たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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連赤
失業だぁ! なんて記事を書いてアップしてから、しばらくしてケータイコール。
お仕事の依頼がありますた。「ありがとうございます」の一つ返事でひきうけたのですが、すごく大変、神経おもいっきり磨り減ります。

「薩長くんなら一日ですむから」といわれていったのですが、全然すみません、このあいだ二日はかかるだろうといいわれていて楽勝一日で完了とはわけが違います。そんなわけでちょっと残業をして、明日もお仕事です、間違いなく残業ですwa。この不景気だし、しょうがないっか。

最近またまたレンタルビデオにはまってます。貧乏人の娯楽です。いついっても”おぉおお”というくらい店内は混雑。もちろん旧作一筋のまとめ借りです。サーバーを立てたので、あまり大声ではいえませんが、サーバーにつっこんでおけば、家中のPCで24時間いつでもみれます。
レンタルは一週間借りですが、翌日OR翌々日には返却です。これは貸す方もおいしいのではないでしょうか。

つい先日の日曜日、ローザがなんかDVDないのというので、”実録 連赤”あるけどということで、ローザPCで再生してあげました。ワタシはレーニン号でちまちま内職をしていたのでみていなかったのですけど、時々きこえる絶叫。ああ、同志殺しのシーンなんだろうななんておもいつつ、3時間近くみいっていたようです。

ワタシはカフィーをいれにいったついでに、ちょっとだけみたところは、権力が浅間山荘に突入する直前のシーンでした。そこから一緒にみたのですが、見終わってどうだったかと聞いたら、「よくできたいい映画だった」とローザ。
「でも、すごくおもいっしょ。このあいだいい映画だったっていってた「愛を読むひと」とどっちがおもい?」とワタシ。
「そっりゃあ メガトン級に連赤っしょ」とローザ。
「どこがよかったのサ」とワタシ。
「重信房子にたいする認識がかわった。みんなナイーブで、あまりに純粋で、幼く見えた」とローザ
「オリは連赤には激しく否定的だけどね」とワタシ
「昔、AO-TYUさんが気骨のある奴らは、みんなSEKIGUNへいったっていってたよ」とローザ
「そりゃ、しらなんだ」とワタシ

なかなか、もと革命的左翼に片足OR両足、首まで、完全埋没していた人たちの間でも賛否両論のあるこの「実録 連合赤軍」ちょっと気合いいれてみてみようかとおもいました。ちなみに、何をみても翌日にはすっかりクリアーのローザは、この映画が頭からこびりついて離れないと今日もぼやいておりました。

おはり


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Comment

 秘密にする

連合赤軍ですか
 当たり前ですが、1990年代中盤に生まれた現在の高校生が連合赤軍など知るはずもない。私にだって幼少期の出来事ですから。以前小論文のお勉強用にとあるコラムを読ませようとしたら連合赤軍のことが触れられていて、仕方なくネット使って注釈を作りました。
 このころ、子どもの教育を誤るとああいう人間になりかねないという「教育論」がけっこうはやっていたみたいです。
shira | URL | 2009/07/29/Wed 22:05[EDIT]
こんばんわshiraさま
そうですね、私も連合赤軍の時代の者ではないので、あの渦中にいたものではありません。私らよりもう一世代まえの方々には、リアルなおもいが様々にあるのではないかとおもいます。

連赤は私らのところでは、ほとんど問題にもならないくらいの、厳しい評価しか聞いたことがありませんでした。しかしながら、スターリニズムの主体的問題、レーニン主義的党組織論と個人との関係などなど、私らの時代から一貫して、こんにちでは協賛趣味者へとひきつがれつつ、さまざまな議論が重ねられている問題でもあります。

連赤を盾にとった「教育論」は言うに及ばず、おびただしい数の同志を虐殺したスターリンの大粛正、毛沢東の文化大革命とならべて、徹底した反共キャンペーンとしていまなお、その名が登場することからその衝撃の大きさははかりしれないものがあります。

分厚い機動隊の壁に、軍事があの当時鋭く突きつけられたのですが、
「トロツキーもいうように、軍事問題は大衆獲得の論理としては防衛的に提起されるという政治科学的法則をわれわれは徹底的に重視しなければならない。また、防御優位の軍事科学的教訓を無視するならば、われわれはしかるべき制裁をうけることになろう。だが、階級闘争の基本理念にかんするかぎり、われわれは同時に、革命その内的性格に規定されたものとして、暴力として表現されることを公然と宣言しなくてはならないのである。」(著作選2巻より)
そういった意味では、連赤は”しかるべき制裁をうけることになるだろう。”ということを如実にしめしたかと。

とはいえ、当時渦中にあった方が「 気骨のある奴らは、みんなSEKIGUNへいった」といっておられたということを聞き、一目も二目もおかれる存在であったのだと思った次第なのです。

数ヶ月まえ、たまにのぞかせていいただいている”土佐高知の雑記帳”さまも記事をかかれておりました。そこで、私は一言でバッサリと切って捨てるようなコメントを咎められましたが、たしかにそうバッサリと語れないほど大変重くて、深い問題をたくさんはらんでいるとおもいます。必ず乗り越えねばならないことではあるのですけど。

コメントいただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2009/08/01/Sat 00:28[EDIT]
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