たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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ストライキについて
肩こり指数★★☆

あっという間にお彼岸ですっかり春めいてきた。だいぶ日も延びてきて、日の出ははやくなり、夕暮れはおそくなってきた。そんなころに毎年恒例の”春討”じゃなくて春闘があるわけだが、おりからの世界同時不況というか、はっきりいって世界恐慌の影響を経営側に楯にされ、派遣切り、雇い止め、正社員のリストラという矛を振るわれ、いともあっさりと土俵を労働側は割っているようにおもえる。
「不況で企業が倒れようかというときに、賃上げなど問題にもならない。企業あっての労働者だぁ!」なんて大工のウェストン君みたいなことを考えているから寄り切られるのだ。まあ、そのあたりの話はまた後ほどということにして、つい先日、武装せる園芸家は持病の薬をもらいに近所の診療所の待合室でテレビをみていたら某航空会社がストライキをやっているとの報道。そういえば、ストライキといえばそれなりにインパクトがあったのは数年前の野球選手のストライキが記憶にあるが、それ以外にはほとんど耳にしたことがなくてちょっと新鮮な感動をおぼえた。

それでも、ちょっと調べてみれば航空会社はわりとストライキをかまえてきたらしいし、動労千葉はもとより、あまり報道されることはないが全国的にはストライキはおこなわれているようだ。自分のアンテナの低さを大いに反省させられた。私は学生運動はしたことがあるが、労働運動は経験がないのでそのあたりのところは大変不案内なのだ。こういったご時世にあって、労働問題の動向には大きな関心をよせてゆかねばならないし、それにかかわるところの理論的学習も必要だろうとおもう。

さて、診療所の待合でストライキの報道のなかで、毎度おなじみの定番街角インタビューがはいって3人ほどの意見が登場したが、「迷惑千万!!」というものだった。いくらバイアスかかりまくりのマスコミ報道とはいえ、むっとするような内容だった。そんなわけで、このたびは、若い頃、深い感銘をうけた、かのレーニン氏の「ストライキについて」(全集4巻に収録)をあげようかと思った次第なのである。

時代背景はロシア革命以前、ツァーの圧政が猛威をふるうなか、帝政ロシアは外国資本をテコに急速な工業化を推し進めようとしていたときのお話である。こんにちてきに読むならば、そんな非民主的な時代の話はアナクロニズムともとられようが、総資本VS.総労働という基本的関係性はなんらかわってはいない、そのありかたは昨今の労働者の”受難”をみれば明らかであるし、なお、これから世界的規模で鮮明になってゆくものであると考えている。
しかしながら、戦後「民主」主義と繁栄を謳歌してきた労働者及一般大衆がかくのごとき悲惨な労働者の待遇はありえないと思えるような一億総中産階級という「素晴らしい」かつての暮らしぶりは、ひとえにレーニン氏の成し遂げたロシア革命とそれにつらなる”革命”という現実の衝撃が資本に”譲歩”という二文字を学ばせたからにほかならないし、大量生産、大量消費に象徴される爆発的な生産力の増大によるものといえる。まあ、そんなことも頭の片隅にとどめおいて読んでいただけたらと思います。たかが全集では10ページほどなのだが、それでも長いので2回に分けます。

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ストライキについて

ロシアでは、最近数年、労働者のストライキが非常に頻繁になった。工業県ででいくつかのストライキがおこらなかったようなような県はひとつものこっていない。また、大都市ではまったくストライキの絶えまがない。だから自覚した労働者も社会主義者も、ストライキの意義、ストライキのやり方、ストライキへの社会主義者の参加の諸任務の問題を、ますます頻繁にとりあげているのはあたりまえである。

われわれは、これらの問題について、われわれの考えを二、三述べてみたいとおもう。第一論文では全体として労働運動におけるストライキの意義について、第二論文ではロシアのストライキ取締法について、第三論文では、ロシアでストライキがどういうふうに行われてきたか、またいま行われているか、自覚した労働者はストライキにたいしてどういう態度をとるべきか、ということについて述べようとおもう。



まず第一に、ストライキの発生と普及はなにによるものか、という問題をださなければならない。自分の体験や、他人の話や、あるいは新聞で知っているストライキのあらゆるばあいをおもいだしてみれば、だれでも、大工場が発生し普及しているところでストライキも発生し普及していることが、すぐわかるであろう。数百人(ときには数千人)の労働者をやとっている巨大工場で、労働者のストライキがおこならかったような工場は、まず一つもあるまい。ロシアに大工場がすくなかったころにはストライキもすくなかったが、古い工場地方でも新しい都市や村でも、大工場が急速に成長するようになってからは、ストライキもますます頻繁になる一方である。

大規模工場制生産がいつもストライキを呼びおこすというのは、なぜそうなのだろうか? それは、資本主義は必然的に労働者と雇主との闘争に導くのだが、生産が大規模になればなるほどこの闘争は必然的にストライキ闘争になるからである。

