たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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労働力の価値ってな~に?
肩こり指数 ★★★

初コメがついた。その年初の収穫したての新米のように嬉しかったりする(つまらん駄洒落)。

初コメ一番は、東西南北氏でありました。ご来場ありがとうございます。ま、どうぞどうぞおあがりくださいまし。お座布団をどうぞ。よろしかったらお茶でも、ぶぶづけでも・・・・といった感謝の気持ちを物質化して、浅学ながら2点ほど氏の疑問について論じてみよう。とりあえず今日は1点だけ。

「価値法則っていうのがイマイチなんです。」そう!、ワタシも価値法則イマイチです。なんてコイズミ流の答弁では答えにならないのであるが、物事の理解には深度というものがあるとおもう。とりわけマルクスの弁証法的思考は単純なものから始めて、複雑なものへと展開してゆく式なので、純粋な思惟の領域での一国内商品経済における価値法則と、それにさまざまな要素がからみあった、資本主義社会全体において貫徹する価値法則とでは深度が異なるというものなのだ。喩えれば、車は車でもクラウンとカローラは乗り心地、安全性などなど違うっしょ。とはいえ、カローラに乗ってみないことには、「いつかはクラウン」(ふっるいコピー、年が知れるか)にならないので、まずはカローラレベルでいきたいとおもう。

まず、一点目から。「労働力の価値」とはなにか。要注意なのは「労働の価値」じゃないっということ。とってもややっこしい概念なのだけれど、とっても重要。資本家が買うのは「労働力」であって、「労働」じゃない。「労働力」っていいうのは文字通り労働をする能力。おちょくってるんじゃないよ。

冒頭のべたとおり、あまり卑近な例をとって説明することは、車という概念ををカローラという車種に限定するようなことにもなりかねないのでよろしくないのだが、あえてたとえ話をすると。

資本家は「労働力」を一定の期間期日を単位として購入する。そして、自らの思うがままに「労働」をさせる。悪い言い方をすれば使いたい放題だ、まさに奴隷といってもいい。それは、あたかもレンタカーを一日借りて走り放題に似ている。建設用機械のユンボを一日借りて穴掘り放題に似ている。

レンタカーが人を乗せて走り移動をするという能力やユンボが穴掘りをする能力が「労働力」なのであり、実際に走っていることや、穴を掘っていることが「労働」であり、走った距離や掘った穴の数が「労働の成果=労働の価値」なのだ。そこから言えることは、資本家は労働者が走った距離や掘った穴の数にたいして賃金を支払っているのではないということだ。

そんじゃあ、労働者の賃金はなにをもって決定されるのか?「労働力」の価値とは?

若い頃は、よく焼き肉食い放題にいったもんだ。2000円ぽっきりで時間限定と取ったものは食い尽くしが原則だ。最近は年をとったのか支払いにみあった量が食べられなくなったのでご無沙汰なのだが。この2000円の価格設定と労働力の価値の決定がじつによく似ている。

食い放題は限定された時間あたりでの平均的日本人の食事量に「欲道係数」を掛けたものを基準に組み立てられた経済モデルなのだろうが、「労働力」の価値というのは一日あたりを単位に考察するならば、それの実体的担い手である労働者が一日生きてゆくのに必要な生活資金ということになる。

もうすこしスパンを広げてみよう。ひと月単位だ。平均的労働者一人が摂取する平均的カロリーにみあった食費、平均的衣料費、家賃または住宅ローンの返済、水道光熱費、医療費、世間並みの文化的生活をおくるための費用(CDかったりとか、雑誌買ったりとか、楽器買ったりとか、テレビ、パソコン、車などの減価償却などなど)その他、世間並みの暮らしをするために必要な経費支出、それらひと月の総計が労働力の価値の一つの構成要素なのだ。

いまひとつの労働力の価値の構成要素は、次世代の労働力を再生産するための費用だ。ぶっちゃけた言い方をすると、男性なら女性をナンパして口説いて(見合いも可)、結婚して(しなくても可)、Hをして(これが重要)、つぎの労働の担い手を育成するためにかかる費用なのだ。つれあいと子供の食費、教育費などなどいちいち言う必要もないか。

