たわいもない日々の雑感を綴ってみたいと思いまする。

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恐れ
今日は週のはじまりですが、いきなりお疲れモードです。そんなわけで短めに。

先日の池田香代子さんの講演のなかでみせていただいた映像に、武装せる園芸家は大きな衝撃をうけました。
橋本公さんというかたが創られたものだそうです。やれ抑止力だ、ほれエコだとか、やたらと抽象的、観念的に核の脅威をあつかってますが、そのおそろしさを具体的にイメージさせる映像に背筋が寒くなりました。

革命なんて絵空事のようにおもっておられる人は圧倒的多数だろうとおもいますが、歴史をふりかえるとあとちょっと、あ!おっしぃ というシチュエーションはいくらでもありました。敗北の連続のなかで敗北から学び人間解放の事業は一歩一歩前進してきたのだとおもいます。核の廃絶の道は、核によって構造的暴力を維持しようとする者たちを打倒してゆくことにしかありません。

だ・け・ど このたびの100年に一度の経済危機の先にある世界大戦の先には戦後革命期の好機はあり得ないように思います。ワンチャンスのラストチャンスだと・・・ 

とはいえ、希望は捨ててはいけません。


そんな映像を今日は貼らせていただきます。









9月に入っての最初の記事が12日とは、サボり過ぎっすね。とはいえ、お仕事がめっちゃくちゃ忙しいです。近年あるときとないときがきっちりと分かれていて、無いときは全くなくて、あるときは精神と肉体の限界にチャレンジみたいな感じになってきています。おもいっきり価値法則に翻弄されているようです。

さて、せんだって待望のお金がはいったので、今日はひさしぶりに旅にでてきました。旅とはいっても日帰りのあわただしいものですが、神戸にいってきました。ちょくちょくコメントをさせていただいている「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」、コアなコメントにもかかわらずいつも公開してくださっているお玉おばさまが、スタッフとして参加しておられる「9条交流会」に参加させていただきました。

毎年恒例ののイベントのようでして、結構そそる内容の企画に、ぜひ参加してみたいものと常々おもっていました。とはいえ、金があれば暇がない、暇があれば金がない、貧乏人ゆえなかなか実現しなかったのですが、今年はちょっと気合いをいれてみました。


15年ぶりの三宮の駅9時半に到着
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開演10時というクイックスタートに間に合うように、朝いつもとかわらぬ早起きで速攻出撃、9時半には三宮駅に到着、余裕じゃんと思い一杯飯屋で朝食をいただいたあと会場の神戸市勤労会館を探します。事前にググっておいて場所は確認ずみ、なんたって15年まえサラリーマンを止め自営を始めるも仕事が全くなくて、仲間にさそわれて震災復興のボラに一月半ほど神戸にいたので、土地勘はある。とおもっていたのですが会場が見つかりません。右往左往するうちに時間はあっという間に10時をどんどんすぎて、焦る気持ちで全身滝汗です。「えぇい!コンビニで地図を調達だぁ」と地図を見ながら幹線道路の交差点にもどり、ふと空をみあげると、あるじゃん勤労会館。なんと会場周辺をぐるぐるまわってたのでありました。


この建物の周辺をなんども行ったり来たり 看板が上についていたのでわからなかった・・・
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まったくProらしからぬ段取りの悪さに、自分の事ながら少々気落ちしつつ会場にダッシュ。受付でチケットを購入、「あの~、お玉ブログみてきたんですけどぉ」と受付の女性に言ってみる。「お玉さんならいまちょっとでていますが、待ちますか」とのこと。すでに30分遅刻なので、「あ、いいです、分科会にいってきます」と答えました。分科会は四つあって、どれも興味をそそられます。どれにしようかなと迷ってしまう。しばし考えるも結論が出ず、一から順番に行くことにしました。

7階の大ホールにたくさんはいってました。お題は”「日米同盟」で平和は守られるか”セクションごとに質疑応答があって、多様な意見がでてきてとてもよかったですね。欲をいえばもっと保守的な、あるいは反動的な意見もあったりしてもいいかもと思いましたけど。
60年安保闘争のとき、あの6.15で樺美智子さんが虐殺されたそのときにデモに参加されていたという方や、高校で社会科を教えておられる方が、安保や日米同盟、抑止力という「現実」のまえに、どう生徒に憲法をかたっていったらよいのかとチューターに質問をぶつけておられました。

食い入るようにききながら、私なりの答えを頭の中で巡らしていたのですが、どうしても階級闘争であるとか帝国主義段階とかスターリン主義とかの、一般市民にはなじみのない概念ぬきには語れない。そこらあたりのところを平易に、わかりやすい言葉で語れる能力がないといけないなぁと痛感しているあいだに、分科会の終了12時30分になっちまいました。

