たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NKさまの言葉
肩こり指数★★☆

今年の冬は暖冬で雪もほとんどふることもなく、あっというまに過ぎ去った。とりわけ、当家が直面した危機はそんな時の流れに拍車をかけた。なにかお金と仕事に追いたてられているあいだに、気がついたら5月になろうとしている。明日は働く者の祭典、メーデーだ。今年はいっちょどんな案配か、近しいところへ足をはこんでみようかとおもっている。

さて、協賛趣味者ご必見の「隔離論争掲示板」をひと月ぶりにじっくりと読ませていただいた。一時、減益氏などが板をにぎわせていたりして、見るに堪えないものがあったのだが、いつも、様々な思いをいだきつつ、発言者の一言一句をかみしめるようによませていただいている。

最近は、当ブログでも機会あるごとに生で、というか、できるだけ生で、その発言を掲載させていただいているNKさまが、よく登場されておられるようだ。

今回も、たいへん胸を打つすばらしい書き込みをしておられたので、先にあげた、「ストライキについて」との関連として、またまた、誠に勝手ながら、掲載させていただこうとおもう。お題は「派遣村の衝撃」、そして、もうひとつは「反面教師として」、最後に「レーニン主義と動労千葉」。今日は「派遣村の衝撃」の全文と「反面教師として」の一部をあげさせていただこうとおもう。「反面教師として」は革共同中央派への批判として書かれたものなのであるが、それ自体それゆえにコアな内容を含んでおり、党の一連の流れを知るものでないと理解が難しいと私は考えている。それゆえ、抜粋させていただこうとおもう。すみませんm(_ _)m。

「派遣村の衝撃」は氏がこの闘いを、単なる救済事業ではなく、政治闘争、実力闘争であったと看破しているものである。

-----------------------------------------


派遣村の衝撃 投稿者:NK 投稿日:2009年 3月 8日(日)01時32分10秒
 
いわゆる「年越し派遣村」の闘いは、人間の生死がかかる切迫した事態のなかで、これが単なる救済事業などではなく、公園使用や政府建物の解放といった、極めて具体的な要求を中央政府に対して行い、緊急避難とはいえこれを実現した意義は軽視すべきではないと思います。
日比谷公園に集まった500名の解雇者と千人以上のボランティアの、後には引けないという圧力、さらにその外側には、マスコミを通じてこの事態を知った人民の怒りが、社民党や民主党に動くことを余儀なくさせ、政府は譲歩せざるを得なかったのではないか。これは今までのやり方とは違うにしても、必死の闘い(そこに行く事で数日の命がつなげると言う)が、いわば一種の実力闘争の様相を呈したのであり、国家権力といえどもこれに屈せざるを得なかった。労働者にとっては自分が無力な存在ではない事を実感し、同じような闘いをあとにつづく人たちに残したと言えるでしょう。
山谷や釜ヶ崎の労働者や支援の闘いが、巨大な規模で巻き起こるかも知れないという恐怖を支配階級に与えたことは、あとで彼らのいわれの無い非難となってあらわれていると言えるでしょう。

また昨日まで一緒に働いてきた仲間を、自分たちが助かるために後ろめたい気持ちで見送った、正規雇用労働者はそれが何を意味するかを知ることになった。それだから、非正規労働者を見捨てることは、自分たちもまた職場から追われる道をはききよめる事だと気づくまで、そう時間はかからないでしょう。派遣切りの3月危機と1年遅れの春闘要求は、確実に労働者階級と資本および支配階級との来るべき激突の予行演習となるでしょう。連合、全労連は言うに及ばず政府国家権力といえどもこれを押しとどめることはでないし、革命的勢力が存在しないにしても、階級闘争は本来の非和解的姿を取り戻すことになるでしょう。


-----------------------------------------


「反面教師として」は、つながりの悪い拙い私の抜粋で、申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、冒頭、日本の労働運動の特殊な形態にふれ、その後、労働運動への共産主義者の関わり方、政治闘争の意義、共産主義者は護民官と話は展開される。
それは、レーニンが「ストライキについて」述べた社会主義者の役割そのものである。

