たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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小資本家
肩こり指数 ★☆☆

つい先だって漁師さんの全国一斉休漁が闘われた。まあ、あっちこっちのブログで取り上げているのを斜め読みで失礼ながらいろいろと読ませていただいた。

社会機能がストップするようなゼネストであれば客観的な革命情勢は一気に引き寄せられるということになろうが、はたしてこの漁師さんの「ゼネスト」の評価やいかに、というと即答できないというのが正直なところだ。目にした多くの意見もまた、さしたる影響はないと思ってかそう重大なうけとめをしていないように思えるものだった。
てなわけでつらつらと考えてみる。

マルクスっぽい視点からみるならば、そもそも漁師さんという仕事はいかなるものであるかというと、政治学的には小資本家=プチブルジョア=小ブルジョアと、経済学的には小商品生産者と呼んでいるものなのである。
この小資本家は漁師さん、お百姓さん、手工業、商業、サービス業などにおいて、土地、船、店舗、道具などの生産手段をわずかながらも所有し、自分と、その家族でもって労働することを基本としているもので、工業の発展形態としては、前資本主義的なありかたとしての家内制手工業のようなものであるといっていいだろう。

これら、小資本家さんの出自は封建社会にあって、そのまま引き継がれてきたものといえる。原論レベルでは。資本の原畜過程において、とりわけ農業にあっては封建的土地所有を解体し無産の労働者を創出する過程として現れるわけなのであるが、我が国ニッポーンやドイッチュランドのように、遅れて資本主義への歩みをはじめた国家は、資本の原畜過程を経ずに金融資本の導入によって急速な工業化をなしたところでは、これらは、その形態をおおきく変化させることなく、資本主義的経済制度の支配のもと、それに従属しつつ小ブルジョア経済制度として独自の領域を維持してきたのである。

とはいえ、先進資本主義国おフランスのように、フランス革命がブルジョア革命と農民革命とのアマルガムであったという歴史性に規定され、その結果として、膨大な分割地農民を生みだしたことから、資本の原畜過程がすすまず、くわえて、資本は国内よりも後進資本主義国への投資へとむかったため、フランス銀行のような巨大金融資本と国家財政の後押しをもって産業資本をたちあげざるおえなかった。てなこともあったりして、それぞれお国事情が違えばそのありかたも微妙に多様であったりするわけなのであるが。

まあ、なにはともあれ、この小資本家さんは各国いたるところでた~くさんみることができるわけで、そのボリュームの大きさから、裕福なものから極貧にいたるまでの幅広い階層を形成するのであるが、そのボリュームの大きさ故、市場を通じて相互に激しい競争を強いられることによる、生産や生活に必要な工業製品との鋏状価格の形成とそれによる大資本からの収奪、低価格の農水産物と手工業製品の輸入、大規模商業施設の出店によるシャッター通りなどなど資本の外圧につねにさらされるのである。

そうした競争を勝ち抜きより大きな資本へと発展をなすか、あるいは淘汰され、賃金労働者となるか、そんな際どい不安定な基盤のうえにたつものたちなのである。
それ故に、小資本家さんは二つの顔をもつものである。ひとつの顔は、資本主義的生産の進展により、その多くが没落してゆく定めにあるがゆえに資本主義的生産にたいしては批判的な立場をとりつつも、もう一つの顔として、小規模とはいえども、私的に生産手段を所有し「自由」な意志にもとづいての労働が永遠なることを求めるがゆえの保守的な立場をとるものでもある。

そんな二つの顔をもつ小資本家さんは、その立っている場所の不安定さゆえに、この度の原油の高騰のような事態は、存立の危機として直撃する。その激しい危機感と社会への憤りからブチ切れて小ブルジョア急進主義と呼ばれる、過激な行動へとつきすすむこともあるのである。

以上のことが、おおむね教科書に書かれてあるような資本主義的経済制度の支配における小資本家さんのあり方と、その属性なのであるが、このたびの漁師さんたちの「ゼネスト」が全国的なネットワークとして漁業協同組合が組織した闘争であるということは、政権与党の集票団体であるということからたいへん興味深いものではあるが、その獲得目標が「補助金請願」にとどまっているところから、残念ながら「ゼネスト」の効果はあまり期待できないと思っている。

運動の前面に出てくるものが「補助金請願」”だけ”ではもはや願いは通じないだろ。
ブルジョア新聞(通称ブル新)各紙が翌日そろって伝えたように、原油高騰で苦境にあるのは漁業だけではない、という論調に対抗し国民世論をがっしりと掴み取り政権与党を震え上がらせるものがなくては、そんなささやかなる願いですら届くことはないだろう。
かの、コイズミ&ヘイゾーがなした怪しげなる「構造改革」なるものの核心のひとつは、農業も漁業も商業も建築も医療も教育も、み~んな頑張ってよ! お国はもう面倒はみないからね。お国は借金だらけでお金がないんだから。というものだったと思う。

そのようなありかたは、さきの参院選の歴史的敗北をとおして福田内閣のもと多少トーンを下げざるおえなくなってはいるが、この築かれたる反動の橋頭堡は断固として死守の構えにかわりがないことは間違いないようだ。なにより、漁師さんたちにしぶしぶであれ、手をさしのべるなら、それに学んで産業別「ゼネスト」が大爆発する可能性すら否定し得ないものがある。それほどサミットでもなんら有効な対策を提示しえなかった原油高騰は危機を深いものにしている。