あとの三つは残念ながらいけませんでしたが、2階で津久井先生の分科会だけがまだ終了していない様子。そこへお玉おばさんとおぼしき女性が入っていったので、私もはいってみました。はいってびっくり、満席じゃないっすか。それも話が白熱している。最後のまとめだけをうかがいつつ、おぼしき女性に声をかける「お玉さんですか?」「ハイ」「私がサツマアゲです」とお玉おばさまを捕捉。ここで軽いご挨拶とあいなりました。
そして、ナマの津久井先生もしっかりウオッチしてまいりました。想像していたよりはるかにスリムで、お若いのにちょっとびっくりでした。ただし先生とはタイミングがあわずご挨拶にはいたらず、残念。

昼一時間の休憩をはさんで池田香代子さんの講演ですが、大ホール満杯でした。おぉおお!老若男女これだけあつまると結構迫力です。そりゃっあ神戸市の全人口からみたら、まだまだわずかかもしれませんが、いまの時代への明確な危機感と、憲法にたいする明確な思いをもった人たちがこれだけあつまるというのはとても素晴らしいことであります。池田さんの講演ですが、はっきりした主義をもったワタシ的には、少々根性の悪いツッコミがどんどん頭から湧いて出てくるのですが、そういうのは止めにして、フラットな気持ちで聞かせていただけば、退屈することのないおもしろい話でした。以外なほどに、早口でジョークを飛ばしまくるさまは、想像していたキャラよりはるかにユニークな方でした。


いやはや理屈抜きでおもしろい講演でした もっとストイックな方かとおもってますた
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今日はどうしても帰らねばならない時間がきまっていたので、講演をきいたあと、残る演目に後ろ髪を引かれつつも会場をあとにしました。途中、ホールをでたあとお玉さまが”お玉発見割引”分の払い戻しを用意していてくださったのですが、まずい段取りで遅刻をしたため受付で発見できなかった私に問題があるのでいただけません。とはいえ、他人様の好意を素直に受け取れない者に人民大衆を獲得することはできないか、てなことも帰りの道々反省したりして。まあ、一期一会ではありません、来年もまた参加させていただこうとおもっています。その節はダブル割引ということでヨロシク。当方もこんどはお国がしれるような手土産持参でまいりますzo。

そうそう、お玉おばさまに有名ブロガーお二方を紹介していただきました。一方は毎度辛いコメントばかりしているので、おもわず恐縮してしまいましたwa。
もう一方は明快な論理と熱いパトスを感じることができる記事やコメントを書いておられる方で、本当にお会いできて光栄です。お忙しいさなか長話でご迷惑をおかけしてすみませんでした。

みなさまおつかれさまでした。とてもよい集いでした。来年もよそもんですが越境参加させていただこうとおもっています。今後ともよろしくお願いいたします。



コメントくださった方々ごめんなさい
この記事はしばらく一番上に置きます

さまざま事情があったとはいえ、3月からいただいたコメントにお返しをすることもできずごめんなさい。
まずはここからはじめないと。なにか借金をおったままのような気がして何もかけません。盆明けから忙しくて時間も無いんですけど。

これはそれなりの思いがあるのですが、ときに時間がかかることはあってもいただいたコメントはちゃんとお返しをするということは、私なりのこだわりにしています。

いま、私同様においそがしいのか、当ブログ開設当初からおつきあいいただいておりました、「わんばらんす」のココロさまは、しばらくブログの更新を止めておられます。

「わんばらんす」では、ずいぶんとコメントをさせていただきました。毎日毎日、一生懸命更新をしておられるあいだにも、私の拙いコメントに丁寧なお返事をくださったことがとても嬉しくて、私もブログを開いたらそうありたいとおもっていました。

そんなわけで、5ヶ月も経過してお返事というのも、なんなんですが、はずかしながらさせていただきます。


岩下さまへ

反帝反スタのお方こと岩下さま、当過疎ブログへ初コメントありがとうございました。そちらは過去記事もぎっちり読ませていただいたうえで、ちょくちょくのぞかせていただいております。さすが文章を書いて飯を食ってきた人は違うというのが率直な感想でしょうか。

ちょっとググればあなた様が活躍されていたことはいくらでも知ることができます。生きた証として、あれほどの足跡をのこせたのなら、”我が人生悔い無し”というのもアリかともおもうのですが、あいにく反帝反スタ脱落逃亡後、ひっそりと、ごく平凡で、ありきたりの人生しか歩んでこなかった私は俗物、煩悩の塊であります。

そんなわけで、私は人生いきてナンボだし、連れあいがいたほうが多少なりともエキサイティングだとも思うのでここでなんとか踏みとどまって、ガンバってみようと思いました。確かにネットカフェ暮らしはコストも軽く、はまったら抜けられないかもしれないほど快適ではありましたが。

