たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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封建社会への憧憬
肩こり指数 ☆☆☆

たわいもない話を書こうと思っていたのだが、ついつい力がこもってきて話が堅くなってしまった。すっかり肩こり系になっちまった。てなわけで肩こり指数☆☆☆であります。

肩こり話でよく封建社会を引き合いに出すのだけれど、封建社会がなにかすごく暮らしぶりの悪い社会であった印象を皆さんもっておられはしないだろうか。

はっきりいって、私はそう思っていた。大学に入るまで。私は日本史、世界史を社会科でとれなかったので判断の基準となっていたのは中学社会科の歴史教科書ベースであったのだが、くわえて、先生がとてもネガティブに封建社会を語っていたところにも原因はありと思っている。それと、もひとつ水戸黄門に代表されるような悪代官の暗躍に庶民が泣きを見る系のお話にますますいっや~な印象を深めたことは否定できない。

さて、皆様はトーマス・モアという御仁をご存じだろうか。世に言われるように「ゆとり教育の弊害」があまねく広まっていないなら、中学生でも知っているのではないかと思うが、かの英国の司法系官僚の頂点を極めた偉い人にして空想社会主義者の祖として知られる御仁である。

マルクスは資本論のなかの資本主義の生まれる過程(本源的蓄積)において、かの御仁を登場させるのである。トーマス・モアはいまだ封建社会の中にあって、資本主義社会が誕生せんとする時代に生きた生き証人であったといえる。

当時ブレークしていたエンクロージャーブメントは、牧歌的な農村共同体を破壊し、大量の浮浪者を生み出したことは以前ふれたところだ。有名な話であるが、かの御仁はそれをみてこういった「羊が人を食ってるぜ」もうすこし上品な言葉だったろうが意味はこういうことだ。くわえて浮浪者がこっぴどいめにあわされたことも以前述べたとおりだ。鞭打ちに、耳そぎ、死刑。おおお恐ろしや。

そんな、悲惨な出来事に来るべき次の世の姿を垣間見たトーマス・モア大先生は昔はよかったという思いを粛々と書きつづったのが「ユートピア」という著作なのだ。

資本主義社会はおびただしいばかりの血の海のなかでうち建てられたことは事実として、それは、次の社会への生みの苦しみであったと「前向きに」捉えるならば、そのあと訪れた「豊か」なる社会がはたしてモア大先生の回顧趣味を粉砕しておつりがくるほどに素晴らしき世界であったろうか。

私にはそうは思えない。理由はいくらでもある。全て上げたら肩がこりこりになってしまうので今日は、一点、これほどモノがあふれているのに「おむすび食べたい」といって餓死する人がいる。これだけ医療が広汎に発展発達していても、病院が病人を公園に置き捨てる。この事実は、資本主義社会では「善」なることなのだ。

せんだって、うちのローザ・ルクセンブルクが映画を見に行った。「SiCKO」とかいう映画だ。アメリカの医療問題を扱ったものだそうだが、帰っての報告によると「すっげ~。金のない入院患者をばしばし追い出すなんて、すっげ~ 信じらんない」ということらしい。アメリカは原理論をもっとも忠実に展開する資本主義社会だ。原理論との差異を生み出すモノの幾つかのうちの一つは旧社会である封建社会の残渣だ。アメリカはそれが少ないといえる。

資本主義社会での「善」に激しく抵抗を感じる、私たちの感性は実は、封建社会に源を発し綿々と受け継がれてきた、いまは無きにひとしい農村共同体の社会規範にある。
「人は一人では生きてゆけない」と一般的に語るのは誤りだ。人は一人で生きてゆけるのだ。資本主義社会にあってはお金があれば。しかし、それは、人間の「個に死して類に生きる」本質にそぐうものではない。当然そんな社会は荒廃するし、荒廃しつつあるではないか。その荒廃をぎりぎり紙一重のところではあっても食い止めてきたのが良しも悪しくも旧社会からひきずってきた、あるいは権力によって押しつけられ叩き込まれた旧社会の規範なのだ。

私は、封建社会がいまでは以外に心地よい社会であったのではないかと思っている。
魔女裁判や姨捨伝説、天候不順の飢饉、疫病の流行、身分社会。などなど、科学技術の未発達とそれによる生産力の低さに規定されて、豊かさというには不足は否めないものだったかも知れないが、人は助け合い、分け合い、支え合って、一生懸命生きていたのではなかったろうか。前述の困難が降りかかっても「しょうがない」ですますことができた社会なのである。だが、いまの世にあって、そこら中におむすびが溢れる中で、餓死することがはたして「しょうがない」ですまされようか!

