たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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頑張れ赤福
肩こり指数 ★★★

赤福餅の話いきます。たわいもない話でいこうとおもったのですが、肩こり話になりました。苦悩していた難解な点は主観で突破しました。


赤福餅の話をしてみようか。なにをいまさらかも知れないけど。
うまかったんだろうな、赤福餅。先輩ブロガーココロさまも絶賛してたからな。
将軍吉宗のころからつくってたらしい、天皇家、将軍家献上品だってスゲー!

この最後の将軍吉宗以下の下り、今回の一件が知られる以前は世間一般でありきたりに言われてきたことだろうと思うのだが、このことにどんな意味があるのだろうか。

わりとあっさり結論を先に言うと、私はないと思う。すごいとは思うけどね。
本日開店のあんころ餅屋でも赤福餅より安くてうまい、おなじくらいうまい、ちょっ及ばないでもいいのだ。それが資本主義社会というものだ。

そいじゃあ何故凄いと思うか。これは、実にややこしい問題なのだ。だが赤福さんのこの件は普遍性がある。どこの歴史的伝統のある老舗も直面している問題じゃないかと私は思う。

代々受け継がれてきたものを継承するということは並大抵のことではない。とりわけ赤福さんのところみたいに封建社会から継承してきたとなればその努力はとてつもないものだったに違いない。なぜなら、封建社会と資本主義社会では、海と陸地くらいの生存環境に断絶があるからだ。よくぞここまで生き残ってきたと心ならずも賞賛したいくらいだ。
では、その断絶とはなにか?利潤を追求しそれをもって、拡大再生産をして並み居る同業者を駆逐してゆかねばならないということだ。そして、そのことはとりもなおさず商品の価値はめまぐるしく変化させ、景気変動の荒波となって襲いかかる。生存競争も気象変動も一見荒れ狂う荒波も水面下ではおだやかな海とはわけが違う。

原理論レベルでは、赤福資本のような小資本(中小零細企業)は想定されない、それは市場原理のもとにあっては、大資本(大企業)へと進化をとげるか、いち労働者へと解消するかという文脈でしか語られることはない。

では、赤福さんに大資本への道はあるのか、wikiをのぞいてみたら赤福餅の製造写真がのっていた。なんと、工場制手工業ではないか。まあもっとも、歴史的伝統をウリとする宣伝用のフォトであるから予想通りとはいえるが、餡と餅は機械化されている可能性もある、ない可能性もある。ただ製品の仕上がりをつぶさにみるに手工業であることは推測できる。しかし、しょせん製造工程は、赤福餅を食った事もない、ましてや実際に製造しているところを見たことがないものがとやかく言っても推測にしかならない。注目すべきは製品の流通過程の中にある。

一つ目は歴史的伝統にこだわった保存料をもちいない生菓子であるということである。しかも、歴史的伝統にこだわった「できたての美味さ」を保証するということなのか賞味期限の設定は2から3日ということである。これでは、工場制手工業の限界を突破して機械性大工業への移行はむずかしい。POSシステムを導入し、ジャストオンシステムを導入しても物流にかかる物理的な時間だけはどうすることもできない。

二つ目はそのような製品の性格に規定されて、製造過程以降の流通過程と販売過程を分離することができないのだ。これでは、大量生産された赤福餅を大量に市場に投入することはできない。機械性大工業のように製造過程だけを担い、製品を流通資本とそれにつづく商業資本に委ね。さっさとお金を回収というわけにはいかない。やはり、短い賞味期限がネックとなる。

赤福さんは、歴史的伝統にこだわりその看板を守り続け赤福餅を製造する限り、その源となった封建社会のころのように、手の届くところでしかそれを売ることができないし、売れるだけしか製造できないということだ。

というと、賢明な読者の方々はそれでもいいじゃん。と思われるかも知れない。
ところが、資本主義社会はそんなに赤福餅ほど甘くない。甘党の私は赤福餅は食べたことはないが似たようなものはいくらでも食べたことがある。それも近所のコンビニにそれはある。もちろん「合法的」な保存料入りだ。だれでも知っている。ヤマ○キブランドだ3個パックで比較すると価格は赤福さんとこよりちょっと安い。

