たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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ぴょん!びょん!ぴょん!「跳躍資本論」
ちょうど一月前、お金に汲汲としていたころ、愚樵さまのところでマルクスをとりあげておられた、そのきっかけというのは、これまたお玉さまのところでマルクスをとりあげていたからとのことだった。そんなわけでお玉さまのところへジャンプしてつらつらと記事をよんでみたところ、的場昭弘氏の「マルクスだったらこう考える」をよんだことがあるがよくわからなかった。というようなことがかいてあった。

ちょうどそのちょっとまえに、タモ・ツン糖酒が感想をかいておられたことに触発されて、的場氏の「超訳資本論」をよんだので、今年はじめてのコメントをいれさせていただいた。

さてこの「超訳資本論」という新書、感想としては資本論に書いてあるとおりじゃん、どこを超訳したのだろ~か? というよりこの書き飛ばしっぷりは”超訳”というより”跳躍”という言葉こそふさわしい。だが、そうしたうえで特筆すべきは”超訳資本論はたいへんに読みやすかった”ということだ。

私は、がんらい経済系ではないのでニセ学生で講義を聴したりとか、解説本を読みあさったりとか、結集後は指導部、同志の教えを請いながら、マルクス経済学を独学でほんのちょっぴりだが学んだ。それは、なんたってマルクス主義学生同盟員だったのだから、それが全くさっぱりというのも変な話だからである、ということでもないが。すくなくとも第一巻くらいはそれなりに理解をしておく必要はあったというわけだ。
ちなみに、近頃では党の基本7だか8だか、資本論は含まれていないようだが、文献として学習フラクなんぞをつくったりもして学習を推奨しているようだ。

とにかく資本論はのっけの一発目がとてもむずかしい。いろいろと解説本を読んでみてもなかなか理解がすすまなかった。どの解説本も資本論を遠心分離器にかけて濃縮したようなものばかりで、まるで難解さが濃度をましたようなものばかりだった。たとえば、読み始めた頃入手した資本論訳者として有名な岡崎次郎氏の「資本論入門」なぞはわずか242ページにな~んと資本論全3巻を濃縮してあるという、まるでプルトニウムだったら核兵器ができてしまうくらいの高濃度高純度の解説本ゆえに、コイツを読み終えることができたのは資本論を読んだはるかのちのことだった。


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さて話が横にずれたが、「超訳資本論」はいきなり「ですます」体のやわらかな文章ではじまり、著者自身も書いていたが、資本論の冒頭一発目の商品の二重性ー価値と使用価値の矛盾を意図的に原論レベルで論じることをさけ、資本論からの引用を主に著者が全体の流れをナビゲートするかたちで、労働者のためにその多くが書かれた第一巻全体の骨子がおおまかに語られてゆく。その語り口は、決して多くのことを語るわけではないが、そのことが原典への誘いの言葉に転化している。

昨年のことだったか、蟹工船ブームのはしりは漫画だったか、時をおなじくしてカラマゾフの兄弟なんぞも漫画になったりして、私としてはこーいうのは大いにウェルカムだ。難解なものをとかく簡略化するとあらぬ誤解を生み出したりするものだが、まずは入りやすい扉をつけて、あとは限りなく深い奥行きは扉をくぐったのちに各自の関心、意識、意欲にまかせて深化してゆくにまかせるというのは大正解だとおもう。筆者も書いているが、出版当時の風潮から”ワーキングプアーな人々に読んでいただきたいと”、さしずめ昨今の派遣切り、雇い止め、正社員の大量リストラの時にあっては、なぜそんな理不尽なことがおきるのかを知るために読んでいただきたいとなろう。そう、まずはバックギヤーにシフトが入ってしまいがちなマルクスのみた資本主義的生産様式の社会の仕組みを知る大きく開け放たれた扉をくぐってもらいたいと、そんな扉のような一冊だろう、「超訳資本論」。

追記 今年は資本論にトライしてみようといっておられた風さまに一押ししておこう。それと、ろくぞ仕事もしたことがなく労働者ではなかったマルクスのおっさんの理屈は胡散臭いとおもっておられた愚樵さまにもおすすめしておこう。筆者はマルクスの出自はブルジョアだったとしたうえで、労働者の武器はマルクスにせよ、エンゲルスにせよレーニンにせよブルジョア自身がが準備したのだというようなことを懇切丁寧に書いている。


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