たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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国家
どうも気がのらなくて更新を放棄して、ぼちぼちと本なんぞ読んで暮らしていた。
ようやく10日近くかかって喘息は治まり、体調はまずまず落ち着いたようだ。
今年はブログを読み返してみて、あまり健康状態がよくない年だったようだ。

体調がすぐれないときにかぎって、なにやらお仕事が忙しかったのも今年の傾向だったようにおもう。そんなときはついついキーボードを打つ気にもなれず、更新が滞ってしまいがち。そんなやるきのないブロガーの態度をよそに訪れて下さった方には感謝感謝するものである。

とはいえ、巡回先へのコメントはちょいちょいと入れてみたりして。某有名ブログで久しぶりにLooperさんを発見したので片足つっこんだのがよくなかった。
うかつにも「右」のお方、というより「心情愛国者」と言う表現が適切か、思想的確信をいだいているわけでもなさそうなので、にかかわっちまった。

私は原則として、そのあたりのお方との関わり合いはするつもりはない。ブログのコメ欄でやりとりしたところでラチが開くものでもないと思っているからだ。まあ、私の主体的力量が足らないこともあるが。いろいろと制約もあったりする他人様のところのコメ欄でやり取りをするのは言いたいこと、伝えたいことの半分も言えないという歯がゆさがのこる。そんなわけで、あ~ぁ、更新しなくっちゃな~、でも忙しいし、メンドクサーなんておもってやめちゃおっかな~ なんて思ってもやめられないのがブログなんだろうなと思った。人は、その動機はさまざまであっても、それぞれ自己を表現することの喜びを見いだすことができるから。

さて、その「心情愛国者」は私に以下のように問いを投げかけた。

>「アジア人民への謝罪と反省」「戦争責任」と言われてますね
これは依然聞いたのですが誰も答えてくれませんでした
「一体どういう状況になれば謝罪と反省をきちんと行った事になる」のでしょう
中国には無償のODAを兆単位で注ぎ込んでいますが。
朝鮮とはすでに条約を結び幾多の「援助金」を支払い尋常でない額のODAを施し
幾度と無く謝罪した上ドイツと違って国家的責任も認めているのですが。
それともアジア人民とやらが「許さん」と口にする限り未来永劫
天地が滅ぶまで謝罪し続けなければなりませんか?


私は「心情愛国者」に以下のように答えた。

>明治維新以降、一貫して民衆を侵略戦争へとかりたて、そしていまなお戦争をなさんとする政治勢力を、我々民衆が民族的責務にかけ政治的・軍事的に一掃 することが最後的に責任を全うすることであると私は思っています。血債を返さねばなりません。

血債=『墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を覆いきることは出来ぬ。血債は必ず同一物で償還されねばならぬ。支払いが遅れれば遅れるほど、利息は増されるのだ』


「心情愛国者」は速攻で以下のように言った。

……とりあえずそういった考えは三十年前連合赤軍の敗北(自滅)
とともに否定されたのですが……

それでアジア人民とやらが納得してくれるのですか?
特に韓国などは遡及法という自国が近代国家ではない野蛮人の集まりでしかない事を
全世界に宣言して恥じない人達なのですが。
もう一度言います。
「具体的に」戦争責任とやらの謝罪と反省を行った、と
内外ともに納得させうる方法を教えてください。
そして中国や朝鮮の侵略・虐殺行為はスルーですか?



メンドクサーという気持ちになって私は戦線から離脱することを選んだ。かのブログ主さまは最近撤廃したようだが、以前は一記事にコメントは2コメントまでと明記していたので、私はそれをいまでも基本的に守っている。そんなことお構いなしが圧倒的多数ではあっても、ゲストがホストの家に訪問しホストの意にそわない振る舞いをするべきではないと思うからである。すでに異例の4コメを入れていた、どだいきっちり詰め切るには長文でさらに10コメは最低でも必要だと思ったので、それ以上は語るべきではないと判断した。

そもそもの記事のお題は「 戦災国立慰霊碑1」 靖国問題とも絡みながら国家が戦災者を慰霊することの意味をめぐって闘論が、じゃなくて討論がされていたのだが、それを眺めていて松尾眞氏がメルマガの中でその問題を論じていた部分を思い出したのだ。
以下がその下りである。

