たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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ふたつめの天安門
民主化をもとめて、軍の装甲車に踏みつぶされ敗北したとはいえ、最後まで闘いを貫徹した天安門暴動闘争から20年が過ぎた。時の流れははやいものだ。

当時、私は、ある日雇い労働者が多く暮らす町でひっそりと暮らしていた。明るい光と闇が交差するように、めまぐるしく変化する情勢、ついに軍が投入され、緊張がたかまる。

仕事にも行かず、狭い部屋におかれた小さなテレビを食い入るようにみていた。祈るようなおもいだった。
ただただ、祈るよりしかたがなかった。恐れ多くも、人民解放軍の金看板を背負って、民主化をもとめる学生をボコボコに弾圧などしないだろうと淡い期待をこめて、祈った。

祈ってどうこうなるものではないことは歴史が証明してきたことであるのだが。
情け容赦なく、装甲車は学生を踏みつぶした。人民「解放」軍だった。

かつて、ハンガリー暴動を戦車で踏みつぶしたソビエト軍のように。いな、突入直後、戦車を取り囲む人民の抗議の声にソビエト軍兵士は深刻な動揺と葛藤をみせたという、その一点において、人民「解放軍」は人間性のかけらもないスターリニスト官僚の犬だということが満天下にあきらかになった瞬間だった。

「改革開放」路線が呼び込んだ、外国資本を梃子にして、中国経済は爆発的に発展をしてきた。お金は、それをもつことによって、人に「自由と平等」をあたえる。中国人民はかつてなく豊かになった。そんな、ライフスタイルの変化の中で、若い世代は、民主化の要求をかかげ、命をかけて闘った学生たちを知らぬ者もいるそうだ。
だが、もう一方でお金は、それをもっている量のちがいから、不平等と不自由を人にもたらす。いま中国はすさまじいばかりの格差が生じていると聞く、世界恐慌の影響もあり、いたるところで矛盾が表出している。

毛主席の「指導」が、あまねく人民に広くゆきわたり、深く浸透しているからなのか、はたまた、お金がもたらす「自由と平等」が個々人への分断と利己心へと転化していないのか、しきれていないのか。
中国人民の強さは、団結への志向の強さにあると思う。人に不自由と不平等がある限り、そこにはかならずそれに抗する闘いが生まれる。20年の時をへて、知らぬ存ぜぬ、思い出したくもない、為政者によって忘却の彼方においやられようとしていた天安門暴動闘争がいままた、語られ、思い起こされることの意義はとてもおおきい。

殴った拳の痛みを忘れることはたやすくても、殴られた頬の痛みはきえはしない。幾たび殴られようと前に進んでゆくことを止めることはできない、それが踏みつけられた民衆の闘いだとおもう。

中国スターリニストといっしょになって踏みつけつづけている私たちも、そう遠くなくやってくるであろう三つめの天安門に、いまは一筋の光明すらみえない困難なときではあるが、胸をはって、大きな声で”連帯”といえるような闘いをもって応えたいとおもふ。

20年まえのあの日、奪われた多くの命が、安らかならんことと、いままたあらためて敬意を表したい。黙祷!


追記
あのとき、学生のもとを訪れ、大泣きに涙を流しながら語りかけた趙紫陽に感動した。
ヘタレ・スターリニストの万里のあからさまな日和見主義と裏切りに怒りがこみあげた。
腐れスターリニストの李鵬、こいつがいちばん嫌いだった。怒りに頭は爆発していた。顔がつるべえに似ている。





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天安門事件から20年・・・
朝日新聞の天安門に関する記事を見て・制約の多い中、中国政府にものを言おうと頑張っている人たちの姿に感動しました。むかし・・中国の人...  [続きを読む]
お玉おばさんでもわかる 政治のお話 2009/06/06/Sat 06:57
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