あなた様自身が「そう簡単に人は死ねない」と思っておられるのではないかと、お書きになっているブログ記事を読ませていただいて、私は推測しています。もし、そうであるなら、のたれ死にの直前まで、路頭に迷う無知無能なサヨク破綻者がどっちへいったらよいものか、書き続けていただけたら幸いとおもっています。

猛暑がつづいています、ご自愛なさってくださいませ。


NKさまへ

ご無沙汰の累乗くらいご無沙汰してしまいすみませんでした。このような過疎ブログを見ていてくださったことにまず感謝&感激です。さて、率直言って、私はあなた様からいただきましたコメントにたくさんの力をいただきました。あなた様ほどの方が、自身のプライバシーを明らかにして、「なんとしても離婚は避けましょう。がんばってください。」と言ってくださったことで、心をきめました。

三里塚へいって帰った日、かつて◯学童だったことのように、互いに、深いところまで切開し、ぎっちりと闘論しました。いままで互いに避けてきた問題点も、あらいざらいぶつけ合いました。多少の器物の破損も伴いながら。

自営業の不安定さはご指摘の通りであります。いうまでもなくリーマンショック以降の環境の変化はすさまじいものです。それと、ながい年月のうちに、意識的であり、無意識のうちであれ、私自身の左翼性が溶解してしまっていたことが大きな原因の一つであったようです。そう、彼女の左翼としての原点はとても強固で確固としたものなのです。

差し出がましいなどとはとんでもございません。あらためて、いただきましたコメントに感謝するとともに、お返事が遅くなりましたことをおわびいたします。コメントいただきありがとうございました。


元々中核派さまへ

ごめんなさい、5.16へはいけませんでした。5月は14、15、16日の3日しかお仕事の予定がなくて、どうしても外すことができませんでした。闘争会館は私もさまざまな思いがございます。食当で米が足らなくなりこっぴどく怒られたこと。防衛隊で監視任務中に居眠りしていて、これまたこっぴどく怒られたこと。前夜結集で一人一畳もないスペースで寝たこと。ほかにもたくさん。

なかなかおもうようにならない自分が情けないのですが、あの地で、同じ思いをいだいて闘った人たちが、すこしづつでも戻ってくることはとてもすばらしいことです。そうしたものとして、私もできるだけがんばります。そうすればいつかきっと会える、そうおもっています。コメントいただきありがとうございました。


土岐さま

いやいや災難つづきで、なかなか思うようになりません。まあ、本来そんなのがあたりまえなのでしょうが。
忙しくても書けない、暇でも書けないっていったら、書くときがないんですけど。

それはさておき、ご家族の緊急入院とは、たいへんでしたね。コメントをいただきましてからアッというまに8月も終わり近く、記録的な猛暑のつづく毎日。無事回復しておられればよいのですが。

三里塚は最強の農民運動ですから、日々勝利を積み重ね、闘いはまだまだ続くでしょう。いずれお会いできることを楽しみにしております。

まだまだ逝き様に思いをはせるには早すぎますyo(笑)。とはいえ、毎日暑いですからご自愛なさってくださいませ。コメントいただきありがとうございました。


あるみさんへ

コメント&TBいただきありがとうございました。なかなか思うようにならなくて、ブログの更新をすっかり放棄してしまいました。さて、ヘタクソなんて言っておられますがぁ、私のような不器用な人間では、あのサイズに果敢にチャレンジする気概もないので、凄いの一言であります。それにあの幟旗、とても創意工夫にあふれています、天晴れです。オイラたちが現役のころは、軍事最優先で、そうした創意工夫は著しく退けられていたように、ふりかえっておもいます。

そのあたりのところは、今回8.6で全国連の中田書記長が集会のまとめで言っておられたことに思い当たるものがあったのでのちほど書いてみたいと思います。

三里塚情勢はまた一つ緊迫しているのがわかり、なんとも歯がゆい思いの自分なのですが、致し方ありません。秋にはなんとか行こうと思っています。そのときは、またよろしくお願いします。
コメントいただきありがとうございました。



敗戦記念日
今日は8月15日 いわずとしれた日本帝国主義の敗戦記念日だ。あくまで敗戦記念日であって、「忍びかたきを忍び」国民のためにポツダム宣言を受諾することを天皇が決断したことによって自発的に”終戦”をむかえた日ではない。

今年は昨日と今日が私とローザのお盆休みとなった。例年よりすくない休みとなったが、世の中不況継続中なのでそれもまたいたしかたない。昨日は前日のビックな残業がこたえてブログの更新もままならぬまま、終日家で静養していた。

今日はせっかくの休みということで、夫婦で映画を見に行くことで意志一致していた。”星守る犬問題”以降いっしょに出かける機会をつくるようにしている。先週は美術館へ行ったし、映画にも頻繁に行くようになった。今日は私的には「踊る大捜査線」あたりを希望していたのだが、「CATERPILLAR」をみようとローザが言う。