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第4号
靖国問題再考
2001年8月22日、松尾 眞

本マガジン2号での小泉首相の靖国神社参拝問題に関する私の論評をめぐっては、かなりの批判、反発もあった。この問題はマスコミの世論調査を見ても、賛否が二分する状態にあるようだ。だからこそ、率直な意見の提示が重要であると考えている。小泉首相の8月13日「繰り上げ」参拝という事実にふまえて、再度、私の考えを提示してみたいと考える。(なお、靖国神社の設立経緯とその意味に関して、前稿への批判があったので、その点に関しては、本稿の末尾に修正・補足を記しておく)
■ 奇妙な議論

小泉首相の8月13日「繰り上げ」参拝をめぐって、奇妙な議論がマスコミで展開されている。まず、その点について触れておきたい。

それは、「絶対に8月15日に靖国神社を参拝すると言っていたのに、その前言を翻して8月13日に繰り上げた。これで「小泉は一度言ったことは絶対にやる」という首相の言葉への信頼感が崩れ、秋の構造改革に向けての政権運営能力が弱体化するのではないか」という論評である。

たしかに自民党内などの政治力学の問題としては、そうしたことが問題となる側面がなくもないとは言えよう。しかし、このことをマスコミが小泉靖国参拝問題をめぐる報道、論評の主要論点の1つにしているというのは、大きな問題であると言わざるをえない。

この議論は、言い換えれば、日本の首相としての小泉首相の政治的指導力について問うものだと言えよう。ならば、「前言を翻した」という形式上の問題ではなく、その判断の政治的是非こそが問われて然るべきなのである。すなわち、とにもかくにも8月15日の靖国参拝を回避したことが日本の首相の政治判断として正しかったのか否か――この点こそが小泉首相の政治的指導力を問ううえで検討されねばならないのである。

次項で述べるように、たとえ8月15日を回避したとはいえ、靖国参拝を強行したという点で、私は小泉首相を批判するものであるが、そのことはひとまずおいて、「過ちは改めるにしかず」であり、「8月15日靖国参拝」という前言を翻したといって問題にする方がおかしい。

「前言を翻した」云々を問題にする日本のマスコミは、マスコミ自身が靖国問題の本質をなんら理解していないことを自己暴露しているのだと言えよう。また、「小泉首相が靖国問題で前言を翻したので構造改革の指導力が後退する」のだとすれば、小泉首相の主導する構造改革なるのものが、じつは反アジア的な勢力に支えられた反動的改革に他ならないということになるであろう。
■ 8月13日参拝は許されざる行為

さて、小泉首相が8月15日は回避したものの、8月13日に靖国神社を参拝したという事実は、参拝をめぐる首相談話で何を言おうとも、侵略戦争賛美の姿勢を変えていないことを示すものである。「小泉首相は談話で侵略戦争を反省する、二度と戦争を繰り返さないと言っているではないか」という批判が寄せられそうであるが、私は2点を述べておきたい。

1つは、靖国神社が「国家のために戦争で命を捧げた人」を「英霊」として祀る施設であるということである。そこに祀られている人びとのほとんどは、朝鮮の植民地化への道をひらいた日清・日露戦争を戦った人びとであり、中国への侵略戦争を戦った人びとである。これを「英霊」と呼び、祀るということは、単にそれらの死者を弔うということではなく、彼らの戦った戦争そのものを肯定することを意味するのである。死者を弔うのであれば、それらの人びとのお墓にお参りをすればよいのであって、元々は国家の戦争施設として創られた神社で、しかもそこに「英霊」として祀られている「国家の兵士」「侵略戦争の兵士」に対して参拝することにはならない。

2つは、言葉と行為のどちらが重い意味をもつか、ということである。今回の小泉談話の下敷きとされた戦後50年の「村山談話」の主である村山富市元首相は小泉談話を聴いて怒ったという新聞記事があったが、当然というものであろう。村山談話自体、けっして全面的に日本の侵略戦争を反省したものとは言えない面を有するが、しかし、靖国参拝を否定する立場からの談話であったからこそ、アジア諸国から一定の評価をうけたのである。その村山談話の文言をたとえ引用しようとも、靖国参拝という行為にふみきった以上、その言葉にはなんの重みもない。

日本国内ではしばしば、「韓国や中国はいったい何回謝罪すれば戦争責任問題を終わりにするのか?」といった声が聞かれるが、行為が伴わない言葉、いや実際の行為によって覆されてしまう言葉はなんの説得力ももたないばかりか、不信の念ばかりをアジア諸国の人びとに与えるものだと言わねばならない。
■ 国立墓苑の建設で問題は解決するのか?

