たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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鬱病
まあ、毎年心臓がとびだすくらいびっくりすることはあるもので、それは先の記事でも書いたことですが、人ひとりこの世に生をうけ墓におさまるまで平穏無事にというわけにいかない”市民社会”なのでいたしかたないのですが。

ちょうど5年ほどまえの今頃でした。夕刻、ブログ記事を書いていた私のところへやってきたローザが、「今日、職場の定期健康診断で、ほぼまちがいなく乳癌だっていわれたんだけど~。いま仕事がいそがしいし~、ど~しようか♪」とお気楽そうに言ったのでした。

「ど~しよう、こうしようもないだろう! 明日速攻できってもらえぇえええ!」と一喝しました。
そのときは、さすがに頭がクラっとくるくらい驚きました。まあ、翌日手術となるわけはないのですが、おおよそ最短距離の日程で手術となりました。病理検査の結果は予想どおり悪性でしたが、さいわい転移をみとめず、早期発見の温存切除にてセーフでありました。

その後、放射線治療やら、抗がん剤、定期的な検査を積み重ね、再発、転移なくなんとか5年経過しました。内臓系の癌なら5年経過で問題なければ無事釈放らしいですが、乳がんの場合は引き続き、数ヶ月に一度の検診を受けたりと、ひきつづき経過観察が必要なんだそうです。とはいえ、とても安いとはいいがたい薬の必要はなくなるとのことでした。

この癌といわれたときの衝撃はなかなかのもんでしたが、2年まえの季節は梅雨のころ、ちょっと早めにお仕事がきりあがり家に帰ると、ローザの車が駐車場にある。「あ!今日はお仕事、お帰りが早いじゃん♪」と家に入ると、人の気配がまったくない。すでに当時、地響きのような”鼾”に辟易して、家庭内別居していた私は、ローザの部屋の扉をあけて驚いた。

部屋の中でしかれた布団のうえで、まるでスライムのように溶けた状態の彼女。ただごとではないと、抱き起こして「医者に行こう!」と私。へろへろの状態から「私、鬱病なの。春先から通院している。」といわれ、これまた心臓がとびだしそうになるくらいサプライズでした。

癌の治療薬の副作用で鬱傾向がでやすいという話は、主治医からきいていましたし、彼女自体が学生のころからそうした傾向をキャラとしてもっていたことはわかっていたのですが、「ああ、これが鬱病なんだ」と頭で理解していたことと、実際リアルに目の当たりにしてみて、その差違にひどく戸惑ってしまいました。

幸い医者をかえてみて、処方された薬がビンゴだったのか、ひとところげっそりと減った体重もすっかりもどりるどころかオーバーし、いい調子でくらしています。とはいえ、やはり季節の変わり目などにはド~ンとボルテージがさがるようです。それと、私の稼ぎがド~ンとさがるとよろしくないようで・・・このたびの、年末家庭不破の原因となったりします。

さて、他者と競争して勝ち続けねばならない、そんなお仕事からいだだくストレスも強烈ですが、やはり、歳をそれなりにとって思うことは商品価値を自分が失ったとき、ごくごく自然にお墓に収まるまでのあいだ生きてゆけるのか、暮らしてゆけるのか、そんな不安が無視できなくなってまいりました。

本来、シホーン主義の世では、労働力の価値というのは、自己の労働力の再生産費用と他者の生産、次世代の労働力の生産のための費用との合算でなければならない。しかし、もうちょっと踏み込んでいえば、労働ができなくなったのち、墓に収まるまでの生活費他一切も含まれていなければならないのです。

ちょっと話がすべりました。労働力の価値についてはまだのちほどあらためて記事をあげようと思っているので、そのときということで。鬱病はずいぶん多くの方々が患っておられるようですね。まあ、社会的富に溢れかえった我が「神の国」ニポーンではありますが、いまさら言うまでもなく”貨幣”がなければ富とは無縁な疎外された存在でしかありません。

博打のような金融&証券市場による自然発生的な社会的資本の配分と盲目的な生産の増大と縮小は将来の見通しを大変困難なものにします。先のみえない不安と鬱はまんざら無縁ではなかろうかと思います。
働けなくなった中高年が厳冬の路上で凍死したり、自殺したり、わずか数千円数万円のためにコンビニへ強盗にはいる。そんな殺伐とした時代がくるとは、そうした悲劇を避けんがために日々、自分と他者との闘いに追われる現役労働者。鬱病それもありかと

