たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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新疆ウイグル暴動
ここ数日、当家でのいちばんの話題は、”新疆ウイグル自治区”での暴動闘争と中国スターリン主義の一片の慈悲もない徹底した弾圧の酷さにたいする激しい怒りだ。

当家は新疆ウイグル自治区での暴動闘争への決起を断固として支持し、中国スターリン主義のウイグル人民への抑圧搾取収奪を激しく弾劾し、反革命的武力弾圧に激しく抗議するものである。

死者が156人をふくむ死傷者は900人をこえ、拘束者は1434であるとスターリニスト自らが公表している。おそらく、実数はそれをはるかに上回るに違いない、群衆に向かって無差別に発砲くりかえしたそうで、実に許し難い行為である。

このたびの暴動闘争の引き金となったのは、広東省の玩具工場で、漢人の従業員が解雇された腹いせに流した、ウイグル人に漢人の女子工員が暴行を受けたというデマに、反応した漢人が鉄パイプ等で武装し、ウイグル人の寮へ未明武装襲撃をかけ、ウイグル人の死者2名を含む双方で100人以上の負傷者をだすという惨事であったようだ。

実に痛ましい出来事である。資本に抑圧搾取収奪されし労働者が、より立場が弱く、それゆえ、より激しく抑圧搾取収奪されし出稼ぎ労働者を抑圧する。そんな差別・排外主義的な態度にはげしい怒りと同時に、たいへん悲しい思いを感じる。さて、常日頃、中国「共産」党が一党支配をする中国を共産主義であると認識している方が、右翼的勢力をはじめとして圧倒的多数であるという現実は、”反帝国主義・反スターリン主義ー世界革命”運動の後退ともあいまって、認めざるおえないことではある。

しかし、そうしたうえで、当家は中国「共産」党=中国スターリン主義の反共産主義的態度を非難することに一点の迷いも曇りもないが、反共右翼勢力と合唱するものでは全くないということを明らかにしておかねばならない。そもそも、共産主義は歴史的な一定の経済発展の段階に符合したブルジョア的な国家という”縄張り”が、さらなる世界的規模での経済発展の段階に符合すべく”縄張り”それ自体が桎梏となり、それを突破しようとする試みとしてあるという側面がある。

であればこそ、”万国の労働者は団結せよ!”というスローガンがみちびかれるものであり、民族的な対立をいかなる困難があろうとのりこえて、ともに手を結び肩を組み合い、自由で等しく平等な人間として共存してゆくことをめざす”人間解放”の事業が共産主義運動でなければならない。中国スターリン主義は、いま、小平の引いた「改革開放」路線のもとで外国資本を導き入れ、それを梃子に急速な資本の蓄積をなしたが、それは国際資本主義体制に自らを組み込むことによって獲得された経済発展の代償に、一国社会主義のもたらす一定の政治的安定を根底的に突き崩すものとならざるおえない。

めまぐるしく市場の規模を拡大縮小しつづける、安定なき資本主義経済の荒波に巨大なマーケットでありファクトリーである中国経済は翻弄され、現下の世界恐慌の矛盾はその規模の大きさからしても、その矛盾はもっとも先鋭的に中国経済へとむかわざるおえない。そうした矛盾は中国人民の頭上に災いとして降り注ぎ、災いへの不安、憤りは、さらに歴史的に抑圧され続けてきた少数民族へと向けられる。そこには、本来の共産主義とはおおよそ縁もゆかりもない、”異質な機構”が支配している。

一触即発”殺し合い”になるような厳しい修羅場のような生産現場で生産された労働の成果を商品として、100円ショップで安価に手に入れることが私たちはできる。そうしたことが、中国人民とウイグル人民の抑圧搾取収奪に根本的なところで荷担しているということに無自覚なまま、帝国主義本国で政治と暴力から疎外されて暮らす私たちには、彼らの闘いが民主主義の”未熟”とうつるかもしれない。

しかし、民主主義は天から降ってくるものでもなければ、地から湧いて出てくるものでもない。それを認めようとしないものたちとの闘争によってのみ勝ち取られるものだ。暴力は、人間の共同性の極限的な対立的表現であるからこそ、死をも恐れぬ不屈の闘いは抑圧者に与する者たちに深刻な葛藤を必ず生み出すものである。
堂々たる大儀をかかげて、真剣に拳を交えてこそわかりあい、獲得できる地平がある。吹けばとぶような上辺だけの話し合いでは到達することのできない、それが本当の”民主主義”であるとおもう。

私たちも、そうしたものとして本当の”民主主義”を獲得してゆかねばならない。そして、それが成就したとき”民主主義”という言葉は無用のものとなる。その過程をもって反スターリン主義の闘いに合流してゆかねばならない。帝国主義本国に生きる私たちは、自国帝国主義との闘いを通じてのみ反スターリン主義の闘いはつきだされるのであるとおもう。胡錦涛がことの深刻さに、イタリアよりすっ飛んでかえり、徹底弾圧を宣言したようだ。打たれれば打たれるほど激しく、そして、一度二度と鎮圧されようと、決して終わることのない闘いが民族解放の闘いだ。人類はこの困難な課題を乗り越えねばならないが、そのための歴史的試練のときはすぐそこまできているように思われる。

亡くなられた多くのウイグル人民に合掌。




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