たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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儲かりまっか?ぼちぼちでんな! お金の話
肩こり指数 ★★★

いっくらあっても邪魔にならないのが、「お金」。たっく~札束につまづいて転んじゃったよ。といって可燃ゴミの収集所に札束を出す人はいない。この不思議な魅力にあふれた福沢諭吉大先生の肖像について考えてみよう。きっかけは東西氏の質問だ。

質問が質問なだけにどうしてもコアな部分に触れざるをえず複雑怪奇なるを避けるため断片的な部分での記述にとどめたのだが肩こり指数は一応★★★をつけておこう、あまり面白い話でもないし。

「貨幣が消滅する」、似たような命題に「国家が死滅する」というのがある。前者はマルクスが後者はレーニンがその道筋をしめしたものであるが、とりあえずどちらもまだまだ遠い先のお話である。夢物語ではないけれど。

資本主義社会では貨幣が個々人の社会的分業・協業を結びつけていて、それらによる労働の成果を交換し合うことによって個々人の生活がなりたつ。その媒介をなすものが貨幣であることはまえに述べたとおりである。このことは、これからさきの生産力の発展に鑑みても変化することのないルールとなるであろう。また、逆に言えばこのルールがあればこそ生産力はまだまだ無軌道に、無制御に世界的規模で発展をつづけるだろう。やがてそれがゆえに破局をむかえる日がくるまで。

さて、貨幣は交換を媒介するほかに、もう一つとっても重要な機能を有している。それは蓄積されることによって、資本となることだ。資本に化けた貨幣の実体はなにか?それは、過去の人間の労働(社会的価値)が結晶したものだ。封建社会なら、生活に必要以上の生産物として生み出された一俵の米は、剰余価値として米倉に保存されるだけのことなのだ。

ところが、資本主義社会では、剰余価値を米倉になんか寝かしてはおかない。剰余価値は商品として命がけの飛躍をなして、貨幣へと化けなくてはならない。
「すでに過去の生命のない労働の結晶としての貨幣の蓄積としての資本」はいままさに生きている生々しいばかりの労働力と、やはり過去の労働が結晶した生産手段に投下され、労働力が必要としている価値以上の価値(剰余価値)を生み出すことを強要する。まるで過去の死んだ労働が、生きた労働の生き血をすするかのように。そしてうみだされた商品は市場で商業資本の手をかりて命がけの飛躍をなし貨幣に化け、ふたたび資本として大きく成長してかえってくる。そして生きた労働の生き血をすすり大きく成長する。これが、あくなき私的生産の欲道に根ざした資本の拡大再生産の仕組みだ。

貨幣の役割において、蓄積されて資本となるというところがとても重要だ。
とりわけ、生身の労働者を搾取するという機能は資本主義社会における貨幣ならではのミラクルな機能だ。貨幣の価値表現を「円」ではなくて「時間」に置き換えて考えてみよう。

以前「労働力の価値ってな~に?」という記事で労働力の価値=お値段は、その社会で平均的な生活水準の維持に必要な諸経費プラス女房子供とともに暮らす為の諸経費だと論じたわけだが、1日8時間の労働のうちその4時間がそれであるとしたら、給与明細には一日の労働は4時間と記載され、25日の労働で総支給額100時間となり、それがそのまま手取りとなるなら、月末給料日に10時間紙幣を10枚頂戴することになる。

ちょっと、気の短い人なら、給与明細をみて「ぶち切れる」だろう。なんで働いた分の半分しか貰えないわけ~!!プンプン。物わかりのいい人なら、生産手段の使用料だの、資本家さんの取り分だの、研究開発費だの言われたらご無理ごもっともと資本家様の言うことにあっさり納得するかもしれない。(生産手段への投下分はべつに回収済みとなっているから、資本家さんの取り分と、研究開発費はありだろうけど、問題なのはその取り分の多さにある)。

しかし、月に100時間の収入があって、8時間のお米を買って、10時間のローンの返済、30時間の薄型テレビを買って、ガソリン代が月10時間などなどと支払いをして貯蓄も少しはできてなおかつ支出と収入がバランスしていれば、まっいっかということにもなるだろう。労働者は実に謙虚になるように教育されているから。
だ・け・ど。いまのように働けど働けどいっこうに暮らしぶりがよくならない「奇妙な好景気」のような事態に直面したとき(かならず果てなき市場原理での競争の結果、直面するようになっている)、この時間での価値の表記は資本家にとても不都合なものとなる。

それは、搾取の仕組みをまったく隠蔽しないからだ。12時間働かされて(絶対的剰余価値の産出)、3時間しか給与明細にカウントされていなかったら(相対的剰余価値の産出)、いくら物わかりのいい人でも納得はすまい。
ましてや、企業は業績絶好調、史上空前の利益などといわれたら「ぶち切れ ええかげんにせーよ」だろう。

