たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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コメンターことはじめ
でいっく氏と私は互いにその存在がミステリアスなものとして脳髄に映し出されるのであるが、それが何故なのかは私にはどうもよくわからない。氏についてはかなりの時間を投じてググりまくり過去発言をつぶさに読ませていただいたが、その立ち位置がどうもよくわからない。まあ、おもて面、CPが嫌いだと言うことは事実なようだが、その一層深いところで可愛さ余って憎さ百倍のようなものも透けてみえる・・・ような気もするのだが思い違いか。そっから先がなかなか見えない。

さて、私が月に1~2回ほど更新があるのを楽しみに必ずチェックしている”うない”で、氏が2行ほどのコメントをしたところ、常連コメンターの”冥王星氏”が噛みついた。

”私の改憲論”という記事なのだが、まあ、ベーダー卿ウォッチャーのワタシとしは、白砂青松氏のブログで大暴れしたものの、冷静な対応に振り上げた拳を下ろすことができぬまま自陣に戻り、怒りにまかせて書き殴ったと、一連の流れを観察して思っているのだが。
そんなルサンチマンに、”禿同”というでいっく氏はやはり、たいへんミステリアスである。それゆえ、その2行の暗示するものはとても深く、その奥深くにどんな武器を隠し持っているかしれないので、明確な判断は保留させていただくww

さて、冥王星氏なのだが、実によく噛みつくわけで、噛みつきカメみたいな御仁である。
物事を理ずくめで組み立ててゆこうという姿勢には感服するし、大いに見習うべきものであると思うのだが、どうも、ドイッチュラントに行ってきてから、以前からの精査せよ、論拠をあきらかにせよ、にくわえやたらと抽象的な言い回しがふえて、勉強嫌いで「頭の悪い」ワタシはこんと読む気がしなくなった。べつに氏もそんな私に読んでくれなどとは断じて思ってはいだろうが。それ以前は結構そそる話が多かったのでちょっと残念ではある。そんな噛みつきコメントの国家論を私流に解すに、ドイッチュランドへいって”ヘーゲル型人倫ウィルス”にでも感染して帰ってきたのだろうかなんて感じてしまうのは不当な感情だろうか。まあ、不当だといわれてもかまわないが。

まあ、そんなことはどうでもよいとして、ワタシが他人様のブログにコメントをさせていただくようになってまだまもないころ、”土佐高知の雑記帳”の常連コメンターだった氏にいきなりガブリとやられたことがある。えーと確かエントリーは”チリ人民連合の9月”だったとおもう。ワタシは真摯に氏の投げかけたカメハメ波のような怒濤の怒りをうけとめ、詫びるところは詫び、疑問に答えを返した。氏はその答えに率直な気持ちを返してきた。

互いの思想信条はブログのコメントのやり取りでは完全なる意志一致は勝ち取る事などできないのは仕方ないことなのだが、互いのそれを尊重し理解しあうことはできる。そんな気がしたたいへん心地よい対話だった。それいらいの冥王星隠れファンだったワタシは氏のブログにずいぶんと10000文字級のコメントを嫌がらせ半分で送りつけさせてもらったものだ(嘘嘘)www  空想社会主義者を自称し、福祉ボラなどにも精をだす氏に私は深い敬意をいだいていたのだが、ゆえあって氏のブログへの断筆を宣言したのち、3回ほど禁を破り声援コメントをさせていただいたが、縁切れとなっているのは、正直なところをいえばちと寂しかったりする。

あのころから冥王星氏は確かに辛辣な批判者ではあるけれど、罵倒観音ではなかったし、もちろん論破小僧でもなく、理が通っていれば話のわかる方だったのだが、最近はベーダー卿によく似てきたのが残念だ。私にブログの楽しみを教えて下さったお方は紛れもない”冥王星氏”だったと思っているからなおさらに・・・ ふと振り返ってみれば、私も、ベーダー卿も東西氏もみな冥王星からやってきたのだった。とはいえ、3者近親憎悪ということは全くないことは言うまでもない。

コメンターことはじめのころの思いででした。お粗末。


追記 でいっく氏とアシS婦人のサシの勝負を期待していたのだが、氏はその気にならなかったようだ。まあ、当然である。婦人の最後のコメントの80%は差別的言辞をも満載した罵詈雑言で埋め尽くされていては、その気にはならんわなww
まったく酷い文章である。△○派の選民思想と、それに依拠して○中を「ウジ虫」、SYを「青虫」と蔑称し大々的に白色テロを宣言して止まなかったL紙を彷彿させた。





Comment

 秘密にする

ミステリアス
そんなたいしたもんじゃないですよw

立ち位置がよく分からないとは、他の方にもよく言われますw
個人的には、立ち位置を定める上でのX軸(過激か穏健か)Y軸(右翼か左翼か)といった区分でどのポジションにいるのかが見えにくいと言うことではないかと。

私はそのような区分の中で生きてもいなければ、思索にふけることもあまりないような....関心があるのは特定の問題をいかに解決するのか?ですね。

たとえば身障者福祉についてなら、補助金よこせよりも、福祉の対象となっている方々の自立のために、障害があっても社会生活が可能なだけの生産性を上げられるビジネスは何で、どのようなマネジメントをすればいいのか?

「政治」の枠内でモノを考えていないと言った方が、分かりがいいかも知れません。

ぶさよでいっく | URL | 2008/10/31/Fri 19:13[EDIT]
こんばんわでいっくさま
お返事おそくなりましてすみません。

人は本質ではなく、存在がぁああ!なんて”猿取”になっちまいますが、マルちゃん的には人は個別具体的にして多様な人格なわけで、皆それぞれミステリアスなものでありますね。それゆえに、「世の常識」に照らし合わせるとあっしら”プラグがとれちゃった人間”は”香ばしい”といことになるのでしょうなwww

私もx軸、y軸みたいな座標軸で相対的に右左を考えた時期がありました。でも、私達がしてきたことは振り返って絶対的なものにスケールがあった。でも、それが今一つ何であるのかハッキリしなかったのですが、最近思い至ったのは”民族問題”をどうとらえるか。それこそが右と左を分ける分水嶺ではないかと。
反米愛国と自主独立の路線の行く末はつながっている。出張にて8.6ヒロシマで右翼の街宣車のアジとCPの情宣車のアナウンスを交互に聞きながらお仕事をしていて、区別がつかないほど酷似していると感じた違和感の答えはここに在ったと。

まあ、それはおいておいてプラグマチックなベクトルとは異次元の”暴力の力”を認識し社会の枠組みをぶち壊して召還する「地獄」に涅槃の境地をみておられるでいっくさまが水晶玉の中に見える(武装せる占い師かww)

皮肉もわからないほどベーダー卿にはさっぱりだったようですが、例の 駄以学生さまとのやりとりを拝見させていただいて”おお!深い”と直感いたしました。いろいろとCPに関するところは別にして、それ以外の領域では学ばせていただくことが多くあると私は思っております。そちらへの書き込みの衝動もあるのですが、私はしてはならい擁護をしたのは私自身の”日和見主義”であり、管理人さまをはじめ、タモ・ツン糖酒や蜜蜂さまにご迷惑をおかけしたと引き続き反省しているものであります。

コメントいただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2008/11/02/Sun 20:57[EDIT]
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