たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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年を重ねてわかること
肩こり指数 ★★☆

年寄り臭いことをいうようだが、年をとってわかるというものは確かにある。よく世間一般でいわれることで、私もさんざっぱら若い頃、オヤジ連中にいわれたもんだ。「年取ったらわかるよ」って。

さて、そんなことの一つに、フェティシズムというのがある。とはいっても、パンストとか、履き古した靴下などなどに特別な感情を呼び起こすことではない。「物象化」とか「物神崇拝」とかいうところの経済用語のことである。

このフェティシズムというのは、資本主義社会を端的に特徴付けるキーワードのひとつなのだが、一言でいってしまうと「お金が好き」「お金がなによりも大事」ということになろうか。人様の命を力ずくで奪っても、「お金」を得ようとする殺伐とした事件が絶えないことからもそのことはわかろうというものであるが、それくらいのことは年を経ずとも若い頃からわかっていた。最近になって実感をもってわかったのは別のことなのだ。

資本主義社会はその成り立ちにおいて、旧社会の土地を軸とした共同体的な人間の結びつきから、人間を土地から引きはがすことによって解体し、いくつかの礎の一つをを築き上げた。
土地から引きはがされた人間は、生業を失い浮浪者としてあふれ、いわれなき迫害を受けたことは以前のべたとおりだ。そして、彼ら彼女らがすぐそこまでせまっていた機械制大工業の勃興に労働力として不可欠な条件であったことも。

圧倒的大多数の人が、いわゆる「勤め人」となったのはこの時、機械性大工業の勃興が始まりなのである。労働者の歴史的誕生である。と同時に、フェティシズムが世界を覆い尽くす始まりもここにある。

旧社会の土地と作業用具一式の私的所有と労働の自主独立性、そして、いまだ低いレベルの生産手段とそれによる低い生産力規定された、「たすけあい」、「もちつもたれつ」といった精神に基づく共労は粉砕され、結びつきを断ち切られアトム化した個々人をふたたび結びつけたものは、賃労働でありそれによってもたらされる貨幣であった。

自ら生産手段をもたない労働者は、資本に労働力を売らねばならない。そして貨幣を得て衣食住の消費手段を得なくてはならない。もはや自給自足はなりたたない、材料はお金をださないと手には入らない。村はずれにある、かつてみんなのものだった木になるリンゴは勝手にとってはならない。いまでは、その木にはすでに私的所有者がいる。お金と交換だ。

もはや何を手にするのにも貨幣が必要なのだ。「人と人の結びつきを貨幣が仲介する」「貨幣によって人と人が結びつく」これをフェティシズムとマルクスはよんだ。それは、「寛一お宮の世界だ」

私が若い頃、そう、これを学んだ学生の頃はこのことに実感がなかったのだ。いまは、こんなご時世だからそうではないのかも知れないが、すくなくともあの頃の私の大学は良しも悪しくも現実社会から隔絶された世界だった。社会の常識に頭を垂れてなんぞ学問ができようかという気運がまだ残っていた。ちょっと話は脱線するが、このことに絡んで内田樹氏が教育問題に関して非常に興味深い考察をおこなっている文章があるのでついでに紹介させていただこう。http://blog.tatsuru.com/2007/01/20_1145.php

そんな、大学はさながら、古代ギリシャのように、社会を支える奴隷の存在をすっかりと忘却した市民社会だった。しかしであるからこそ、学問の自由は保障され、学生同士は銭金抜きであればこその深い友情をはぐくむことができた。それでよいではないか、人生においてほんの一瞬のことではないか。すぐに輝かしい「未来」と「賃労働」待っているのだから。

ちかごろ、いよいよ老眼鏡をかけないと本が読めなくなった。そんな年になってふと、まわりを見渡したとき、はっと気がついた。銭金が一切関わらない人間関係ってどれくらいあるだろうって。正直なところ、地域のつきあいと、学校の友達くらいだ。しかも、そのどちらも年々関係が薄くなっているのは、私個人のキャラに帰すべき問題だけでもなさそうだ。

あ~あ、「貨幣が人と人を結びつける」ってこういうことなんだなと思ったわけなのである。皆様方もいちどはまわりをそんな目で見渡してみられるとよろしいかも知れない。寂しくなっちうかな

このフェティシズムとやら、単なる人間関係を取り結ぶにのみならず人の意識をも支配するものであるから実に根が深い。町内で顔があっても挨拶できない若者も、バイトでコンビニレジをすれば満面の笑顔でいらっしゃいませということになる。そのことがさして不思議なこととおもえない人は多いと思う。さて、この続きは気が向いたらということで今日はこれまで。