私らが学生さんだったころすでに”死んだ犬”がごとき扱いをされつつあったマルクス経済学ではありますが、こんなご時世にいたって、「ほ~ら!マルクスがいったとおりになったじゃないか」といったところで、競馬の予想屋ではあるまいし無意味なことなのですが、先行きのみえない混沌とした時代にほんのわずかでも導きの光をあたえる力は失われてはいないようにおもいます。鬱病の特効薬にはなりませんが・・・ 

まとまりのないお話でお粗末さんでした。



追記 アッテンさんがいかにたいへんなのか、少しは身にしみてわかったような気がしました。最近ブログの更新が少ないのは残念ですが、とりあえずお仕事が忙しい様子で、ちょっと一安心。とはいえ、あまり根性入れすぎるとアキマヘンyo。とはいえ、もはや、ほどほどになんて言葉が許されないほど、キビシーご時世ではありますが。



追記 すんません、文中の「5年前にブログ記事を書いていた」は管理人の記憶違い、正しくは「コメント」のまちがいでした。失礼いたしました。

最近めっきりお酒が飲めなくなりました。ええ、貧乏でお酒が買えなくて・・・ 
もちろん冗談です。貧乏は事実ですがお酒くらいはなんとか買えます。飲めなくなったのは、飲む機会がど~んと減って、すっかり弱くなってしまったということです。歳のせいってこともあるでしょうが、すぐに睡くなっちゃうんですwa。

話はすこし横にそれますが、砲台の文化連盟&○学童の諸氏は昨年末、やっとこさ保釈されたようですね。そのありかたについては一言二言苦言もありはするのですが、それはさておき、率直に娑婆に帰ってきたことを喜びたいと思います。”おつかれさま、よくがんばりました、天晴れ。”
そんな文化連盟の主要メンバは伝統的に”デコレーションケーキ”を肴に平気の平助で日本酒をぐい飲みするような酒豪が多く、対して担当する○学童は激務から日頃酒を口にする機会が少なく、めっぽう酒に弱かったりして、学祭の時などは日頃積もり積もった「革命的抑圧」を爆発させるように、酒をあびせるようにのませて担当○学童を撃沈しては憂さ晴らしをしておりましたwa。

さて、飲む機会がグッと減ったのはやはり不景気で、飲みなしではお仕事がやってくることがないと思われていたこの業界でも、もはやそんなことはないようです。恒例の忘年会&新年会をとりやめたところも少なくなくないようです。顧客の正社員もずいぶんとリストラされており、暮れのご挨拶まわりにうかがったとき、なじみの顔が見えなくなっているのにはおどろきました。

先日は、地域の新年会でして、私は数年前とある会合でぶち切れていらい、しばらくおつきあいをしてこなかったのですが、まあ、ぼちぼち復帰しようかとおもい、ひさびさの参加となりました。
いっやぁ!昼酒は身にこたえますwa。暮らしているところがど田舎なもんで、いろいろつきあいが鬱陶しかったりするのですが、毎度”新年会”はワーストランキングで最上位です。

もう、さきの文化連盟による○学童への”酒テロ”を彷彿させるようないきおいですwa。まあ、土佐の高知の置くことができない円錐をひっくり返した杯を用いた”酒戦争”ほどにははるかにおよびませんが、それでも昨日は完全に撃沈、今日も重度の二日酔い後遺症に苦しんでおります。

それと、悪酔いを加速するのは、地域の長老連中のやったらエラソーな態度だったりします。スターリン主義者もおもわずひれ伏すくらいのそのさまは、あ~ぁやれやれってかんじでしょうか。来週は地域のイベントがあり、もちろんスターリン主義的動員がかかっているのではありますが、そのあとの”酒テロ”からいかに逃れるか、そんなことに頭をつかってパッシとした記事をあげる気力がわいてこない武装せる園芸家なのでありました。

おそまつです。

追記 酒は楽しくのみませう。


猫こたつのうえのこうちゃん 新春初登場なんだからそんな神妙な顔しないの
笑って笑って!お愛想ふるまってちょうだいな  無理か・・・

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「星守る犬」2
おひさしぶりです。みなさんお変わりございませんか。ブログの更新をしようとおもえば、あっという間にふた月が過ぎて大晦日になっとりました。

