たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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ことしも「亡国の記念日」をちょっとだけ
肩こり指数★★★

あっというまに三月十五日になってしまったが、今年も三月十四日にまつわる話を書こうとおもっていた。

八十年代のヒット作マイケル・J・フォックスの主演映画”Back to the Future”三部作にえがかれる現在と過去、そして未来は、それらをつなぐ特別な日と特別な時間を結節点として展開される。まあ、それはフィクションであるからそういったことはアリなのだが、「事実は小説よりも奇なり」ではないが、現実になんとも因縁深い”日”というものはあるものだ。

オールド中核派ゆかりの者たちにとって3・14というのは去年も書いたことではあるが、1975年3月14日、党首であった本多書記長がカクマルの白色テロに倒れた日として忘れることのできない日なのであるが、この”3月14日”というのは奇しくも、かのカール・マルクス氏の命日でもある。

最近では対カクマル戦も「勝利宣言」でうちきったのちは、3.14復讐戦貫徹の言葉も死語となり、もっぱら関西の組織問題の始まりの3.14決起とか、法大の3.14大弾圧とかが語られるのみであるが・・・
なんとも複雑な思いを感じつつ、おくればせながら去年に引き続き”亡国の記念日」をあげておきます。



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日本帝国主義の歴史と紀元節 (続き)


この国家形態をめぐって、論争が存在しています。
明治維新で現出した国家は、旧体制と新興ブルジョア的諸関係の両勢力の均衡のうえに国家を主軸にして形成された天皇制絶対主義国であるといえますが、ところで、われわれが四五年八月一五日に見いだす国家とそれはどういう関連にあるのか、ということについて、二つの対立する考え方が過去においては支配的に存在していました。一つは、絶対主義がそのまま八月一五日までつづいていたという考え方で、日本共産党系の綱領的見解がこれです。もう一つは、明治維新そのものがブルジョア革命であるという考え方で、向坂逸郎とか大内兵衛など労農派の思想です。しかしこれは論理的に無理があります。もし明治維新がフランス革命と同じブルジョア革命だとするならば、昭和初年に日本の社会を特徴づけていたような地主制については、うまく説明がつかないことになりますし、なによりもまず天皇制のもつ独自の役割が捨象されることになります。天皇制ファシズムという日本歴史学研究会などの支配的意見は、三二テーゼ型の前者の見解を没理論的に手直しした現象論であり、ファシズムにかんするまったくの無知を意味するものです。

さきに、明治絶対主義政府が自己の生存のために資本主義を発展させたこと、この過程で形成されるブルジョアジーが自己と対抗的に登場してくるプロレタリアートに対抗するために、旧体制と妥協し、それと同盟を結びながら、その内部で絶対政府をきりくずし、ブルジョアジーの階級的利益を貫徹させていったことを指摘しましたが、わたしは、このような特殊な国家形態をボナパルティズムと規定すべきだと考えています。

ボナパルティズムは、歴史的にいうとナポレオン・ボナパルトによって代表された形態、さらに四八年の革命から反革命に転じてゆくナポレオン三世のルイ・ボナパルトの形態、そしてこんにちではドゴール型とでもいうべき形態の三つを典型としてあげることができますが、トロツキーは、この三つを比較して「ナポレオン・ボナパルトのボナパルティズムは若気のいたりのボナパルティズムである。ルイ・ボナパルトのボナパルティズムは、すでに頭の禿に気づきはじめたボナパルティズムである。そして二〇世紀に登場するボナパルティズムは、自分の老いの身を自覚したボナパルティズムである」というようなことをもうしています。このようなフランスの典型的なボナパルティズムにたいして、ドイツにおけるカイゼル主義=ビスマルク主義、ロシアにおけるツァーリズム=ストルイピン主義、そして日本の天皇制主義といわれている三つのタイプも、ボナパルティズム的形態をもって絶対主義国家から近代ブルジョア国家に移行していったもの、ないしは移行していこうとしたものだと見ることができます。

このドイツのカイゼル主義、ビスマルク主義、ロシアのツァーリズム、日本の天皇制主義の歴史をイデオロギー的に比較してみますと、はっきりすることは、旧体制の無知蒙昧(むちもうまい)なものをできるだけ近代のなかにもちこんで、むしろそのような無知蒙昧を徹底的に利用して農民のような小ブルジョアをひきつけながら、プロレタリアートに対抗する、そういうタイプの政策をもった国家であると整理することができます。

日本帝国主義の前近代性=無知蒙昧なるものは、資本主義が世界史的には没落の時代にはいりはじめたなかではじめて資本主義の歴史を開始しなければならなかった日本資本主義の世界史的特殊性、すなわち、あまりにも現代的な性格に規定されるものとして理解する必要があります。したがって日本共産党が三二年テーゼの中で主張しているように、日本には古い封建的諸形態が多く残存しているから、まずそのような古い形態をブルジョア革命によって打倒して、しかるのちに社会主義革命をめざすプロレタリア革命をおこなう、というような考え方は、資本主義の発展段階のもっている世界史的な特徴について、あるいはその特徴にもとづいて日本の近代の歴史が開始しされた特殊な意味についてまったく無知であることを示しています。

戦前の地主・小作などの農民問題の解決は、まずもってブルジョア革命によって解決されるのではなしに、地主をも同盟軍にひきつけている日本帝国主義権力を打倒していくことのなかに真の解決の道が存在していること、二段階的にではなしに、社会主義にむかってのプロレタリア革命に包摂される一段階的なものとして考えなければなりません。

したがって、八月一五日から二十数年たったこんにち、紀元節がふたたびとびだしてきたことは、日本支配階級が国民の圧倒的部分が信じるに足らないような根拠のない日を建国の日としなければならないほど血迷いはじめたことを事実をもって示しているといえます。ですから一部の近代主義者のように、紀元節のような古いものがよみがえってきたから、ますます日本を近代化してこれをとり除こうと考えるのは本末転倒したまちがいであって、むしろ日本の超近代的性格、もっと正確にいえば、日本資本主義がもっている帝国主義的特質が、逆にこうした紀元節のような無知蒙昧なものを国家の紋章として張りつけたのです。すなわち、日本の国家が、こういう荒唐無稽、無知蒙昧なるものを出発点とし、こういうものの条件のうえにしか自己の存立の条件を政治的に見いだすことができないとしたら、日本帝国主義はわれわれにむかって、みずからの死滅を宣言しているにすぎないのです。

したがって、われわれにとって紀元節のもっている意味は、たしかにこの日がきわめて不合理な日であり、学問にたいする侮辱の日であり、そして日本の教育、日本の大学のすべてが、日本帝国主義の学問否定の攻撃にたいして屈服した記念日であることの確認にとどまることはできないのであります。頭の禿げあがってしまった資本家たちにとっては建国記念日であるかもしれないけれども、批判精神をもった若い世代、民衆にとっては、この日は日本の亡国記念日として記念されなければならない日であると思います。

(本多延嘉著作選第二巻 亡国の記念日より引用)

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