おつきあいありがとうございました。お約束のバラを貼っておきます。癒されてください。

イングリッシュローズ クロッカスローズ この苗の売上金の一部はガン患者救済のための施設クロッカス財団に寄付されるそうな
くろっかすろーず


Comment

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貨幣をなくすか、貨幣の分配を改善するか。
 貨幣がない社会はどれだけ優しい社会だろうなって思いますし、かなり魅力的な実感があります。心にしみ込むものがあります。病院で診察してもらうのもお金。学校へ行くのもお金。プレゼント買うのもお金。子供においしいものを食べさせるのもお金。介護受けるのもお金。結婚にもお金がちらつく。売上が減った、利益が減ったとお金の話で勤労する人間を解雇、罵倒する。お金持ちと貧乏が生み出す劣等感、嫌な気持ち。こんなことを実感していますから、いっそうのこと「貨幣なんかいなんがなー」って心底から絶叫したくなります。

 では、貨幣があるのは何故か。なくなったら何か不都合なことがあるか?ここに貨幣の本質があるんでしょうね。価値の源泉は諸個人の労働力ですから、労働能力の違いを問題にしない社会であれば貨幣はなくてもいいですが、諸個人の労働能力が問題にならないのは教育、社会保障の分野であって、やはり、労働能力の高低が存在する限り、貨幣を存在させることが真の平等じゃないでしょうか?ともあれ、薩長さんと東西は実際では行動は同じなんでしょうね。薩長さんは資本主義社会における賃金体系の改善策を労働組合が積極的に使用者と話し合うことについてどういう態度ですか?賃金の格差基準と最低賃金の関係なども論じてくれませんか?
東西南北 | URL | 2007/11/08/Thu 22:46[EDIT]
こん、東西氏
いやいや、いきなりコアな問題を提示されても、まともに全部答えたらネタがつきるじゃん。書くことがなくなってしまう。ぼちぼち、日々の生活の中で感じたことを足がかりに多少断片的でも語弊があっても、できるだけ平易な記述で書いてゆくことを目指しているのでそうせかさないでちょ~だい。
薩摩長州 | URL | 2007/11/08/Thu 23:03[EDIT]
 いやあ、フェチって経済用語だったんすか。経済学オンチの私にはえれえ勉強になりました。
 まあでも、貨幣ってある意味、究極的に仮想現実的な存在ですよね。誰もが貨幣だと認めているからこそ貨幣としての価値があるんですから。そういうバーチャルなものが最もシビアに現実を動かしている。そう考えると、現実社会ってのも、案外いい加減なもんですよね。
shira | URL | 2007/11/09/Fri 21:22[EDIT]
こんばんわ、shiraさま
そうです、仮想現実です。紙幣はただの紙なのに、ときに人の命さえ奪う「神」であります。

実はこのお題は、そちらでの「挨拶」のお話から思い至ったものであります。
資本主義社会成立の幾つかの条件のなかには「自由」「平等」「個人」「私的所有」などの観念が求められるわけですが、それらの物質的なルーツは今回のお話のなかにあるわけです。それは、のちのちのネタということでボチボチかかせていただきます。

「案外いい加減」といのは的を射ていて、制御不能な生産力の爆走はとっくの昔に「神の見えざる手」からはなれ、そのいい加減さぶりはヘッジファンドや環境破壊、○屋氏のゴルフ接待三昧などいたるところで見ることができます。

ちょっと捕捉ですが「貨幣が取り持つ縁」というのは、得意先、部下同僚の仕事のつきあいとかは言うに及ばず。行きつけの心やすい床屋さん、行きつけの飲み屋さんのように一見すると人間関係が前に出て、貨幣がずっと後景にあるものもあります。もっと極端な例は、我が子に「一生懸命勉強しないとフリーターになっちゃうよ 」と叱咤激励的恫喝をするのも隠れフェチなのであります。
薩摩長州 | URL | 2007/11/09/Fri 23:12[EDIT]
労働価値説と貨幣の物神性=拝金主義
 紙幣が唯の紙になるのは拝金主義に対して労働価値説の見地からの規制が十分だからではないでしょうか?すなわち、拝金主義を野放しにする制度が拝金主義を規定している。存在が意識を規定しているのであります。

 労働価値説の見地から紙幣を規定すれば紙幣は兌換であれ、不換であれ、労働生産物を交換する際の一般的な等価物ではないでしょうか?ゆえに、紙幣を廃止するということは交換経済を廃止することになるのであり、「必要なものを必要なだけ消費する」共産主義的経済社会へいたるのであります。
東西南北 | URL | 2007/11/10/Sat 11:15[EDIT]
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