年明けから凹みに凹んでいた気持ちに思いっきり空気をいれてくれた文章だった。


-----------------------------------------

反面教師として 投稿者:NK 投稿日:2009年 3月20日(金)03時31分42秒

(前略)

日本の労働運動は、かつてのスターリン主義の影響の下に、動員の割り当てにしろ、上部の下部に対する支配の傾向が強い。また同一労働同一賃金の原則が全く無視(同じ職種の労働をしている派遣と正社員の賃金が違うなど、日本でしか見られない異常を当然視)されているなど特殊な形態をもって、いわば民同型ともいうべき形で労働者支配の一翼を担ってきたが、それは産業別労働組合の解体をとおして企業内組合という日本的労働者支配の形態をもたらした。

(中略)

どのような労働組合であろうとその中に留まって活動することを追求し、それらの成員は権力から秘匿されなければならない。このことは逆に共産主義者が労働者によって庇護されることによって可能になるだろう。
つぎに、政治的要求こそが、職種、上下関係に基づく分断に影響されず、広範な労働者を結びつけるであろうし、また労働者以外の大衆や良心的人士との結合をも実現することになるだろう。労働者の階級的自覚は、狭い経済的利害を共にする個別労働組合的形態から出発し、同じ産業の労働者の共通した利害によって企業的利害を捨て、政党、大衆団体のもとでの闘いに加わることによって、さらに多くの勤労所階級の利害と結びつく。さらに進んで、被抑圧民族、国内の被抑圧人民との接触と彼らの闘いに触れることをとおして、彼らの尊厳が自分のそれと同じ重さを持つものであることを自覚し、自らの置かれている抑圧的立場から抜け出し、共に新しい人間として生まれ変わることができると言う確信も生まれてくる。同時に非暴力的政治闘争から帝国主義国家権力に対する組織された暴力的闘争に進むことにを通して分断された人民を一つの共通利害にまとめ、プロレタリア独裁(全人民の武装と暴力の回復)実現という労働者の階級意識の歩みのひとつの到達点にいたる。
共産主義者は、この過程を常に労働者人民の傍らから離れること無しに共に歩み、彼らの手足となり耳となって助けなければならない。共産主義者とその党は労働者階級の究極的利害即ち、共産主義社会の実現による全人民の解放という目的のために組織された、いわば労働者階級の道具のひとつであって、指導者と言えども、これを実際にやりとげる多くの人々の一人としての存在以上ではない。そのために、今何が起きているのか、それは何を齎すのか、なぜそれが起きるのか、これから何が起き、何をすべきか、と言う問いに答えられる必要があり、極めて実践的なものとして指し示す能力を獲得しなければならない。またできうる限り将来にわたる見通しと実現すべき目標の設計図を用意し、日々それを精緻なものとする必要がある。

本多書記長はかつて、生死を共にする同志が二桁に上ると語ったが、実際はそうはならなかった。今は多くが変節した。それに対してボリビアの山中では、チェ・ゲバラの下に、キューバ共産党の中央委員あるいは次官の地位を捨てて確実に死ぬかも知れぬ、また達成の不確かな目的のために18名が集まった。彼らはそのほとんどが実際に、山麓で峡谷で死んでいった。またフランス人として生まれたフランツファノンはアルジェリア人として其処の土なった。私は彼らが羨ましい。目的の為にその生を貫けることは、人間のもっとも人間らしい生き方であるし、もっと羨ましいのは、おびただしい数の無名の戦士のひとりとして生きかつ死ぬことができたからだ。共産主義者とその党は、このような人たちで形作られなければならない。

(以下略)


-----------------------------------------

著者の意を十分に伝えることのできぬ、勝手な切り貼り掲載につき、ご指摘いただけましたら、速攻削除、謝罪させていただく所存であります。m(_ _)m よろしくお願いします。





Comment

 秘密にする

死は敗北である
本多書記長、ゲバラ、ファノンが素晴らしい人物であったことを否定するわけではありません。しかし、彼らは殺されることによって敗北したのです。

彼らは、死の間際に何を思ったでしょう。まだやることがあるのに、こんなところで命を落とすことになるのかと悔しかったのではないでしょうか?