今回の小泉首相の靖国参拝をめぐって、「毎年8月15日に同じ問題を繰り返さないために、靖国神社とは別個に戦没者の国立墓苑をつくるべきだ。外国からの訪問者にもお参りしていただけるような施設にすべきだ」という意見が出ている。政府でも官房長官の下でその種の策を検討する場を設けるようである。

この国立墓苑建設案は、靖国神社護持勢力の側からの反発が大きいと予想され、そう容易に実現には向かわないと思われる。しかし、仮に国立墓苑建設案が実現の方向に向かうとしても、私はこれは日本の戦争責任問題の解決にはならないと考える。

ここで、私はひとつの重要な問題提起をしたいと思う。国家が戦争での死者を祀る、慰霊するという行為の是非という問題である。ここで「戦争での死者」という場合、それは軍人の戦死者だけでなく、空襲での民間人死者も含めてのことである。

これは国民国家という存在をどう考えるかという問題、安全保障とは何かという問題である。

ヨーロッパ近代に誕生し、日本では明治維新を画期として建設された国民国家(nation state)の歴史は多くの戦争によって彩られている。それはけっして偶然のことではない。国民国家という存在そのものが本質的内在的に侵略戦争、国家間戦争を孕んでいるのである。近代国民国家は、内政干渉を許さない排他的な国家主権と領土の確定を不可欠の成立要件とするものであり、さらにいま1つの成立要件である国民ないし国民意識(ナショナリズム)は国民国家の与件として存在したのではなく、国民国家による対外戦争を通して鼓吹され、形成・確立されていったのである。そういうものとしての近代国民国家という存在を考えるとき、「国家の手で戦争の死者を慰霊する」ことは、国民国家の形成・維持にとって不可欠なものとしての戦争を可能にする体制を確保するということにほかならないのである。

国立墓苑の建設を主張する人の中には、「アメリカのアーリントン国立墓地のように外国からのお客さんにも喜んで来てもらえる施設を」と主張している人がいるが、これも旧「帝国主義国」に対して無反省な考えだと言わねばならない。アメリカの国立墓地にはいったい誰が埋葬されているのか。当然のことながら、ベトナム侵略戦争に参戦した米軍兵士も葬られている。それはアメリカという国家がベトナム侵略戦争を国家としては肯定しつづけていることを象徴している。アメリカとベトナムの国交は回復したとはいえ、ベトナムの人びとがアメリカを訪れた際にアーリントン国立墓地を「喜んで」お参りするだろうか。国立墓地を墓参するというのは、個々の旧兵士同士が互いに和解するということとは次元を異にするのである。日本に則して言えば、たとえA級戦犯は除外するとしても、植民地支配、侵略の担い手となった「大日本帝国兵士」への追悼を韓国や中国の人びとに求めることができるだろうか。アジア・アフリカ等の地域への帝国主義的侵略をくりかえしてきた「帝国主義国」の歴史を反省し、国家による国軍兵士の追悼という習慣そのものの是非を検討すべき時を迎えているのではないだろうか。

このことは、国立墓苑に葬られるのが空襲等による戦災死者を含む場合についても言えることだと思う。そこでは「国家が国民の安全を守る」という「国家による安全保障」の論理が前提になっているからである。戦争被害者が兵士だけに限定されず、市民に犠牲が及んだ第一次世界大戦、そして第二次世界大戦の教訓は、「国家は国民の安全を守り得ない、守らない」ということである。だからこそ、戦争を国家の権利の正当な行使とする無差別戦争観への反省が生まれ、違法戦争観が生まれたのである。さらに、1980年代には、UNDP(国連開発計画)で「人間の安全保障」の概念が形成されている。「人間の安全保障」概念の誕生は、冷戦終焉を導いたゴルバチョフの「人類益」思想とも深く結びついており、冷戦終焉はまさに「国家による安全保障」の歴史的限界を突き出したものとして受け止める必要があるのである。

そのとき、市民の戦争犠牲者を生み出した国家の手によって犠牲者を追悼するというのは矛盾である。国家(国民国家)への反省、その相対化こそが必要だと思うのである。
■ なぜ、いま、戦争責任が問題になるのか

今回の小泉靖国参拝問題に関して、もう1点、指摘しておきたいことがある。

それは、かつては歴代首相が靖国参拝をおこなっても問題にならなかったが、1970年代中期の三木首相が靖国参拝を「私人として」と表明した後、 85年の中曽根「公式参拝」まで歴代首相が参拝しなくなったこと、そして中曽根「公式参拝」が外交問題に発展して、1年限りで中止となったこと、こうした事実から、「かつては問題にならなかった靖国参拝がなぜ、いま、問題にされるのか?」という意見があることである。

