たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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イラクでのレジスタンス 解題にかえて
肩こり指数 ★★★

さきに上げさせていただいた”イラクでのレジスタンス”という記事で、要点をおさえて簡潔にイラクでのレジスタンス運動の流れを記述しておられたNKさまの文章を転載させていただいた。ひさびさにアッテンさんのところでお見かけしたNKさまにその旨をお伝えしたところ、拙い当方のブログにコメントをよせていただき、快諾をいただいたうえ希望していた文献の紹介もしていただいた。まことに有り難いかぎりである。

帝国主義者は自国の民衆には時として、怒りをなだめすかすために「笑顔」をむけることもあるが、新植民地体勢のもとで苦闘する民衆には無慈悲である。そして自国の民衆に向かってこう言い放つ「汝の幸福のためともに無慈悲たれ!」と。
そうしたありかたに抗する民族解放の闘いとはなにか、それに呼応する帝国主義足下で生きる民衆自身の解放の闘いの必要に論及し、文献の紹介をしていただき、たいへん豊かな内容を展開してくださっているNKさまよりいただいたコメントを”イラクでのレジスタンス”という記事の解題にかえて記事として再掲載させていただこうと思うものであります。


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「イラクでのレジスタンスについて」へのお返事

ご指名をいただいておりましたのに、返事が遅くなりました。まず私の書いたイラクレジスタンス(民族解放闘争)の記事については、闘いの全貌もしくは、その本質や実態について書かれた本は、いわゆる「ブッシュの戦争」についての大量の出版物がある一方でまったくといって良いほど無いように思います。この事自体、侵略された側については何の関心も持とうとしない、自分たちが押し潰した国と2700万人の国民については、可哀想な被害者、援助が必要な対象としてしか見ない(それすら「内戦」のせいにするのですが)帝国主義抑圧民族特有の心理構造が反映されているように思います。

(中略)

そう云う訳で、私が知る限りでは、イラクの民族解放闘争についてまとまった本としての参考文献は参照しようにも存在していないと思います。がアル バスラネットの英文から翻訳された山本史郎氏の「イラクレジスタンスレポート」日本語版 「イラク情勢ニュース」 の情報にほとんど依拠しています。その他、斎藤力次郎氏のアラビア語からの翻訳記事、バスラネット英文記事の翻訳ソフトを通したもの、グーグル日本語=アラビア語翻訳をとおしてぼんやり意味がわかる程度のものまで収集しています。これらを2003年からプリントアウトしたファイルはかなりの量になります。また現在はユーチューブをはじめとして排除されていますが、レジスタンスは大量のビデオを配信してきました。知ろうと思えば知ることのできる問題だとは思います。が、いかんせん左翼も含めて自国の垂れ流すウソのほうが真実よりは耳に心地よいのが現状です。

※ 「イラクレジスタンスからのメッセージ」というDVDが「イラク情勢ニュース」より発売されています。それぞれ時期と異なる組織による3篇のメッセージが収録されており、私は「世界の人々へ」という2004年のものがバックに同年の映画「アレキサンダー」から、アレキサンダーがヒンズークシ山脈を越えるシーンのテーマが流れていて飽きずに見ています。よければ購入してみてください。

その上で、一般的に私たちがイラクレジスタンス(「市民レジスタンス」などという偽物も有りますが)と総称している武装解放闘争を民族解放闘争と規定するに当たり、幾つかの文献を参考にしました。まずフランツファノンの「地に呪われたるもの」「革命の社会学-アルジェリア革命第5年 」(何れも著作集より)アミルカル カブラルの著書(本の名を忘れました)レーニン「東方諸民族の民族解放運動について」(全集からの抜粋)などですが、前2つは被抑圧民族内部の人間解放の論理と構造、過程を明らかにするものですし、レーニンのものは抑圧民族の側からそれに学び合流しようとする努力を現しているもので貴重だと思います。