めちゃくちゃ忙しいのと、まったくお仕事なしがめまぐるしくやってきて、すっかりペースが乱れてしまい、”書く”気力を失っておりました。ふりかえると今年一年、経済的に厳しい一年であったし、それに規定されるようにブログに投じる情熱もいまひとつな一年であったかと。

とはいえ、すきくわ君の「猛省して不正な思考をあらため、ブログを閉鎖せよ!」とのお言葉を受け入れるつもりは更々ないので、ブログを止めるつもりはありません(笑)。完全更新放棄中にもかかわらずいらしてくださった皆々様には、ブログ開設3年目に臨む想いをこめて、厚くお礼申し上げます。

さて、去年読んだ本のなかで一番は”ドリンドリン”だったわけですが、今年はっていうとやっぱり”星守る犬”だったですね。この話をきっかけに実にさまざまにいろんなことを考えました。そして、たくさんの記事をかいてみたのですが、どれも理屈一辺倒でなにか大事なものが欠けているような、言い尽くせないものを感じて没の山となりました。

そうこうしているうちに、書く気が失せたとき、ふと、作者の村上たかし氏はこの話になぜ”星守る犬”という表題をつけたのか? ”手にはいらないものを求める人”ってどういうことだろうか? と疑問が浮かびました。

この話のなかで”手にはいらないもの”ってなんなんだろうか。と11月にはいってずっと考えていました。
そんな12月初頭のある日、台所でカフィーを入れている私の後ろで、ローザがうつむいてストーブにあたりながら、一言ぽつり、「もう、終わったかなぁって思うの」
「えぇえ、なにが終わりなのよぉ」と私。「あなたとの関係も終わりかなってことよ」とローザ。

突然降ってわいたような”実年離婚”の話。対応を誤れば大爆発なので、本性の”精算主義”をひさすらじっと我慢で向かい合っていて、頭の中をよぎったのは”星守る犬”これって、ノンフィクションじゃんか。
6匹の猫を箱バンにのせて冥土への旅にでねばならないか、まじっすか。

そこでようやく気がつきました。”手にはいらないもの”というのはありきたりな、平凡な、波風たたないごくごく普通の暮らしなんじゃないかなって。市民社会のなかで人がこの世に生をうけ、墓におさまるまでそんな平穏無事な人生がおくれるなんてことを望むのはまさに”星守る犬”。

そんなことは、若い頃から重々知っていたことなのに、個別具体的に自分自身の頭の上に降ってきたらわからなかったり、とまどったりするもんだと思いました。

踏んだり蹴ったりの一年のおわりにふさわしい困難に、はじけ飛んだジグソーパズルを組み直すような慎重な過程をつづけてきました。なんとか一筋の光明をみいだすことができたときは年も改まろうかという時でありました。年が改まったら”家内安全”のお守りでも買わねばと、ひどく弱気な唯物論者にして武装せる園芸家なのでした。

皆様本年はご来訪いただきありがとうございました。とりわけ皆勤賞ものの愚樵さま、ありがとうございました。
来年はもうすこしは根性をいれて更新する所存ですので引き続きおつきあいのほどをよろしくお願いします。

皆様よいお年をお迎えください。

追記
”星守る犬”はとても奥がふかい話ゆえに、人に泣く、犬に泣く、それぞれ読む人の受け止め方はそれぞれかもしれません。それにしても犬の名前がハッピーっていうのは辛いなぁと思いました。

漫画
シルバーウイークなんてどこにも行かない、お金も使わない、とかいって全然そうなってませんね。
靴を買ったついでにというわけではまったくありませんが、漫画を買ってみました。

ついこのあいだ、出張の帰り道、ラジオをききながら運転していると、パーソナリティーが紹介していたのがこの本、「星守る犬」(村上たかし)です。


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「星守る犬」といっても地球防衛軍の犬の隊員の話ではありません。まだ読んでいないのですが、心あたたまるちょっと切なく悲しいお話らしいです。作者の村上たかし氏がそのラジオの番組のなかでいっていたのですが、村上氏が神戸在住だったころ、大阪でみた文字放送の掲示板で、ある初老の男性と犬が車のなかで亡くなっていたというニュースを題材に書き上げたんだそうです。