それら二つの要素のいち労働者の生涯必要とされる総計合算を平均寿命で割って月あたりに換算したものが月給の基本ベースであり、まさにこれが労働力の価値の実体なのだ。そしてこの労働力の再生産のために費やされる労働時間を必要労働と呼ぶ。

まとめると、死ぬほどは働けない、24時間以上一日に働けないなどの制約のもと、何時間働いても、平均的な賃金を下回ることはあってもとびぬけて増えることはない。生きて女房と子供を養い世間並みの暮らしをする以上の稼ぎはみな資本家殿に召し上げられると言うことだ。まさに、これぞ賃金奴隷であり、「労働者は働けば働くほど貧しくなる」と言ったマルクスの言葉の証なのである。と同時に労働力商品は自らの価値(必要労働)をこえて価値(剰余価値)を生み出すとってもミラクルな商品として他の商品群と一線を画す特別な商品であるということも押さえておかなくてはならない。いかにして、そんなミラクルな商品「労働力」が誕生したのかは、また後ほどと言うことで。

以上のことがマルクスの剰余価値説のコアだと理解している。古典派経済学者は掘った穴にたいする代価としての賃金と考えていたから剰余価値がいったいどこから生じるのかがわからなかった。労働が価値を生み出すという労働価値説といういい線まできてたのだけどね。これを残念とみるか、ほんとは解っていたけどそこまでふみこめなかった見るか諸説はある。

以上コアな部分を押さえた上で、何点か若干の補足をしておきたいと思う。

その1 労働力の価値は、国家レベルで比較した場合、その国における労働者の生活水準に規定される。
そして、それを決定する要因は労働者と資本との力関係である。
であるからにして、「日本は賃金が高すぎて国際競争力が弱まった」という見解はあやまりである。生活コストを押し上げたのは、だれもかれもに車やデジタルコンポ、高級衣料、ブランドバック、薄型液晶TV、学習塾、付加価値つき野菜などなど矢継ぎ早に売りつけた資本の側だろうが。
中国で賃金が安いのは生活してゆくための費用が安いから、理由は圧倒的大多数の国民が貧しい暮らしをしていて、一部成金の超高生活水準をうちけしておつりがくるからだ。

その2 昨今の少子化という現象はさまざまな要因が絡み合っていて、ひとことでこれだ!!とはなかなか言えないのだが、少しずつ整理していって全体像をつかみたいと思っている。
ただ、今日のお題である労働力の価値という問題は一つの重要なポジションを占めているものだと思っている。「次世代の労働力が再生産できないくらい搾取されている」という現状。私の周辺でも、「結婚したいのだけど金がないんだ~」「子供できたら食っていけないよ~」という声をよく聞くようになった。コイズミ登場からのことである。
私は駆け落ちを進めているが、当人達はそうもいかないようだ。

「親はなくとも子はそだつ」などということを誰もが一度は聞いたことがあると思う。
このことは、社会ー地域ー共同体という文脈の中にあって成立する心温まる言葉であると私は思う。これも、あとでその気になったら書こうと思うのだが、資本主義はそうした旧社会的秩序である地域ー共同体を解体することによって成立した。そして、今なお細部にわたって解体し続けている。その結果「金さえあれば子はそだつ」ということにあいなるわけだ。ニッポンのような「先進国」で子供がいっぱしになるにはお金がたくさんかかるのだ。ごくごくまれに、並外れた才能と努力どちらか一方あるいは両方で人生を切り開く子もいるだろうが、それははっきり言って人生の奇跡だろう。

その3 異なった産業部門において、労働力の価値がことなるのは労働の質がことなるからである。たとえば、いささか単純に過ぎるが病院の医師と自動車生産工場の工員の賃金の違い=労働力の価値の違いは、その労働力を生み出すために投じられた資金量にちがいがあるからである。マルクスも言っているが「一番安い」のは食って寝るだけのルンペンプロレタリアートがする、単純肉体労働だろう。