じつは靖国にA級戦犯が合祀されていた事実があきらかになり、それゆえに問題になっているというのも1つの説明にはなるだろう。A級戦犯合祀問題はそれ自体として重大な問題であるが、それだけが問題なのではない。

冷戦終焉以後の1990年代になって旧植民地支配国、その国の人びとからの戦争責任追及の声が広がっている事実をどのように受け止めるかが重要なのである。

第二次大戦後、アジア・アフリカの植民地独立が相次いだが、旧植民地国による植民地支配の責任追及はじつは冷戦時代には封じ込められてきたのである。そこには、冷戦とは何であったか、という問題が存在する。

第二次大戦後の東西冷戦はしばしば、「資本主義と社会主義の対立」としてとらえられ、その直接的出発点もドイツの東西分割に求められることが多い。しかし、冷戦激化の起点として挙げられるトルーマン・ドクトリンはギリシアの民族解放パルチザン勢力の鎮圧問題を契機としている。「世界の帝国」を誇っていたイギリスが第二次大戦で疲弊し、ギリシアへの軍隊派遣を支えきれなくなったのに対して、アメリカがそれに代わって「世界の警察官」としての役割を買って出ることを表明したのがトルーマン・ドクトリンであったのである。また、スターリンのソ連は第二次大戦末期のヤルタ会談でイギリスのチャーチルとの間でバルカン半島の分割ラインを決め【ギリシアについてはイギリスの勢力圏に入れる】、ギリシアの民族解放勢力を切り捨てていたのである。

いいかえれば、冷戦とは民族解放運動封じ込めの体制として成立し、ソ連(スターリン主義)はその体制の補完物としての役割を果たしたのである。

日本をめぐっても同様のことが言える。アメリカは冷戦下で、日本を日米同盟-西側陣営に組み込むために、中国市場に代わる市場として東南アジアを日本に提供することを構想し、東南アジア諸国の日本に対する戦争賠償要求の抑え込みを図った。そして、38度線での冷戦対峙の構造の下で、韓国民衆による日本の戦争責任追及の声が抑え込まれてきた。だからこそ、冷戦が終焉した1990年代、元従軍慰安婦の人たちをはじめとする韓国、アジアの民衆による日本の戦争責任追及の声が一斉に吹き出てきたのである。

日本国内での靖国問題-戦争責任問題をめぐる議論では、こうした時代認識が圧倒的に希薄だと思うのである。

いささか長くなってきたので今回はこのあたりで稿を閉じたいと思うが、21世紀を迎えたいま、われわれがどういう時代をひらこうとしているのか、そこでの国家観、戦争観という次元で靖国問題を深く考えることが求められていると思うのである。
【第2号での記述に関する補遺】

「靖国神社が日本の国益のために侵略戦争に動員されて戦死した兵士を「英霊」として合祀する場として設立された施設であることを曖昧にしてはならない」という記述に対して、「もともとは、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建されたもので(当然、侵略戦争云々ではなく内戦です)、決してご指摘の目的で設立されたものではありません。以下、この項目に関する先生のすべての議論はこの思い込みに基づいて書かれております」というご批判をいただきました。以下はそのご批判への私の回答です。

もう少し丁寧に書いておくべきだったと反省していますが、靖国神社の性格づけについては基本的に間違っていないと考えます。

いまさら言うまでもないことでしょうが、靖国神社の前身は招魂社であり、戊辰戦争での明治政府軍側の戦死者等を祀る施設として創られました。その招魂社が1879年(明治12年)に靖国神社と改称され、陸・海軍所管の神社となります。

この経緯を書いたうえで靖国神社の性格づけをおこなえば、「思い込み」と言われることもなかったかと思いますが、ここでおさえておくべきことがいくつかあると思います。

その第1は、そもそもの招魂社以来、この施設が「天皇制軍隊の施設」として創られているということです。ご指摘のように戊辰戦争は「内戦」ですが、その両軍の死者を祀ったのではなく、「天皇の軍隊」のみを祀ったわけです。この事実は近代日本国家とその後の靖国神社の性格を規定することになります。すなわち、天皇(制)への忠誠を価値基準として、それに抵抗する少数派、異民族を排除・抑圧する体系として近代日本国民国家と、その国家宗教施設として靖国神社が形成されていくわけです。近代日本国民国家形成のプロセスが日清戦争、日露戦争、韓国併合に先行して蝦夷地と琉球の国内植民地化から始まっていることに注意をすべきだと思います。

