たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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SNS
ちょうどブログを始めた頃だから2007年頃だったろうか。ブログがウエッブサイトにとってかわろうとしていたころだとおもう。猫も杓子もお玉もスプーンもこぞってブログをはじめていたとき、ブログの平均寿命は3年ほどと書かれていたのをどっかでみた。

そんなことはあるめぇ! なんておもったものだが、いま我が身をふりかえると”ビンゴ”じゃんの一言。

私が書かなくなったのは、前回かいたとおりで、ネタはいくらでもあったのだけど書けなくなった。もちろん、はじめたころよりあきらかに我が身も財布のなかみもいそがしくなったこともいえるだろう。

ひさかたぶりにネットワールドにもどってきてみると、たくさんのブロガーが更新をやめていることに驚いた。とくに政治系ブロガーにおいて顕著なようだ。
よく出入りさせていただいていた、「わんばらんす」、「お玉おばさんの政治のはなし」とか「遠方からの手紙」、かの”反帝反スタ”のお方も近々閉鎖されるそうな。

背景として一般的に語れるものではないとはおもうのだが更新お休み中に政治への”閉塞感”は大きく増大した。あの政権交代のときの高揚感は完膚無きまでにふきとんだ。
2大政党を必然とするような選挙制度改悪の結果は、民主か自民か、まるで、打ち首か銃殺かを選択するような感覚しかおぼえない。

ブルジョア~な政治を論じてみても”鬱”になるのが関の山なのは革命的左翼なら周知のことであるし、既成の政治システムがにっちもさっちもいかなくなったときこそが、それをうちやぶるチャンスだということ心得ている。ただし、チャンスはしっかりとしかるべき準備がなければつかめないし、それがいつ訪れるかはがっつり学習し研鑽を積まねば知ることはできないこともまた心得ている、なによりその作業がいまだ途にさえついていない現状もまた・・・

さて、政治話はまた、おいおいということにして、巷はツイッターやフェイスブックなどのSNSが大流行だそうな。一年半も深山にこもって滝に打たれて修行してきた”武装せる園芸家”はまるで浦島太郎的感覚にとらわれる。

最近、ちょっとグラッときてケータイをスマホにしようかと思ったこともあったのだが、基本料金のお値段を聞いて、あっさりあきらめた。いまはまだ貧乏人が手にするようなものではない。

私はツイッターもフェイスブックもどちらも関心が薄く、やってみようとは全く思っていない。今回の未曾有の大災害のときにツイッターがおおいに役だったともきくし、中東の「春」でもロシアの「冬」のさなかでも、フェイスブックのようなSNSがメディアとして大変重要な役割を演じたと聞いてはいるのだが。

ツイッターはつぶやきといわれるとおり、一言でやりとりするのがなんともむずかしい気がしてだめだ。それに、あの展開の早さについていけるきがしない。
たいしたことは考えていないし、難しいことはいえないけれど、それなりに筋道たてて思いを語るにはどうしても、これまたそれなりに文字の数が必要だと思うのだ。
ただ、ブログに投じるエナジーよりはずっとエコで運営はできそうなきはするので、仕事に忙殺されている人にはよいかもしれない。それと、チャット感覚で、ワンフレーズで”知ったか”をいれるくわくわくんには向いているだろう。

お玉おばさんは政治の話からしばし離れ、ツイッターにいってしまわれた。まあ、あれだけのメジャータイトルとなれば政治の話を運営することの苦労は過疎ブロガーの私にも想像はつく。そうしたうえで、またいつの日か、あの大喜利のような、そして多様性に富んだ大討論をまたはじめてもらいたいもんだとおもう。

フェイスブックは、仕事関係ではやっていない人をさがすのが難しいくらい、日々の糧のような状態だ。まあ、フェイスブック以外のSNSもあろうからそちらを選択することはあるかもしれないが、”実名公開原則”のフェイスブックだけはごめんだ。創始者のザッカー・バーグは社会的正義は情報の透明性のなかにあって貫徹されるという哲学をもっているらしいが、世の中お天道様のしたを大手を振って歩ける人ばかりではない。

今のご時世、なにも私のような「過激派」くずれでなくても、失業、倒産、夜逃げなど、裏街道をひっそりとあるいてゆかねばならない人々は決して少なくない。
実名をともなってこそ、発言の正当性は担保されるという考えは確かに正論であるとはおもうのだが、おおよそ政治における批判に関しては、それを体制内の枠組みの中に押しとどめようとするものにしかなりえない。

「.com」相手ならまだしも、権力にもすすんで情報を献上しまくるような行為は自殺行為にひとしい。「ヤバイ」時代を生き抜くには「ヤバイ」知性がひつようなのだ。

No need FaceBook



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| | 2012/05/05/Sat 22:23[EDIT]
すっかりごぶさたしてしまいました
鍵米さま、ながいことご無沙汰してしまいました。おもうところありまして、ネットから遠ざかっていました。

そのあいだリアルにはあっちこっち近場でうろうろしていたのですが、遠くまではなかなかいけませんでした。

ひっそりとこっそりの再始動(?)にもかかわらず、さっそくにおこしいただいたことに感涙であります。

主客どちらをみても難解にして、困難な状況が続いているように思いますが、自分のあたまでよ~く考えてできることからこつこつとやってゆくより仕方がないかなとおもっています。

そちらへも、またお邪魔させていただきます。それから、彼の地でまた・・・

ご来場いただきありがとうございました。
薩摩長州 | URL | 2012/05/05/Sat 23:36[EDIT]
no philosophy
日本語には、時制がない。つまり、文章に、過去・現在・未来の区別がない。
だから、過去の世界、現在の世界、未来の世界をそれぞれに分けて語る術がない。世界観がない。
日本語で語ることのできるのは、現在の世界だけである。それは、「世の中は、、、、」の形式で語られている。
日本人の話し方は、実況放送・現状報告の類で、子供の話し方に似ている。子供は哲学ができない。
文章のない過去の内容は、すぐさま風化する。文章のない未来の内容は、常に不透明である。不安になる。
文章のない過去や未来のことは考えにならないので、雑念と呼ばれている。過去は幻であり、未来は夢のごとくである。
現在の内容を使って事の次第を述べる。過去や未来の内容が入ると、その分、話に現 (うつつ) が抜ける。
話に現を抜かして自分の夢と希望を話せば「そんなこといっても駄目だぞ。現実は、そうはなっていない」と言われる。
だから、議論は成り立たない。ただ、事実関係調べのみが必要になる。
理想は非現実であり、来るべき姿である。来るべき姿は、未来の内容である。日本語を使って話すのには、難しい内容である。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない。
無哲学・能天気の人びとは、国難に遭遇してその閉塞感をさらに強める。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
noga | URL | 2012/05/09/Wed 21:11[EDIT]
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| | 2013/02/13/Wed 03:11[EDIT]
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まとめ【SNS】
ちょうどブログを始めた頃だから2007年頃だったろうか。ブログがウエッブサイトにとってかわろうとしてい  [続きを読む]
まっとめBLOG速報 2012/11/22/Thu 04:54
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