私は彼らが、自分たちの死をうらやましいと捉える人間に対し、草葉の陰で怒っているように思えます。 


ぶさよでぃっく | URL | 2009/05/02/Sat 01:08[EDIT]
グノーシスなお話
おひさしぶりでございます。そちらの、「旗とハンマー」の記事とコメントをよませていただいて、共産主義者とは、共産主義者のあつまりである党とは、そして共産主義運動とはなんなんだろうか、という問題意識からTBさせていただいた次第でございます。

ご指摘の元となっている最後の革命家の死生観にふれた下りなのでありますが、実をいうとここまで引用しようか迷ったところなのであります。切り貼りの引用ゆえに、著者の意が正しく伝わらないかもしれない、とりわけこの最後の結びのところは、ともするとセンチメンタルなアジテートにとられかねないかとおもったのであります。

さて、ご指摘の”死は敗北である”でありますが、そうかもしれません、100年に一人出るか出ないかの革命家と呼ばれた本多さんが生きていたなら、そうおもった人は多いとおもいます。すぐれた指導者を失うことは組織にとって大きな痛手になります。ならば、指導者が危険をおかすこと、ましてや、命をうしなうことはそれ自体が大きな敗北である、と私も考えた時期があります。

ところで、ボルシェビキの党規律はなにによって維持されるかという問いに、まっさきに口に出るのは、共産主義者としての自覚とそれにもとづく自己犠牲の精神ということになります。それゆえに、革命とそれに前後して不可避に発生する内戦の過程では多くのすぐれた共産主義者が命を落としてゆきます。没主体的な醒めた目でみれば革命はごくありふれた日常の常識のすべてが吹き飛んだところで起こる、「悲惨」なできごとかもしれません。

まるでジョッキーに注がれたビールの泡がはじけて消えてゆくように、失われてゆく共産主義者の命、彼らの心中を推し量るとき、「あとはたのんだぞ」といっていると私はおもっています。はなはだ主観的で、文学的ないいまわしですが。だが、逆に言うならば、闘いに倒れた者の意志を引き継ぎ、その死への責任をとってくれる党=実体としての共産主義者達と同志的信頼関係が強固にあってこそ、臆せず命を投げ出すことができる。
そういうものとして、党の規律を維持する条件に、政治能力を培うこと、正しい理論をあげることができるでしょう。 やる気は満々でも、能力(スキル)が乏しい仲間にはあとは託す気にはなれないし、どうかんがえてもそりゃあ違うんでないかい、という理論に命を投げ出す気にはなりません。

革命はその過程で多くの犠牲を強いるものでありますが、天晴れ見事、プロ独を樹立するにいたっても、それで終わりではありません。それは、はじまりにすぎないのであって、人間解放の日まで、維持・発展に努めねばならない、幾世代にわたる永い永い闘いのはじまりなのです。そうした途方もない困難に打ち勝てる運動と組織をつくってゆかねばなりません。

以上の点をふまえて、私が思うことは、本多さんもゲバラもファノンも事業半ばの死ゆえ、「悔いなし」と思って逝ったとはおもいませんが、NKさまが書いておられるとおり、本多さんが三島の切腹を聞いたとき、70~80人は生死をともにする同志がいるといっていたことから、「悔しさいっぱい」で逝ったことはないとおもいます。これは、あくまでも推測の域をでませんが。ただ、確実にいえることは、その創世の過程はどうであれ、いったん立ち上がった共産主義者の集まりである党がリーダーをうしなって、一時、力を失うことはあっても、ポシャるようなワンマン組織であるならば、それははなっから本物ではないということです。

NKさまはこう書いておられます。「共産主義者とその党は労働者階級の究極的利害即ち、共産主義社会の実現による全人民の解放という目的のために組織された、いわば労働者階級の道具のひとつであって、指導者と言えども、これを実際にやりとげる多くの人々の一人としての存在以上ではない。」 共産主義者の党はこういうものとしてつくり運営されねばならない、そうでない「党」はいわずとも、でぃっくさまがよくよくご存じかと。

闘い半ばで倒れた多くの無名の共産主義者達であれ、最高指導部であれ、おなじく意志が引き継がれる限り、目的に向かって敵階級に抗いつづけるかぎり、私は敗北したとはおもいません。そんな命のリレーが途絶えたとき、だれも受け手がおらず、地に落ちたときこそが、素直に敗北を認めねばならないときなのだと思うのです。