このちょっと安いと言うことがだいじなのだ。販売価格はちょっと安くても製造原価は間違いなく赤福さんよりはるかに安い。それは、大手産業資本が大量生産できるから、またそうであるからこそ大手商業資本がそれを扱えるのだ。大量生産は均一なクオリティーを実現しコストを大幅に下げることができる。その結果、赤福さんを圧倒するような量を市場に投入できる。

それに対抗する赤福さんの経営戦略は、その1競争をさけヤマ○キさんの勢力地図の隙間と歴史的拠点を中心に展開する。その2歴史的な地方政界とのつながりを利用してのあらたな拠点作りそしてその強化。軍事的に簡略化していえば遊撃戦と籠城戦だ。どちらも防衛戦争の基本形態である。

さて、軍配はどちらにあがるだろう。世の甘党諸氏は赤福餅とヤマ○キあんころ餅とどちらへ手が伸びるか? それは財布と相談だ。赤福餅じゃなけりゃあ食わんと言う人は、それでよい。財布の重い人も歴史的伝統に裏打ちされた味の赤福餅に手を伸ばすだろう。
あるいは、バブル期の景気絶好調であれば誰もが財布が重いので問題ないのだが、いまどきの財布がちっとも重くならない奇妙な超好景気では、どうなるかというと財布の軽い人の多くは、赤福餅を買わないか、買う回数が減るだろう。一部のマニアを除くことはいうまでもないが。国民総中流意識をコイズミ・タケナカコンビはたった数年でみごとに粉砕し格差社会におきかえたのだから。

赤福さんのところは、保存料をもちいないから需要の変動に弱い、工場制手工業の低生産性のもとでは価格の下限弾力性が弱い。ほんのわずかのようにみえる需要の増減をともなう減退も長く続けばボディブローのように効いてくる。在庫のストックができないから日々の生産の調整はとても難しくなる。当然売れ残りが発生するだろう。これを惜別の念を押し殺して廃棄してきたところに、300年の歴史の重さと誇りそして、凄さが私はあると思う。

創業時の封建社会であるならば、「もったいない」という社会規範は低い生産力に規定されて善であっただろう。ものを粗末にすることは悪であった。現代でも高度成長まえの貧しかった時代は私も親にそう言われた。そうした時代にあって赤福さんは品切れゴメンはあっても決して売れ残りなどつくらなかったはずだ。それはなによりも、自分たちの為した仕事に対する自信であり誇りだっただろうし、お客様にもっともおいしい赤福餅を食していただくと言う精神であったはずだ。そして、その有り様は強固なものとして綿々と引き継がれてきたに違いない。そうでなければ300年の歴史の重さに耐えることなどできはしない。

冒頭のべたが、封建社会と資本主義社会は断絶的にちがう、近年ニーズの多様化などと言われるが基本は昔からのフォーディズムが支配している。多種多様な大量生産に多種多様な大量消費だ。ちょっと違うのは、消費者に費用を負担してもらって、使える部分はリサイクルしよう。ということだ。そんなご時世だから、赤福さんもリサイクルをしてしまったというわけだ。

大企業に対抗する赤福さんの販路の拡大は高度成長期とバブル経済の所産であったことに疑いはない。販路の拡大は必然的に幾ばくかの売れ残りを生じてきたに違いない。しかし同時に販路は増えれば増えるほどそのチャンネルを利用して、短時間に商品を移動できれば需要の大きなところへ持って行って売ることができる。

だが、そんなカンバン方式が可能なのは当たり前のことだがそれに見合うだけの需要があってのことだ。誰もが知るように販売チャンネルは維持をするのに経費がいる。平成の大不況につづき、奇妙な「好景気」で販売が低調に推移したことは疑う余地もない。売れ残りはあっただろう。しかし老舗の意地で廃棄する体力はもはや残っていなかったのだろう。

300年守り続けた老舗の意地を曲げて、売れ残りをリサイクルさせたものは、善意の推測だが「もったいない」の気持ちだったかも知れない。「会社がまずしいからもったいない」という悲しい文脈がそこに見えるのである。

