たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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産業予備軍
肩こり指数 ★★☆

マルクスは資本論第一巻7編23章「資本主義的蓄積の一般的法則」でいくつかの資本主義社会の「常識」を批判している。わりと有名な話ではあるとおもうのだが”相対的過剰人口”の問題ががここであきらかにされている。

いま私が再読に使用している岩波文庫では160ページほどのボリュームをさいて事細かくマルクスは記述している。終わりのほうではイギリスとアイルランドの事例をひいて例証をおこなっている。そのへんの記述は19世紀中葉の話と軽くスルーできないほどこんにちの格差社会と世界同時不況がもたらすであろう労働者人民の受難の予言にみちている。

さて、相対的過剰人口だが、かんた~んに言えば、資本は工場建物、機械設備、原料などの不変資本と労働力である可変資本へと投下され、双方を結合して拡大再生産をおこなうのであるが、他の資本との競争を契機に資本は不可避的に蓄積されてゆくのである。
不変資本と可変資本との比率は資本の価値を構成するものであり、同時に一定の生産技術に規定されるものとして資本の有機的構成という。

この資本の有機的構成は、資本の蓄積の過程で不変資本の比率を増加させる傾向をしめす。投下される資本に占める可変資本の割合は小さくなる。これを資本の有機的構成の高度化という。具体的には、生産の技術革新にみられるように他の資本に先駆けすぐれた生産設備を導入すれば生産効率はアップしより多くの剰余価値(特別剰余価値)をうることができる。

さて、ここで注意しなければならないことは、総資本に占める可変資本の比率が小さくなるということが、必ずしも可変資本の絶対的減少を意味するということでもないことだ。ある生産工場の有機的構成が50C(固定資本)+50V(可変資本)であったものから80C+20Vへと高度化したものとして、10億円だった資本がその過程で蓄積され、30億円へ増加したとすれば可変資本は5億円から6億円へと絶対的増加をする。

しかしながら、ここが大事なのだが、資本の有機的構成が50C+50Vの場合に労働の需要を20%増大させるとしたら、総資本を20%増大させればOKであるのに対して、それと同じ人員の需要を実現するには80C+20Vの場合は総資本を300%増大させなければならない。100=50+50→120=60+60  100=80+20→300=240+60

手っ取り早い話が機械化がすすんで労働力はどんどん削減されということだ。だが、資本主義的生産様式では様々な産業分野で等しく足並みを揃えて資本の有機的構成の高度化が進むわけではなく不均等発展の法則が支配している。そこで、過剰な労働人口は市場原理にもとづき再分配されるわけなのであるが、そうした過程を通じてもなお相対的に過剰な労働人口は必ず形成される。相対的過剰人口というのはストレートに言えば”失業者”あるいは”半失業者”のことであり、エンゲルスは就業労働者を”産業現役軍”と対で”産業予備軍”とよんだ。

この産業予備軍は絶えず生産が拡大と縮小を繰り返す資本主義的生産様式にとっては不可欠なもの、というよりこの労働力のプールの創出なしにはそれは勃興し得なかったというくらい切り離すことのできない絶対条件なのである。つまり、資本主義的生産様式でははなっから完全雇用など原理的にありえないのだ。

資本主義の勃興期かの、イングランドでは土地を追われた農民が浮浪者となり産業予備軍を形作ったわけなのだが、我が「神の国」ニポーンではそうした旧社会の農村共同体を解体して産業予備軍をうみだすのではなく、地方の農村を貨幣経済という万力で絞め殺すようにして産業予備軍へと転化していった過程はいぜん「明治維新考」で書いたとおりだ。

そしてこんにち、産業予備軍の収容施設をなしているものが、社会学チックにいうならば労働集約型、資本の有機的構成が著しく低い、少額の資本で起業できる小資本家なのである。コイズミ&ヘイゾーがなしたことは、この労働力の売買の制約を取っ払い「自由」な取引を可能にしたことである。新自由主義というのは資本が一切の社会的制約から解き放たれて自由に自己増殖をする自由を認めるものに他ならない。

労働のあり方は、ますます資本主義的生産様式における本来のあり方に接近しつづけてきた。産業現役軍は産業予備軍へとなることを恐れるあまり、賃金の切り下げに屈し、サービス残業に精をだす。産業予備軍は産業現役軍の賃金低下を梃子に生活保障を切り下げられる。互いの存在を脅威におもう双方は団結して、資本に挑むことがデフォでは叶わない。いま現実に生起している問題はすでに資本論のなかでマルクスは懇切丁寧に詳細にかたっているのだ。もっとも資本主義らしい資本主義の先にあるものは次の社会への扉に違いない。しかし、その扉へと辿り着くにはいくつもの嘘で舗装された迷い道を避けねばならない、そしてその扉はたくさんの人の手をもってせねば決して開くことがない”重い扉”であるが、それをあけることは人類の責務であるとおもう。


追伸 タモ・ツン糖酒が自ブログで書評を書いていたが(http://red.ap.teacup.com/tamo2/937.html)、絶滅危惧種マル経学者の的場氏が「超訳『資本論』 (祥伝社新書)とかいうのを書いているそうな。なにやら「『革命』の必然性」を書いているらしい。これはいっちょう読んでみようとおもふ。


写真は本文とは一切関係ないがはじめて見た必殺6匹”団結”猫団子!迫力に一歩引いた(^^)
人もまたこうでありたい
P1010091.jpg



Comment

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『資本論』にはまだ手を出していませんが。。。
>産業現役軍は産業予備軍へとなることを恐れるあまり・・・・・・・

実感としてわかります。
私自身、「正社員でいる自分はまだマシなほうかもしれない。でも、先のことはわからない。どうなってしまうんだろうか。ブツブツブツ・・・」なんてゆーことを思い、感じながら生活しています。

>つまり、資本主義的生産様式でははなっから完全雇用など原理的にありえないのだ

やはり、体制を変えるしかありませんね。。。
| URL | 2008/12/09/Tue 23:44[EDIT]
いらっしゃいませ風さま
この”産業予備軍”のお話はきわめて今日的なものとしてとりあげてみました。無政府的盲目的な生産活動とそれを物質的根拠とする大博打のような金融資本の展開。
毎週のように大手の正規雇用もふくめた人員整理の発表には怒りをおぼえます。

この降ってわいたような不景気があたかも天災のように語られてはならないし、労働者は運命と受け止めてはならない。ちょっとまえにさんざっぱら言われまくってましたが、「自己責任」論や「努力不足」「多様な労働形態」なんぞという”嘘”に首をたてにふってはならんのです。

まあ、それにしても若い頃”人生の荒波”みたいなことを年配の苦労人が口にしてましたが、人一人この世に生をうけて平穏無事に墓にはいることが許されない社会の仕組みが資本主義的生産様式だと実感するものであります。時のながれがはるかに緩やかだった封建社会ではこれほど波瀾万丈なことはなかったとおもいます。

あまり膨大な量で肩こり話をしても面白くもないので、わりとコンパクトな分量をこころがけていますので、不足な部分はたくさんあるのですが、そのあたりはおゆるしくださいませ。もし興味がございましたら資本論第一巻の二三章と二四章だけでもお読みになられたら巷にいくらでもころがっている資本主義賛美の”虚構”は明らかになるとおもわれます。追伸で書きました「超訳『資本論』 (祥伝社新書)」って面白そうです。

コメントいただきありがとうございました。またのおこしをおまちしております。
薩摩長州 | URL | 2008/12/10/Wed 23:15[EDIT]
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わんばらんす 2008/12/24/Wed 00:22
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