民族解放闘争は、単なる独立や自治を求める闘いにとどまらず、帝国主義の世界支配が帝国主義特有の経済的土台によって、帝国主義国国内における様々な階層への人民の分化を生み出し人民同士の抑圧差別の機構を作り出すとともに、他国、他民族を支配従属させ暴力的収奪を恒常的に繰り広げる事を自己の生存の条件とするため、帝国主義の世界支配を覆さない限り本当の意味での民族解放はありえないということになります。民族解放闘争の勝利は帝国主義の支配が世界的規模で倒される時にはじめて、決して後戻りはしないという意味で達成されるものだと思います。また被抑圧民族が銃剣によって奪われた自己の暴力を奪い返し武装闘争に立ち上がるとき、家族、共同体、人種、宗教による分断支配を破壊し新しい人間関係をつくりだすこと、被抑圧民族内部の経済社会関係を根本的に再編して一律に平等主義的義務と権利の体系の共産主義の指向を持つことは、「独立革命」などの呼び方に明らかなように実際に家族・社会のあり方に根本的な変化をもたらすことからきた民族解放闘争の人間解放闘争としての本質に根ざすものだと思います。

(以下略)

NK | URL | 2008/09/30/Tue 00:35

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「神の国」ニポーンにくらす私たちが、遠いイラクのことなんか気にしない、「イラク人民の塗炭の苦しみを我がものとうけとめる」ことなどできはしないと言い切ることはとても簡単なことかもしれないが、イラクで、アフガニスタンで開始された解放の闘いの前進は、世界中で日々抑圧の苦痛に苦しむ圧倒的大多数の被抑圧民族を解放闘争へと立ちあがらせずにはおかない。

それは、サミットに結集したほんのひとつまみほどの世界の支配者達の国で暮らす私たちの「平和」など呑み込んでしまうことだろう。なにより、私たちはいま参戦国家に暮らしているのである。そのことをあっさりスルーさせてもらえるほどもはや世界は狭くないし、抑圧されし民達の寛大さにも限りがある。そしてなによりそれ以上に私たちの頭上に君臨する帝国主義者たちは民族解放の闘いを断固として許しはしない。そんな彼らが声高に叫んで止まない「テロとの戦い」という嘘と欺瞞の向こうになにがあるのかをしっかりと見なければいけないだろう。主体的な選択の日は近い。

NKさまありがとうございました。m(_ _)m


Comment

 秘密にする

初めまして
こちらでは初めまして。
拙ブログへのコメントを有難うございました。以下、「たわいのない」コメントを失礼致します。

個人的に私はイスラム・中東史に関心があり、イラクでの惨状を憂いております。
「テロとの戦い」の名の下で、行われているのは人道蹂躙行為以外の何者でもありません。
ただし、これはアフガン、イラクばかりではなくウイグル、チェチェンも同じ状況です。覇権国家のやり方は米中露全く変わらず、それぞれ美辞麗句を掲げ侵攻する。もっとも全盛期のアラブも帝国主義丸出しで、異教徒を虐殺、迫害していましたけど。

旧ソ連でのムスリム弾圧も惨い。宗教否定が共産主義なので、徹底的に各宗教施設を破壊しました。共産主義もまた“宗教”の一種であり、非寛容さでは群を抜いている。ヒトラーなどスターリンや毛沢東に比べれば、全くの小物です。
まだ、旧ソ連だった頃、「朝まで生テレビ」に出演していたロシア人留学生が冷ややかに言った言葉が忘れられません。
「日本の共産主義者は、美味いビールを飲んで共産主義の夢を語っている」。
mugi | URL | 2008/10/10/Fri 22:06[EDIT]
mugiさまようこそお越しくださました
はじめまして、半解氏のところで気骨のあるコメントをよせておられるのを拝見し、そちらへお邪魔致しましたところ、あげておられた記事を読ませていただき、それに同意する意味で一言コメントをよせさせていただいたものであります。

さて、
>「テロとの戦い」の名の下で、行われているのは人道蹂躙行為以外の何者でもありません。
仰せのことはごもっともでございます。私もまったくその通りであると思うものであります。


>「日本の共産主義者は、美味いビールを飲んで共産主義の夢を語っている」


実直な言葉でございます。それを認めた上で、そうした問題がおおよそ想定されていた”共産主義あるいはその過度期としての社会主義”のありかたと著しくかけ離れたものとしておこっているのは何故かを突き詰め、それをいかに克服するのかを、歴史的にはソビエトロシアが1956年ハンガリー人民の一斉蜂起を戦車で踏み殺したことを契機として、日共から分派し、こんにちまで連綿とそのための努力をつづけてきた政治的潮流が日本には存在しており、たまたま偶然に私はそれにかかわった経験を持つものでございます。