300年守りつづけた歴史的伝統は、認めたくないことだが資本のダイナミズムの前には悲しいほど無力だ。それは、発展を止めることにこそ守られる道があるという転倒した構造を持っている。販売チャンネルを整理し本店とわずかな歴史的拠点を残して伝統を守るという選択肢が私は妥当だったと思うのだが。それにしても、300年守りつづけた歴史的伝統に手をかけた者の苦渋の選択と、それをなした生え抜きの職人さんの苦悩を思うときただただ気の毒なばかりであり。そんな国にした、地方経済を疲弊させたコイズミ・タケナカコンビへの怒りは燃え上がるばかりである。ついでに「美しい国」の御仁はニッポンの伝統とかしきりに言っていたが、かの天皇家ゆかりの伊勢神宮の将にお膝元で300年の永きにわたり守り続けてきた餅屋さんの歴史的伝統などはあっさりスルーするとはやはりその程度のものであったと言うことだ。

赤福さんにはぜひとも生き残っていただいて、伝統の味を守り続けていただきたいものだ。それが、牧歌的な封建社会への憧憬程度のものであっても。

最後までおつかれさまでした。
お約束のバラを貼っておきます癒されてください。

アーリーモダンローズ オフェリア
オフェリア


Comment

 秘密にする

 力作記事お疲れさまでした。
 本論からはそれますが、私、賞味期限なるものが何にでも書かれるようになったのがキライです。賞味の期限なんか自分で決めされてくれよ。
 赤福にしても白い恋人にしても不二家にしても、食べて腹こわした人なんか誰もいないでしょ。
shira | URL | 2007/11/03/Sat 12:03[EDIT]
こんにちは、shiraさま
「賞味期限」なんて、作る側としてはほんとはつけたくないんですよ。でも、あまり古いとおなかをこわす人もいる。そこで作る側の社会的責任が問題となる。で「賞味期限」という順番になるわけです。

資本主義社会の特徴は雑な言い方ですが、社会で必要な資材物資の生産を、欲道パワーで私的に生産するところにあります。欲にかられて手抜き、粗悪品、偽装品、食あたりするような食品をつくることに抵抗の少ない社会ですから、もしそんなものがどんどんと供給されたら、社会は荒廃します。だから、作る側にそれなりの責任を社会(の構成員)は要求するわけです。

古くは足尾銅山の公害とか、高度成長期のイタイイタイ病とか水俣病、森永ヒ素ミルク、人工着色料などなどで被害にあわれた方々を中心にした激しい闘いを通じて、生産の社会性という本質があきらかにされたのだとおもいます。封建社会では、基本は自給自足の自己責任ですし、補完的な商品経済も売りっぱなしゴメンですので「賞味期限」はありません。

ちなみに、なにかと評判の悪い中国製品ですが、いまそうしたプロセスに直面しているといえるでしょう。

実は、そのあたりもふくめて書きましたら、今回の記事の5倍くらいに膨張してしまった経緯がありまして割愛したものであります。後日あらためて、やる気満々書く気満々のときに記事にしようとおもってます。
薩摩長州 | URL | 2007/11/03/Sat 13:22[EDIT]
赤福の職人さんは可哀想。
 少し感動しましたよ。企業と消費者だけの関係で記事を書いている人が多い中で、弱小資本の悲哀と国家独占大企業資本の関係をも踏まえて立体的に書くことで、いじめ社会の原因に触れている。

 赤福は消費者を裏切ったと現象面ではいえるので、反省してなんとかがんばってほしいですが、問題は中小業者への予算対策等に冷たく放置している自民党・公明党政府とその背景にある大企業資本の集中過程ですね。ヤマザキのアンコロ餅に市場独占される社会は異常です。

 東西も、観光客に対象を絞ってブランドイメージを歴史的に継承していく経営がいいと思います。伊勢に観光に行った人は、ヤマザキより赤福を選択するでしょうから(笑)それにしても、伊勢の赤福の店の横に大型店舗を進出させるなど論外だと思いますが、儲かればなんでもやるというのが環境破壊、公害を引き起こす資本主義ですから、消費者による食品衛生法等、労働者による労働組合運動、内部告発等、国民による大型店舗の規制等の社会的な規制によって、社会的な責任を企業資本へ果たさせなければならないです。
東西南北 | URL | 2007/11/06/Tue 02:21[EDIT]
こん、東西氏
赤福さんは歴史的伝統によって生きながらえてきた。それが足かせとなって大企業への道を歩めなかった。

新興小資本家たちは、これからどんどんと「市場原理」によって解体されてゆくだろう。いままで生きてこれたのは、右肩上がりの成長を基調にして、落ち込んだら、救済、支援をくりかえし、時の政権が票として回収してきたからだ。

