たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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祈り
私は、宗教を携えてはいない。しかし、無神論者ということもない。困ったとき、人力及び難きときは、何の躊躇もなく祈る。「神」は必要なのだ、そして、祈りという謙虚な行為も。

先月、仕事のつきあいの友人が亡くなった。胃ガンであった。去年のいまごろ吐血して入院、すでに手遅れ、余命1年を宣告されていたそうだ。

先々月の盆明けに久々、仕事で顔を合わせた。髪は真っ白になり、少々痩せてはいたが元気そうだったのに・・・ 「あしたからまた入院して抗ガン剤治療なんだ」といってその場をあとにした彼の後ろ姿、生きている最後の彼の姿となった。



私の祈りに対する神の応え

大事を成そうとして、力を与えて欲しいと、神に求めたのに
慎み深く、従順であるようにと、弱さを授かった

より偉大なことができるように、健康を求めたのに
よりよきことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして、富を求めたのに
懸命であるようにと、貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前に跪くようにと、弱さを授かった

人生を享楽しようとあらゆることを求めたのに
あらゆることを喜べるように、生命を授かった

求めたものは何一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りも、すべて適えられた

私はあらゆる人の中で、最も豊かに祝福されたのだ
神は、私が必要とすることを一番よく知っておられる

願わくば、神は賛美され、祝福されますように・・・

(ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に刻まれている一患者の作)
(非常に重い、治ることのない病気にかかった患者の詩だろうと言われている)]



人はなによりも謙虚でなければならないという、戒めとしてフレームに入れて玄関のちょっとしたスペースに置いています。仕事に行くとき読むようにしています。

でも改憲阻止・軍事大国化反対は、祈ってもだめだからね。声をあげて、動かないとね。
これは、人の力の及ばない神の領域じゃないから。
20071027213429.jpg


Comment

 秘密にする

 え~筆者名は忘れましたが、最近こんな話を読みました。
 日本人は宗教心が弱いとよく言われるが、それは祭事などの宗教的な行動が少ないというだけであって、決して信心そのものが弱いのではない。仏教も神道も、中央資本(?)の巨大有名寺院や神社だけでなく、地方の小さな神社仏閣がちゃんと生きて機能しているのは、信心が薄ければあり得ないことだ。仏教や神道は日本古来の自然風物(山や古木や川など)への信仰と同じような、しごく自然な信仰となって調和したのである。一方、儒教的な教えは施政者にとって好都合なものだったため、江戸の武家や明治以降の政府によって人工的に広められた、と。
 日本人の宗教観ってのは、畏怖の念を、絶対的な神のようなものを想定せずとも空気や水のように意識するというものだということらしいです。「お天道様が見てる」とか。
shira | URL | 2007/10/27/Sat 22:45[EDIT]
そのとおりです。
「お天道様が見てる」 そう、それでいいんですよね。人力及ばざる領域にたいする畏敬の念を宗教として昇華するならばアミニズムで過不足はないと私は思っています。

それは、万国津々浦々共通だと思うのですが、問題なのは、一見すると人力が及ばないようにみえるが、実は人が為している現象=社会現象をふってわいた天災のごとく捉え、「祈り給え救い給え」とおすすめする「宗教」がよろしくない。お金とか、奇跡が絡んできたりしたら黄色ランプであります。プロモーターが国家だったりしたら間違いなく赤ランプ点灯です。

宗教は、民族イデオロギーとか、国家イデオロギーとかとの関連でも奥深い問題をはらんでいるので、やる気満々書く気満々のときに記事としてあげたいと思います。
薩摩長州 | URL | 2007/10/27/Sat 23:49[EDIT]
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