「なにそれ!ガンダム系?」と私
「戦争に行って両腕を失って帰還した兵のお話だよ」とローザ
「なんか重くて暗そうな映画じゃん」と私
「だから一緒に行こうっていうのyo」とローザ
「あんたがオススメの映画っていつもハズしてるじゃん。このあいだの『第9地区』も」と私
「色々見ていれば映画にもあたるってもんでしょ」とローザ
「ほいじゃあ、それでいいけどぉ」と私

そんなわけで、昼過ぎからド田舎から車を走らせ、街まででかけていってみてきた「CATERPILLAR」。

驚いたのは、結構客がはいっている。コアでマニアックな演目を得意とする小さな映画館なのだけど、連日満席の模様。私らが入った時もまんせきだったし、その客層が実に年齢性別にかかわりなしの様子だった。
どうもポスターを見るに”右翼”系だったら憤慨しそうな内容のようなので、そのラインはないように思われた。まだまだ捨てたもんじゃない、左翼やリベラルはいまだ健在だ。

この「CATERPILLAR」の監督は若松孝二、あの「実録連合赤軍あさま山荘への道程」の監督だ。そしてポスターには「忘れるな、これが戦争だ」とコピーがはいっている。

始まりのシーンは中国人民の民家に火を放ち、逃げ惑う婦女子を二人の兵が追い詰め強姦し殺害するところからはじまる。つづいてとある日本の農村の風景の中で、出征する若者を歓喜の声でもって送る村人たちの行進へとシーンはかわる。その行進にむかって1台の軍関係のものと思われる乗用車がすすんでゆく。

黒川家より出征していた久蔵が傷痍軍人として帰還してきたのだ。驚きと、恐れの感情から震えを抑えることができない久蔵の妻、父親、妹、弟。久蔵は四肢を失い、顔に火傷を負い、喉を切られて帰ってきたのだった。「生きた軍神」と祭り上げられる久蔵と妻シゲ子の苦闘が敗戦の日まで淡々と綴られてゆく。

はっきりいって、私的にはあまり見心地のいい作品ではなかった。似たようなテーマのものとしては、「ジョニーは戦場へ行った」のほうがはるかにすぐれているようにおもえた。とはいえ、今日の敗戦の日に見る映画としてはそれもアリかと。話は当時の戦争遂行機関としての地域コミュニティーの問題性や、戦争被害者と加害者の二面性もきっちりおさえられている。なによりスケールとしてはとても小さな、いち家族の物語として描かれているゆえに、リアリティーはあるだろうとおもった。

ところで、見終えてローザに 「CATERPILLAR」ってお題はどういう意味かと問えば、「戦車の車輪についてるやつでしょ、わからない」という。「 『CATERPILLAR』つーのはyo、『毛虫』のことだってば」と私。
ついでに、いろいろとツッコミ問答をしたところ、彼女が映像からうけとった情報がシーンのつながりのところで欠落していることがわかる。

「もう一度みたら、わかるかしら」とローザ
「おいおい、あれをもう一度みるってか」と私

でも、そんな彼女は私にはおよびもつかないネイティブな”左翼”であることは否定できない。
よろしかったら皆様方も重くて暗いですが、ごらんになってみてくださいませ。「CATERPILLAR」

おはり





65年目の8・6 その1
当日、予定外の急用があり1時間近く遅れて会場へついたときは第一部も半ばをすぎたころ、日本軍による重慶爆撃と細菌戦による被害者の方々の訴えがされているところだった。

戦争の被害者としての悲惨さを語るのみでは、なぜ戦争を阻止しえなかったのかを知るにはほど遠い。私たち日本人が同時に加害者としてあったという歴史的事実を真摯にうけとめることがどうしても必要だ。そのために、実際に被害にあわれた方々の声を聞くことはとても大切だ。そうしたスタンスがこの集会にはつらぬかれていることは去年とかわらない。

つづいて、反戦地主の知花昌一さんが沖縄の現状報告をしてくださった。正直、私は沖縄問題に関して知らぬ事が多すぎると反省することしきりだ。いまさらこの年になって他人さまのせいにするつもりもないが、在りし日の、かの党派の”路線主義”の弊害は否定できないだろうとおもう。話がずれたが、知花さんはこのたびの日米合意にもとづく普天間基地の辺野古移設を第四の琉球処分と断罪するとともに、民主党には少なからざる期待をしてきたし、このたびの国政選挙では社民党を押してきたが、いまは自らの闘いをもってしか道は開けないとだれもが思い始めている。沖縄はそうして解放をかちとってきたといっておられました。

つづく


原爆資料館です 集会の会場はこのすぐ近くにあります
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反戦地主の知花昌一さんです ”年金もらえる歳”になったらパクをおそれず
こころおきなく闘おうっていました 流石!! 
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