たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

怒り
去年は広島市街にお仕事に行っていました。それが偶然にも星野さんが獄中で描いた絵画の個展をしている小学校に隣接するコミュニティセンターの真ん前。たいへん辛く悲しい思いと怒りを胸に帰ってきたことは去年書いたとおりです。

今年は久しぶりにハチロクへいこうと思っています。私が廣島の地をはじめて踏んだのは数十年前、動員で数名の同志とハチロクに参加したことでした。あの日とおなじ照りつける太陽がとても暑い日でありました。

それから幾年の時がながれました。あの日すべての展開を終え、原爆ドームわきでバスに乗ったとき、窓から見た夜の闇に光るろうそくの明かりとともに、川面に浮かんだ精霊流しはいまでもはっきりと思い出せます。

それと、資料館で「戦後の世界体制の主導権を得るためにアメリカは敗戦がすでに決定的だった日本に原爆を投下した」と書かれたパネルにむかって「嘘だ」とアメリカ人が絶叫していたことが印象にのこっています。

今年はなにやら、日本会議の招きで”田もがみ”が講演をするそうです。許し難い暴挙です。

廣島の原爆をかんがえるとき、どうしても欠くことのできない認識は、被害者であると同時に加害者であったということだと思っています。そうした国際的な連帯の思想と自らの階級性を欠落させたところでは、被爆者の苦闘苦悩は、「国際社会の変化」を盾にした「核には核でしか対抗できない」核武装推進論に踏みにじられてしまいます。

”田もがみ”の来広に心底からの怒りをこめて行ってこようとおもっています。

それと、alumiさんのところで発見したのですが、夕刻YMCAである集会では、かのAo-tyuさんが講演をする模様。これをぜひとも聞いてみたいと思っています。ちょっとなつかしいお方であります。でもちょっと怖かったりするのでお面でもかぶっていかないといけないかもしれません。

pw-23094.jpg


地図とにらめっこしながら撤収計画を作らなければなりません。ひさびさに空気のはいる作業であります。

最後に、alumiさんが掲載しておられたNKさまの投稿をうちも転載させていただこうと思います。
もし、不都合等ございましたらNKさまお手数ですがご連絡くださいませ。即対応させていただきます所存です。m(_ _)m

-----------------------------------------

盧溝橋事件72周年に
投稿者:NK 投稿日:2009年 7月 8日(水)01時52分24秒   通報 返信・引用
1937年7月7日の盧溝橋事件から始まる日本帝国主義による中国に対する全面的な侵略戦争の開始は、41年12月の太平洋戦争開戦と45年8月6日、9日の米帝による広島・長崎への原爆投下、同15日の無条件降伏とつながる不可避の過程の始まりと言う位置を持っています。
そういう意味で、7.7-8.6、8.9―8.15は切り離すことの出来ない意味を持っているのであり、従って、今日のような7.7の無い、8.6、8.9闘争というものは階級的視点を欠いたものというほか無いでしょう。また米帝の残虐な原爆投下に対する怒り、天皇を始めとした日本帝国主義支配階級が、米帝の庇護の下あるいはその後一貫して、その犯罪を擁護し被爆者を或る時はモルモットとし、抹殺しようと勤めて来た事に対する怒りが運動のうちに感じられない。こうした傾向は、敗戦時、天皇の命に唯々諾々と従って武装解除され、その結果自らの手で戦後革命を成し遂げるすべもなく、戦後民主主義に天皇制を抱き合わせに呑まされる屈辱を、屈辱とも思わないで今日まで至った戦後新旧左翼の帝国主義的腐敗の現われといえます。戦後憲法を賛美し、改憲阻止闘争を9条擁護運動に換骨堕胎しようとする臆病な知識人や中核派及び中核派系の運動が総じて今日、日本帝国主義のアジア侵略に対して帝国主義的城内平和の道に引き入れられようとしているもの当然の成り行きです。

その原因を追究してみれば、すでに1935年頃には日本の共産主義運動は転向し、7.7盧溝橋事件のころは、多くの運動が翼賛勢力となっていた事に求めなくてはならないでしょう。その後も果敢な抵抗を続けたのは、労働運動においても或いは、花岡蜂起の決死的闘いに現れたように、主に朝鮮人・中国人であったことを我々は肝に銘じておかなくてはなりません。我々は、この日本階級闘争の限界を打ち破り、帝国主義抑圧民族として歴史的に負った血の債務を返済しなければなりません。今日の日本帝国主義のアジア侵略は重大な段階、もはや軍事力行使に向かう以外の無い程、アジア諸国の経済の根幹を自己の再生産構造に組み入れつつあり、特に中国においては、固定資本・生産設備の輸出を基軸とする資本輸出が、その生命線と化している事態を重大視しなくてはなりません。農民収奪に依存する中国スターリン主義と日本帝国主義は中国労働者人民の膏血を啜り、いまや帝国主義の番頭となったスターリン主義官僚の強欲は、日本への中国労働者農民の奴隷的人身売買(結婚紹介・研修と称する強制労働)もためらわないほどです。最近、帝国主義者による中国非難がトーンダウンしたのは故無きではない。
また付け加えれば、2001年花岡和解において、弁護団・支援者の多数が鹿島の手先となり、裏切った。戦後賠償をめぐる闘いにおいても日本左翼・知識人の変質は覆うべきもありません。
早晩、中国スターリン主義支配に対する中国労働者人民・諸民族の怒りはその背後の日本帝国主義の中国侵略に対する戦いに転化するでしょう。我々は、今度こそはアジア人民と運命を共にする為、血の債務を払い、我々の名誉を勝ち取るため、彼らの側に立って闘わねばなりません。その第一歩として反帝・反スターリン主義共産主義世界革命のスローガンを全く新しい根本的なものとして、歴史の要請に答えうるものとして再構築しなくてはならないでしょう。

