たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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2009・8・6 思い その二
生きるためとはいえ、更新を放棄してずいぶんと日がたってしまったのだが、8・6で参加したもうひとつの集会で基調講演をしてくださった”こうのみよこ”氏の話をかこうとおもう。

講演は氏の生い立ちをたどりながら進んでいったのだが、冒頭この集会を企画するきっかけから話ははじまった。2年前の参院選に敗れて失意の日々、見知らぬおっさんが一枚の写真をもって訪れた。その写真は平和公園で座り込みをしているところの写真で、おっさんが言うには写真のこの人が先生で、その隣が僕です。
そこからはじまった話はとめどもなく、しまいにいまいちど何かをやろう!という決意が生まれ、決意をかたちにしたのが今日の集会なのだ、という趣旨のことをいっておられた。

氏の展開された豊かな内容を事細かく詳細につたえることは、三歩歩くとメモリーがクリアーされる私には到底不可能なので、印象にのこった事柄を書きとめておきたいと思う。

こうの氏のお父上は教員だったそうだ。原爆が投下された日、早朝からの空襲警報に児童を非難させ、一人自転車で軍需工場三菱に伝令を届けるとき被爆、児童は全員即死、自分一人が生き残ったことにたいへん深い悲しみとともに、自分一人が生き残ったことをいつも苦悩しておられたそうだ。口癖のように、家訓のように、絶対に戦争はしてはならない、させてはならない、という言葉は、遺言のようにいつも氏の心にあるという。
つづけて、原爆投下後の惨状を闇に葬り去ろうとした”失われた10年”のできごと。ABCC(原爆傷害調査委員会)の人権思想のかけらもない被爆者への対応が実体験として生々しく語られた。

話はこうの氏が広島大学医学部に在籍していたころへとすすんだ。氏は被爆者青年同盟の設立メンバーであったそうだということは以前書いたとおりなのだが、その当時のことをふりかえって語られた氏の言葉に、私はたいへん深い感銘をうけた。

それは、被爆者青年同盟が立ち上がる過程でたいへん多くの時間をかけて、多くのことが議論されてきたということ。このことは、おなじ党組織の一端にあっても、いまだ軍事的に困難なときにあった私たちの年代には想像しえなかったことだった。

氏はつづけて、多くの議論をつうじて、被爆者青年同盟は3つの事柄を確認した。まず一つは、自分の親の体験を率直に聞こう。そして二つめに、あの戦争は侵略戦争だったよね、と問いかけよう。
氏はここで少し強い口調で、そう問いかけることができるのは、私たち被爆二世だからだ。ほかの人たちが口にすることは許さない、と言った。

先の「であう、わかる、つくる8・6」集会にむけた 森島吉美の文のなかの、県被爆者協議会の畠山祐子さんのことばとかさなりあい、私は恥ずかしながらそこでようやく、ああそういうことだったのかとおもった。

最後に女性は子供を産もうと、みんなで話し合いをかさねてきめたといっておられた。

ほかにも日本会議の悪辣な策動やら、大展開で一時間ほどではおさまりきれず、最後が大急ぎだったのがちょっと残念、日をおいてしまったこともあって粗末な私の頭では思いだせないのが無念、まあ、来年も再来年も続きを聞きにいくぞということで、今晩はここまで、おやすみなさい。



追記 Hにしばしばαにきてくださっていた、被爆者青年同盟の方が、私自身が核との共存ができないことを伝える生き証人であり、核と帝国主義への怒りそのものだ!とアジっていたのを思いだしました。お元気でおられればいいのですが。

つづく


Comment

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ご帰還おつかれさまです
出張業務よりのご帰還、お疲れ様でした。ゆっくり休んで、ボチボチ更新してください。気長に楽しみにしております。
さて、こうのみよこ氏ですが、著書「さらば悲しみの性」でも見られるよう、生を大切にする性教育に熱心に取り組まれております。そういった人たちが80~90年代に取り組んできたものを、また「純潔教育」に戻そうとし、まじめな性教育悪罵を投げつけているのが日本会議・・・≒タモガミ一派ですね。
生を大切にすること、女性の人権を守ることを後退させることは、女性を抑圧することであると同時に、戦争への道に繋がります。また戦争は従軍慰安婦問題や戦場での暴行行為等、女性への抑圧をさらに押し進めるものです。
絶対に日本会議、タモガミ一派を許してはなりませんね。
GO@あるみさん | URL | 2009/09/19/Sat 22:15[EDIT]
あるみさんこんばんわ
そうそう、”命をつなぐ”そんな内容で被爆者青年同盟の女性は子供を産もう、と氏がいっておられたことを思い出しました。明確に覚えていないのは、私の関心が薄かったからではなく、このあたりの話がすこし忙しくすすんだので未整理のまま続きの話とちゃんぽんになってしまいました。悪いのはすべて私の頭なのでありますが。

さて、次回は、こうの氏の講演につづいてのリレートークで、三浦翠氏の「上関原発の反対闘争」について書きますね。三里塚闘争ばりのがっつり体を張った実力闘争を展開しているそうです。

薩摩長州 | URL | 2009/09/20/Sun 22:17[EDIT]
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