どうも、歴史教科書も含めて、封建社会を必要以上に暗く悲惨な世界として描いているような気がしてならない。とはいえ、歴史は後戻りできないから、いくら旧社会に思いをはせてもそれは叶わぬ夢なのであるが。ただ、私たちは意外にとてつもなく非道で惨い世の中に日々戦闘状態で生きているのだということに気づいておくことは、まんざら無駄なことでもあるまいと思った次第である。

今週も週末となりました。一週間賃労働お疲れ様でした。
お約束のバラを貼っておきます。癒されて下さいましまし。

イングリッシュローズ パットオースチン 色合いがこれまた独特
パットオースチン


Comment

 秘密にする

江戸時代の農民などの生活が悲惨なものだったというイメージが一般に強いのは、たぶん羽仁五郎と、その影響を受けた白土三平のせいでしょうね。
しかし、考えてみれば文化や教育を含めて、社会の水準がそこそこ高かったからこそ、日本はアジアの中で唯一近代化に成功したのだろうと思います。
ところで、こちらに「安部政権の教訓(ちょっと気が早いけども)」2007.07.23 という記事を送ったのですが、届きませんでしたか。
かつ | URL | 2007/11/17/Sat 02:42[EDIT]
知識と法則
 「私は日本史、世界史を社会科でとれなかったので判断の基準となっていたのは中学社会科の歴史教科書ベースであったのだが、くわえて、先生がとてもネガティブに封建社会を語っていたところにも原因はありと思っている」

 少ない知識から法則を認識する力があるから人間らしい歴史観が身に付くと思います。中学レベルの知識で人間らしい歴史法則を認識するには十分でしょう。

 歴史とは個別事実の細部を究め尽くすことではなく、法則を認識し、今の歴史を変革していくことですので。

 南京大虐殺、従軍慰安婦、軍命による沖縄集団自決の個別具体的な細部を極め尽くすことではなく、それらの事件があったか、なかったか、第二に、共通する法則と教訓は何かを認識することが歴史学習でしょう。

 偉人伝、歴史小説などで細かい知識がいくらあっても歴史を学習したことにはならないわけです。
東西南北 | URL | 2007/11/20/Tue 23:34[EDIT]
こんばんわ、東西氏。いらっしゃい。
こんばんわ、東西氏。いらっしゃい。

今回は、少々意見を異とするが、まあ気を悪くしないで聞いてください。

やはり、中学生社会科歴史教科書ベースでは、知識は足りないんだ。というより、それでは社会の仕組みは批判的にとらえることはできないと思うし、そうならないようにそれはつくられている。

私は、歴史学は学んだことはないが、マルクス経済学を軸として唯物史観という立脚点からそれらに関わるところの歴史を学び、決して十分とは言えないけれどそれなりに歴史観を身につけている。

マルクスは労働者に学ぶことを勧めたし、学び理解し身につける能力が労働者にはある、そしてそのことは労働者にとってとても利益になることだと言った。くわえて「無知はなにも救わない」と叱咤激励したんだ。
技術革新による機械性大工業の進歩はつぎつぎと生産性アップの新型機械を登場させ、必要のなくなった労働者は首になった。怒った労働者は機械の打ち壊しをした。有名な歴史的事象だ。だが、いくら機械を打ち壊しても、労働者は救われなかった。

労働者が救われない事の本質は、その仕組みはもっと巧妙に隠されて、より深いところにあったのだ。それを知るためには、とってもけったるいことなんだけれど学ばなければならなかった。

東西氏は関西人のようだから知らないとおもうが、私が学生の頃、東京の豊島区池袋界隈をシマにしていたころ、西口駅前マルイのお向かいに日共の文献をメインにすえた、社会科学専門の大きな本屋があった。名前は思い出せないが、そこには「読書は知識の泉 学習はたたかいの力」とおおきな看板がついていた。当時私たちは、おおいにそれを愚弄したものだが、いまでは、書いてあることは確かにそのとおりだと思い返す言葉である。

資本主義社会に生きているのなら資本主義社会のことをもっともっと知らねばならない。もっと広くそして深く。私たちをどこへ連れて行こうとしているのか、何をさせようとしているのか。クールな頭で考えることができるような力を獲得したいと切望するする今日この頃なのである。もちろん東西氏の言うような熱い人間らしいパトスにあふれた心がそれにさきだってあらねばならないことは当然の前提として。

あせらずぼちぼち共に学んでまいりましょう。
薩摩長州 | URL | 2007/11/21/Wed 22:23[EDIT]
あせらず共に学んでいく。
 ほんまですね。薩長さんみたいに基本となる歴史観としyて労働者階級が歴史を推進する力であり、それを抑圧しているのが資本主義であり、資本主義の国家権力でさある、という法則を認識することが中学生レベルの知識で十分だということでした。ま、憲法の基本ですね。

 しかし、現実に労働者階級と人間が自由になるには、クールな専門用語と実態についての細かい知識も必要ですね。裁判でも専門用語と事実関係についての細かい実態が必要ですし、国会質問でも同様です。労働組合運動でも団体交渉のときに同様ですし、市民運動でも同様ですね。

 今現在の情勢を労働者階級と人間が前進させていrくには中学生レベルの知識で認識する歴史法則を基礎、基本にして労働運動、市民運動、裁判、国会質問を進めていくうえで必要な知識を学んでいくということです。

 専門家は労働者階級と人間に専門用語をわかりやすく説明する責任があるし、労働者階級と人間にわかりやすく認識することを阻害する専門用語なら呪われて滅ぼさねばならない・

 「知らし無べし、よらしむべし」の思想と行動は、労働者階級と人間らしい思想と態度に敵対する支配であろう、

 追記:冥王星さんのブログで東西についてに記事が出てますが、あれは東南西北さんという人がしたコメントでしたて、東西とは違う人物です(笑)

 確か、ここのブログにも東南西北さんはコメントしてませんでしたか?ブログ解説のお祝いコメントで東南西北さんを見かけました。

 
東西南北 | URL | 2007/11/22/Thu 15:58[EDIT]
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