいってゆけないほどジグザグした多様な「現実論」を準備する。

そんな「現実論」のリアリティーの前に屈し9条を投げ捨てる、あるいは観念論と誹られ一笑にふされることを断固として拒むのであるならば、もっともっと戦争について学ばねばならない。政治と軍事の関係を深く理解せねばならないと思うものである。戦争という二文字を忌み嫌い避けるのではなく、真っ正面からそれが何であるのかを見据え、考え抜くことをとおしてのみ、紙に書かれた文字に過ぎない、9条が物質的な力へと転化しうる可能性を見いだすことができるような論理を用意できるように思うのである。

てなわけで、嵐勘三郎まがいのヤクザなコメンターはほどほどにして、すこしは暇を見つけて勉強しようかなと。おそらく隊長なら、いまでも私にこう言うだろう「おっさんは勉強せねばいかんぞ。革命は近いが人生は残り少ないぞ」と。 たわいもないお話でした。


当地は暑い日が続いております。今日は何の脈絡もなく猫さんを貼りまする。
玄関の土間でとける猫
とける猫

へろへろのなな
熔けるなな

へんな格好のみこ
熔けるみこ

Comment

 秘密にする

暑い時は
 ホームセンターでペット用の霊感じゃなくて冷感マット売ってますが、薩摩長州さんとこのネコにとってはタイルが冷感なんでしょうね。ウチのイヌはフローリングの上によく寝てます。
 9条については、実は極めて現実的な平和実現の道具だということをもっと宣伝すべきでしょうね。
shira | URL | 2008/07/20/Sun 23:37[EDIT]
いらっしゃいませshiraさま
そうですね、ホームセンターに猫エサを買いにいくときさまざまな冷感マットをみることができます。たちどまって眺めてみたり、説明書きを食い入るように読んでみたり、手に取ってみたりするのですが、いまひとつ買い物かごへといれるきになれない。のは、はたして、うちの猫は使うのだろうかという疑念がふっきれないのであります。とはいえ、こんど一枚くらい買ってみようかなとは思っております。猫が寝ている場所、その一は玄関のタイルの上、その二はフローリングの上、その三は風呂場というランキングになっております。猫も6匹いればそれぞれ好みも違うようで、実におもしろいものです。

9条にかんしましては、ただいま考え中ということで・・・ 結論は断固死守なのですが、それが叶わなかった時のことを想定して、その先のことを考えておかねばなりませんということでしょうか。

コメントいただきありがとうございました
薩摩長州 | URL | 2008/07/21/Mon 22:42[EDIT]
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