第2は、日清戦争以後の諸戦争、とりわけ15年戦争のプロセスで靖国神社が果した役割を抜きにして靖国神社の役割、性格を議論することはできないということです。私は先のマガジンでの叙述が不正確なものであったことを認めたいと思います。しかし同時に、その点の訂正にふまえた場合、靖国神社の歴史的な基本性格が「侵略戦争に動員されて戦死した兵士を「英霊」として祀る施設」にあることはあきらかなのではないでしょうか。残念ながら、第2号に寄せられた批判意見を読みますと、じつはこの点で見解が異なるのではないかと思わざるをえませんでした。今回の私の主張もふまえ、ご検討をお願いしたいと考えています。

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さすが大先生である。いつ読んでもキレの良い文章だ。さすがにもはや”革命家”ではないので結論が「日帝打倒」の方向にいけないのが歯がゆくはあるが。そこに流れるロゴスは、かつて○学童にむかって熱弁をふるったあの時とかわってはいない。

この文章を読み返していて、一番つよく思いおこしたことは「さらにいま1つの成立要件である国民ないし国民意識(ナショナリズム)は国民国家の与件として存在したのではなく、国民国家による対外戦争を通して鼓吹され、形成・確立されていったのである。」という下りに絡んで、外圧こそが国家を成立させるに大きな要因となったということをすっかり忘れていたことに気づいた。マルクスがどっかで書いていたような、フランス三部作のなかのどっかだったろうか。

「神の国」ニポーンで敗戦後に生まれた私達はみな、生まれたときから国家があった。
国は「主権者」たる国民のためにあるのだと教え込まれてきた。この国家の纏う神秘のベールの虚構をつきやぶらねばならない。その血塗られた誕生の秘話にまで踏み込んで豊かに語れる内容を獲得しないといかんなと思った。でなければ、帝国主義者のタレ流す朝鮮、中国脅威論に「右」は勢いを増しつつ、米帝からの外圧を梃子に「左」は地引き網のごとくごっそりと絡め取られ、排外主義へと集約されることに真っ正面から切り結んでゆくことは難しいだろう。良心的で素朴な思いのなかに芽を出す「愛国」の根はとても深く、それゆえ強健である。



追記 # 松尾眞ウェブサイト 環境と政治
http://www.kyoto-seika.ac.jp/matsuo/

「恩讐の彼方」http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-142.htmlという記事でふれた松尾氏が書き綴ったウエッブサイトのなかのメルマガはたいへん豊かな内容が展開されている。某掲示板で私の拙い記事があげられて、松尾氏はそんなに優秀な人だったのかとそこで問われていたのだが、これを読めばわかる。
グノーシスとしての左翼が庶民にわかっていただける話をするには、ときとしてブルジョアの言説を丁寧にひいてきて、語らねばならないということがわかる。

ちょっと古い話ではあるのだが、小泉「改革」をめぐって論じられるそれは、私が○学童だったころ氏が伝えたものと同質のものだ。その核心は世界を獲得するためにそれを知ることであるとおもう。
一押しでおすすめしておきます。 


フランス三部作のひとつ「フランスの内乱」 パリコミューンについて書かれている
昔読んでわからなかったものがいま読んでわかるかは不明 時局論インド・中国編がセットになっているのでお買い得とおもった次第 「フランスにおける階級闘争」は読んだことはないがまだ売っているのだろうか・・・・
P1010151.jpg

Comment

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戦争責任
薩摩長州さん、はじめまして。 村野瀬さんのサイトでコメントを読みました。
なんとなく居心地の悪い話が多いと感じたので、意見をのべさせて頂きます。

> 「一体どういう状況になれば謝罪と反省をきちんと行った事になる」のでしょう。

あくまで私個人の考えですが、日本の戦争責任に関してこの様な疑問が出るのは、
以下の点が整理されていないからだと考えます。

1.戦争責任

当時の政権、及び、軍部(特に、満州国を設立し、日中戦争をおこした陸軍)にある。 また、対米戦争を承認した昭和天皇にも責任がないとは言えない。 (当時の一般国民は、むしろ被害者である。 さらに、現在の日本人には何の責任もない。)