価値法則は次回にさせてもらうが、それが機能するのは同一産業部門の同一職種あるいは、同一商品に対してである。価値法則は、個別資本の差異と変動を乗り越え平均化し、商品のなかに宿る社会的価値へと導くのだ。その結果、ほぼ同一の品質であるなら、ほぼ同一のプライスカードがついた商品を私たちはコンビニでもスーパーでも、各社の自動車のカタログを比較してもみることができるし、自由にえらび購入することが出来る。

そうしたうえで、テクノロジーの発展が労働の質を解消し、単純な労働へと代えてゆくことを忘れてはならない。それは、医療現場でも同じであると思う。いまよりも大規模にテクノロジーが投入されるなら、医療もまたそうなってゆくものであると考えている。そのためには「資本主義で機械化がなされることの限界」をふみこえて社会の諸関係が発展してゆかねばそうはならないのだが。すべての労働者の労働力が等しいものとなってゆく道を、差別や格差をどんどん拡大することを推進力として資本主義は猛烈に切り開き驀進してゆく。


価値法則はまたあとでね。ということで今日はここまで。

Comment

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「世間並み」「力関係」で「労働力の価値」は決まる。内容は本人と家族の生活費。各国で生活費が異なる原因は「世間並み」「力関係」が異なる点にある。中国では、「世間並み」が低く、日本では「世間並み」が高い。「世間並み」を高くしたのは資本である。ただし、これらは同一の質を持つ、同一の労働力に対して適用できる法則である。だから、病院の医師と自動車工場の工員には適用できない。しかし、どのような質の労働力であっても同一価値を持つ条件は「資本主義で機械化がなされることの限界」をふみこえて社会の諸関係が発展することによって達成できる。

 こんな要約でいいでしょうか?批判的な疑問点2つ。

 第一。賃金の高低は「世間並み」「力関係」で決まる側面があることは事実ですし、異論はないです。しかし、日本において「世間並み」「力関係」の水準が高い原因が資本にある、というならば、矛盾に陥ります。つまり、労働力を搾取すればするだけ、「世間並み」「力関係」の水準が高くなるということになり、資本が労働力の価値を下げれば下げるだけ、「賃金は上がる」という矛盾です。労働者を虐めれば苛めるだけ、「賃金は上がる」という矛盾です。事実は、賃金が下がるわけで、恐慌と戦争になるだけじゃないでしょうか?

 「賃金が上がる」原因は資本にあるのではなく、労働者の要求運動と労働者の政治権力獲得を目指す結合力にあるんじゃないでしょうか?

 第二。「どのような質の労働力であっても同一価値を持つ条件は「資本主義で機械化がなされることの限界」をふみこえて社会の諸関係が発展することによって達成できる」というのは、諸個人の労働経験が1年でも30年でも同一価値であるということですが、例えば、脳外科医の労働能力の高低はなくならないんじゃないでしょうか?確かに、脳外科医が使用する機械自体は発展しますが、どう考えても機械を動かす技能と人体に対する知識は労働経験が高いほうが高くなります。ゆえに、どのような質の労働力も均一化して同じになるということはありえないのですから、問題は「どの程度」の格差基準が妥当かということになるんじゃないでしょうか?要は、脳外科医1年目と30年目の格差を何倍とするのが妥当かということですが、それは労働生産物のレベルによるんでしょうか?例えば、1年目はカローラだが、30年目はクラウンというような。

 質問1つ。

 「金さえあれば子はそだつ」という自己中心、拝金主義イデオロギーと態度に対置せねばならない、共同体と地域のイデオロギーと態度とは何でしょうか?
東西南北 | URL | 2007/10/28/Sun 05:22[EDIT]
いやいや、よく読み込んでおられる。『日本において「世間並み」「力関係」の水準が高い原因が資本にある、というならば、矛盾に陥ります。』そう、その通り。なかなかに鋭いね、さすが。

単純に資本が労働を搾取しまくると労働者の生活水準があがるわけではない、労働と資本の相互関係だね。生活水準を一般的な定義としたうえで、たとえばテレビを例に取ると白黒テレビからカラーテレビ、薄型液晶テレビ、プラズマ液晶テレビ、ハイビジョン液晶テレビと進歩を繰り返してきた。でも、当然それを作る労働者に購買力をあたえなくてはテレビ自体存在することはできない。