NKさまの最後の言葉は、おそらくここが、いちばん切り貼り掲載のため、伝わらないところだとおもったのですが、その人生の多くを筋金入りの共産主義者として生きてこられ、革命情勢の客観的条件が急速に成熟しつつあるこの時にあって、共産主義者でないことの、魂の叫びにきこえます。そして、それは、まぎれもない本多書記長の言葉そのものである.と。

ただの通りすがり程度にして、ぬれ落ち葉のごとき自分が偉そうにいえることではないことは重々承知したうえでの、グノーシスなお話でした。

コメントいただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2009/05/02/Sat 17:13[EDIT]
それでも死は敗北である
本多書記長とゲバラは敵に、ファノンは病気に殺されたわけです。

薩摩長州さまのおっしゃることは、彼らが味方を守るためには自分の命と引き替えにしなければならない状況下、自ら命を差し出す覚悟して死んだのなら納得できるんです。

でも、違いますでしょ?

ぶさよでぃっく | URL | 2009/05/03/Sun 01:03[EDIT]
RE.それでも死は敗北である
意志なかばにして逝った、一人の革命家の人生を「敗北」としてとらえるのか、かなり多くの時間をかけてさまざまに思いをめぐらせてまいりましたし、これからも問いは続くのだろうとおもいます。

わたしたちは、あの日以降、だれもが”3.14をみすえ、そそぎ、のりこえる”をこころに誓っておりました。
”3.14をみすえる”ということは、文字通り”3.14の敗北をみすえる”ということであり、ご指摘に即して言うならば、”敗北”であることを率直に認めるものでございます。

単なる感情的な反発による、運動論や組織論へすり替えを意図して話を誘導したのではないということだけはご理解いただけたらとおもいます。

さて、おりしも、でいっくさまのご指摘に関連する話をふたつ読みました。ひとつは、当ブログにときどきコメントをよせてくださる方のブログで、革命的左翼運動は敗北したが、いまなお”人民の闘いは不敗”であるという話、いまひとつは、”「自分も」という自覚はおありかな? ”であります。

たいへん重く、困難な問題であると主体的に受け止めとてまいりました。昨今の、まるで6全協への螺旋的回帰ともいえる事態の展開には、世界同時不況にはじまる急速な情勢の変化ともあいまって、激しい衝撃をうけたものでございます。

従来、その問題の多くを、個人と組織との関係性において組織論へ帰着する議論はいくらでもございました。なれど、言葉豊かに語ることは、かないませんが、主体の問題なのだろうかと最近思うものであります。
命を粗末にしてはいけない。革命の勝利のために生きて生きて生き抜く強さと、いつでも投げ出せる度胸。
たとえ重武装の敵一人を倒すために、5人10人が命を失うことがあっても闘いを貫徹する執念。

とうてい、挫折組の私など、およびもつかない精神諸力の発露こそが、圧倒的劣勢にはじまり、おびただしいばかりの敗北の連続のなかから、小さな勝利を積み重ね、やがて最後的な勝利へと導くものなのだと感じております。そんな、途方もないことに身を投じ、困苦をいとわず生死をかけて志をつらぬくことの喜びは、ほんのちょっぴりですが、末端のいち党員であった私もふれることができたものでした。

はなはだ浮世離れした、観念的な話にて申し訳ございません。いまの私の力量では、とうていご理解いただけるような内容は展開できず情けない思いでございます。ただ、そちらの、「毎日が革命記念日」にございました、処刑をまえにしたパリコミューン戦士の最後の言葉は、幾多の時をへだてても生きていると信じているのであります。たとえ、「カルト」と言われようと。

話、かみあわぬところが多いかとおもっております。力不足、かさねておわびいたします。

亀米にて失礼いたしました。
薩摩長州 | URL | 2009/05/18/Mon 00:40[EDIT]
Track Back
TB*URL

決意表明とご無沙汰のご挨拶
 昨年4月に妻が蜘蛛膜下出血で死地をさ迷い、私が1月にリストラ鬱病によって郵便局  [続きを読む]
アッテンボローの雑記帳 2009/05/09/Sat 04:00
Copyright © たわいもない話. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。