これを説明しよう。

資本主義というのは、土地、工場、道具などが少数の地主と資本家に属していて、人民大衆は、まったくあるいはほとんどまったく、なんの財産ももたないで、そのための労働者としてやとわれていくほかないような社会制度のことである。地主と工場主は、労働者をやとい、彼らにありこれの生産物を生産させて、これを市場で販売する。そのさい工場主は、労働者が家族といっしょにやっと生きていけるだけの賃金しか支払わず、それに必要な生産物の量をこえて労働者が生産するものは、全部工場主が自分のポケットにいれてしまい、それが彼の利潤を構成する。このように、資本主義経済のもとでは、人民大衆は他人にやとわれて働く。自分のためにではなく、賃金をもらって雇主のために働くのである。雇主がいつも賃金を引きさげようとつとめるのはあたりまえである。彼らが労働者にわたすものがすくなくなればすくなくいだけ、それだけ多くの利潤が彼らのてもとにのこるからである。ところが、労働者は、滋養のある衛生的な食物で家族の全員を養い、よい住宅に住み、こじきのような着物でなく、みなが着ているような着物を着ることができるように、なるべく多くの賃金をえようとつとめる。こうして、雇主と労働者とのあいだには、賃金のことで絶え間ない闘争がおこなわれる。雇主はだれでもすきな労働者をやとう自由がある。だから、雇主はもっとも安い労働者をさがすのである。労働者はだれでもすきな雇主にやとわれていく自由がある、なるべく高く支払ってくれるような、もっとも高値の雇主をさがしている。
労働者の働くところが農村であろうと都市であろうと、彼のやとわれる先が地主であろうと、富裕な百姓でであろうと、請負業者であろうと、工場主であろうと、―ともかく彼は、いつでも雇主と取引をし、賃金のことで彼らと闘っている。

だが、労働者はひとりぼっちでこの闘争をおこなうことができるだろうか?_働く人民の数はますます多くなる。農民は零落して、農村から都市へ、工場へと逃げてくる。地主と工場主は機械を取り入れ、機械は労働者から仕事をうばう。都市では失業者がふえる一方だし、農村ではこじきが増える一方である。飢えた人民は賃金をますます切り下げる。労働者はひとりぼっちで雇主と闘争することが不可能になる。労働者が良い賃金を要求したり賃金の引き下げに同意しなかったりしようものなら、雇主はこうこたえるだろう。出てうせろ、門の外には腹のへった連中がたくさんいるのだ、あの連中は低い賃金でも大喜びで働くんだぞ、と。

人民の零落がひどくなって、都市にも農村にもいつも失業した人々が群れをなすようになり、工場主が巨万の富を積み、小経営主が百万長者に駆逐されるようになると、―個々の労働者では資本家にたいして”まったく”無力となる。資本家は、労働者を完全におしつぶして、彼を、いやかれひとりでなく彼の妻も子も、死ぬほどの苦役に追いつかうことができるようになる。また実際、労働者がまだ法律の保護をかちとっていないで、資本家に反抗することのできない諸営業をみるがよい。―諸君は、一七時間から一九時間にもおよぶ法外に長い労働日を見いだすだろう。作業につかれきった五―六歳からの子供たちをみいだすだろう。いつも飢えていて、飢えのために徐々に死んでいく労働者の世代をみいだすだろう。たとえば、資本家のために家内労働をしている労働者がそれである。いや、労働者はだれでも、ほかの実例をもっともっとたくさんにおもいだすだろう! 労働者が資本家に対抗することができず、雇主の横暴を制限する法律をたたかいとることができないばあいに資本家があえてやっているほとんどの、働く人民にたいする恐ろしい抑圧は、奴隷制や農奴制度のもとでさえかつて一度もなかった。

そこで、こういうぎりぎりの状態までおしつめられまいとして、労働者は死にものぐるの闘争をはじめる。労働者は、自分たちの雇主にたいして共同して決起しはじめる。労働者のストライキがはじまる。はじめは労働者は、自分たちがなにをかちとろうとしているのかさえ理解せず、”なぜ”そうするのかさえ意識しないばあいが多い。彼らはだだ、機械をこわし、工場を破壊する。彼らはただ、工場主に自分たちの憤りをおもい知らせたいだけである。彼らはその耐えられない状態から抜けだすために、自分たちの共同の力をためしてみるが、まさになぜ彼らの状態はこんなに絶望的なのか、彼らは何をめざして努力しなければならないのかを、まだ知らない。

すべての国で、労働者の憤激はまず個々の決起―わが国で警察や工場主の呼んでいるところでは一揆―からはじまった。すべての国で、これらの個々の決起は、一方では多少とも平和な罷業を、他方では自分の解放をめざす労働者階級の全面的闘争生みだした。