このように資本が労働を搾取しているという真実があけすけになるような方法はぐあいがよくないわけだ。封建社会では領主様の趣味嗜好で贅沢者や、欲深い好戦的な領主を戴いた領民は重税に苦しむわけだが、それは実に明快なかたちをもってやってくる。年貢としてより多くのものが収奪されるというかたちで。仕舞には生活できないほどに収奪された領民は一揆となるわけだ。社会の仕組みがシンプルなら怒りの矛先は明快でその行動も実にシンプルだ。

上記の理由から、おしなべて何処の国にいってもドルとかユーロとか円や元という観念的通貨単位をもちいるわけで、原理論レベルでは、生きてゆくのに精一杯のお金しか貰えないのに8時間の労働に対する報酬であるかのように当然のごとく支払われる賃金に労働者は納得してしまうわけなのである。そのほかにも、この搾取に煙幕を張る効果を有しているものは「自由」とか「平等」とよばれるイデーが果たす役割も非常に重要なのだが、それについては回をあらためてとりあげることにして、かくも貨幣というものは罪深きものなのである。

さて、追記なのであるが上のお話を足がかりに東西氏の質問に若干ながらサジェストをさせていただこう。

貨幣は労働証書のようなものに暫定的にとってかわられるのではと思う、あくまで推測の域をでないが。労働証書は上記の論のように労働時間を表記したもの、8時間働けば8時間ぶん報酬を頂くことを前提とする。なお社会資本の維持、拡充、更新。社会機構を維持するための機構(官僚機構にとってかわるもの)をのコストは税のようなかたちで公明正大に徴収されるものであろう。

その前提となるものは、生産手段から暴力的過程をへて引きはがされた歴史的事実を乗り越え、いまいちど労働者や人民が我と我が手にそれを取り戻すことが必要。

労働と生産手段が分離されたシステムがなければ搾取はなくなり、貨幣は二つの意味で必要がなくなる。一つは蓄積されて資本となり搾取を行う機能、もう一つは流通の媒介として抽象的な単位をもちいて搾取を隠蔽する機能。なお、交換と流通は継続される、完全なる等価交換の実現となる。貨幣に現象的には労働証書は似たような印象を持たれるかも知れないが本質は全く異なることは、上記の論のとおり。

労働能力の高低に関して、マルクス経済学は労働の社会性という視点から論じられるものである。したがって私が毎週楽しみにしている、医龍の主人公朝田龍太郎のようなミラクルな外科医は論じられることはない。ベテランの脳外科の先生と駆け出し研修医の脳外科の先生も同じ先生である。なぜなら、ベテランの脳外科の先生も駆け出し研修医の脳外科の先生のときがあったのであり、駆け出し研修医の脳外科もやがてベテラン脳外科医に成長するのであるから。そして、やがてベテラン脳外科医の先生も目がしょぼくなったりして一線からはなれ後身の指導へと軸足をうつしてゆくにちがいない。マルクス経済学で対象とする社会的労働とは、その社会の平均的技量といった抽象的な概念をもって語られるものなのである。それに相応した実体は個別具体的に存在しているのだけれどね。その辺の差異にこだわると本質にたどり着くことは難しかったりする。もちろんそのことへの批判もありはするのだが。

賃金を軸にかんがえても、それぞれのステージでは確かに倍半分くらい違うかも知れないが、生涯レベルで見た場合、一生涯に獲得される賃金合計は平均値として語られるようなものである。そのへんは「労働力の価値ってな~に?」をコメントかえしも含めて参照されたし。

最後に 「資本主義社会における賃金体系の改善策を労働組合が積極的に使用者と話し合うことについてどういう態度ですか?」この点に関しては、政治的問題にして、労組自体が解体的惨状に追いやられつつある現状にふまえるならば、あっさり一言でサンジカリズムはナンセンスなどと数十年前の主張を展開できないということはある。これに関してはしかるにのちのちの宿題と言うことで。

最後までおつきあいありがとうございました。お約束の猫さんを貼っておきます。癒されてください

猫団子 なな のんの こう
猫団子


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 秘密にする

また今度
 すんません、一応読みましたけど、また今度ということで。
 写真の右側のネコ、私の勤務校に居着いてるヤツと似てるなー。
shira | URL | 2007/11/15/Thu 21:44[EDIT]
こんばんわshiraさま
右側というと、三毛猫ですか? ななといいます。なぜかというと顔に7って書いてあるかのように黒がはいっているから。という明快な命名でありました。お仕事さきの猫さんかわいがってあげてください。猫は恩をかえすとか。期待していいかも。

「労働力の価値」とあわせて読まないとわからない部分が多いです。かの天才マルクスをして、この部分の解明に10年の歳月を費やしたそうであります。私がほんのりとわかるかなと思えるようになるまでやはり相当の年月が必要でありました。それでもまだ、ほんのアウトライン程度のもの。本来はhttp://www.office-ebara.org/modules/xfsection06/article.php?articleid=14これくらいのレベルで論じられるものなのですがね。学問の奥は果てしなく深くてそこが見えないくらい深い。
薩摩長州 | URL | 2007/11/16/Fri 22:13[EDIT]
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