2.謝罪

現在の日本国家ではなく、当時の大日本帝国に成り代わって謝罪している点が重要。 日本国家としての金銭面の補償は、ODAや経済協力の形で行っている。

現代の世代の責任としては、今後、日本は絶対に(侵略)戦争を始めないという事を中韓などに解ってもらう必要がある。

3.反省

現在の世代の反省として、歴史認識、靖国問題、慰安婦問題などの争点を、日韓、日中共同で解消する試みが必要である。 ( 逆に、中韓側の歴史改ざんを許さないという意味合いもある。)


特に、戦争責任について、当時の軍国主義と日本国民とは切り離すべきであり、これが出来ていない以上、いつまでも現代の日本国民が責められる構図から抜け出せません。 この点を整理(清算)すれば、中韓との和解の可能性も開けると思います。
もえおじ | URL | 2009/01/02/Fri 13:03[EDIT]
いらしゃいませ もえおじさま
もえおじさま、はじめまして。コメントいただきありがとうございます。

私たちは(いわゆる革命的左翼と呼ばれる政治的潮流として、同じ認識を共有するものが少なからず存在するという意味で)、戦争の責任を当時の軍部、政界、財界のみにもとめるものではありません。当時の戦争を実体的にになった国民自身の責任をも射程にいれるべきものであると考えています。ご指摘のとおり、当時の一般国民は被害者としての側面はあると思います。が、しかし、やはり強制されたものであっても侵略戦争に荷担し、多くのアジア人民の命を直接的に奪ってきた加害者としての事実を真摯にうけとめる必要があろうかと思うものでございます。

http://kangun.blog123.fc2.com/blog-entry-93.html 「亡国の記念日をちょっとだけ」というエントリーのなかで書かれているとおり、明治維新に始まる近代日本の国家としての成立は欧米列強の軍事的な外圧とそれらによる金融資本の導入を梃子に急速になされたものであったわけですが、そこでの過程は、外に向かって植民地という経済権益を求め、内に向かっては一般国民を強権的政治支配をもって抑圧するという構造をもって貫徹されたのであります。

その決定的な推進力をなしたものが天皇制であり、その人格的な実体がシステム総体とともに責任を免れ得ないことはいうまでもありません。天皇制は、帝政ロシアのツァーリズム、ドイツ帝国のカイゼル主義と同様、世界史的に遅れて資本主義を歩み出したがゆえに恐るべき強権をふるったわけであります。そんな情勢下にあって、反戦を説き、反戦の闘いを組織することの困難は、ようやく産声をあげた日本プロレタリアートの主体の未熟さともあいまって、とてつもないものであったとは思いますが。しかし、それをもって”そうせざるおえなかった”と加害者としての側面を脱落させてしまうものであってはならないと思うものでございます。

さて、私は国家があまねく国民一般のためにあるものとは思っていないのでございます。それは、若い頃かじったマルクス主義、レーニン主義によるところなのでございますが、語弊を恐れず言えば、国家は自国の資本のためにある。それは資本の集積がすすみ、産業資本と銀行資本が癒着し金融資本を形成するにいたりより明確なものとなる。金融資本を中核とする資本は政治権力と一体となり、国家独占資本として国家のオーナーとなる。いわゆる宇野段階論でいうところの資本主義の帝国主義段階であります。そもそも歴史的にも、国家は自国資本が成長してゆく歴史的過程でうみだした”縄張り”であり、排他的な”営業圏”であります。

エントリー「賽は投げられた」で引用させていただいたNKさまの認識に被りますが、鉄鋼、機械、エネルギーなどなど生産手段を生産する基幹産業、マルクス経済学では”I部門”といいますがそれにくらべて、消費手段を生産する”II部門”は生産の拡大が緩慢に進行する。消費はさらに遅れて拡大する。資本主義の自由主義段階のようにスミス的な国家の政治的介入の排除を是とするならば、それぞれの個別な資本は自由競争での敗北&倒産を通じて過剰な固定資本を整理・縮小・更新することができるわけです。

しかし、帝国主義段階においては、過剰な生産は国外市場へと積極的に輸出されるのです。
とりわけ、ODAなどは帝国主義段階におけるメルクマールをなすところの”資本の輸出”を推進するものであります。旧植民地支配はあからさまな軍によるものであったわけでありますが、第二次大戦後の新植民地支配はそこでの買弁資本家(外国資本の従属的仲介をなす民族資本家)と彼らの支持する政府により一定の国家的主権という独立性をもちながら展開されるのであります。

