たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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「亡国の記念日」をまたちょっとだけ
肩こり指数 ★★☆

ちょくちょくのぞかせていただいております愚樵さまから「亡国の記念日」にTBをいただいた。さっそくにおじゃまさせていただき拝読させていただいた。なかなかに興味深い考察をなされておられた。ご厚意にこたえるべく、来年のネタにと、とっておいた(東大の教授と同じじゃん)「亡国の記念日」をまたちょっとだけ紹介させていただこうと思った次第である。

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日本帝国主義の歴史と紀元節

ところで、こういう蒙昧(もうまい)なものが明治以後登場し、かつまた二〇世紀の後半にもう一度よみがえったきたのはなぜでしょうか。それはたんにイデオロギーの問題として解くことはできないのであり、当然そのようなイデオロギーが復活して社会、国家の状態にメスをあてなければなりません。

ところで明治の当初、東京の市民は、天皇についてそんなに尊敬の観念をもっていなかったし、日の丸がなんの旗かさえも知らなかったのですが、こんにちわれわれの親の世代は、天皇とか日の丸について非常によく知っています。それは、明治以来の日本政府のいっかんした上からの教育の展開の結果であります。つまり、天皇がなんであり、日の丸がなんであるかを知らなかった江戸の市民たちがわずか三、四〇年ののちには、天皇のためには生命をささげてもいい、というところまで教育されてしまったのであります。

「日本は神の国である」という思想をうらがえせば、朝鮮人、中国人、インドシナ人など日本の周辺の民族は、神の民族とはちがう、したがってこのような民族はわれわれによって支配されなければならない(八紘一宇)ということになりますが、かつて日向の国を出発して東征した神武天皇の業績と同じように、アジアの近隣の諸国を支配してはじめて日本の発展が可能となる、という侵略思想がその背後で用意されていることはいうまでもないのであります。他方では、それは、天皇の赤子であるから日本国民は天皇=国家にたいして批判したり、抵抗したりしてはならないという反動思想として発展していくことになります。この侵略と反動の思想を統一的に日本国民のうえにおしつけるイデオロギー的テコとして、日本神国説、皇国史観が使われたのです。

では、こうしたことが必然化してくるのはなぜかということになりますが、その原因は日本資本主義、帝国主義の形成のもっている特殊な条件のうちに求められなくてはならないのです。イギリスを中心として世界的に発達した資本主義の発展にたいして、それが世界史的にいえば没落の段階にはいったときに、はじめて日本において資本主義のあゆみがはじまった、という特殊な歴史的関係、具体的にいえば、日本資本主義の本源的蓄積が金融資本形態をもっておこなわれたという点にあります。もともとイギリスを中心に産業資本的蓄積形態を基軸に形成された世界資本主義は、一八七三年の大恐慌から二〇世紀の初頭にかけて、金融資本的蓄積形態を基軸とする帝国主義に世界史的に推転したのでありますが、日本資本主義はその登場の世界史的位置に規定されることによって資本の本源的蓄積が金融資本形態をもっておこなわれたところに第一の特徴があります。

ちなみにもうしますと、明治維新(一八六七年)は、ヨーロッパではマルクスの『資本論』の初版本が出版された年でありますが、このことからもわかるように、第二の特徴は、ヨーロッパにおいてはブルジョア革命の時代が終わってこのブルジョア革命をのりこえてあらたな時代をつくりだすプロレタリア革命の波が明白におしよせているときに、はじめて日本が資本主義の道をあゆみはじめた点にあります。

ヨーロッパでは、一七八九年のフランス革命以来、一八三〇年に七月革命があり、四七年にはドイツ、フランス、オーストリアの三国をまたにかけた大きな革命の波が襲ったことは周知のことですが、四八年ー四九年の革命によってヨーロッパのブルジョアジーは、アンシャン・レジーム(旧体制)を徹底的に打倒していくと、当然ヨーロッパの貧民、プロレタリアートが主力として登場し、ブルジョアジーが永続的に打倒され、権力がプロレタリアートに移行してしまう危険性を革命の途中で自覚するにいたり、そして革命を途中で放棄して旧体制との妥協を開始するのであります。

さらに決定的に歴史を画くしたのは、一八七一年のパリ・コンミューンであります。ここでは、プロレタリアートがブルジョアジーを打倒し、わずか半年であれ、プロレタリアート独裁の国家を樹立する最初の経験をもったわけです。ところで、これは日本の歴史でいえば、明治四、五年にあたります。したがって日本の支配階級は、あらかじめヨーロッパの階級闘争のなかからプロレタリアートにたいする危険性を予知することができたわけです。

一八六八年をエポックとする日本近代史の始まりは、直接的には明治絶対主義政府の樹立であった。そして、この絶対主義政府がヨーロッパの先進諸列強に対抗するためには、どうしても日本を富国強兵しなければならないのですが、そのとは一つの意味をもってあらわれてきます。一つは、富国強兵のために当面必要なもの、造船、兵器、製鉄、石炭、鉄道などに集中的な近代化がおこなわれるために、一方では、製鉄業などでは、ドイツとイギリスの水準と同じ製鉄機械が導入され、他方では、封建制の時代とほとんど変わらないような生産のしくみが膨大に温存されることになります。これは、金融資本形態をもって資本の蓄積がおこなわれると一般化してくることですが、これがこんにちの段階では常識化している日本の二重構造をつくりだした原基的形態を与えたということができます。

もう一つのことは、このようにして近代産業が発展すると、当然そのなかでプロレタリアートが登場し、このプロレタリアートが資本主義を否定して社会主義へむかって反乱を開始することはいうまでもありませんが、しかし、日本においては、現実にプロレタリアートがプロレタリアートという社会的なかたちで登場してくる以前から、日本支配階級は、このプロレタリアートのもっている世界史的危険性をあらかじめ思想的に確認してしていたわけです。したがって、一方では資本主義を発展させながら、そのなかに登場するプロレタリアートにたいしてあらかじめ反革命的に対応しなければならなくなることから、日本における近代化は必然的に旧体制を革命的手段をもって打倒し、そののち日本近代化の道をあゆむというのではなしに、旧体制と徹底的に妥協して、むしろそれと同盟を結んで、プロレタリアートや農民に対抗することを任務としなければならない。そうしてこんどは、旧体制とブルジョアジーの協力の内部にあって、可能なかぎり、絶対政府を内部からきりくずし、ブルジョアジーの階級的利益に相応するような国家の形態にきりかえていったところに日本史の特徴があるといえます。
(本多延嘉著作選第二巻 亡国の記念日より引用)


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倒幕よりはじまる明治維新による「ニッポンの夜明け」は、ヨーロッパにおけるそれのように自由・平等・博愛をスローガンとすることはなく、封建的身分制度を一方で解体しつつ、他方で天皇制イデオロギーと、封建的遺物である家父長制度によって個々人の自由と平等を抑圧することをもってなされた。

そんな庶民が自由と平等を獲得する運動は自由民権運動に始まるが、国会開設を代償に敗北する。つづいて、1890年1897年1918年とつづく米騒動を契機とする民衆の反乱は、敗北の代償として、大正デモクラシーへといたる。

そして、こんにちの「自由と平等」は、敗戦ごの戦後革命の敗北を代償に獲得されたものであると私達は思っている。

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アッテンボローの雑記帳 2008/02/18/Mon 23:18
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