さて、これらテレビの進歩は何によってもたらされたか?技術革新だよね。なぜ技術革新が必要なのか?ず~と白黒テレビでみんなが満足していたら、家電屋さんはテレビが売れなくなる日がくるから。テレビ産業資本は衰退してしまう。

そこで、テレビ産業資本各社は、しのぎを削ってカラーテレビを開発するわけだ。初物はもうけがいい(これを特別剰余価値という)。だが、高価格で登場したカラーテレビも、テレビ産業資本各社が開発販売し、競争になるとやがて、お手頃価格にどんどん近づいていって誰もがカラーテレビをもつようになる。というのは誰もが知るところだ。

ここで注目なのは、このお題では一切触れてはいない不変資本=生産設備機械の進歩発展という要素だ。「欲張り合戦」でおそるべきスピードをもってこれを発展させる資本の拡大再生産こそがこの社会のとてつもなくすっごいところなのだ。最新設備は白黒テレビを作ってたころとかわらない、否それ以上にどんどんカラーテレビを生産する。
すると、だぶついて当然価格が下がる。資本は真っ先に機械化によって不要になった労働者の人数を減らす(資本の有機構成が高くなる)、それから価格の低下にあわせて労働時間を延長したり(絶対的剰余価値)、ものすごく忙しく働かせたり(相対的剰余価値)して搾取を強めて対応しつつ、つぎの液晶テレビを準備する。

以上が資本の側からした生活水準をアップしてゆく道筋だ。これで、巷にはカラーテレビがあふれている。これを労働者がいかにしてゲットするか?


『「賃金が上がる」原因は資本にあるのではなく、労働者の要求運動と労働者の政治権力獲得を目指す結合力にあるんじゃないでしょうか?』
そうそう、その通り!!それ以外に、賃金=労働力の価値が上がる方法は無い!!
じゃなけりゃカラーテレビをゲットするには宝くじをあてるかTOTOで一発狙いをするか、商店街の年末福引きで金の玉を出すしかない(爆)。

自分たちがせっせせっせと、一生懸命カラーテレビを作ってるのに買えないじゃん。それどころか同僚は人員整理で首になった。自分らがつくったカラーテレビは、世界中のお金持ち小金持ちに買われるばかりで、俺たち映りの悪い白黒テレビだぜ!! 俺なんかテレビないぜ。

やがて、ぶち切れた労働者達が団結して資本と真っ正面からぶつかり、資本の側の譲歩をひきだし賃上げ=労働力の価値のアップをかちとったときはじめて、日々の自分たちの労働の成果であるカラーテレビが買えるようになる。この資本家VS労働者のどちらが強いかの構図を「階級的力関係」略して「力関係」と私達は呼んでいる。

以上が第一にかかわるところのお話であります。


第二の点は、価値法則と密接なかかわりがあるのでその時にということでごめんさいね。
ただ一点だけ「資本主義で機械化がなされることの限界」の説明をすこし、それは、たとえば引っ越し屋さんがマンションの10階にタンスをあげるとしたら、レッカーをかりて楽々上げるとリース代と人件費こみで10万円かかるとする。だが難行苦行のすえ人力で上げるとすると人件費8万円で済むなら、レッカーでタンスを上げないという法則なんだ。


最後の質問
>共同体と地域のイデオロギーと態度とは何でしょうか?
東西氏てきには、福祉社会の構築だろうし、私てきには社会主義ひいては共産主義となるかな、まあその辺のところだろう。いっそ封建社会に逆戻りというのも心情的にはありなのだが世界が一つになるくらい生産力が増大した今日ではそれは無理っぽくおもう。ここらは、やる気満々書く気満々の時にでも資本主義の誕生について記事にしようと思うので乞うご期待。ぼちぼちということでね。じっくりと時間をかけてともに学んでまいりましょう。
薩摩長州 | URL | 2007/10/28/Sun 12:19[EDIT]
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