ながきにわたり植民地支配をうけていた国は、宗主国の抑圧・搾取・収奪により、便利で豊かな社会生活のための物質的基礎をなす工業化をするための資本を蓄積することができません。インフラの整備も十分ではなく生産手段も自前では調達できません。そこへODAという名目で投入された資金は、ODAをおこなった国の過剰な生産手段の輸出をもってふたたび回収されるのです。帝国主義段階におけるいまひとつのメルクマールは硬直した経済を政治が積極的に牽引してゆくこと、国家が資本のために積極的にお仕事をつくるところにあります。

そして、インフラが整えられたところで、民間資本が大規模に投下され経済格差による低賃金を梃子に他民族の搾取・収奪、経済的支配をおこなうのであります。
1965年日韓基本条約が締結されたのち韓国に円借款をもって資本を輸出しインフラを整備し、そののち民間の資本が投下され産業資本をたちあげた。その結果、日本では韓国製品があふれ、私たちはその安価な消費手段の恩恵にあずかることになったわけです。格安な韓国製品が生みだされる過程はとても過酷です。かつて日本で女工哀史として語られたような悲惨な労働実態がそこにはあった、「韓国からの通信」はその搾取・収奪実態を激しく告発していました。近年跳梁跋扈する「自由主義」史観者には「捏造」であると、はなはだ評判の悪い著作であるようではありますが。

ODAは補償というかたちをとりながら、結局のところは資本投下への道を掃き清め、資本の投下によって自国の資本の再生産過程にリンクし、高利潤をあげるというものとしてあったとおもうのであります。”おーまい・ごー”というエントリーで光州蜂起の映画をとりあげています。その数年まえに日韓問題へかかわりがあったのですが、そこでいわれたことは「日本の植民地支配は終わってはいない。日本の経済支配はいまなお進行中だ。君たちは日韓連帯を口にするが、我々に握手をもとめるまえに、どうか我々の足を踏みつけている君たちの足をなんとかしてほしい」という言葉でした。

敗戦帝国主義日本はその敗戦によっておおきく「民主」化がなされました。しかしながら、資本主義の帝国主義段階における侵略戦争をひきおこす独自の経済機構を揚棄するものとして、また侵略戦争の責任を民衆みずからが政治的にきっちりととるものとしての戦後革命は、ソビエトスターリン主義の誤った指導と日「共」スターリン主義の裏切りにより敗北いたしました。その敗北の代償として平和憲法に象徴される「民主主義」を獲得したわけですが、一切の基礎をなす経済システムはなんらかわるものではなく、帝国主義の推進翼であった天皇制、靖国とブルジョア政治支配は延命したのであります。

基本的なシステムにかわりがないのだから、過剰生産による経済の停滞は新植民地へと膨張的に転化される。おなじ問題を抱える他国との利害のバッティングは深刻な政治問題へと発展する。さらに、新植民地体制下で民族解放の闘いがいっそうそれに拍車をかけるのであります。深刻な利害の対立がやがて非妥協のものとなったとき、領土の再分割をかけて国家間戦争はひきおこされるのであり、それを通じて硬直した基幹産業の固定資本の破壊することをもって資本主義はよみがえるのです。

我々庶民にははなはだ夢物語のようではありますが、我が「神の国」ニポーンのオーナー達はそのことを熟知していると確信するものであります。

韓国のような植民地経済として外国資本が投下されてきた国家も、それが集中的に投下されるならば、民族資本もまたその拡大再生産とリンクすることをもって、急速に成長をし資本の蓄積と集中をなすものであります。こんにちでは、韓国はすでに帝国主義段階へ移行し、日本と競合するようになってまいりました。日本でも自国資本の抑圧搾取収奪がある、同じように韓国のなかでも自国資本の抑圧搾取収奪がある。どちらも、民衆から乖離した国家意志のもとに民衆を組織しようとするのであります。そのうえに抑圧民族と被抑圧民族としての歴史的経緯は一貫して否定できないものとして存在するのであります。

この海を越え、国境を越えた抑圧に抗するもの同志の闘いの結合こそが、過去の戦争責任を償い、その後に続く抑圧搾取収奪への謝罪反省へと道をひらく第一歩であると考えております。

このたび長々と引用した松尾氏の
<1つは、靖国神社が「国家のために戦争で命を捧げた人」を「英霊」として祀る施設であるということである。そこに祀られている人びとのほとんどは、朝鮮の植民地化への道をひらいた日清・日露戦争を戦った人びとであり、中国への侵略戦争を戦った人びとである。これを「英霊」と呼び、祀るということは、単にそれらの死者を弔うということではなく、彼らの戦った戦争そのものを肯定することを意味するのである。死者を弔うのであれば、それらの人びとのお墓にお参りをすればよいのであって、元々は国家の戦争施設として創られた神社で、しかもそこに「英霊」として祀られている「国家の兵士」「侵略戦争の兵士」に対して参拝することにはならない。>