-----------------------------------------

一部グーグル除けにあて字をもちいていることをお許しください。


Comment

 秘密にする

行ってらっしゃいませ
 中3の長男修学旅行で広島に行っていろいろ感じたようです。
 え~、市民集会のようなものを力ずくで妨害するのはもっぱら右翼のお仕事でして、日教組の集会なんかは大変に大変であります。しかるにタモガミ君とそのお友達の今回のイベントは右翼から攻撃される恐れは皆無、むしろ強力なバックアップがいただけるはずという安心感の上に企画されていると思われます。今や左翼は実力行使はしませんからね。
 タモガミ君とそのお友達は「8月6日広島」に挑戦的な意味合いがあると言っとるようですが、右翼の核の傘=暴力に守ってもらってるおかげで安心して戯事に興じられるだけじゃないですか。おめでたいもんです。
shira | URL | 2009/08/05/Wed 20:33[EDIT]
すいませんshiraさま
お返事おそくなりました。最近こればっかりで申し訳ないかぎりです。
いかんせん自ブログにアクセス禁止状態という間抜けなことになりまして、とはいえその間、あっちこっちにコメントなぞ入れて回ったったりなどして・・・ でも、冗長な駄文しか書けない私では、ゲストやアウェ-では言い尽くせないストレスがありますね。

都議選の結果をうけて、日「共」嫌い派も、応援派もどちらからも、さまざまな意見が展開されています。くわえて、日「共」の党員さんのブログなどでも衆院選の接近にともない論調がストイックなものにシフトしつつあるように感じられました。

まあ、そんなこともあって、やっぱり書きたい放題のホームグランドはいいなぁ。なんて思いながらお返事をかかせていただきます。

このたびの8・6では二つの集会に参加してきたのですが、夕刻の集会の基調をなしたのは、広島で産婦人科をしておられる”こうのみよこ”氏 http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/ でありました。
氏は失礼ながらご存じないかもしれませんが、被爆後広島で一切の報道規制がGHQと政府によって布かれていた、いわゆる、失われた10年、沈黙の10年を突き破る広島暴動闘争を頂点とする一連の過程のなかで、広島大学の学生として、被爆者青年同盟、通称”被青同”をたちあげたメンバーだったそうです。

被青同は座り込みや、戦闘的デモなど大衆的実力闘争の牽引車として、最先頭で闘ってきたそうです。当日の基調講演のなかでは、OHPで大写しにされた、被青同とかかれた白いヘルメットをかかえ土砂降りの雨の中、うつむく大勢の学生たちを写した、写真家福島菊次郎氏の写真のなかで、「最前列から真ん中3番目が私です、これは佐藤首相の来広阻止闘争のときの写真で、佐藤は阻止闘争をまえにして、『絶対に被爆者援護法なんか認めないからな!』と捨て台詞を吐いて、逃げるようにして速攻で帰りの便にのりこんだ」と思い出をかたっておられました。

そうした広汎な大衆的実力闘争が、右翼の反動的暴力をはねのけ、タモガミ一派らに象徴される極右の跳梁跋扈を断じて許さない重包囲網をなしうるものであると思うものです。とはいえ、今や左翼は実力行使を組織しえないほどに凋落した現実をみとめざるおえないのですが、このたび参加させていただいた集会では、「原爆のもたらした悲惨を嘆き、祈るだけではなく、そんな核兵器を礼賛してやまぬ者たちへの怒りと、闘いの決意にかえねばならない。それこそが核廃絶への現実的な唯一の道だ。核と人類の共存はできない」と、党派としての私たちがウン十年まえに言っていた言葉が、若い世代のごく普通の市民から語られたことに、たいへん驚かされたのと同時に大きな希望をみました。

タモガミくんの民衆をなめきった暴挙にたくさんの支持があつまっているのも事実なら、それをはるかにこえる危機感と、怒りが渦巻いていたあの日の熱い広島でした。いつでも動と反動はせめぎあって歴史は進むものだと。

コメントいただきありがとうございました。

薩摩長州 | URL | 2009/08/16/Sun 13:19[EDIT]
へえ、河野先生が
 へえ、あの河野美代子先生がそういう経験をお持ちとは。
 河野先生の性教育実践は昔から敬愛しておりまして、著作も4冊ほど持ってますが、そういう激しい過去をお持ちとは知りませんでした。ますますファンになりそうです。
shira | URL | 2009/08/18/Tue 20:42[EDIT]
こんばんわshiraさま
もうヒト月遅れのお返事というのは情けない限りです。

さて、美代子先生の熱烈ファンなんです、うちのRosaは。先生はなかなかの筋金入りのようです。そうしたうえであえて革命家にならずに医学の道に進みつづけたのは、原点が明確であり一点の迷いもブレもなかったのでしょうね。

そうそう、講演のなかで日本会議の暗躍・策動に関してふれておられたのですが、広島県での性教育はことごとく日本会議の圧力で破壊し尽くされたといっておられました。そのあたりの手口は自著に詳しく書いているので読んでみてくださいとのことでした(笑) 「いま〈生きる底力〉を子どもたちに! 〈続〉 ― 性教育バッシングに物申す 」 たぶんこの本じゃないかとおもうのですが。

いわゆる団塊の世代以降私らのころにいたるに、政治的にヘルメットをかぶった人は膨大な数になるとおもいます。昔取った杵柄、同窓会感覚で、一点同じ目標をかかげて集中するなら100万決起はリアルな現実となるとおもうのですが・・・

コメントいただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2009/09/19/Sat 01:19[EDIT]
Track Back
TB*URL

Copyright © たわいもない話. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。