岩波の文庫で「君主論」買おうとお街へでたとき、ふと思いついて探したのですが見あたりません。最近は店内備え付けのPCで位置を確認できるので本探しは容易になったと思っていたのですが、みつかりません。
漫画のコーナーを何周も徘徊する、みるからに胡散臭いおっさん。周囲の空気になじんでないなと感じつつ、身の置き場がないような居心地の悪さをはねのけて、捜すも発見に至らず。

店員さんに聞けばそれでOKなのかもしれませんが、いやなんですwa。宝探しみたいな感覚があるんです。
それでも、しまいにはさすがにくたびれ果て、レジコーナーへいって店員さんに、あの~「星守る犬」欲しいんですけどっていったら、レジコーナーの真ん前に平積みにされた山の谷間に3冊かさなってあった、「星守る犬」をいともあっさり手渡されたときは激しく消耗しました。蔵書マップうそじゃん!

どうも動物系かわいそ物語って弱点でして、○tayaのレンタルにいったときは「子狐ヘレン」をまいど手にはとるのですがレンタルに至らないというへたれでもあります。まあ、そうしたたぐいのものとは「星守る犬」はちがうのだろうとおもうのですが、ともあれ明日草取りのあいまに正座して読んでみようとおもいます。

そうそう、当ブログにコメントをよせてくださる美也子さまも、ご主人が買ってこられたとのことで記事をあげておられたこともこの本をもとめた大きな動機であります。




墓参
お墓参りにいってきました。シルバーウィークなんても~いや!なんて書きましたが、あっぱれな秋晴れ、ぬけるような真っ青な空にうきうき気分でプチドライブ。いちめんに広がる黄金色の頭をたれる稲穂でいっぱいのど田舎を人民車たる軽のハコバンで軽快に走る走る。

お墓参りっていっても、私の親類縁者のではありません。私は最初にパクになったとき、”家族問題の革命的解決”にものもみごとにシパーイしていらい絶縁状態ですからぁ。
そんでもってRosaの親類縁者でもありません、Rosaのお仕事の関係の方で、ある難病で10年以上病院で寝たきりだったのですが、今年の5月に亡くなった方のお墓です。

その方のご主人は労働災害で重度の障害を負っておられたのですが、昨年亡くなり、そののちほどなくして墓参りにはじめていって以来これで2度目ということになります。
両方とも創価学会の会員さんでありまして、存命中に学会の運営する墓地を購入しておられたのでそちらへ訪れたわけです。

山越え谷越えで、きれいに整備された道ではありますが、どんどんと走って走ってゆくと、やがて山の中に広大な墓地が造成されていているのがみえてきました。うゎあ!迫力ありすぎです。


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武装せる園芸家としては、おもわず感動ものの見事な庭園もあり、なかなかお値頃のランチもいただけるレストハウスもあったりして、ちょっとした丘陵公園的なかんじだったりします。中央にはそれはそれは「ありがたそうな」巨大モニュメントがあったりして、偶像崇拝ナンセンスぅなんて思う気持ちとうらはらに、純粋に、素直にそびえたつようなモニュメントを、煙草をくゆらしながらながめていると、なにか伝わってくるものをかんじます。理屈抜きに本物のアートです。

お彼岸ちかくということで、たくさんの学会員とおぼしき方々が家族できておられました。去年きたときは、小雨ふる中でもあって訪れている人もほとんどなく、とっても寂しいところのように感じたのとは、うってかわってのにぎやかぶりでした。


迷わず目的に到達するための道しるべです
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墓石は統一規格で線香を立てるところがないので、線香をたててはいけないのでしょう。それと、お供えもいけないようなので、買ってきたモンブランのケーキは供えた後もちかえりモニュメントを眺めつつ、在りし日の故人への思いをめぐらせつついただきました。

遙か遠くまで整然とならぶ墓石をぼんやりとながめつつ、宗教は愛を説いているかぎりは罪はないといったようなことをマルクスがどっかで書いてたっけ、とか、これだけの数の思想的に武装された革命家がいたら情勢はかなり手元にたぐりよせられるのになぁ、なんてしょーもないことをおもっちまいました。どうも疲れがのこっているようです。


見渡す限り墓標がならぶ なんともいえない光景
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たわいもないお話でした。


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