そうした、ケインズ的な国家的再分配を放棄したということは、コイズミ以降の政権は支持基盤が揺らぐこと恐れていないということだ。

今回の「大連立」さわぎはまだ十分な情報がなく、感性のレベルでしか語ることができないが、油注ぎの問題に端を発したこのごたごたは、フクダシーの謀を持ってしても政治的危機は政治的手法で突破するという意気込みのあらわれであると私は考えている。

それは、とりもなおさず、参院選の敗北を格差社会に求めながらも、「中小業者への予算対策等 」をなさずとも政治的危機は乗り切れるんだよ~という氏のしたたかな心根がみえたような出来事だった。

同時に、ごたごたのうらで粛々と進行している共謀罪には、庶民の不平不満怒りなんて、法的措置としての国家暴力で踏むつぶすからね。というこれまた強い意気込みが感じられる。

このふたつのことは、別のことではない。相互に作用しながら互いの力を強め合い最後に統一されたとき「大連立」=大政翼賛会とそれにもとづく強権政治を完成させる。

なかなか、したたかだねフクダシー!ただで、土下座はしないよ。

100円ショップが大流行のご時世に、大型店舗の出店にシャッターを下ろさねばならなくなった商店街は、資本主義社会の悲しい定めであって、努力と創意と工夫でそうした圧力をはねかえし繁栄する商店街は、まさに経済の奇跡であって普遍的法則となるものではない。でなけりゃ、全国で大型店舗が先に倒産するじゃん。そんなことはないって。資本の運動法則を無視して、かつての封建社会における共同体の人間関係に活路を見いだすのは無知蒙昧な懐古趣味的憧憬にすぎないということだ。資本はそんな古き良き時代の残渣をせっせせっせと解体してゆくことをやめはしない。

そういえば、蛇足だが、ヤメ蚊さまのところの田仁さまはすごいね。某氏とのやりとりを見ていておもうのだが、レベルが違いすぎて話がかみあってないよ。遊んであげているってところかな。すっごいお方がたくさんいるよね。足下にも及ばないような人が。あの筆圧の凄さが某氏にはわからないんだろうね。
薩摩長州 | URL | 2007/11/06/Tue 13:35[EDIT]
やめ蚊さんの所
 ふんふん。田所さんは闇の事実を取材して集積していますね。しかも、完全に反グローバリズム、反アメリカ政府、反資本主義です。徹底してます。東西が民主党の企業団体献金の批判をちらつかせたりしたときなんかも、ニュアンスをよーくみてますね。要するに、権力と野党、権力と国民の関係を徹底しているわけです。この点は、東西がこの1年で学習したことです。同列ではないということですよね?しかし、この点を未だに学習しない人物がwakuwakuなんですねー。ひどい。今、やめ蚊さん所でwakuwakuに質問してるんですが、商店街については「やる気がないからつぶれんじゃないのー」とかいいながら「大型店舗を横付け」ですよ。精神論です。

 他方で、「中小企業対策予算」の意義は認識してるんですよ。大企業と中小企業の「競争」条件を平等化していくということを。その上で、条件を平等にすることは否定はしないが、条件を平等にすることは不可能だって、いいながら大型店舗を乱立させるむちゃくちゃな資本主義です。

 ヨーロッパでは今でも当たり前に大型店舗の進出を規制してるようですし、日本も規制してたわけです。

 商店街で売っているものは、大型店舗に比較して価格が高いから滅びて当然だという態度には人間性があるのかと疑います。剥き出しの資本主義です。商店街の人たちが価格競争に敗れるのは何故か?と考えた結果、「努力不足」という結論のようです。観念論の見本。大企業資本とそれと癒着する自民党・公明党政権が商店街の人たちを収奪していることが原因です。商店街の人たちが大型店舗と価格競争しても生活し、規模を拡大していけるような「中小企業政策」を実現するのが政府の役割ですね。大企業から税金を取って、大企業と中小業者、商店街への融資金その他設備、情報等に格差がでないようにしていくことが基本ですね。その上で、公正な市場競争をしていけばいいわけですが、労働力は商品ではないということが必要です。
東西南北 | URL | 2007/11/06/Tue 23:38[EDIT]
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赤福など、食品偽装問題の本質は・・・
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わんばらんす 2007/11/03/Sat 23:30
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