<ヨーロッパ近代に誕生し、日本では明治維新を画期として建設された国民国家(nation state)の歴史は多くの戦争によって彩られている。それはけっして偶然のことではない。国民国家という存在そのものが本質的内在的に侵略戦争、国家間戦争を孕んでいるのである。近代国民国家は、内政干渉を許さない排他的な国家主権と領土の確定を不可欠の成立要件とするものであり、さらにいま1つの成立要件である国民ないし国民意識(ナショナリズム)は国民国家の与件として存在したのではなく、国民国家による対外戦争を通して鼓吹され、形成・確立されていったのである。そういうものとしての近代国民国家という存在を考えるとき、「国家の手で戦争の死者を慰霊する」ことは、国民国家の形成・維持にとって不可欠なものとしての戦争を可能にする体制を確保するということにほかならないのである。>
という下りが私の認識のベースであります。

もはや”革命家”ではない松尾氏としては日本帝国主義の再度のアジア侵略へむけての布石としての”靖国神社の参拝”、階級支配のための機構としての民衆から乖離した国家の存在、この二つの前提を直接的には語っていない、ましてや”日本帝国主義の朝鮮アジアへの侵略を内乱に転化せよ”といった方針を提起しようもないのですが、すくなくとも氏が展開しているように、”靖国”という”特殊”な施設に国家の最高指導者が参拝することがもつ意味を、過去の侵略の歴史の真摯な反省にたって考えるならば、それは到底容認しうるものではありません。それを許している今を生きる私達もまた今尚責任を負い続けている者であるとおもうのです。

ながながつらつらと思うところを書かせていただきました故、まとまりのない話で申し訳ございません。民族問題はたいへん困難な課題を多く含んでいて難しいです。日韓併合以降の朝鮮民族史など、ただいまぼちぼちと学習中につきうまくいえないというのが正直なところでございます。そんなこともあって議論としてはかみ合う部分がすくないかもしれません。いただいたコメントのように1.2.3.ですっきり書けたらよかったのですが・・・

コメントいただきありがとうございました。m(_ _)m
薩摩長州 | URL | 2009/01/09/Fri 22:55[EDIT]
お返事、ありがとうございます。
> 当時の戦争を実体的に担った国民自身の責任をも射程にいれるべきものであると考えています。

心情的には、私も同様に感じてはいます。 権力は下から来る(Michel Focault)の言葉の基本的には正しい。 ただし、当時の一般国民に戦争責任を押し付けるということは、現在の我々も戦争の責任を被らなければならない可能性が出てきます。 戦後しばらくして一億総ざんげ論というものもあったようですが、相当ひんしゅくをかったようです。

ドイツの場合には、戦争責任をナチスに限定し、当時のドイツ国民は事実上免責しました。 その代わり、政治的にネオナチを禁止し、近代史教育においても戦争責任に関して充分教える方針をとっています。 私は、少なくとも日本でもドイツと同程度の政治的判断が必要であり、過去の戦争をある程度清算する必要があると考えています。

残念ながら、現状の日本においては近代史教育が不十分で、そのことが歴史認識問題、靖国問題、慰安婦問題に悪い影響を及ぼしています。 最低でも、これは是正しなければなりません。

> 帝国主義

言葉上は帝国主義とは植民地を伴うことが原則なので、例えば「韓国がこんにちでは、すでに帝国主義段階へ移行している」という表現は行き過ぎでしょう。 もっとも、国家資本主義における過剰生産(資源も必要になる)が戦争や植民地支配へと駆り立てた、という指摘はとても的を得ています。 今日の米国にしても、軍需産業複合体が外交政策や産業政策に影響力をもっていることは、明らかでしょう。

とくに、現代の資本主義が新たな貧困を作り上げており、そのことが世界を不安定にしている状況を深刻に受け止める必要があります。 いずれにしろ、現在の資本主義が大きな修正を迫られていることは紛れもない事実であり、日本でもこれに関する議論がもっと盛んになってほしいと思います。
もえおじ | URL | 2009/01/11/Sun 11:27[EDIT]
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もう、さよくはやめる
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愚樵空論 2008/12/31/Wed 19:18
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