話せばとてもながくなりますし、不勉強者の私には未だに確固たる確信を持ちうるに至らない問題も多々ございますが、それなりのアウトラインに記述した拙い文章にて恥ずかしい限りではございますが過去記事がいくつかございますので、もし、もしよろしければお読みいただけましたらなによりの幸いでございます。

宗教  チベット暴動によせて
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-107.html

スターリン主義  NEP
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-133.html

スターリン主義 レーニンとスターリン
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-134.html

スターリン主義 スターリンとトロツキー
http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-137.html

なお、スターリン主義の記述は途中で止まっておりますので、つづきを少しだけ書かせていただけば、スターリンによる一国だけで閉じた社会主義国家の建設がそれに反対する反対派全てを血の海に沈めて路線化されたとき、スターリンによるソビエトロシアの社会主義への裏切りは後戻りの出来ないものとなったのであります。一国の鎖国状態で工業化をなしとげることの困難さはとてつもないもので、そのための一切の財源は徹底した容赦なき自作農民の皆殺し的収奪と強制的な農業の集団化による強収奪に求められたのでした。

と同時にNEPに引き継ぎ策定された「計画経済」なるものは、世界市場が列強帝国主義本国家群に支配されているなかにあっては、日々為替レートの変動にみられるようにめまぐるしく変化する経済情勢に翻弄され機能すべくもない、農民からの強収奪によって蓄積した価値をもって工業化のための基礎である機械を作るための機械や、プラントなどの生産手段を輸入しようとしても価格変動により計画通りにことが進まないということが多発し破産に直面するのであります。

スターリン主義の危機はストレートに経済危機として爆発するのでありますが、そうした危機をスターリンは周辺の小国を帝国主義ばりの植民地がごとき圧政をもって収奪することによって突破しようとするのであります。それは、レーニンが死の間際に激しい怒りをもって糾弾したスターリンのグルジア共産党への抑圧的な大ロシア主義的対応が全面展開することになるのです。

共産主義あるいはその過度期としての社会主義はの試金石のとても大切なものの1つは民族問題にたいする態度であります。レーニンはマルクスのインターナショナルなガイストを継承し、民族問題を抑圧民族と被抑圧民族との関係性をより実践的にとらえました。それはたいへん多くの示唆にとむものでありますが、そのうちの1つをあげるならば被抑圧民族の民族自決権を抑圧民族は尊重すべきであり、その抑圧の歴史の深い反省にもとづき時として被抑圧民族からの理不尽にも思える要求にも誠意をもって対応することを通じて信頼を勝ち取ってゆかねばならないと考えておりました。ところがスターリンのそれはおおよそ縁もゆかりもないものであったのです。そうしたありかたは、スターリンの死後もフルシチョフによるペテン的スターリン批判を経た後も、エピゴーネン達に一貫して引き継がれていったことは、ブルジネフの制限主権論などにみることができます。

くわえて、国際主義を放棄し、自国権益のみに固執するスターリン主義は帝国主義列強に屈服しつつも、対抗的な核を軸とした果てなき軍拡競争を梃子にそれらとの通商を有利なものとしようとするのですが、そのこと自体がますます国内経済を疲弊させ、恒常的物不足をもたらしていたことはそう古い話ではありません。

少々ながくなって、まとまりのない雑文で恐縮ですが、おおよそ共産主義、あるいは社会主義の悲惨な失敗として語られるソビエト連邦の崩壊とこんにちの中国共産党のわけのわからない振る舞いの根源はそれらが生みの苦しみをこえて世界にむけて立ちあがり歩みはじめて間もない頃、大きな挫折を余儀なくされ後戻りの出来ないとんでもない変質をとげてしまったのだということなのであります。拙い私の文章ではご理解いただけないとはおもいますが、ほんのちょっとでも気にとめていただけたら、何よりの喜びでございます。

どうも、コメントをいただきましてありがとうございました。m(_ _)m
薩摩長州 | URL | 2008/10/13/Mon 23:32[EDIT]
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