労働者階級の闘争において、罷業(すなわちストライキ)は、いったいどういう意識をもっているか?この質問にこたえるためには、われわれはここで、まず罷業のことにややくわしくたち入らなければならない。もし労働者の賃金が―まえにみたように―雇主と労働者の契約によって定まり、そのばあい、個々の労働者はまったく無力だということであれば、労働者は必然的に自分たちの要求を共同してまもりぬかなければならないし、雇主が賃金を引き下げるのを妨げ、あるいはもっと高い賃金をかちとるために、必然的にストライキを組織しなければならないことは、明らかである。実際にも、資本主義制度の行われている国で、労働者のストライキがおこらないような国は一つもない。ヨーロッパのすべての国家とアメリカとで、どこでも労働者は、ひとりぼっちでは無力だということを感じており、あるいはストライキを組織することで、あるいはストライキをやると威嚇することで、だが共同して雇主に対抗することができる。そして、資本主義が発展すればするほど、大工場が急速に増加すればするほど、小資本かが大資本に駆逐されればされるほど、労働者が共同して抵抗する必要はますます緊急なものとなる。なぜなら、失業はそれだけはげしくなり、資本家が、できるだけ安く商品を生産しようとつとめて(だが、そのためには、労働者にはらう賃金も、できるだけ安くする必要がある)相互に行う競争はそれだけつよまり、産業の変動と恐慌はそれだけつよまるからである。産業が繁栄するときは工場主は大きな利潤をてにいれるが、それを労働者と分けあおうとは考えもしない。ところが、恐慌時には工場主は損失を労働者に転嫁しようとつとめる。資本主義社会のおけるストライキの必然性はヨーロッパ諸国では万人によくもとめられているので、そのでは法律でストライキの組織を禁止してはいない。ただロシアにだけ野蛮なストライキ取締法がのこっている(これらの法律とその適用については、またこんど述べよう)

しかし、資本主義社会の本質そのものから生じてくるストライキは、この社会組織にたいする労働者階級の闘争の始まりを意味する。金持ちの資本家に個々の無産の労働者が対立するとき、そらは労働者の完全な奴隷化を意味する。しかし、この無産の労働者が団結するとき、事態はかわってくる。資本家の道具と材料に自分の労働を添加して新しい富を生産することに同意する労働者がみつからないかぎり、どういう富も資本家になんの利益ももたらさないであろう。労働者がひとりひとりで雇主を相手にしているかぎり、彼らはいつまでもほんとうの奴隷のままであり、永久に一片のパンと引きかえに他人のために働き、永久に従順な、黙々とした雇人にとどまらなければならない。しかし、労働者が共同して自分たちの要求を表明し、ふくれあがった財布の持主に服従することを拒絶するとき、労働者は奴隷でなくなって人間になる。かれらは、彼らの労働がひとにぎりの寄生虫を富ませるためだけにつかわれないで、働くものに人間らしい生活をする可能性をあたえるものとなることを、要求しはじめる。奴隷が主人になりたいという要求を、―つまり、地主と資本家が欲するようにではなく、勤労者自身が欲するように働きまた生活したいという要求を、表明しはじめる。ストライキはいつも資本家に非常な恐怖をおこさせるが、それはストライキが彼らの支配をゆるがしはじめるからである。「君の力づよい腕がそれを欲するなら、いっさいの車輪はとまるだろう」と、あるドイツの労働歌は労働者階級についていっている。実際、工場、地主経営、機械、鉄道、等々これらはすべて一つの巨大な機械装置の車輪のようなものである。―この機械装置はいろいろな生産物を採取し、それに加工し、必要なところにおくりとどける。この機械装置全体をうごかしているのは”労働者”であって、労働者は、土地を開墾し、鉱石を採掘し、、工場で商品を製造し、家屋、作業場、鉄道を建設する。労働者が働くことを拒絶すれば、この機械装置全体は停止する危険にさらされる。どのストライキも、本当の主人は資本家ではなくて、ますます声たかく自分の権利を主張している労働者であるということを、そのつど資本家におもいださせる。どのストライキも、労働者の状態は絶望的ではなく、彼らはひとりぼっちではないということを、そのつど労働者におもいださせる。

次回につづく

(大月書店「レーニン全集4巻」より)

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Comment

 秘密にする

どうもこんばんわ、日本で列車が止まる、日常生活がちょっと不便・・・なんてストライキが無くなって久しいですが、ストライキで労働者が団結し、要求していくことは非常に重要ですね。
「あるみさんのぼり」を作ってみました。もし、3・29都合がよろしければ、北総大地でお会いできないでしょうか(^^)//
GO | URL | 2009/03/23/Mon 00:13[EDIT]
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3・29三里塚に行くぞ~あるみさんのぼりの下に、集まろう!
拙ブログ三里塚闘争に決起せよ!でも紹介したとおり、3月29日正午から、三里塚現地  [続きを読む]
たたかうあるみさんのブログ 2009/03/23/Mon 00:09
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