とはいえ、このような社会の屋台骨が大きく揺さぶられるような危機に真っ先に生け贄となるのは、未組織労働者であり、小資本家のなかの多くの零細な部分なのだ。私もそうした者のひとりとして、心より連帯の意をこめて”厳しいけど、がんばろう!””ゼネスト天晴れ”と言いたい。
いま求められているのは、個別利害を代表する「漁協」の指導をはじき飛ばして、広範な苦悩せる人民と漁師さんたちの「ゼネスト」を結合し、巨大な民衆の怒りとして政権与党を恐怖のどん底に叩き込むようなゼネストを組織しうる部分の登場なのだと思う。

大きな社会変革への道のりにおいて、小資本家さんはとても重要なポジションをしめている。政権与党は戦後一貫して、それらを取り込み票田としてきた。そうしたあり方から大きく方針を転換し、かれらを突き放した。かれらの数は膨大だ、そして、「自由」なるがゆえの強さも、弱さもある。ともに闘いの隊列に加わることができる道筋を大急ぎで模索せねばならないだろう。

「ファシズムは、プロレタリアートよりほんの一枚だけ上にあって、プロレタリアの列中に落とされることをたえず恐れている階級を立ちあがらせる。公式の国家に庇護されながら、金融資本の資金を用いて彼らを組織し、戦闘部隊に仕立て上げる。そして、これらの階層を、最も革命的なものから最も穏健なものまでを含むプロレタリア組織の全体を破壊することへと駆り立てるのである。」(トロツキー「次は何か」)
ファシズムの原動力をなしたものが小資本家さんたちだったことをことを忘れてはならない。彼らのその爆発的な力を誤った方向に向けてはならないのだ。彼らを闘う人民の友としなければならない!


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天下大乱の兆しあり
色付きの文字太字の文
大正期、機械底引き汽船の土佐湾操業に一本釣り漁師達が県庁に押しかけた漁民騒動を思い起こさせるものでは有ります。
しかし、隆盛を誇った室戸のマグロ船団は一隻も残っていませんし、鰹を追っかける漫画「土佐の一本釣り」の近海漁業も軒並みに衰退しています。慢性的な赤字に対して県下横断的な単一漁協の結成化が単組の取り組みを弱くしているのかもしれません。

我が医療においても、小ブル闘争でなお馳せた武見太郎の1971年「保健医総辞退」ストが、総資本への抵抗の歴史を物語っています。
  ( 昭和46年7月1日から1ヶ月間、日本医師会は「保険医総辞退」を実施)
本院院長も県医師会の理事をしていたので、スト破りの医師がその後診療中に怒鳴り込んでくるなどしました。

 充分に小ブル急進運動の特徴を物語っていましたが、いままた主張をみれば共産党と医師会の隔たりはないかにみえます。都道府県ごとに開業医の3割から7割を組織する保険医協会も民主的な役割を果たしています。

 薩摩長州さんがおっしゃるとおりに、確固たる政治指導部が存在し、あるいは地域的な大衆と産別の融合があれば新しい展開もありえるかもしれません。
 後期高齢者への取り組みは代表的なあらわれでしょうし、私もキューバ医療についてこのような大会で語る機会がありました。
下司孝之 | URL | 2008/07/27/Sun 20:58[EDIT]
下司さまこんばんわ
日々暑い日が続きます。お変わりございませんか。

お返事遅くなりましてすみませんでした。事情は記事にいたしましたのでたわいもない話し、というようなこともないのですが、まあ、ちょっと床にふせっておりました。

キューバ医療について、土佐高知さまのところでコメントをよせておられるのを拝見させていただきました。「キューバの医療がソ連圏の崩壊で、立ち行かなくなったとき、カストロは軍事費を半分にしても、医療を守った。」

軍事費を半分にしても、国民皆が健康で元気で暮らせるなら、そんな国を守る為ならば、国難に際して、国民は皆兵でそれに立ち向かうであろうことがカストロにはわかっているのでしょうか。やはり、多くの犠牲を越えて、一斉武装蜂起で民衆が勝ち取ったものはとても大きくて、強くて、優しい。

いたるところで不満、不安、やり場のない怒りが噴出していても、それらが分断されて個別的なものに止まっているかぎり、差別的なイデをもちこまれたら互いの足の引っ張り合いに終始してしまう。そこを乗り越え、集約することのできる確固たる政治指導部の登場を心待ちにするのはナンセンスなのでありますが、私は信じておるのですよ、「きっと来る」って。そして、それは最初はとても取るに足らない勢力であっても、必ずや虐げられた巨万の民をひきいたモーゼのようになると。それがどこの何者であるかアンテナをたかくあげて、みのがしてはならないな~と思う日々でございます。まあ、右に行くにも、左に行くにも一本道はないってことで・・・ 釈迦に説法でございますな。m(_ _)m

どうも、病み上がり頭が冴えません。コメントいただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2008/07/31/Thu 23:57[EDIT]
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漁民の休漁
相変わらず気持だけぱたぱた・・・・先週は講演会のチケット販売促進のため、いろんな所へ出向いて、飲んでた・・・・おぐりしゅんは知らず...  [続きを読む]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 2008/07/26/Sat 08:02
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